SSブログ

大師山・灯籠岩・鬼石山(柳井市大畠・遠崎) [県東部の山]

20年ぶりに歩く。今回は中腹に広域農道(やない美ゅーロード、6年前に開通)ができたので、東端部にある八十八ヶ所巡りの参道から取り付いてみた。
舗装林道歩きが主だが、草被りや倒竹で一部荒れている。大師山と鬼石山は山名プレートやテープ類もなく、ハイカーからは敬遠されているようだ。灯籠岩は造成により山頂部は消失している。(2023.5.1)
IMG_4468林道から鬼石山・琴石山・灯籠岩(手前平坦地).JPG林道から鬼石山・琴石山・灯籠岩(手前平坦地)
2023.05.01大師山・鬼石山.jpeg(1,2クリックで拡大)

●駐車地~善知神社~林道
広域農道沿いにある大畠瀬戸展望台に駐車。道路側に展望台の標識はなく、入口も見過ごしやすい。
IMG_4553大畠瀬戸案内板.JPG大畠瀬戸案内板
IMG_4411駐車地より飯の山.JPG駐車地から飯の山
IMG_4412馬の背・頂海山.JPG馬の背・頂海山
IMG_4413笠佐島.JPG笠佐島
IMG_4414駐車地(大畠瀬戸展望台).JPG駐車地(大畠瀬戸展望台)

道路向かい側の坂道を上がると、「大師山新四国八十八ヶ所」の案内版がある。参道を登り、左に墓地を過ごすと広場(境内)に出る。
IMG_4416八十八ヶ所参道入口.JPG八十八ヶ所参道入口
IMG_4415八十八ヶ所案内図.JPG八十八ヶ所案内図
IMG_4417弘法大師象.JPG弘法大師像
IMG_4418遍照院境内.JPG遍照院境内

右奥に遍照院があるようだが、一番石仏の坐るところから左道に入る。
IMG_4420第一番.JPG一番石仏
IMG_4421参道(第四番で右へ).JPG参道

四番石仏のところの分岐を右に取ると招魂場に着く。奥に慰霊碑が建つ。
IMG_4422参道.JPG参道
IMG_4423招魂場.JPG招魂場
IMG_4425慰霊碑.JPG慰霊碑

慰霊碑のうしろから左の参道を進むと、天津神・国津神・八百万神と刻まれた碑に出合う。
IMG_4426第五十六番・参道.JPG参道
IMG_4427天津神・国津神・八百万神碑.JPG天津神・国津神・八百万神碑

手前の分岐を下るとすぐに善知神社に着く。神社へは南側から長い石段が上がっている。大畠町史によると、祭神は天御中主神で創建年代は不詳、旧幕時代は祭儀も盛大に行われていたが明治末期から大正の頃衰微、地元の奉仕により昭和35年に再建されたという。
IMG_4429善知神社(前方から).JPG善知神社
IMG_4430石段・鳥居.JPG石段・鳥居(上方から)

神社から上には道がないので、左の小谷に取り付いてみた。疎林で比較的歩きやすい。谷が詰まると左の支尾根に逃げ、ヒザ高のシダ尾根を登る。
IMG_4432小谷を登る.JPG小谷を登る
IMG_4433左支尾根へ向かう.JPG左支尾根へ向かう
IMG_4435シダ尾根.JPGシダ尾根
IMG_4436シダ尾根(ヒザ高).JPGシダ尾根(ヒザ高)

平坦な支尾根合流点に上がるとすぐ林道に出た。
IMG_4437支尾根合流点.JPG支尾根合流点
IMG_4438林道出合い.JPG林道出合い

●~大師山
舗装された林道を左に進み、貯水槽跡(?)を右に過ごすと高圧電線の鉄塔を右に見る。
(注)トラック図で林道上の歩行軌跡を見ると地形図とかなりのズレがある。カシミールを使って航空写真と重ねるとトラック図の方が実際の歩行軌跡に近いので、あえて修正していない。
IMG_4440林道.JPG林道
IMG_4441160m鞍部.JPG160m鞍部
IMG_4444貯水槽跡?.JPG貯水槽跡?
IMG_4446鉄塔.JPG鉄塔
IMG_4447鉄塔箇所からの展望(馬の背・頂海山).JPG展望地①から馬の背・頂海山

