蕣ノ城・立野城・小川茶臼山城(萩市上小川東分・中小川) [県北部の山]
小川地区にある三つの城跡を周回してみた。各山とも標高差はあまりないが下山ルートはやや手こずった。(2022.4.25)
〈参考資料〉
『田万川町史』、『山口県中世城館遺跡総合調査報告書―長門国編―』、HP『城郭放浪記』
蕣ノ城(差出付近から)
立野城(林道ラスガ峠線入口付近から)
(1,2クリックで拡大)
●駐車地~蕣(あさがお)ノ城跡
まずは蕣ノ城をめざす。先日の水車城といい、なかなか趣のある名前だ。県道14号線から集落道を西へ200mほど進むと、二つの橋の間に駐車スペースがある。
蕣ノ城・駐車地
尊正寺の寺門に上がる階段の右手に山道がある。尾根を回り込むとやや荒れ気味となるので、左の尾根上の踏み跡を上がる。古墓を見て、さらに上がると右下からの明瞭な山道に出合う。先ほどの道と通じているようだ。
尊正寺入口・蕣ノ城(左奥)
尊正寺
枕木橋
山道
取り付き・踏み跡
古墓
雑木尾根
山道出合い(右下方)
少し上がると90m①支尾根合流点に出る。緩やかな雑木尾根を進むと墓地跡が110m支尾根合流点まで続く。
90m①支尾根合流点
平坦尾根
90m➁支尾根合流点
平坦尾根
墓地跡
110m支尾根合流点・墓地跡
140m支尾根合流点あたりから左に踏み跡程度の道がトラバースするので、これをたどると主尾根上へ出る。そばの木に県農林総合技術センターによる「カシノナガキクイムシ成虫防除試験」の表示が設置してあった。
雑木尾根・上り
120m支尾根合流点
平坦尾根
雑木尾根・上り
140m支尾根合流点
踏み跡(左トラバース)
トラバース
主尾根出合い
キクイムシ防除試験の表示
右折し雑木尾根を少し登ると浅い堀切跡(?)を見る。まもなく平坦な山頂(主郭)に出て、四等三角点「杉の原」(点の記によると三角点地番の字名は「城山」)を見る。
樹木に囲まれ展望は得られず、これといった特徴的なものは見受けられない。
右雑木尾根・上り
堀切
山頂手前
山頂(郭Ⅰ)
四等三角点「杉の原」
山頂東側
帰路は東尾根を下ってみる。段差が数メートルある腰郭を確認しながら雑木尾根を下る。
東斜面
腰郭
雑木尾根・下り
120m支尾根分岐点を右、110m支尾根分岐点では左の尾根をくだると、地形図に表示されていない100m①小ピークに着く。
120m支尾根分岐点.
110m支尾根分岐点
100m①小ピーク
右尾根へ下り、100m➁支尾根分岐点で東方向へ下ると古墓を見る。
雑木尾根・下り
100m➁支尾根分岐点
墓地跡
竹交じり植林尾根を下り切ると溝に出合う。溝沿いに畦道をたどり集落道へ出る。
竹交じり雑木尾根・下り
竹交じり植林尾根・下り
畦道・溝出合い
溝沿い
集落道出合い
●~立野(たちの)城跡
次は蕣ノ城の真北に対峙する立野城をめざす。
「林道ラスガ峠線」の看板が立つ分岐で左折し、舗装林道に入る。50mほどで左の路肩に駐車スペースがある。
林道ラスガ峠線入口
路肩スペース
さらに100m進むと右に未舗装林道が分岐するので、こちらに進む。
100mほど進むと分岐があり、右折する。
林道分岐・右へ
分岐・右へ
すぐに行き止まりとなり、左の小谷に入る。
踏み跡を上がるとすぐに左の植林平坦地を少し横切り、植林尾根に取り付いて登る。
林道終点・左の小谷に入る
植林谷を横切る
植林尾根に取り付く.
植林尾根・上り
植林尾根・上り
雑木尾根・上り
竹交じり植林尾根・上り
一旦勾配が緩み、右からの尾根を合わせながらタケ交じりの尾根を登ると削平された腰郭に出る。さらに登ると竹が密生した130m支尾根合流点(郭Ⅱ)へ着く。
平坦地
竹交じり植林境
腰郭①
腰郭②
郭Ⅱ
尾根を進むとすぐに堀切跡に出合う。倒竹の間を抜けながら少し段差の付いた削平地を進む。最高処と思われる主郭部分(郭Ⅰ)も竹が密生している。郭の先端部あたりまで進み、引き返す。
堀切
堀切斜面
削平地(郭)
削平地(郭)
盛り土(土塁)?
