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高倉山・中尾山城(萩市江崎・下田万) [県北部の山]

高倉山は二十数年前に一度歩いており、北麓の本町側から登り平原側へ降りている。
『城郭放浪記』の所在図には、高倉山の西尾根上に中尾山城の表示があるのみで踏査記録等がないが、合わせて歩いてみた。
中尾山城跡周辺の斜面は段状の削平地に囲まれ、石積なども見受けられるが、崩落防止等の目的で近年設置されたものかどうか、素人の目には判別できない。
帰路はヤマップで報告されている南麓の林道へ下るルートを取ってみた。(2022.3.28)
IMG_8479江崎漁港から高倉山.JPG江崎漁港から高倉山
IMG_8455中尾山城(西方向から).JPG中尾山城(西方向から)
高倉山.jpeg (1,2クリックで拡大)

●駐車地~中尾山城
国道191号沿いにある駐車表示のところへ車を置く。そばの田圃は菜の花の真っ盛りだった。
IMG_8451左は高倉山(手前120mピーク)・菜の花畑.JPG菜の花畑・左は高倉山(手前120mピーク)

国道を北上し、「西堂寺六角堂 ←300m」の看板の手前で右折し舗装道を進む。奥に老人憩の家があり、未舗装の幅広道に入る。すぐにイノシシワナが設置されたところで道は終わり、前方に堰堤を見る。
IMG_8366西堂寺六角堂300m看板・舗装道分岐.JPG西堂寺六角堂300m看板・舗装道分岐
IMG_8368老人憩の家.JPG老人憩の家
IMG_8369未舗装道.JPG未舗装道に入る
IMG_8370イノシシワナ.JPGイノシシワナ
IMG_8371砂防堰堤.JPG砂防堰堤

堰堤の右端を越えて谷に下り、沢を渡って斜面を上がると林道跡らしき道に出合う。
IMG_8374沢渡り.JPG沢渡り
IMG_8375林道跡?.JPG林道跡?(右方向)

道を横切り、崩壊防止ネットが設置された斜面に取り付く。少し登ると2mほどの段差がある削平された植林斜面となる。
IMG_8376がけ崩れ跡・防護ネット.JPG崩落跡・防護ネット
IMG_8379段状地(上方).JPG段状の斜面
IMG_8378段状斜面(横から).JPG段状斜面(横から)
IMG_8380段状地(上方).JPG段状斜面

雑木疎林尾根となり勾配が緩むと、中尾山城跡の一角と思われる70m平坦ピーク①に着く。雑木疎林に囲まれ展望もなく、特徴的なものは見当たらない。
IMG_8381疎林尾根の上り.JPG疎林尾根の上り
IMG_8383勾配が緩む.JPG勾配が緩む
IMG_838470m平坦ピーク①.JPG70m平坦ピーク①
IMG_8385疎林平坦地.JPG疎林平坦地

鞍部へ降りると、右の谷にも段状地が続いている。
IMG_8386鞍部.JPG鞍部
IMG_8387樹間に尻高山.JPG樹間に尻高山
IMG_8388鞍部から右谷方向.JPG鞍部から右谷方向

登り返すと70m平坦ピーク➁に着く。こちらも特に記すべきものはない。
IMG_8390疎林・上り.JPG疎林・上り
IMG_839170m平坦ピーク②.JPG70m平坦ピーク②

●~高倉山
鞍部へ向けて下るとこちらの斜面にも段状地が続いている。
IMG_8392段状地(横から).JPG段状地(横から)
IMG_8393疎林尾根(段状地)・下り.JPG疎林尾根(段状地)・下り
IMG_8395段状地(横から).JPG段状地(横から)
IMG_8397段状地(逆方向).JPG段状地(逆方向)

鞍部から植林尾根へ登り返すと、やはり段状地があり石積も所々見られる。
IMG_8398石垣.JPG鞍部の石垣
IMG_8400植林・雑木尾根、石垣.JPG植林・雑木尾根、石垣
IMG_8402雑木尾根・段状地(横から).JPG雑木尾根・段状地(横から)
IMG_8403段状地・上り.JPG段状地・上り

雑木尾根に変わり、シダ尾根になったところで、左へよけながらトラバース気味に進むと竹交じりの100m鞍部へ出る。
IMG_8404疎林尾根・左へ.JPG疎林尾根・左へ
IMG_8405右のシダ尾根.JPG右のシダ尾根
IMG_8406100m鞍部.JPG100m鞍部.

