安栄山・帆柱山・瀬戸山(光市塩田) [県東部の山]
安栄山の南麓に八十八ヶ所巡りの参道が整備され山頂まで歩けるようなので出かけてみた。
山頂下の磨崖仏を確認したあと北方の峠へ下り、西方の帆柱山まで作業道を利用し縦走。作業道終点から踏み跡をたどって尾根に取り付き、植林境を上がると山頂に出た。
下山後、近くの瀬戸山にも立ち寄る。山頂へ続く尾根上のシダが刈られていたので思ったより楽に歩けた。(2023.2.11)
安栄山展望地から帆柱山
(1,2クリックで拡大)
◆安栄山
●駐車地~八十八ヶ所めぐり頂部
県道沿いにある「安寧山の八十八ヶ所巡り」の道標が登山口となる。コンクリート階段を上がった平坦地にコンクリート造の小堂「宗通寺」が建ち、奥には石風呂と一番札所の石仏がある。
登山口
道標
宗通寺
石風呂
石風呂案内板
1番札所
宗通寺の左わきから竹林伐採斜面を八十八ヶ所巡りの参道がジグザグに上がっている。
10名ほどの「安寧山の石仏群を守る会」の方々が参道の整備中だった。
巡拝路取り付き
霊場案内板
参道
作業中の守る会の皆さん
石仏が並ぶ参道を登り切った平坦ピークが巡拝路の頂部となっている。
参道
参道頂部・道標
●~安栄山
時計回りで巡拝路は下るが、山頂をめざし植林境尾根に付けられた山道を北方向へ下る。鞍部を登り返し「不思木」の木を過ごすと140mの小ピークへ着く。
植林境・下り
鞍部・コン杭
不思木?
植林境尾根を進み、150m鞍部で左右に道を分けながら植林尾根を登り返す。
植林境
分岐
植林斜面を右尾根にトラバースしながら上方へ向かい、「あと少し」の看板を見てシダ刈りの尾根を登り切ると展望が開ける。
植林尾根
看板「あと少し」
シダ
展望地から帆柱山(手前)・虎ヶ岳方向
呉麓山・千坊山
周防大島方向
石城山
緩い尾根を少し登ると中央に三等三角点「安栄山」がすわる山頂に着く。年配男性二人の先客あり。雑木に囲まれ展望は得られない。
山頂への緩い上り
安栄山山頂
三等三角点「安栄山」
●~磨崖仏~峠
道標に従い磨崖仏をめざし南東尾根を下る。鞍部で左からの巻き道と出合い、少し下ったところに磨崖仏がある。
岩には大日如来が彫られ、「文化三寅年」(1806年)の年号が読みとれる。
磨崖仏への下り
巻き道出合い
磨崖仏上方
磨崖仏
すぐ上の鞍部まで戻り、右の巻き道をたどると山頂北側の鞍部へ出る。念のため植林境を山頂まで往復する。
巻き道
北側鞍部(山頂方向)
山頂への植林境・上り
峠をめざし植林境尾根を北へ向かう。途中巨樹を過ごし、小ピークをいくつか越えていくと切通し状の峠広場へ降り立つ。登山口の表示や学校林の古い看板が立つ。左右に林道が続いており、右(東)は入野集落、左(西)は小倉集落へ下っている。
植林境・下り
植林境・上り
植林境・下り
巨木
植林境・下り
最後の小ピーク
峠手前の下り
峠(逆方向)
峠の広場
◆帆柱山
●~帆柱山
作業道(大和10号)を西へ取り帆柱山をめざす。作業道と言っても並みの林道より整備された明瞭な道が続く。最初の分岐を直進し、途中「天皇皇后両陛下お手蒔きのすぎ・ひのき」の標柱を右に過ごす。
作業道分岐①
作業道
お手巻きのすぎ・ひのき記念標柱
道標が立つ分岐を左に取れば小倉集落へ出るが、ここは直進し作業道大和11号へ入る。
標高130mの「峠ノ垰」で右に下る道を分け直進する。
道標・作業道分岐②
作業道
峠ノ垰・作業道分岐③