段状斜面
郭Ⅰ
帰路は標高110mあたりの支尾根分岐点で左の植林尾根へ下ってみる。少し下ると伐採地に出て左(東)に展望が開ける。先日縦走した入道岳から神宮山あたりの山並みが遠望できる。
植林尾根・下り
踏み跡
伐採斜面頂部
入道岳(わずかに覗く)~神宮山
雑木尾根を下り、鞍部から平坦尾根を進むと植林境尾根となり、80m支尾根分岐点に着く。
雑木尾根・鞍部
80m支尾根分岐点.
ここで灌木がやや茂る植林の東尾根を下ってみる。少し下ると古墓と石祠(ご神体はない)のある平坦地へ出る。そばに苔むした小さな石仏らしきものも見る。
植林・灌木尾根
石祠・古墓
苔蒸した石仏?
やや勾配のある竹交じりの植林段状地を下っていくと、廃屋が下に見えるところで下がややガケ状のところへ出る。右へ逃げてヤブを少し分けて下ると草地の平坦地へ降り立つ。草地を横切ると林道の路肩スペースのあるところへ出た。
竹交じり植林・下り
ササヤブ・下降斜面(逆方向)
草地
80m支尾根分岐点から右方向の尾根を下った方がみやすかったかもしれない。
●~茶臼山城跡~駐車場
次に茶臼山城をめざす。
県道へ出て、上の原台地の北側を回り込むような形で茶臼山城の南側から取り付くことにする。
水車城・入道岳(小川支所付近から)
茶臼山
石仏
県道306号から集落道に入る。
集落道分岐
神宮山・△下り谷
畜魂碑の立つ畜産施設(?)のフェンス沿いに谷へ向かうとコン水路に出合う。
畜産施設?・畜魂碑
水路
水路沿いに谷を上がり、谷が分岐する手前あたりで水路を渡り、勾配のある雑木尾根に取り付く。尾根筋が不明瞭なので斜面の登りやすいところを上がる。
水路沿い
水路を渡る
植林谷
雑木尾根(斜面)
雑木尾根(斜面)
勾配が緩むと山頂を囲むように削平された腰郭に出る。
勾配が緩む
腰郭
斜面を少し上がると山頂(主郭)に着く。中央部に墓とみられる岩が重なり、小高くなっている。展望はない。
山頂手前
山頂(主郭)
墓?
帰路は上の原へ出るため、西へ下ってみる。
西側斜面(腰郭)
腰郭(横から)
緩い雑木尾根を下ると、薄いシダに覆われたスギ植林の平坦地に降り立つ。
平坦地手前
シダ・植林の平坦地
段状地を上がっていくと舗装農道へ出る直前でフェンスに阻まれる。
左右を見ても近くに出入りができるゲートがまったく見当たらない。
仕方がないのでガードレールのあるとこまでフェンス沿いに歩き、またいで何とかフェンスを越えた。
植林段状地
段状地
フェンス・舗装農道
ガードレール
途中、武氏八幡宮に立ち寄り、駐車地まで戻る。
上の原から蕣ノ城
立野城(左)
車道分岐
八幡宮社叢の説明板
290mピーク~神宮山
神宮山~△下り谷
裏参道入口・古墓
裏参道
武氏八幡宮
八幡宮略記
石仏(原中)
■城跡について
●蕣ノ城
『風土注進案』に次の記載がある。
「蕣ノ城 但一丸より五反畠 杉ノ原 立野の上まで押廻し續きたる山にて町數凡五六拾超町も御座候、一丸の上の山を甲(ツメ)の丸、立野の上は北の要害と申候、城主は吉見阿波守の嫡子右馬之助と申候由、平山の城一同に没落の後法體して善慶と改、此城跡に一宇の寺を建立し蕣城臺竹林山正福寺と申天台宗にて御座候處、亂世の砌廢寺に相成候所、唯今の尊正寺の開基道圓又小菴を再建し于今相續仕候よし申傳に御座候」
●立野城
『風土注進案』に次の記載がある。
「立野と申は此所に古城山有之、其節の館の跡野と成候故在名を館野(タチノ)と呼候由、此山蕣の城北の要害と申傳候事」
●茶臼山城
『地下上申』に次の記載がある。
「切ヶ城 梨木に有之
但城主申伝無御座候、尤此山の下に切か淵と申本川に淵御座候、先年より申伝に城主在城之時、此淵え数多之人切付申に付き、切か淵と申習之由御座候」
『風土注進案』には次の記載がある。
「茶臼山城
