陶殿陣山?・△飛田(山口市阿東嘉年上・嘉年下) [県央部の山]
陶殿陣山については、総合調査報告書ではおおまかにその位置を分布図に示し、詳細位置不明としている。位置の根拠は、注進案の記述「勝山城南にあたり間交四五丁にあり」と思われる。そこで周辺を探索してみた。
ついでに巡視路を利用し、四等三角点「飛田」まで足をのばした。巡視路は明瞭でおおむね歩きよいが、飛田側に下りた谷は薄いシダが被っている。(2022.5.21)
〈参考資料〉 :『山口県中世城館遺跡総合調査報告書 ― 長門編― 』
450mピーク(陶殿陣山?)・鉄塔No.165
(1,2クリックで拡大)
▲陶殿陣山?
●駐車地~林道広場~陶殿陣山?
勝山登山口そばの歩道が広くなっているところに駐車。
駐車地
当初、高圧電線の南側の谷から巡視路の取り付きを探したが不明。仕方なく風呂ヶ浴に通じる林道に入り、林道広場の左端奥から尾根に取り付く。
450mピーク(陶殿陣山?)
林道
林道
林道広場
風呂ヶ浴溜池
取り付き
雑木から植林に変わり左にトラバースしながら登り切ると鞍部へ出る。
雑木尾根
植林斜面をトラバース
450m鞍部から左(東)尾根
鞍部から西尾根
左折しササを少しわけながら進むと平坦小ピーク①に着く。下ると平坦尾根となり、小岩のある小ピーク②に着く。
450m小ピーク①
平坦尾根
450m小ピーク②
小ピーク②の小岩
さらに南東方向へ少し下りてみる。段差の小さい曲輪状の尾根が下っている。
また、小ピーク①の北西斜面には、腰曲輪状の一段低い削平地がある。
東南尾根(下方から)
横から
北西斜面の削平地(腰曲輪?)
二つの小ピークは勝山から南に約300mと、注進案記述の距離よりやや短いが、城跡であってもおかしくはないと思われる(あくまで素人の感想)。
●~鉄塔No.165~駐車地
鞍部まで戻り、地形図上では鉄塔が建つと思われる470m支尾根合流点をめざす。
ササ交じりの雑木尾根を進むと防獣フェンス・ゲートに出合う。
450m支尾根合流点
雑木平坦尾根
防獣フェンス・ゲート
フェンス沿いに進むと胸高のササとなり、登り切ると突然標柱の立つ巡視路に出る。
フェンス沿い
深いササ
鉄塔が見える
巡視路出合い
標柱(逆方向)
右に進むと鉄塔No.165の建つ小ピークに出る。十種ヶ峰や勝山方面が少し望める。
鉄塔No.165
十種ヶ峰
勝山
この鉄塔ピークは勝山城から南約400m地点に位置し、陣山跡の有力候補である。
鉄塔建設時に加工されたため、形状を完全にはとどめていないと思われる。
ここで巡視路を戻り、麓の巡視路取り付きを探してみることとする。
先の標柱まで戻り、右(東)へ下ってみる。植林尾根となりジグザグに下ると谷へ一旦降る。
植林尾根・下り
植林尾根・下り
巻き道
標柱
金属橋を渡り、左尾根をトラバースしていくと上りの林道へ出た。林道の手前に標柱があるため、上りの際には気付かなかった。一旦駐車地へ戻る。
谷出合い
金属橋
巻き道
標柱・林道出合い
逆方向
▲四等三角点「飛田」
●鉄塔No.165~鉄塔No.164
駐車地からふたたび巡視路に入り、鉄塔No.165まで戻る。途中、鉄塔関係の作業員の一団とすれ違う。鉄塔周辺の支障木の伐採作業らしく、重いチェーンソーなどを抱えておられる。最後に離れて下りて来られた責任者らしい人と少し話をする。地図に関する有用な情報をいただいた。
四等三角点「飛田」山頂をめざす。明瞭な巡視路が続いているので詳細な説明は省略したい。道上のササは刈られて間もないが、時期によっては多少被るところもあるかもしれない。
防獣フェンスのゲートを抜けるところが、鉄塔No.165の先に一カ所ある。
標柱
平坦尾根
防獣フェンス・ゲート
ササ沿い
490m支尾根合流点
植林沿い・下り
470m鞍部・標柱
鞍部南西側の植林谷
巡視路・上り
鉄塔No.164
鉄塔No.164からは南半面に展望が開ける。さっきの作業員の方々が伐採されたと思われる木が斜面に積まれてあった。
鉄塔No.165