支尾根を左に巻きながら回り込むと大師山の西側鞍部に出る。
IMG_4449林道・ササ沿い.JPG林道・ササ沿い
IMG_4450230m鞍部.JPG230m鞍部

尾根に取り付き、右斜面のササヤブをよけながら植林境を登ると、あっけなく平坦山頂に着く。
樹木に遮られ展望はないが、最高処に丸い石がある。
IMG_4451230m鞍部・尾根取り付き(逆方向).JPG230m鞍部・尾根取り付き(逆方向)
IMG_4452植林・ササ尾根.JPG植林・ササ尾根
IMG_4453大師山山頂.JPG大師山山頂
IMG_4456山頂部の丸石.JPG山頂の丸石

少し先に石や土塁で囲まれた平坦地があり、中央に長方形の石が横たわっている。何かを祀ったような跡のように思える。
(注)帰宅後、前回の山行記事を見ると、「外に石祠の上部が放置されていた」と記録しているので、囲い地の外側に祠の屋根部分があったかもしれない。
IMG_4457凹状地.JPG平坦地
IMG_4458長石.JPG長石(石祠跡?)

●~灯籠岩
林道に戻り先へ進む。展望地を過ごし、林道分岐を直進する。大久保側へ下る右の林道も見た限りでは明瞭なので歩けそうだ。
IMG_4459林道.JPG林道
IMG_4461展望地2から.JPG展望地②から
IMG_4462林道分岐①(右下へ分かれる).JPG林道分岐①(右下へ分かれる)

少しずつ高度を上げながら林道を進み、草被りが目立つようになると、右に視界が開け、鬼石山と琴石山が望める。
IMG_4464展望地3から.JPG展望地③から
IMG_4465草被りの林道・鬼石山(手前平坦地が灯篭岩).JPG草被りの林道
IMG_4466鬼石山・琴石山.JPG鬼石山・琴石山

草被りの道がしばらく続き、最高処の320mあたりで草が消え、海側の展望が広がる。
IMG_4470林道・ササ沿い.JPG林道・ササ沿い
IMG_4471展望地4から大島アルプス.JPG展望地④から大島アルプス
IMG_4474馬の背・頂海山・笠佐島.JPG馬の背・頂海山・笠佐島
IMG_4475皇座山・鳩ヶ峰・大星山.JPG皇座山・鳩ヶ峰・大星山

ヘアピンカーブで北に方向を変え下っていくと、分岐に着く。右の林道入口に「この先行き止まり」の看板が立つ。
右の林道は、以前の2万千分の1地形図には実線で表示されていたが現在は消されている(私有林道か?)。前回同様右道へ入る。
IMG_4476林道.JPG林道
IMG_4477林道分岐②.JPG林道分岐②

舗装道を上がり、尾根上に出て右へ回り込むとチェーン柵があり、視界が開ける。
さらに有刺鉄線で囲われた平坦地沿いに道を進むと、広場に出る。
IMG_4478尾根出合い・カーブ地点.JPG尾根出合い・カーブ地点
IMG_4479チェーン柵・有刺鉄線沿い.JPGチェーン柵
IMG_4480広場.JPG広場

どうも有刺鉄線で囲まれた平坦地が灯籠岩らしく、造成されて平坦地となっている。地形図の三角点表示も現在は消えている。
有刺鉄線沿いに少し先へ進み、地形図上では標高310mの現在の最高処あたりまで歩いてみた。灯籠岩は標高320mなので、10m近く造成により低くなったと思われる。
(注)20年前の記録でも頂上付近は造成して広場となっており三角点も確認していない。当時、麓の老人から聞いた話では、牧草地として開墾したがうまくいかなかったということだった。
IMG_4481現在の灯篭岩最高処.JPG現在の灯籠岩最高処
IMG_4484平坦造成された灯篭岩.JPG造成された灯籠岩
IMG_4483鬼石山・琴石山.JPG鬼石山・琴石山

●~鬼石山
林道分岐まで戻る。(前回は灯籠岩から尾根上に続く林道を進み、尾根伝いに直登したが、現在はヤブ化している)
鬼石山の南麓を下っていくと、三差路に着く。舗装林道はここでヘアピンカーブとなり下っていく。直進方向の林道は草被りの未舗装の荒れ林道となっている。(前回も荒れ林道で通行不可と記録している)
IMG_4488林道分岐①.JPG林道分岐③
IMG_4489荒れ林道.JPG荒れ林道