但梨木にあり、此城山と申ハ上小川境にて上野原と申岡の艮の隅にあたりてその岡にそひたる小き山なり、この下の本川にきりか淵と申所御座候、この淵へ數多の軍兵ともきりこまれしよりの名と申傳へ候 御代官所考云、(以下略)」
〈参考資料〉
『田万川町史』、『山口県中世城館遺跡総合調査報告書―長門国編―』、HP『城郭放浪記』
蕣ノ城(差出付近から)
立野城(林道ラスガ峠線入口付近から)
(1,2クリックで拡大)
●駐車地~蕣(あさがお)ノ城跡
まずは蕣ノ城をめざす。先日の水車城といい、なかなか趣のある名前だ。県道14号線から集落道を西へ200mほど進むと、二つの橋の間に駐車スペースがある。
蕣ノ城・駐車地
尊正寺の寺門に上がる階段の右手に山道がある。尾根を回り込むとやや荒れ気味となるので、左の尾根上の踏み跡を上がる。古墓を見て、さらに上がると右下からの明瞭な山道に出合う。先ほどの道と通じているようだ。
尊正寺入口・蕣ノ城(左奥)
尊正寺
枕木橋
山道
取り付き・踏み跡
古墓
雑木尾根
山道出合い(右下方)
少し上がると90m①支尾根合流点に出る。緩やかな雑木尾根を進むと墓地跡が110m支尾根合流点まで続く。
90m①支尾根合流点
平坦尾根
90m➁支尾根合流点
平坦尾根
墓地跡
110m支尾根合流点・墓地跡
140m支尾根合流点あたりから左に踏み跡程度の道がトラバースするので、これをたどると主尾根上へ出る。そばの木に県農林総合技術センターによる「カシノナガキクイムシ成虫防除試験」の表示が設置してあった。
雑木尾根・上り
120m支尾根合流点
平坦尾根
雑木尾根・上り
140m支尾根合流点
踏み跡(左トラバース)
トラバース
主尾根出合い
キクイムシ防除試験の表示
右折し雑木尾根を少し登ると浅い堀切跡(?)を見る。まもなく平坦な山頂(主郭)に出て、四等三角点「杉の原」(点の記によると三角点地番の字名は「城山」)を見る。
樹木に囲まれ展望は得られず、これといった特徴的なものは見受けられない。
右雑木尾根・上り
堀切
山頂手前
山頂(郭Ⅰ)
四等三角点「杉の原」
山頂東側
帰路は東尾根を下ってみる。段差が数メートルある腰郭を確認しながら雑木尾根を下る。
東斜面
腰郭
雑木尾根・下り
120m支尾根分岐点を右、110m支尾根分岐点では左の尾根をくだると、地形図に表示されていない100m①小ピークに着く。
120m支尾根分岐点.
110m支尾根分岐点
100m①小ピーク
右尾根へ下り、100m➁支尾根分岐点で東方向へ下ると古墓を見る。
雑木尾根・下り
100m➁支尾根分岐点
墓地跡
竹交じり植林尾根を下り切ると溝に出合う。溝沿いに畦道をたどり集落道へ出る。
竹交じり雑木尾根・下り
竹交じり植林尾根・下り
畦道・溝出合い
溝沿い
集落道出合い
●~立野(たちの)城跡
次は蕣ノ城の真北に対峙する立野城をめざす。
「林道ラスガ峠線」の看板が立つ分岐で左折し、舗装林道に入る。50mほどで左の路肩に駐車スペースがある。
林道ラスガ峠線入口
路肩スペース
さらに100m進むと右に未舗装林道が分岐するので、こちらに進む。
100mほど進むと分岐があり、右折する。
林道分岐・右へ
分岐・右へ
すぐに行き止まりとなり、左の小谷に入る。
踏み跡を上がるとすぐに左の植林平坦地を少し横切り、植林尾根に取り付いて登る。
林道終点・左の小谷に入る
植林谷を横切る
植林尾根に取り付く.
植林尾根・上り
植林尾根・上り
雑木尾根・上り
竹交じり植林尾根・上り
一旦勾配が緩み、右からの尾根を合わせながらタケ交じりの尾根を登ると削平された腰郭に出る。さらに登ると竹が密生した130m支尾根合流点(郭Ⅱ)へ着く。
平坦地
竹交じり植林境
腰郭①
腰郭②
郭Ⅱ
尾根を進むとすぐに堀切跡に出合う。倒竹の間を抜けながら少し段差の付いた削平地を進む。最高処と思われる主郭部分(郭Ⅰ)も竹が密生している。郭の先端部あたりまで進み、引き返す。
堀切
堀切斜面
削平地(郭)
削平地(郭)
盛り土(土塁)?