牝滝山・黒獅子山
八幡ヶ迫山(左端)・△「笹ノ口」ピーク
△「飛田」ピーク・鉄塔No.163
●~鉄塔No.163~△「飛田」
490m支尾根合流点
480m鞍部
ササ沿い・上り
510mピーク
鞍部
500m支尾根分岐点
鞍部
490m支尾根分岐点
ササ沿い・下り
標柱・480m鞍部
雑木尾根・上り
490m支尾根合流点
雑木尾根・上り
510m支尾根合流点
巻き道
巻き道
標柱・奥に鉄塔No.163
鉄塔No.163からは鉄塔越しに西から南の展望がある。
鉄塔No.164・青野山
牝滝山・大蔵ヶ岳・八幡ヶ迫山
三角点山頂へは巡視路を北西鞍部までトラバースし、ササ・雑木尾根を少し登ると、雑木ヤブの最高処に四等三角点がある。
標柱
北西側530m鞍部
鞍部から三角点ピークへの取り付き
ササヤブの三角点山頂
四等三角点「飛田」
なお、点の記によると三角点地番の字名は「オオエキオク」である。調べてみると南麓の谷は大浴(おおえき)だった。また、地下上申絵図ではこの山の該当するあたりに山名が記載されているが、字が削れて判読できなくなっている。
●~鉄塔No.162~林道出合い
巻き道.
標柱
雑木尾根・下り
標柱・その先に510m鞍部
標柱・巡視路分岐
鉄塔No.162からは北方向と南半面が望める。最高処の530mピークまで上がってみる。
北方向(津々良ヶ岳など)
△飛田ピーク・鉄塔No.163
青野山
十種ヶ峰
南東方向(飯ヶ岳など)
530mピーク
巡視路は北尾根を下り、右谷へ折れ、薄いシダが被り始める。途中小規模の土砂崩れ箇所がある。
巻き道
北尾根・下り
谷出合いシダ被り
シダ沿い・下り
土砂崩れ箇所
シダ・ササ
右谷が合わさり下草がやや被り気味の道をたどる。金属橋で対岸に渡りながら進むと林道へ出る。
右谷出合い
植林谷
金属橋・右岸へ
植林沿い
土砂崩れ箇所・溝を横切る
ササ被り
山道
林道出合い・標柱
逆方向から
●~市道出合い~国道出合い~駐車地
鉄塔N0.161
林道
金属橋・巡視路分岐
民家のところから舗装市道となり飛田集落に入る。
市道(舗装)出合い
鉄塔No.162
林道飛田線分岐
柿本神社に立ち寄る。市道からすぐ上と思ったら急な木段が高低差20m近くあった。
柿本神社取り付き
木鳥居
木段
柿本神社
社殿
手水鉢
古墓?
国道315号に出て、途中市場大明神に立ち寄る。入口の石灯籠には文化十年と刻まれていた。こちらの石段は緩やかだが長い。社殿自体は小振りである。
市場大神宮取り付き
コン鳥居・石灯籠
石段
市場大明神
恵美須社が国道そばにあり、石段を数段あがると小さな社がある。石灯籠には文化二年とあった。
恵美須社
ほかに勝山城主波多野滋信などが祀られた若宮様があったのだが、少し奥まったところにあり見落としてしまった。
鉄塔No.165
勝山
■城跡について
『風土注進案』に次の記載がある。
「陶殿陣
但市場勝山城南にあたり間交四五丁にあり、陶尾張守勝山城へ攻来る時、暫時此山に城を構へられしと申傳へ候、頂上平地二三畝あり」
勝山城南にあったとされる本陣跡としては、標高450m小ピークから標高500mピークまでの数ヶ所想定できる。
個人的には、500mピークを除くと今回歩いたうちで最も城跡らしいのは450m小ピーク①②だと考える。
地下上申絵図には、No.165鉄塔地あたりに山を表す△マークと古城山を表すと思われる丸岩の重なりが描かれているように見える。残念ながら折り目部分にあたるせいか大半が削れてしまい、判読が難しくなっている。
一時的に布陣した場所であっても陶晴賢の陣が置かれたとなると、数カ所に分散していた可能性もあるのではなかろうか。
ついでに巡視路を利用し、四等三角点「飛田」まで足をのばした。巡視路は明瞭でおおむね歩きよいが、飛田側に下りた谷は薄いシダが被っている。(2022.5.21)
〈参考資料〉 :『山口県中世城館遺跡総合調査報告書 ― 長門編― 』
450mピーク(陶殿陣山?)・鉄塔No.165
(1,2クリックで拡大)
▲陶殿陣山?