この林道を回り込んで鬼石山の西側からアタックしようと考えていたが、あきらめ、少し戻って南尾根に取り付くことにする。
みやすそうなところを探し、適当なところから取り付く。疎林の斜面を上がるとまもなく尾根上に出る。大岩がありそばにコン杭「大畠町」を見る。
IMG_4490斜面取り付き.JPG斜面取り付き
IMG_4491雑木疎林斜面.JPG雑木疎林斜面
IMG_4492尾根に出る.JPG尾根に出る
IMG_4493岩①・コン杭.JPG岩①・コン杭

だだっ広い雑木疎林尾根に岩が点在する。右からの植林尾根と合わさると平坦な350m支尾根分岐点に着く。ここでもコン杭を見つける。
IMG_4494岩②.JPG岩②
IMG_4495だだっ広い尾根.JPGだだっ広い雑木尾根
IMG_4496350m支尾根合流点.JPG350m支尾根合流点
IMG_4498コン杭.JPGコン杭

尾根を少し登ると主尾根上に出て、右に少し進むと鬼石山山頂に着く。山頂部は雑木に囲まれているが、周辺は植林されている。展望は得られない。山名プレートなど目印となるものも今のところない。
IMG_4501雑木尾根.JPG雑木尾根
IMG_4502主尾根出合い.JPG主尾根出合い
IMG_4504鬼石山山頂.JPG鬼石山山頂

●~林道白潟線出合い~鬼石山~林道
帰路は北西尾根を下ってみる。植林境を下っていくと、雑木尾根に変わる。
IMG_4505北西尾根へ下る.JPG北西尾根へ下る
IMG_4506植林境.JPG植林境
IMG_4507雑木尾根に変わる.JPG雑木尾根に変わる

右下に林道が見えたが、法面が崖状のようなのであきらめ、そのまま下っていき、最後は左の植林谷と林道の合流点近くに降りた。
IMG_4508雑木尾根.JPG雑木尾根
IMG_4509右下に林道.JPG右下に林道
IMG_4510左の谷へ向かう.JPG左の谷へ向かう
IMG_4511林道出合い.JPG林道出合い

林道を右に向かうと耳取垰に出て、白潟林道と合わさる。
IMG_4513林道.JPG林道
IMG_4516林道.JPG林道
IMG_4517耳切垰.JPG耳切垰
IMG_4519白潟林道出合い.JPG白潟林道出合い

少し戻り、峠から東の大久保側へ向かおうと、踏み跡をたどり谷に下ってみたが、倒竹谷となり踏み跡も消失したのであきらめ、峠へ戻る。
IMG_4522大久保側の竹林谷.JPG大久保側の竹林谷

荒れ林道を下る気もしないので、鬼石山を登り返し、南側の林道へ戻ることにする。林道法面に踏み跡(ケモノ道?)が付いていたので、これに取り付き、植林境をたどると尾根へ出た。あとは登りと同じルートで戻った。
IMG_4523鬼石山の取り付き.JPG鬼石山の取り付き(再登頂時)

●~広域農道
舗装林道をどんどん下っていくと、標高190mあたりで三差路に着く。左のヘアピンカーブで下る林道の入口には通行止めのパイプ柵が置かれているが、通行止めとおぼしき立て看板は朽ちて消失し外枠だけが残っている。少し躊躇したが、以前下った道なので、少しは近道になると思い左道へ入る。
IMG_4527林道・下り.JPG林道・下り
IMG_4528竹林沿い.JPG竹林沿い
IMG_4531林道分岐③(逆方向).JPG林道分岐④(逆方向)

明瞭な道を300mほど下っていくと、東に方向が変わるあたりから突然倒竹が現われた。長くは続かないだろうと高をくくって先へ進むが一向に終わらない。結局400mほどの倒竹帯を歩くはめになった。
倒竹は潜り抜けるところはほとんどなく、跨ぐ程度で済むが何せ長い。最近人が歩いた形跡もない。抜け出たときはホッとしたが、この先逆方向に道が変わるので、下方でも倒竹帯を歩かされるのではとウンザリしながら歩き続ける。
IMG_4532林道.JPG林道
IMG_4533倒竹現る.JPG倒竹現る
IMG_4534倒竹.JPG倒竹
IMG_4536倒竹.JPG倒竹
IMG_4537倒竹帯を抜ける.JPG倒竹帯を抜ける