蛇行しながら反時計回りに山頂北側の尾根を回り込むと主尾根上に出る。前方の植林境尾根を直登した方が山頂へ最短距離で登れそうだが、終点まで歩くことにする。
作業道
190m鞍部
作業道終点
作業道終点から南へ向かう踏み跡があったのでたどってみると、山頂南側の180m鞍部近くの尾根上へ出た。
巻き道状の踏み跡
尾根出合い
植林境尾根を北へ登っていくと、220m支尾根合流点で国調コン杭(鋲あり)を見る。
植林境尾根・上り
220m支尾根合流点
国調コン杭
枝打ちされた明るい植林境尾根を進むと帆柱山山頂へ着く。山頂部北端に神様を祀ってあるような古い石碑が建つ。ヒノキ植林越しに東面の展望が得られる。
植林境尾根
植林境
帆柱山山頂
石碑
安栄山(手前)・姥河内山(背後)
●~光照寺~駐車地
帰路は北側の植林境尾根を下る。所々枝打ちの小枝が邪魔するが概ね歩きよい。
植林尾根・下り
植林尾根・下り
200m支尾根分岐点・コン杭
鞍部でふたたび作業道に出て、峠ノ垰まで下る。峠から明瞭な山道が南へ付いているので下ってみた。
作業道への下降地点(逆方向)
峠ノ垰・右の山道へ下る
古道が生活道として残っているようで地形図上にも破線がある。民家跡らしいヤカンや石垣などが残っている。
掘割状の山道
石垣沿い
山道分岐②(逆方向)
途中右の破線道をたどってみるとコンクリート造の小社が建っていた。
山道分岐③
小社
作業道10号に出て舗装道を下る。
作業道出合(逆方向)
道標(逆方向)
光照寺
◆瀬戸山
次は駐車地から東へ2キロ弱に位置する瀬戸山をめざす。
県道が分岐する橋のところに駐車スペースを見付ける。
県道分岐から北へ200mほど進むと左斜面をコンクリート舗装の小道が上がっており、これに取り付く。(登山口の反対側にも駐車スペースがある)
県道分岐
コンクリート取付道・登山口
舗装道終点から道はないので雑木尾根に取り付き上方へ向かう。今のところ明瞭な踏み跡はない。
取付道終点部
雑木尾根に取り付く
雑木尾根
途中小岩の先で古墓らしき所を右に過ごし、120m支尾根合流点に出ると北側半面が開ける。伐採後に植林されたようで、斜面全体にサクラが植えられている。
岩
古墓跡?
支尾根合流点・サクラ植樹帯
平坦尾根を西に向かう。最近下草刈りされたらしく歩きよい。
山頂が近くなり、勾配が付いてくると密生したシダ尾根となる。
下草刈りされた尾根
尾根・上り
シダが深くなる・上方に山頂
シダ刈りされているので今は歩けるが、シダが伸びると難渋すると思われる。
最高処とおぼしきあたりで左のシダ壁へ突っ込むと、あっけなく四等三角点「瀬戸山」に抜け出た。雑木やシダが邪魔して展望は全く得られない。シダ刈り斜面側へ戻ると北半面の展望が開ける。
山頂部の厚いシダ
四等三角点「瀬戸山」
北東(姥河内山)方向
北側の展望
サクラの斜面
帰路は120m支尾根合流点まで戻り、北東尾根の植林境を下ってみる。こちらも下草刈りしてあり、今のところ歩きやすい。
倉庫裏に下り、小川沿いに東へたどると県道に出る。
北東尾根・下り
下降地点(逆方向)
倉庫沿い(逆方向)
県道出合い(逆方向)
●~八十八ヶ所巡り
時間があったので安栄山の登山口まで戻り、八十八ヶ所巡りを時計回りで巡拝してみた。石仏は数年前までは倒れるまま放置されていたらしいが、現在はみなしっかりと据えられている。
巡拝路・下り
巡拝路・下り
88番石仏
■山名等について
●安栄山