●駐車地~林道広場~陶殿陣山?
勝山登山口そばの歩道が広くなっているところに駐車。
駐車地
当初、高圧電線の南側の谷から巡視路の取り付きを探したが不明。仕方なく風呂ヶ浴に通じる林道に入り、林道広場の左端奥から尾根に取り付く。
450mピーク(陶殿陣山?)
林道
林道
林道広場
風呂ヶ浴溜池
取り付き
雑木から植林に変わり左にトラバースしながら登り切ると鞍部へ出る。
雑木尾根
植林斜面をトラバース
450m鞍部から左(東)尾根
鞍部から西尾根
左折しササを少しわけながら進むと平坦小ピーク①に着く。下ると平坦尾根となり、小岩のある小ピーク②に着く。
450m小ピーク①
平坦尾根
450m小ピーク②
小ピーク②の小岩
さらに南東方向へ少し下りてみる。段差の小さい曲輪状の尾根が下っている。
また、小ピーク①の北西斜面には、腰曲輪状の一段低い削平地がある。
東南尾根(下方から)
横から
北西斜面の削平地(腰曲輪?)
二つの小ピークは勝山から南に約300mと、注進案記述の距離よりやや短いが、城跡であってもおかしくはないと思われる(あくまで素人の感想)。
●~鉄塔No.165~駐車地
鞍部まで戻り、地形図上では鉄塔が建つと思われる470m支尾根合流点をめざす。
ササ交じりの雑木尾根を進むと防獣フェンス・ゲートに出合う。
450m支尾根合流点
雑木平坦尾根
防獣フェンス・ゲート
フェンス沿いに進むと胸高のササとなり、登り切ると突然標柱の立つ巡視路に出る。
フェンス沿い
深いササ
鉄塔が見える
巡視路出合い
標柱(逆方向)
右に進むと鉄塔No.165の建つ小ピークに出る。十種ヶ峰や勝山方面が少し望める。
鉄塔No.165
十種ヶ峰
勝山
この鉄塔ピークは勝山城から南約400m地点に位置し、陣山跡の有力候補である。
鉄塔建設時に加工されたため、形状を完全にはとどめていないと思われる。
ここで巡視路を戻り、麓の巡視路取り付きを探してみることとする。
先の標柱まで戻り、右(東)へ下ってみる。植林尾根となりジグザグに下ると谷へ一旦降る。
植林尾根・下り
植林尾根・下り
巻き道
標柱
金属橋を渡り、左尾根をトラバースしていくと上りの林道へ出た。林道の手前に標柱があるため、上りの際には気付かなかった。一旦駐車地へ戻る。
谷出合い
金属橋
巻き道
標柱・林道出合い
逆方向
▲四等三角点「飛田」
●鉄塔No.165~鉄塔No.164
駐車地からふたたび巡視路に入り、鉄塔No.165まで戻る。途中、鉄塔関係の作業員の一団とすれ違う。鉄塔周辺の支障木の伐採作業らしく、重いチェーンソーなどを抱えておられる。最後に離れて下りて来られた責任者らしい人と少し話をする。地図に関する有用な情報をいただいた。
四等三角点「飛田」山頂をめざす。明瞭な巡視路が続いているので詳細な説明は省略したい。道上のササは刈られて間もないが、時期によっては多少被るところもあるかもしれない。
防獣フェンスのゲートを抜けるところが、鉄塔No.165の先に一カ所ある。
標柱
平坦尾根
防獣フェンス・ゲート
ササ沿い
490m支尾根合流点
植林沿い・下り
470m鞍部・標柱
鞍部南西側の植林谷
巡視路・上り
鉄塔No.164
鉄塔No.164からは南半面に展望が開ける。さっきの作業員の方々が伐採されたと思われる木が斜面に積まれてあった。
鉄塔No.165
牝滝山・黒獅子山
八幡ヶ迫山(左端)・△「笹ノ口」ピーク
△「飛田」ピーク・鉄塔No.163
●~鉄塔No.163~△「飛田」
490m支尾根合流点
480m鞍部
ササ沿い・上り
510mピーク
鞍部