二つ目の小カーブのところで倒竹で道がつぶれていたので、ショートカットして斜面を少し下りふたたび林道に出る。
IMG_4538倒竹による通行不能箇所.JPG倒竹による通行不能箇所
IMG_4541下の林道へ抜け出る・ササ.JPG下の林道へ抜け出る

ササ沿いに少し林道を進むと、あとは竹林があるものの整理された道が続き、広域農道まで楽に歩けた。
IMG_4543林道.JPG林道
IMG_4544林道.JPG林道・竹林沿い
IMG_4545林道.JPG林道
IMG_4546広域農道出合い(逆方向).JPG広域農道出合い(逆方向)

●~大畠ふれあい公園~駐車地
広域農道を東へ進み、立岩トンネルを抜ける。
IMG_4547広域農道から.JPG広域農道から海側展望
IMG_4549立岩トンネル.JPG立岩トンネル

右下に東屋などがあり公園化されている。広域農道歩きは単調そうなので降りてみることにする。交流施設、管理棟、テニスコートを過ごしながら駐車場を通り舗装道に出た。
IMG_4550ふれあい公園・大畠苑.JPGふれあい公園

舗装道を下り、中腹に延びる道を海側の景色を眺めながら駐車地へ戻った。

■山名について
三山とも『大畠町史』や『鳴門村史』に記載がある。
(注)鳴門村は、明治期に大畠村と遠崎村が合併して発足。昭和となり神代村の一部と合併し大畠村となった。

▲鬼石山
『風土注進案 遠崎村』の山川形勢之事の項に、「但村内強いて高山大川無御座、村内之高山と申は鬼岩と申所御座候」とある。
また大山の項には、「鬼岩山 高サ直立貳町十五間、村北に有之、山勢は岩国御領琴石山より来り西面は同御領白潟諸山に続キ、東面は同御領大久保境耳切山に続キ、南面は当村諸山に続き周廻難相知候事」とあり、鬼岩あるいは鬼岩山と呼ばれていたようだ。

▲灯籠岩
『風土注進案 遠崎村』の大山の項に、「灯籠岩山 高サ直立壹町五十九間、村北に有之、山勢は当村鬼岩山より来り東面は岩国御領諸山に続キ、西面は当村諸山に続キ、南面同断諸山に続き周廻難相知候事」とあり、灯籠岩山と呼ばれていたようだ。

▲大師山
風土注進案などに山名は見当たらず、比較的新しい呼称と思われる。

 ・八十八ヶ所霊場・遍照院との関連
大師山の山名の由来は不明だが、大師山は遍照院の山号でもある。大畠町史によると、遍照院は明治初期に創建され、当初は妙見山遍照院と称し、うしろの大師山に四国から各霊場の砂を持ち帰り新四国八十八ヶ所の霊場を開いたので、大畠の大師堂として親しまれた。昭和35年に本堂を全焼したので、同年今の護摩堂を建立し、大師山遍照院と改称したとある。
大師山の山名は八十八ヶ所霊場と遍照院に由来すると思われるが、遍照院の裏山をもともと大師山と呼んでいたのか、八十八ヶ所霊場を開いたことから命名したのかはわからない。

 ・善知神社との関連
祭神は天之御中主神である。
ウィキペディアによると、「この神が一般の信仰の対象になったのは、近世において天の中央の神ということから北極星の神格化である妙見菩薩と習合されるようになってからと考えられている。現在、天之御中主神を祀る神社の多くは、妙見社が明治期の神仏分離・廃仏毀釈運動の際に天之御中主神を祭神とする神社となったものである。」
善知神社ももともとは妙見菩薩を祀っていたのが、神仏分離令を受けて天之御中主神を祭神とした可能性が高い。遍照院の前山号が妙見山であることからも裏付けられる。
したがって、山名も大師山ではなく、もとは妙見山と呼ばれていた可能性がある。
また、遍照院の裏山としては、北西方向の160m支尾根合流点あたりが妥当であり、さらに上方の255mピークは離れ過ぎているような気がするのだがどうだろうか。

 ・その他
山上に石祠の跡があり、北東側の尾根に破線道があることから北麓の大久保側で世話をしていた可能性もある。
また、町史(P13)記載の海上保安庁発行の海図には255mピークを大将軍山としていることから、山上では大将軍を祀っていたかもしれない。
コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。