『風土注進案』塩田村の村内小名の項に、上塩田村の小名として「安栄」の名があり、山名はこれに由来すると思われる。安寧とするのは「あんえい」が訛ったものだろう。
『大和町史』では、安寧天皇と結びつけるのはこじつけとしている(261頁)。
なお「点の記」には「安栄山」を俗称として記している。
●宗通寺
『風土注進案』塩田村の寺院の項に以下の記述がある。
「阿弥陀堂一宇 ただし桁行四間梁行三間松雑木造り藁葺前通しころ瓦葺、文化三子年(※)再建相成候、もっとも往古は真言宗にして宗通寺とて塩田村の疫神社坊と申伝、宗通寺と申地名残り居候事」
※文化三年は寅(とら)年であり、子(ね)年は誤り。山頂部の磨崖仏に刻まれた年号と同じであり、阿弥陀堂再建時に磨崖仏も彫られたようだ。
『大和町史』には、天保二年(1831年)に塩田村で百姓一揆が起こった際、宗通寺に集合し談義したとの記述がある。
現在宗通寺と表示されたコンクリート造の小寺が建っているが、どのような経緯で再建されたかは知らない。
●峠ノ垰
昔の束荷村と塩田村の境に位置する峠で、両村の『地下上申』隣村境目書にどちらも
「峠ノ垰」の名が見える。古来、熊毛方面から柳井を結ぶ主要道だったようだ。
また、束荷村の隣村境目書には「この垰浄泉寺垰とも申し候」とある。現在浄泉寺は帆柱山の西南麓に建っているので不思議に思っていたところ、YAMAPで「間者猫」という方の書き込みに、古道から少し入ったところに浄泉寺跡地の石柱が立っている写真と「1714年までここにあったようです」との記載があったので納得。古道を下ったとき明瞭な山道が左に分岐しているのは気づいたのだが、そのまま下ってしまった。
●帆柱山
『地下上申』隣村境目書によれば、束荷村では帆柱山、塩田村では南ヶ迫山と呼ばれ、束荷側は御立山であった。
北麓に帆柱という小字名があり、これが山名の由来と思われる。
『大和町史』の地質・地形の項に山の記載がある。
なお帆柱という地名は船の帆柱を切り出した所ということに由来するようだ(同書258頁)。
●瀬戸山
入野の小字名に瀬戸があり、山名はこれに由来すると思われる。(『山口県地名明細書』塩田村 74頁)
四等三角点「瀬戸山」の「点の記」には、俗称として同山名を付記している。
山頂下の磨崖仏を確認したあと北方の峠へ下り、西方の帆柱山まで作業道を利用し縦走。作業道終点から踏み跡をたどって尾根に取り付き、植林境を上がると山頂に出た。
下山後、近くの瀬戸山にも立ち寄る。山頂へ続く尾根上のシダが刈られていたので思ったより楽に歩けた。(2023.2.11)
安栄山展望地から帆柱山
(1,2クリックで拡大)
◆安栄山
●駐車地~八十八ヶ所めぐり頂部
県道沿いにある「安寧山の八十八ヶ所巡り」の道標が登山口となる。コンクリート階段を上がった平坦地にコンクリート造の小堂「宗通寺」が建ち、奥には石風呂と一番札所の石仏がある。
登山口
道標
宗通寺
石風呂
石風呂案内板
1番札所
宗通寺の左わきから竹林伐採斜面を八十八ヶ所巡りの参道がジグザグに上がっている。
10名ほどの「安寧山の石仏群を守る会」の方々が参道の整備中だった。
巡拝路取り付き
霊場案内板
参道
作業中の守る会の皆さん
石仏が並ぶ参道を登り切った平坦ピークが巡拝路の頂部となっている。
参道
参道頂部・道標
●~安栄山
時計回りで巡拝路は下るが、山頂をめざし植林境尾根に付けられた山道を北方向へ下る。鞍部を登り返し「不思木」の木を過ごすと140mの小ピークへ着く。
植林境・下り
鞍部・コン杭
不思木?