段状斜面
郭Ⅰ
帰路は標高110mあたりの支尾根分岐点で左の植林尾根へ下ってみる。少し下ると伐採地に出て左(東)に展望が開ける。先日縦走した入道岳から神宮山あたりの山並みが遠望できる。
植林尾根・下り
踏み跡
伐採斜面頂部
入道岳(わずかに覗く)~神宮山
雑木尾根を下り、鞍部から平坦尾根を進むと植林境尾根となり、80m支尾根分岐点に着く。
雑木尾根・鞍部
80m支尾根分岐点.
ここで灌木がやや茂る植林の東尾根を下ってみる。少し下ると古墓と石祠(ご神体はない)のある平坦地へ出る。そばに苔むした小さな石仏らしきものも見る。
植林・灌木尾根
石祠・古墓
苔蒸した石仏?
やや勾配のある竹交じりの植林段状地を下っていくと、廃屋が下に見えるところで下がややガケ状のところへ出る。右へ逃げてヤブを少し分けて下ると草地の平坦地へ降り立つ。草地を横切ると林道の路肩スペースのあるところへ出た。
竹交じり植林・下り
ササヤブ・下降斜面(逆方向)
草地
80m支尾根分岐点から右方向の尾根を下った方がみやすかったかもしれない。
●~茶臼山城跡~駐車場
次に茶臼山城をめざす。
県道へ出て、上の原台地の北側を回り込むような形で茶臼山城の南側から取り付くことにする。
水車城・入道岳(小川支所付近から)
茶臼山
石仏
県道306号から集落道に入る。
集落道分岐
神宮山・△下り谷
畜魂碑の立つ畜産施設(?)のフェンス沿いに谷へ向かうとコン水路に出合う。
畜産施設?・畜魂碑
水路
水路沿いに谷を上がり、谷が分岐する手前あたりで水路を渡り、勾配のある雑木尾根に取り付く。尾根筋が不明瞭なので斜面の登りやすいところを上がる。
水路沿い
水路を渡る
植林谷
雑木尾根(斜面)
雑木尾根(斜面)
勾配が緩むと山頂を囲むように削平された腰郭に出る。
勾配が緩む
腰郭
斜面を少し上がると山頂(主郭)に着く。中央部に墓とみられる岩が重なり、小高くなっている。展望はない。
山頂手前
山頂(主郭)
墓?
帰路は上の原へ出るため、西へ下ってみる。
西側斜面(腰郭)
腰郭(横から)
緩い雑木尾根を下ると、薄いシダに覆われたスギ植林の平坦地に降り立つ。
平坦地手前
シダ・植林の平坦地
段状地を上がっていくと舗装農道へ出る直前でフェンスに阻まれる。
左右を見ても近くに出入りができるゲートがまったく見当たらない。
仕方がないのでガードレールのあるとこまでフェンス沿いに歩き、またいで何とかフェンスを越えた。
植林段状地
段状地
フェンス・舗装農道
ガードレール
途中、武氏八幡宮に立ち寄り、駐車地まで戻る。
上の原から蕣ノ城
立野城(左)
車道分岐
八幡宮社叢の説明板
290mピーク~神宮山
神宮山~△下り谷
裏参道入口・古墓
裏参道
武氏八幡宮
八幡宮略記
石仏(原中)
■城跡について
●蕣ノ城
『風土注進案』に次の記載がある。
「蕣ノ城 但一丸より五反畠 杉ノ原 立野の上まで押廻し續きたる山にて町數凡五六拾超町も御座候、一丸の上の山を甲(ツメ)の丸、立野の上は北の要害と申候、城主は吉見阿波守の嫡子右馬之助と申候由、平山の城一同に没落の後法體して善慶と改、此城跡に一宇の寺を建立し蕣城臺竹林山正福寺と申天台宗にて御座候處、亂世の砌廢寺に相成候所、唯今の尊正寺の開基道圓又小菴を再建し于今相續仕候よし申傳に御座候」
●立野城
『風土注進案』に次の記載がある。
「立野と申は此所に古城山有之、其節の館の跡野と成候故在名を館野(タチノ)と呼候由、此山蕣の城北の要害と申傳候事」
●茶臼山城
『地下上申』に次の記載がある。
「切ヶ城 梨木に有之
但城主申伝無御座候、尤此山の下に切か淵と申本川に淵御座候、先年より申伝に城主在城之時、此淵え数多之人切付申に付き、切か淵と申習之由御座候」
『風土注進案』には次の記載がある。
「茶臼山城
但梨木にあり、此城山と申ハ上小川境にて上野原と申岡の艮の隅にあたりてその岡にそひたる小き山なり、この下の本川にきりか淵と申所御座候、この淵へ數多の軍兵ともきりこまれしよりの名と申傳へ候 御代官所考云、(以下略)」
2022-04-26 23:01
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