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久可地 城山(柳井市伊陸) [県東部の山]

この城山は『山口県中世城館遺跡総合調査』に載っているので事前に調べてみた。
調査書では城山の標高が198mと記され、位置も国土地理院地形図の198mピークが示されている。ところが同書の縄張り図で描かれた城山の地形が地理院地形図と微妙に違っている。
地形図を見ると、城山があるとされる尾根上には同じような標高の小ピークがいくつか並んでおり、縄張り図だけでは城山が地形図の198mピークにあたることの確証を得ることができない。
そんなわけで城山の位置に多少不安を抱きながら山頂をめざすこととなった。(2023.4.2)
IMG_3883観音堂?より城山.JPG観音堂?より城山
久可地城山.jpeg(1,2クリックで拡大)

●駐車地~198mピーク
久可地に入り、市道の路肩スペースに駐車。
IMG_3786駐車地から氷室嶽.JPG駐車地(背後は氷室岳)

舗装里道に入り、最奥民家のあたりから幅広の未舗装道を進む。
IMG_3787舗装里道に入る(逆方向).JPG舗装里道に入る(逆方向)
IMG_3790農道.JPG里道
IMG_3791未舗装道.JPG未舗装道
IMG_3792未舗装道.JPG未舗装道

墓地が現われ、墓地が終わるところで山道に変わる。
IMG_3794墓地.JPG墓地
IMG_3795墓地終端部・山道となる.JPG墓地が終わり山道に

溝状の沢①・②と渡り返しながら進み、沢③を渡って地形図に表わされていない小尾根に取り付く。
IMG_3796沢①を渡る.JPG沢①を渡る
IMG_3797沢➁.JPG沢➁
IMG_3798山道.JPG山道
IMG_3799ヒノキ林沿い.JPGヒノキ林沿い
IMG_3800沢を渡る.JPG沢③を渡り小尾根へ
IMG_3801小尾根上の山道.JPG小尾根上の山道

なだらかな尾根上に山道が続き、やがて巻き道に変わり登り切ると峠に出る。
IMG_3802巻き道.JPG巻き道
IMG_3803巻き道.JPG巻き道
IMG_3804峠.JPG

左の植林境尾根に取り付き、緩い尾根上の踏み跡をたどる。
IMG_3805植林境尾根.JPG植林境尾根
IMG_3806植林尾根.JPG植林尾根

高低差が小さい平坦尾根のピークをいくつか越えていくと180m平坦ピークに着く。
IMG_3807平坦尾根.JPG平坦尾根
IMG_3808平坦尾根.JPG平坦尾根
IMG_3809180mピーク.JPG180mピーク

南西方向に植林尾根を登ると198mピークに達する。山頂周辺はなだらかで、素人目では曲輪や切岸などはなく城跡らしき痕跡は認められない。展望も得られない。
IMG_3811平坦鞍部.JPG平坦鞍部
IMG_3812198mピーク.JPG198mピーク
IMG_3813198mピーク最高処.JPGピーク最高所

●~190mピーク①~190mピーク②
次に西の方向へ進むが、シダが深く、尾根もわかりづらいのでやや迷走気味になる。
IMG_3815西尾根.JPG北西尾根
IMG_3816シダ尾根.JPGシダ尾根
IMG_3818シダ鞍部.JPGシダ鞍部
IMG_3819雑木尾根.JPG雑木尾根

170m支尾根合流点は平坦でピークの感じはない。
IMG_3820170m平坦ピーク.JPG170m平坦ピーク

南西尾根を登り、シダを分けると190mピーク①に着く。平凡なシダのピークで、展望も西方向が樹間を通してわずかに得られる程度である。ここも城跡の感じはない。
IMG_3821平坦尾根.JPG平坦尾根
IMG_3823シダ尾根.JPGシダ尾根
IMG_3824雑木尾根.JPG雑木尾根
IMG_3826190m①ピーク手前.JPG190m①ピーク手前
IMG_3827190m①ピーク.JPG190m①ピーク
IMG_3828樹間展望(西方向:田尻山).JPG樹間展望(西方向:田尻山)
IMG_3829樹間展望(北西方向:烏帽子岳).JPG樹間展望(北西方向:烏帽子岳)

さらに南西方向へ向かい、シダ尾根を登り返すと190mピーク②に着く。山頂はなだらかで中央に倒壊した石祠があった。祠の中に瓦状のかけらが見える。
IMG_3830シダ尾根.JPGシダ尾根
IMG_3831190m②ピーク手前.JPG190m②ピーク手前
IMG_3833190m②ピーク.JPG190m②ピーク
IMG_3832倒壊石祠.JPG倒壊石祠
IMG_3834倒壊石祠(拡大).JPG倒壊石祠(拡大)

北方向の樹間わずかに展望が得られる。
南側の急な尾根を下ってみると曲輪状のものが数段確認できる。
調査書では山頂の石祠の記述はなかったが、ここが城跡であることは間違いなさそうだ。
IMG_3835樹間展望(北方向:蓮華山).JPG樹間展望(北方向:蓮華山)
IMG_3836南尾根(上方から).JPG南尾根(上方から)
IMG_3837曲輪iti①(横から).JPG曲輪①(横から)
IMG_3838曲輪②(横から).JPG曲輪②(横から)
IMG_3839曲輪から上方.JPG曲輪から上方斜面を見上げる

●~150mピーク
そのまま南尾根を下って旧山道を探そうかと思ったが、南西尾根をさらに下ることにした。
180m支尾根分岐を過ぎ、少し下ると尾根上に古墓らしきものがひっそりと座っていた。
IMG_3840170m支尾根分岐点.JPG170m支尾根分岐点
IMG_3842植林尾根・下り.JPG植林尾根・下り
IMG_3843古墓?.JPG古墓?