植林境尾根を進み、150m鞍部で左右に道を分けながら植林尾根を登り返す。
植林境
分岐
植林斜面を右尾根にトラバースしながら上方へ向かい、「あと少し」の看板を見てシダ刈りの尾根を登り切ると展望が開ける。
植林尾根
看板「あと少し」
シダ
展望地から帆柱山(手前)・虎ヶ岳方向
呉麓山・千坊山
周防大島方向
石城山
緩い尾根を少し登ると中央に三等三角点「安栄山」がすわる山頂に着く。年配男性二人の先客あり。雑木に囲まれ展望は得られない。
山頂への緩い上り
安栄山山頂
三等三角点「安栄山」
●~磨崖仏~峠
道標に従い磨崖仏をめざし南東尾根を下る。鞍部で左からの巻き道と出合い、少し下ったところに磨崖仏がある。
岩には大日如来が彫られ、「文化三寅年」(1806年)の年号が読みとれる。
磨崖仏への下り
巻き道出合い
磨崖仏上方
磨崖仏
すぐ上の鞍部まで戻り、右の巻き道をたどると山頂北側の鞍部へ出る。念のため植林境を山頂まで往復する。
巻き道
北側鞍部(山頂方向)
山頂への植林境・上り
峠をめざし植林境尾根を北へ向かう。途中巨樹を過ごし、小ピークをいくつか越えていくと切通し状の峠広場へ降り立つ。登山口の表示や学校林の古い看板が立つ。左右に林道が続いており、右(東)は入野集落、左(西)は小倉集落へ下っている。
植林境・下り
植林境・上り
植林境・下り
巨木
植林境・下り
最後の小ピーク
峠手前の下り
峠(逆方向)
峠の広場
◆帆柱山
●~帆柱山
作業道(大和10号)を西へ取り帆柱山をめざす。作業道と言っても並みの林道より整備された明瞭な道が続く。最初の分岐を直進し、途中「天皇皇后両陛下お手蒔きのすぎ・ひのき」の標柱を右に過ごす。
作業道分岐①
作業道
お手巻きのすぎ・ひのき記念標柱
道標が立つ分岐を左に取れば小倉集落へ出るが、ここは直進し作業道大和11号へ入る。
標高130mの「峠ノ垰」で右に下る道を分け直進する。
道標・作業道分岐②
作業道
峠ノ垰・作業道分岐③
蛇行しながら反時計回りに山頂北側の尾根を回り込むと主尾根上に出る。前方の植林境尾根を直登した方が山頂へ最短距離で登れそうだが、終点まで歩くことにする。
作業道
190m鞍部
作業道終点
作業道終点から南へ向かう踏み跡があったのでたどってみると、山頂南側の180m鞍部近くの尾根上へ出た。
巻き道状の踏み跡
尾根出合い
植林境尾根を北へ登っていくと、220m支尾根合流点で国調コン杭(鋲あり)を見る。
植林境尾根・上り
220m支尾根合流点
国調コン杭
枝打ちされた明るい植林境尾根を進むと帆柱山山頂へ着く。山頂部北端に神様を祀ってあるような古い石碑が建つ。ヒノキ植林越しに東面の展望が得られる。
植林境尾根
植林境
帆柱山山頂
石碑
安栄山(手前)・姥河内山(背後)
●~光照寺~駐車地
帰路は北側の植林境尾根を下る。所々枝打ちの小枝が邪魔するが概ね歩きよい。
植林尾根・下り
植林尾根・下り
200m支尾根分岐点・コン杭
鞍部でふたたび作業道に出て、峠ノ垰まで下る。峠から明瞭な山道が南へ付いているので下ってみた。
作業道への下降地点(逆方向)
峠ノ垰・右の山道へ下る
古道が生活道として残っているようで地形図上にも破線がある。民家跡らしいヤカンや石垣などが残っている。
掘割状の山道
石垣沿い
山道分岐②(逆方向)
途中右の破線道をたどってみるとコンクリート造の小社が建っていた。
山道分岐③
小社
作業道10号に出て舗装道を下る。
作業道出合(逆方向)
道標(逆方向)
光照寺
◆瀬戸山
次は駐車地から東へ2キロ弱に位置する瀬戸山をめざす。
県道が分岐する橋のところに駐車スペースを見付ける。
県道分岐から北へ200mほど進むと左斜面をコンクリート舗装の小道が上がっており、これに取り付く。(登山口の反対側にも駐車スペースがある)
県道分岐
コンクリート取付道・登山口
舗装道終点から道はないので雑木尾根に取り付き上方へ向かう。今のところ明瞭な踏み跡はない。
取付道終点部
雑木尾根に取り付く
雑木尾根
途中小岩の先で古墓らしき所を右に過ごし、120m支尾根合流点に出ると北側半面が開ける。伐採後に植林されたようで、斜面全体にサクラが植えられている。
岩
古墓跡?
