多賀山・萩ヶ迫山・高頭山・ムクロウジ山・白石山・鳥見山・的場山・市明山(田布施町飛地大波野・光市塩田) [県東部の山]
前回に続き田布施町史に記載されている山で、今回は田布施町飛地の山を中心に歩いてみた。一部雑木ヤブのところがあるが長くはない。高頭山・鳥見山間は山頂への取り付き部分を除き整備された山道で結ばれている。(2023.4.17)
北麓から多賀山
(1,2クリックで拡大)
●駐車地~多賀山
郷江公会堂のある変則四差路に駐車スペースがある。
郷江公会堂
圃場整備で付け替えられた舗装農道を南東へ進み、最奥民家のところでトタン柵をまたぎ山道に入る。
分岐
舗装農道
最奥民家下
トタン柵
明瞭な山道をたどり、中腹で右尾根からの北参道と合流する。
山道(逆方向)
山道
峠
竹林沿い
巻き道
北参道出合い
左折し山桜2、石鳥居、山桜1を過ごすと西から上がってきた車道に出る。
参道
多賀の大桜2
石鳥居
多賀の大桜1
大桜説明板
車道からの展望(熊毛烏帽子ヶ岳方向)
桝形山・物見ヶ岳
左折し100mほどで石鳥居のある広場に着く。
車道
駐車場・石鳥居
331mピーク直下に建つ通信塔を確認後、多賀神社へ向かう。
331mピーク・通信塔
舗装参道を登り、分岐を左に取って地道を進むと、左から南参道が合わさる。
舗装道
分岐
南参道合流点(逆方向)
右の石段を登ると山頂の多賀神社に着く。境内は掃き清められ神殿の右手には神木が立つ。
石段下
石段
多賀神社
神木
●~萩ヶ迫山~県道138号
帰路は舗装参道を下る。石段のところから南側の展望が少し開ける。
石段からの展望
車道を参道下っていき、左にカーブする手前で右の尾根に取り付く。
車道・萩ヶ迫山
取り付き
すぐ尾根に出て、ヒノキ交じり雑木尾根の歩きやすいところを適当にあがっていくと、330m支尾根合流点に着く。
尾根へ出る
ヒノキ交じり雑木尾根
330m支尾根合流点
切り開きが少し残る平坦雑木尾根を進むと標高340mの萩ヶ迫山山頂に着く。雑木に囲まれ展望は全く得られない。先日と同じカマボコ板大の山名プレートがそばの木に付けてある。
雑木尾根
萩ヶ迫山山頂
帰路は南西尾根を下ってみる。ややうるさくなった雑木の間を抜け、岩場を左によけながら下っていく。樹間越しに車道が左に見えたので、やや急斜面を下ると車道に降り立ち、すぐ県道に出る。
雑木尾根・下り
岩(逆方向)
雑木ヤブ気味
左に車道
下降地点
県道出合い(逆方向)
●~高頭(たかとう)山(黒土山)
県道を北西に下っていくと峠で左の幅広道(作業道?)に入る。竹林沿いに整備された明瞭な巻き道が続く。
幅広道取り付き
竹林沿い.