500m支尾根分岐点
鞍部
490m支尾根分岐点
ササ沿い・下り
標柱・480m鞍部
雑木尾根・上り
490m支尾根合流点
雑木尾根・上り
510m支尾根合流点
巻き道
巻き道
標柱・奥に鉄塔No.163
鉄塔No.163からは鉄塔越しに西から南の展望がある。
鉄塔No.164・青野山
牝滝山・大蔵ヶ岳・八幡ヶ迫山
三角点山頂へは巡視路を北西鞍部までトラバースし、ササ・雑木尾根を少し登ると、雑木ヤブの最高処に四等三角点がある。
標柱
北西側530m鞍部
鞍部から三角点ピークへの取り付き
ササヤブの三角点山頂
四等三角点「飛田」
なお、点の記によると三角点地番の字名は「オオエキオク」である。調べてみると南麓の谷は大浴(おおえき)だった。また、地下上申絵図ではこの山の該当するあたりに山名が記載されているが、字が削れて判読できなくなっている。
●~鉄塔No.162~林道出合い
巻き道.
標柱
雑木尾根・下り
標柱・その先に510m鞍部
標柱・巡視路分岐
鉄塔No.162からは北方向と南半面が望める。最高処の530mピークまで上がってみる。
北方向(津々良ヶ岳など)
△飛田ピーク・鉄塔No.163
青野山
十種ヶ峰
南東方向(飯ヶ岳など)
530mピーク
巡視路は北尾根を下り、右谷へ折れ、薄いシダが被り始める。途中小規模の土砂崩れ箇所がある。
巻き道
北尾根・下り
谷出合いシダ被り
シダ沿い・下り
土砂崩れ箇所
シダ・ササ
右谷が合わさり下草がやや被り気味の道をたどる。金属橋で対岸に渡りながら進むと林道へ出る。
右谷出合い
植林谷
金属橋・右岸へ
植林沿い
土砂崩れ箇所・溝を横切る
ササ被り
山道
林道出合い・標柱
逆方向から
●~市道出合い~国道出合い~駐車地
鉄塔N0.161
林道
金属橋・巡視路分岐
民家のところから舗装市道となり飛田集落に入る。
市道(舗装)出合い
鉄塔No.162
林道飛田線分岐
柿本神社に立ち寄る。市道からすぐ上と思ったら急な木段が高低差20m近くあった。
柿本神社取り付き
木鳥居
木段
柿本神社
社殿
手水鉢
古墓?
国道315号に出て、途中市場大明神に立ち寄る。入口の石灯籠には文化十年と刻まれていた。こちらの石段は緩やかだが長い。社殿自体は小振りである。
市場大神宮取り付き
コン鳥居・石灯籠
石段
市場大明神
恵美須社が国道そばにあり、石段を数段あがると小さな社がある。石灯籠には文化二年とあった。
恵美須社
ほかに勝山城主波多野滋信などが祀られた若宮様があったのだが、少し奥まったところにあり見落としてしまった。
鉄塔No.165
勝山
■城跡について
『風土注進案』に次の記載がある。
「陶殿陣
但市場勝山城南にあたり間交四五丁にあり、陶尾張守勝山城へ攻来る時、暫時此山に城を構へられしと申傳へ候、頂上平地二三畝あり」
勝山城南にあったとされる本陣跡としては、標高450m小ピークから標高500mピークまでの数ヶ所想定できる。
個人的には、500mピークを除くと今回歩いたうちで最も城跡らしいのは450m小ピーク①②だと考える。
地下上申絵図には、No.165鉄塔地あたりに山を表す△マークと古城山を表すと思われる丸岩の重なりが描かれているように見える。残念ながら折り目部分にあたるせいか大半が削れてしまい、判読が難しくなっている。
一時的に布陣した場所であっても陶晴賢の陣が置かれたとなると、数カ所に分散していた可能性もあるのではなかろうか。
2022-05-25 23:49
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