鞍部を登り返すと裸地状の展望地に出た。
IMG_3844雑木尾根・下り.JPG雑木尾根・下り
IMG_3846雑木平坦尾根.JPG雑木平坦尾根
IMG_3848130m鞍部.JPG130m鞍部
IMG_3849雑木シダ尾根・上り.JPG雑木シダ尾根・上り
IMG_3850裸地展望地.JPG裸地展望地

西から北方向の展望が大きく広がり一息できる。
IMG_3851西方向:田尻山.JPG西方向:田尻山
IMG_3852北北西方向:西光寺山.JPG北北西方向:西光寺山

シダを少しわけて登ると150mピークに着く。振り返ると樹間越しに190mピークと矢櫃山が重なって見える。
IMG_3853シダ尾根・上り.JPGシダ尾根・上り
IMG_3854150mシダピーク.JPG150mシダピーク
IMG_3857北東方向:矢櫃山・190mピーク.JPG北東方向:矢櫃山・190mピーク

●~駐車地
さらに薄いシダの疎林尾根を下っていくと、植林尾根となり、130m支尾根分岐点から南東へ方向を変えて下る。
IMG_3858雑木シダ尾根.JPG雑木シダ尾根
IMG_3860植林・灌木.JPG植林・灌木
IMG_3861130mピーク.JPG130mピーク
IMG_3862支尾根分岐点.JPG支尾根分岐点
IMG_3863植林境・下り.JPG植林境・下り

120m支尾根分岐点で溝道の残る南西尾根を下ると山道と出合い、民家裏に出た。民家の敷地内を通るのが憚られたので、出口を探したが適当なところがなく、結局敷地の一部を通らせてもらい、県道へ出た。
120m支尾根分岐点でそのまま南東方向へ尾根を下った方がよかったかもしれない。
IMG_3864120m支尾根分岐点・溝道沿い.JPG120m支尾根分岐点・溝道沿い
IMG_3865溝道沿い.JPG溝道沿い
IMG_3866山道に出る.JPG山道に出る
IMG_3868山道下降地点(逆方向).JPG山道下降地点(逆方向)
IMG_3871溝沿い.JPG民家裏

里道を通って駐車地へ戻る。
IMG_3876舗装農道.JPG里道
IMG_3879城山・矢櫃山.JPG城山・矢櫃山

車に戻ったあと、近くの田圃の中にお堂らしきコンクリートの建物と枝が落とされた大木が見えたので、立ち寄ってみた。堂の中には小さな観音様などが祀ってあった。堂のそばには古墓が並んでいる。農地の改良工事に伴い建て替え等がなされたようだ。堂からは周辺の山々がぐるりと遠望できる。
IMG_3881観音堂?.JPG観音堂?
IMG_3884氷室岳.JPG氷室岳
IMG_3885矢櫃山.JPG矢櫃山
IMG_3886田尻行者山(右端).JPG田尻行者山(右端)

■城山の位置
調査書の縄張り図と歩いた結果から判断すると190mピーク②が城山山頂と思われる。縄張り図に描かれた地形と国土地理院の地形図に相違があることの原因については、市町村が独自に地図作成を行っている場合があり、縄張り図はその地図を基にした可能性がある。

■トラック図の修正
今回歩いた際、GPSの軌跡と国土地理院の地形図にかなりのズレ(20~30m)があった。
原因として、①当日捉えた衛星の影響、➁所有するGPSの不具合、③地形図の誤作成、④天候などが考えられる。
したがって、今回ブログ掲載のトラック図はかなりの修正を加えた。

■城山について(参考)
古書に以下の記述がある。また、地下上申絵図にも同地に「城山」が記されている。
●『享保増補 村記』
「古城山。 久可路に城山とて、山上、引平してあり。 城主等、分明ならず。」
「嶽の山続、玖珂地に城山と称せるあり。町野(※大内氏の家臣)が家人等楯籠たる城跡也や。夫、此城山の北の麓(袖解キ川の奥)七人塚とて有。弘治の戦に打死せし者の塚なりや、子細を知人なし。」
●『玖珂郡志』
「古城。玖珂路。峰々引平シタル直グ段アリ。城主等知レル人ナシ。(中略)今、按ニ、嶽山ノ継、久可地、此城山ハ藤山ト云。藤中壱岐守居城。太刀・刀等器物残リ有ㇾ之城跡ナリ。又、城山ノ北ノ麓ニ 袖解川ノ奥 七人塚トテ小高キ所有リ。弘治ノ戦ニ打死セシ者ノ塚ナルヤ、子細知ル人ナシ。」
(注)ネット情報によると、塚は190mピーク②西麓あたりの袖解(ソデトキ)川沿いにあるようで、2010年に有志により標柱も建てられている。機会があれば立ち寄りたい。

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