巻き道
尾根上に出て左に少し進み、右に山道が下るところで、山道と一旦わかれ、そのまま竹林尾根を直進する。
尾根出合い・右に堀割道
竹林尾根
山道分岐
尾根上の踏み跡をたどっていき、シダを左によけると平坦な高頭山山頂に着く。中央に三等三角点「大波野」を見る。
竹交じり雑木尾根
山頂手前
高頭山山頂
山名プレート
三等三角点「大波野」
●~ムクロウジ山~白石山
尾根を戻り、山道を左に下る。
290mの尾根出合いで山道が左に分岐する。以前下ったことのある道で西麓の鹿之石下に出た。今回は直進すると、鞍部に出て右の巻き道になる。
山道
山道分岐・右へ
鞍部
巻き道
尾根出合いで山道と一旦わかれ左尾根に進む。
疎林尾根を登ると薄いシダ尾根となり、登り切るとムクロウジ山山頂に着く。雑木に囲まれやや荒れた感じの山頂である。
尾根出合い・コン杭「塩」
雑木尾根・上り
山頂手前・シダ
ムクロウジ山山頂
尾根出合いに戻り、尾根鞍部から左の巻き道に変わるところで疎林尾根を直進する。
すぐに小ピークを過ぎながら尾根を少し進むと雑木疎林の白石山山頂に着く。
山道(左)・取り付き
小ピーク
疎林尾根
白石山山頂
●~鳥見山~駐車地
帰路は適当に疎林の西斜面を下るとすぐに山道に合流する。
西の疎林斜面を下る
270m鞍部を右に過ごしながら巻き道を下っていくと、竹林沿いとなり峠鞍部に着く。
山道・270m鞍部(右)
岩・市町境
竹林沿い
峠
整備山道は右に下るが、直進し250m支尾根合流点を過ごすとまもなく鳥見山山頂に着く。古い石祠らしきものが中央に座っている。展望はすぐれない。
竹林尾根・上り
雑木尾根
250m支尾根合流点
シダ(ひざ高)尾根
左疎林斜面に逃げる
鳥見山山頂
石祠?
山名プレート
北西の植林境
峠鞍部へ戻り、東方向へ巻き道を下っていくと視界が開け、まもなく砂利道の里道へ出る。一旦駐車地へ戻る。
竹林沿い・巻き道
巻き道
峠・右へ下る
竹林谷を横切る
巻き道
前方が開ける
331mピーク・多賀山
萩ヶ迫山
里道出合い
●~的場山~県道
次は公会堂の裏山、的場山をめざす。県道を北に進み、「力士 小桜」の石碑を右に過ごすと、手摺り付きのコンクリート道に取り付く。
「力士小桜」石碑
地蔵
コン道取り付き
登り切ったところが荒神神社跡で、荒れた平坦地となっており、手水鉢が残っている。
荒神跡・手水鉢
平坦地の南端から巻き道の踏み跡をたどり、植林境尾根に取り付く。
踏み跡
植林境尾根に取り付く
薄いシダを踏みながら植林境を登っていくと、左の雑木斜面に広い平坦地が数段続く。尾根を登り切ると平坦な植林山頂に着く。
左斜面の平坦地
植林境・薄いシダ
雑木
的場山山頂
●~市明(いちみょう)山~駐車地
北尾根を下るつもりだったが植林境がやや荒れているようなので、元の道を引き返す。
県道を北上し、右折して里道を進むと、市明山の南麓に着く。東西に隣接する民家の裏山といった感じで、両方の民家から道が付いているようだが、遠慮して中間にある電柱のところから斜面に取り付いた。
県道から白石山・ムクロウジ山方向
圃場整備記念碑
取り付き(逆方向)
斜面を少しよじ登ると横道があり、左へ少し進み、踏み跡のある薄いシダ斜面を登る。
踏み跡
踏み跡
まもなく左からの明瞭な山道に出合い、少し登るとあっけなく市明山山頂に着く。山頂から北西と東方向にも踏み跡が付いている。
山道
市明山山頂
帰路は山道をそのまま下ると西の民家側に出そうなので、左折し、電柱の箇所へ戻る。
山道
山道
里道や農道を通り駐車地へ戻る。途中古老に出会い、いろいろと教えていただく。
多賀山・萩ヶ迫山
萩ヶ迫山・高頭山
念のため北参道登山口を確認した。取り付きには小さな道標がある。ここも以前歩いているはずだが記憶に残っていない。
北参道登山口
■山名について
当初『田布施町史』の「山地、丘陵地、低地の地形・河川図」を参考に山名の特定を試みたが、いくつか疑問が生じた。そこで『地下上申』・『風土注進案』なども参照しながら以下のとおり推定してみた。
なお風土注進案では、大波野村(うち小行司村)内の山の概要を以下のように記している。