左折し疎林尾根を登ると小岩が並ぶ110m支尾根合流点に着く。
IMG_8407雑木・竹尾根、上り.JPG竹交じり疎林尾根・上り
IMG_8408小岩が並ぶ.JPG小岩が並ぶ
IMG_8409110m支尾根合流点.JPG110m支尾根合流点

薄いシダをよけながら緩い尾根を進む。120m支尾根合流点を過ぎ、シダ被りの130m支尾根合流点を左に過ごす。
IMG_8410シダ尾根・右へよける.JPGシダ尾根・右へよける
IMG_8411薄いシダ尾根.JPG薄いシダ尾根
IMG_8412120m支尾根合流点.JPG120m支尾根合流点
IMG_8413疎林.JPG疎林
IMG_8414左に130m支尾根合流点を過ごす.JPG左に130m支尾根合流点を過ごす
IMG_8415疎林.JPG疎林

幅広い凹状の尾根を進み、140m支尾根合流点を過ぎると平坦な高倉山山頂に着く。三等三角点「高倉」を見て、その先に石祠二基、倒壊石鳥居がある。
樹木に囲まれ展望は得られない。
IMG_8416緩い疎林尾根.JPG緩い疎林尾根
IMG_8417凹状の尾根.JPG凹状の尾根
IMG_8418140m支尾根合流点.JPG140m支尾根合流点
IMG_8419高倉山山頂.JPG高倉山山頂
IMG_8420三等三角点「高倉」.JPG三等三角点「高倉」
IMG_8423石祠二基.JPG石祠二基
IMG_8424倒壊石鳥居.JPG倒壊石鳥居

●~駐車地
帰路は南西尾根へ向けて下る。広い雑木疎林尾根で、所々ピンクテープが付いている。
130m支尾根分岐点で南方向へ取るとすぐ左に作業道跡と出合う。作業道は尾根と並行に下っているのでどちらも歩けそうだが、テープにしたがい尾根上の踏み跡をたどる。
IMG_8426疎林尾根.JPG疎林尾根
IMG_8427130m支尾根分岐点.JPG130m支尾根分岐点
IMG_8428作業道出合い.JPG作業道出合い

細尾根となり、100m支尾根分岐点①、鞍部と下っていくと、100m支尾根分岐点②で植林帯の頂部に出る。
IMG_8430雑木細尾根.JPG雑木細尾根
IMG_8431100m支尾根分岐点①.JPG100m支尾根分岐点①
IMG_8432雑木細尾根鞍部.JPG細尾根鞍部
IMG_8433雑木細尾根.JPG細尾根
IMG_8434100m支尾根分岐点②・植林頂部.JPG100m支尾根分岐点②・植林頂部

植林境を南に下る。シダ等でやや植林境が荒れてくるが、構わず植林境を下っていくと、右の谷に配水施設が見える。
IMG_8435植林境・下り.JPG植林境・下り
IMG_8441植林境・下り.JPG植林境・下り
IMG_8442右下の谷に配水施設が見える.JPG右下の谷に配水施設

下り切り、右の配水施設横へ出て、取り付け道を下ると舗装された林道江津線へ降り立つ。
IMG_8443配水施設.JPG配水施設
IMG_8444下方に舗装林道.JPG下方に舗装林道
IMG_8446下降地点(逆方向).JPG下降地点(逆方向)

右折し、舗装林道(林道江津線)を下って駐車地へ戻る。
IMG_8447林道.JPG林道
IMG_8448林道分岐.JPG林道分岐
IMG_8449林道江津線起点看板.JPG林道江津線看板

■中尾山城について
帰宅後調べてみると、『田万川町史』に調査記録が記載されていた。
山城跡は二つの70mピークにまたがっているようで、次の記述がある。

「頂上は削平されて広い平坦地となっている。北東から南西にかけて郭の跡がある。堀切り、石垣などは見当たらないが、一段高いところに櫓の跡と思われる円形の土塁の跡がある。遺構としてはそれ以外は見当たらないが、麓から、山頂まで近距離で、しかも勾配もゆるやかなことから居館は山裾の谷あいにあったのではなかろうかと思われる。」

削平した段状地や石垣にはまったく触れられていない。やはり近年の段々畑の跡か砂防目的の削平といったところか? 櫓跡については確認できなかった。

中尾山城については地下上申や風土注進案に記載はなく、1984年に田万川町内で発見された「篠原氏系図」に記述があるとのこと。篠原一族は大内家の家臣で一時期中尾山城主であり、系図は江戸初期にその子孫が残したものという。
また、堰堤の上方で横切った林道跡は須佐に通じる旧往還道らしい。

なお、『地下上申』江崎村の御立山の項には「中尾山 先養九郎之上に有之」の記載があるが、同じ山を指すかは不明。
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