支尾根合流点・サクラ植樹帯
平坦尾根を西に向かう。最近下草刈りされたらしく歩きよい。
山頂が近くなり、勾配が付いてくると密生したシダ尾根となる。
下草刈りされた尾根
尾根・上り
シダが深くなる・上方に山頂
シダ刈りされているので今は歩けるが、シダが伸びると難渋すると思われる。
最高処とおぼしきあたりで左のシダ壁へ突っ込むと、あっけなく四等三角点「瀬戸山」に抜け出た。雑木やシダが邪魔して展望は全く得られない。シダ刈り斜面側へ戻ると北半面の展望が開ける。
山頂部の厚いシダ
四等三角点「瀬戸山」
北東(姥河内山)方向
北側の展望
サクラの斜面
帰路は120m支尾根合流点まで戻り、北東尾根の植林境を下ってみる。こちらも下草刈りしてあり、今のところ歩きやすい。
倉庫裏に下り、小川沿いに東へたどると県道に出る。
北東尾根・下り
下降地点(逆方向)
倉庫沿い(逆方向)
県道出合い(逆方向)
●~八十八ヶ所巡り
時間があったので安栄山の登山口まで戻り、八十八ヶ所巡りを時計回りで巡拝してみた。石仏は数年前までは倒れるまま放置されていたらしいが、現在はみなしっかりと据えられている。
巡拝路・下り
巡拝路・下り
88番石仏
■山名等について
●安栄山
『風土注進案』塩田村の村内小名の項に、上塩田村の小名として「安栄」の名があり、山名はこれに由来すると思われる。安寧とするのは「あんえい」が訛ったものだろう。
『大和町史』では、安寧天皇と結びつけるのはこじつけとしている(261頁)。
なお「点の記」には「安栄山」を俗称として記している。
●宗通寺
『風土注進案』塩田村の寺院の項に以下の記述がある。
「阿弥陀堂一宇 ただし桁行四間梁行三間松雑木造り藁葺前通しころ瓦葺、文化三子年(※)再建相成候、もっとも往古は真言宗にして宗通寺とて塩田村の疫神社坊と申伝、宗通寺と申地名残り居候事」
※文化三年は寅(とら)年であり、子(ね)年は誤り。山頂部の磨崖仏に刻まれた年号と同じであり、阿弥陀堂再建時に磨崖仏も彫られたようだ。
『大和町史』には、天保二年(1831年)に塩田村で百姓一揆が起こった際、宗通寺に集合し談義したとの記述がある。
現在宗通寺と表示されたコンクリート造の小寺が建っているが、どのような経緯で再建されたかは知らない。
●峠ノ垰
昔の束荷村と塩田村の境に位置する峠で、両村の『地下上申』隣村境目書にどちらも
「峠ノ垰」の名が見える。古来、熊毛方面から柳井を結ぶ主要道だったようだ。
また、束荷村の隣村境目書には「この垰浄泉寺垰とも申し候」とある。現在浄泉寺は帆柱山の西南麓に建っているので不思議に思っていたところ、YAMAPで「間者猫」という方の書き込みに、古道から少し入ったところに浄泉寺跡地の石柱が立っている写真と「1714年までここにあったようです」との記載があったので納得。古道を下ったとき明瞭な山道が左に分岐しているのは気づいたのだが、そのまま下ってしまった。
●帆柱山
『地下上申』隣村境目書によれば、束荷村では帆柱山、塩田村では南ヶ迫山と呼ばれ、束荷側は御立山であった。
北麓に帆柱という小字名があり、これが山名の由来と思われる。
『大和町史』の地質・地形の項に山の記載がある。
なお帆柱という地名は船の帆柱を切り出した所ということに由来するようだ(同書258頁)。
●瀬戸山
入野の小字名に瀬戸があり、山名はこれに由来すると思われる。(『山口県地名明細書』塩田村 74頁)
四等三角点「瀬戸山」の「点の記」には、俗称として同山名を付記している。
2023-02-24 19:58
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