「東西は狭く南北は長し、長迫山寅の方に低く姥河内山戌の方に平らかなり、的場山のみ独り離れて他山と相交らす、其餘は皆中央に聳へし多賀峯の山支郷中に縦横して浴々をなし、田畑およひ民屋高低ありてさらに等しからす、中にも中ヶ迫 萩ヶ迫は表裏に号けて一山二名なり、西の方峠の前山に相対して中に峠あり、世に馬の骨と呼ふ坂路尤嶮し、(後略)」
●萩ヶ迫山
地下上申や風土注進案には御立山として記されている山で、田布施町史では340mピークを萩ヶ迫山としている。小字図を見ると北麓に「萩ヶ迫」があり、これが山名の由来と思われる。
●高頭山(黒土山)
地下上申の境目書によると塩田村側では「高頭山」、大波野村側では「黒土山」としている。また、田布施町史では「岩滝山」、大和町史では「姥河内山」としている。
岩滝山については、地下上申の境目書によると塩田村側では500mほど南の峰境を「岩竹山」とし、大波野側ではさらにそのひとつ東の峰境を「岩嶽山」としていることから、この山名の由来には疑問が残る。
姥河内山については、風土注進案の大波野村に「姥河内山 高サ直立弐拾五間、西に有之、西北塩田村諸山に続き候故周廻難相知御座候事」とあり、多賀山の五拾七間と比べると約半分の高さであることから、307mピークを姥河内山とするのは無理がある。
地下上申大波野村境目書によると、白石山の東端の250mピークあたりを姥河内山としていると思われる。(麓からの比高は約50mで、高さ25間にも符合する。)
ただ、山頂から北東側の谷を姥河内と呼び、谷に面する峰を姥河内山と呼んだと仮定すれば、三角点ピークの山名の由来として首肯できる。
黒土山については、古老の話では、三角点ピークの南側の谷を黒土と言い、村の共同墓地があったという。この谷が山名の由来と思われる。
古老によると、「イワタケ山」・「黒土山」・「姥河内山」の名はご存じなく、三角点ピーク付近を「タカトウ」と呼んでいたということから、ここでは「高頭山」を採った。
●ムクロウジ山
地下上申の塩田村絵図により300mピークをムクロウジ山とした。
●白石山
地下上申の塩田村絵図により290mピークを白石山とした。
なお地下上申大波野村の境目書では、両村境に「白石山岡」の山名が記されている。
●鳥見山(取見山)
田布施町史には椋良地(むくろうじ)山と記されているが、旧三村境の山であり、地下上申塩田村境目書では「取見山」としている。
地下上申境目書によると、山の南西側の谷を塩田村側で「むくろじ浴」、大波野村側で「むくろし田」としており、260mピークの椋良地むくろうじ)山も300mピークの「ムクロウジ山」も谷の名が山名の由来と思われる。
大波野村(小行司村)の小字図を見ると、山頂を含めた周辺を「椋良地」、山頂から東側の谷を「鳥見」としている。古老はトリミ(鳥見)の名はご存じだったが、ムクロウジの名はご存じなかった。
ムクロウジ山との混同を避ける意味でも、ここでは地下上申にある鳥見山(取見山)の山名を採った。
●的場山
風土注進案の大波野村に「的場山 高サ直立弐拾間、東西南北当村之田畠にして周廻り拾丁五拾間御座候事」とある。
山の位置については、上記や「的場山のみ独り離れて他山と相交らす」の記述、南麓に小字名として「的場」があることを根拠に、郷江公会堂の裏山、240mピークの山とした。
●市明山
風土注進案に御立山として記されている。山の位置は田布施町史を根拠とした。ほかに手掛かりとなるものはなく確証はない。
●その他の山
・古畑山
田布施町史では多賀山の南尾根を700mほど下った210mピークの市町境の山を古畑山としている。この山は、地下上申では溝田山(大波野側)または石原山(塩田側)にあたると思われる。
しかし、地下上申では307.8m(黒土山)の南約400mの市町境尾根に「古畑山三ツ石境」の名が見え、また、小字図でも同地付近に「古畑」の名があることから、田布施町史の山名の位置には疑問がある。
・長迫山
風土注進案大波野村の山川形勢の項に「長迫山寅の方に低く」、「市明川長迫山の梺(ふもと)より出」とあり、小字図でも田布施町飛地の北東部に「長迫」の名がある。
これらから小字の地を囲む山域が長迫山と思われるが山頂ピークを特定しがたいことから、トラック作成図には山名に「?」を記した。
北麓から多賀山
(1,2クリックで拡大)
●駐車地~多賀山
郷江公会堂のある変則四差路に駐車スペースがある。
郷江公会堂
圃場整備で付け替えられた舗装農道を南東へ進み、最奥民家のところでトタン柵をまたぎ山道に入る。
分岐
舗装農道
最奥民家下
トタン柵
明瞭な山道をたどり、中腹で右尾根からの北参道と合流する。
山道(逆方向)
山道
峠
竹林沿い
巻き道
北参道出合い
左折し山桜2、石鳥居、山桜1を過ごすと西から上がってきた車道に出る。
参道
多賀の大桜2
石鳥居
多賀の大桜1
大桜説明板
車道からの展望(熊毛烏帽子ヶ岳方向)
桝形山・物見ヶ岳
左折し100mほどで石鳥居のある広場に着く。
車道
駐車場・石鳥居
331mピーク直下に建つ通信塔を確認後、多賀神社へ向かう。
331mピーク・通信塔
舗装参道を登り、分岐を左に取って地道を進むと、左から南参道が合わさる。
舗装道
分岐
南参道合流点(逆方向)
右の石段を登ると山頂の多賀神社に着く。境内は掃き清められ神殿の右手には神木が立つ。
石段下
石段
多賀神社
神木
●~萩ヶ迫山~県道138号
帰路は舗装参道を下る。石段のところから南側の展望が少し開ける。
石段からの展望
車道を参道下っていき、左にカーブする手前で右の尾根に取り付く。
車道・萩ヶ迫山
取り付き
すぐ尾根に出て、ヒノキ交じり雑木尾根の歩きやすいところを適当にあがっていくと、330m支尾根合流点に着く。
尾根へ出る
ヒノキ交じり雑木尾根
330m支尾根合流点
切り開きが少し残る平坦雑木尾根を進むと標高340mの萩ヶ迫山山頂に着く。雑木に囲まれ展望は全く得られない。先日と同じカマボコ板大の山名プレートがそばの木に付けてある。
雑木尾根
萩ヶ迫山山頂
帰路は南西尾根を下ってみる。ややうるさくなった雑木の間を抜け、岩場を左によけながら下っていく。樹間越しに車道が左に見えたので、やや急斜面を下ると車道に降り立ち、すぐ県道に出る。
雑木尾根・下り
岩(逆方向)
雑木ヤブ気味
左に車道
下降地点
県道出合い(逆方向)
●~高頭(たかとう)山(黒土山)
県道を北西に下っていくと峠で左の幅広道(作業道?)に入る。竹林沿いに整備された明瞭な巻き道が続く。
幅広道取り付き
竹林沿い.
巻き道
尾根上に出て左に少し進み、右に山道が下るところで、山道と一旦わかれ、そのまま竹林尾根を直進する。
尾根出合い・右に堀割道
竹林尾根
山道分岐
尾根上の踏み跡をたどっていき、シダを左によけると平坦な高頭山山頂に着く。中央に三等三角点「大波野」を見る。
竹交じり雑木尾根
山頂手前
高頭山山頂
山名プレート
三等三角点「大波野」
●~ムクロウジ山~白石山
尾根を戻り、山道を左に下る。
290mの尾根出合いで山道が左に分岐する。以前下ったことのある道で西麓の鹿之石下に出た。今回は直進すると、鞍部に出て右の巻き道になる。
山道
山道分岐・右へ
鞍部
巻き道
尾根出合いで山道と一旦わかれ左尾根に進む。
疎林尾根を登ると薄いシダ尾根となり、登り切るとムクロウジ山山頂に着く。雑木に囲まれやや荒れた感じの山頂である。
尾根出合い・コン杭「塩」
雑木尾根・上り
山頂手前・シダ
ムクロウジ山山頂
尾根出合いに戻り、尾根鞍部から左の巻き道に変わるところで疎林尾根を直進する。
すぐに小ピークを過ぎながら尾根を少し進むと雑木疎林の白石山山頂に着く。
山道(左)・取り付き
小ピーク
疎林尾根
白石山山頂
●~鳥見山~駐車地
帰路は適当に疎林の西斜面を下るとすぐに山道に合流する。
西の疎林斜面を下る
270m鞍部を右に過ごしながら巻き道を下っていくと、竹林沿いとなり峠鞍部に着く。
山道・270m鞍部(右)
岩・市町境
竹林沿い
峠
整備山道は右に下るが、直進し250m支尾根合流点を過ごすとまもなく鳥見山山頂に着く。古い石祠らしきものが中央に座っている。展望はすぐれない。
竹林尾根・上り
雑木尾根
250m支尾根合流点
シダ(ひざ高)尾根
左疎林斜面に逃げる
鳥見山山頂
石祠?
山名プレート
北西の植林境
峠鞍部へ戻り、東方向へ巻き道を下っていくと視界が開け、まもなく砂利道の里道へ出る。一旦駐車地へ戻る。
竹林沿い・巻き道
巻き道
峠・右へ下る
竹林谷を横切る
巻き道
前方が開ける
331mピーク・多賀山
萩ヶ迫山
里道出合い
●~的場山~県道
次は公会堂の裏山、的場山をめざす。県道を北に進み、「力士 小桜」の石碑を右に過ごすと、手摺り付きのコンクリート道に取り付く。
「力士小桜」石碑
地蔵
コン道取り付き
登り切ったところが荒神神社跡で、荒れた平坦地となっており、手水鉢が残っている。
荒神跡・手水鉢
平坦地の南端から巻き道の踏み跡をたどり、植林境尾根に取り付く。
踏み跡
植林境尾根に取り付く
薄いシダを踏みながら植林境を登っていくと、左の雑木斜面に広い平坦地が数段続く。尾根を登り切ると平坦な植林山頂に着く。
左斜面の平坦地
植林境・薄いシダ
雑木
的場山山頂
●~市明(いちみょう)山~駐車地
北尾根を下るつもりだったが植林境がやや荒れているようなので、元の道を引き返す。
県道を北上し、右折して里道を進むと、市明山の南麓に着く。東西に隣接する民家の裏山といった感じで、両方の民家から道が付いているようだが、遠慮して中間にある電柱のところから斜面に取り付いた。
県道から白石山・ムクロウジ山方向
圃場整備記念碑
取り付き(逆方向)
斜面を少しよじ登ると横道があり、左へ少し進み、踏み跡のある薄いシダ斜面を登る。
踏み跡
踏み跡
まもなく左からの明瞭な山道に出合い、少し登るとあっけなく市明山山頂に着く。山頂から北西と東方向にも踏み跡が付いている。
山道
市明山山頂
帰路は山道をそのまま下ると西の民家側に出そうなので、左折し、電柱の箇所へ戻る。
山道
山道
里道や農道を通り駐車地へ戻る。途中古老に出会い、いろいろと教えていただく。
多賀山・萩ヶ迫山
萩ヶ迫山・高頭山
念のため北参道登山口を確認した。取り付きには小さな道標がある。ここも以前歩いているはずだが記憶に残っていない。
北参道登山口
■山名について
当初『田布施町史』の「山地、丘陵地、低地の地形・河川図」を参考に山名の特定を試みたが、いくつか疑問が生じた。そこで『地下上申』・『風土注進案』なども参照しながら以下のとおり推定してみた。
なお風土注進案では、大波野村(うち小行司村)内の山の概要を以下のように記している。
「東西は狭く南北は長し、長迫山寅の方に低く姥河内山戌の方に平らかなり、的場山のみ独り離れて他山と相交らす、其餘は皆中央に聳へし多賀峯の山支郷中に縦横して浴々をなし、田畑およひ民屋高低ありてさらに等しからす、中にも中ヶ迫 萩ヶ迫は表裏に号けて一山二名なり、西の方峠の前山に相対して中に峠あり、世に馬の骨と呼ふ坂路尤嶮し、(後略)」
●萩ヶ迫山
地下上申や風土注進案には御立山として記されている山で、田布施町史では340mピークを萩ヶ迫山としている。小字図を見ると北麓に「萩ヶ迫」があり、これが山名の由来と思われる。
●高頭山(黒土山)
地下上申の境目書によると塩田村側では「高頭山」、大波野村側では「黒土山」としている。また、田布施町史では「岩滝山」、大和町史では「姥河内山」としている。
岩滝山については、地下上申の境目書によると塩田村側では500mほど南の峰境を「岩竹山」とし、大波野側ではさらにそのひとつ東の峰境を「岩嶽山」としていることから、この山名の由来には疑問が残る。
姥河内山については、風土注進案の大波野村に「姥河内山 高サ直立弐拾五間、西に有之、西北塩田村諸山に続き候故周廻難相知御座候事」とあり、多賀山の五拾七間と比べると約半分の高さであることから、307mピークを姥河内山とするのは無理がある。
地下上申大波野村境目書によると、白石山の東端の250mピークあたりを姥河内山としていると思われる。(麓からの比高は約50mで、高さ25間にも符合する。)
ただ、山頂から北東側の谷を姥河内と呼び、谷に面する峰を姥河内山と呼んだと仮定すれば、三角点ピークの山名の由来として首肯できる。
黒土山については、古老の話では、三角点ピークの南側の谷を黒土と言い、村の共同墓地があったという。この谷が山名の由来と思われる。
古老によると、「イワタケ山」・「黒土山」・「姥河内山」の名はご存じなく、三角点ピーク付近を「タカトウ」と呼んでいたということから、ここでは「高頭山」を採った。
●ムクロウジ山
地下上申の塩田村絵図により300mピークをムクロウジ山とした。
●白石山
地下上申の塩田村絵図により290mピークを白石山とした。
なお地下上申大波野村の境目書では、両村境に「白石山岡」の山名が記されている。
●鳥見山(取見山)
田布施町史には椋良地(むくろうじ)山と記されているが、旧三村境の山であり、地下上申塩田村境目書では「取見山」としている。
地下上申境目書によると、山の南西側の谷を塩田村側で「むくろじ浴」、大波野村側で「むくろし田」としており、260mピークの椋良地むくろうじ)山も300mピークの「ムクロウジ山」も谷の名が山名の由来と思われる。
大波野村(小行司村)の小字図を見ると、山頂を含めた周辺を「椋良地」、山頂から東側の谷を「鳥見」としている。古老はトリミ(鳥見)の名はご存じだったが、ムクロウジの名はご存じなかった。
ムクロウジ山との混同を避ける意味でも、ここでは地下上申にある鳥見山(取見山)の山名を採った。
●的場山
風土注進案の大波野村に「的場山 高サ直立弐拾間、東西南北当村之田畠にして周廻り拾丁五拾間御座候事」とある。
山の位置については、上記や「的場山のみ独り離れて他山と相交らす」の記述、南麓に小字名として「的場」があることを根拠に、郷江公会堂の裏山、240mピークの山とした。
●市明山
風土注進案に御立山として記されている。山の位置は田布施町史を根拠とした。ほかに手掛かりとなるものはなく確証はない。
●その他の山
・古畑山
田布施町史では多賀山の南尾根を700mほど下った210mピークの市町境の山を古畑山としている。この山は、地下上申では溝田山(大波野側)または石原山(塩田側)にあたると思われる。
しかし、地下上申では307.8m(黒土山)の南約400mの市町境尾根に「古畑山三ツ石境」の名が見え、また、小字図でも同地付近に「古畑」の名があることから、田布施町史の山名の位置には疑問がある。
・長迫山
風土注進案大波野村の山川形勢の項に「長迫山寅の方に低く」、「市明川長迫山の梺(ふもと)より出」とあり、小字図でも田布施町飛地の北東部に「長迫」の名がある。
これらから小字の地を囲む山域が長迫山と思われるが山頂ピークを特定しがたいことから、トラック作成図には山名に「?」を記した。
2023-04-23 13:19
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