鷹子山(下関市豊田町八道) [県西部の山]
『目で見るふるさと豊田の歴史と文化』(平成11年発行)の八道(やじ)地区の項に「殿岩」のことが次のように出ている。
「呉ヶ畑の西の頭という所の、桃木河内という深山に、扁平な大岩が屋根になった岩窟がある。昔豊田の領主が合戦に負けて、この石穴に逃げ込んだという。それで、この岩を豊田殿岩と里人がいい始めた。この豊田殿は、敵の大内氏の兵に煙でくすべられ、たまりかねて岩の上に出て切腹した。…」
なお、『地下上申』の八道村の項にも同様の記載がある。
興味をそそられたので、前書にある概略位置図と岩の写真を頼りに探索してみた。写真から判断すると尾根上にあると思われたので、ここぞと思われるあたりを歩き回ったが、小岩は散在するものの、なかなかそれらしき岩は見あたらない。三日目となり今日も無駄足だったかと下山しかけたところ、突然眼前に大岩が現れた。
位置、風格(高さ約6m、幅約10m)、岩屋風の形状から見て、おそらくこれだと実感した。周辺を歩き回った限りではこれ以外に考えられない。ただ、岩穴の形が掲載写真と違っているように思われること、尾根上ではなく小谷の源頭部にあることなどから、今一つ確証が得られていない。
しかし、平坦な岩上に立つと、周辺の樹木が低ければ北東側の展望が得られただろうと推測できる。ルートから外れているため、周辺の樹木が伐採されていない限り通常では見付からないだろう。
こうして鷹子山へ何度か足を運んだおかげで新たなルートを開拓したので、報告したい。
(クリックで拡大)
呉ヶ畑から遠望
展望岩ルートは、ゲートを抜け、林道終点まで進み、第三堰堤の右急斜面の杉植林帯に取り付く。取付きの急斜面が苦手であれば、少しシダが被るが第二堰堤左の支尾根から取り付いた方が無難だろう。
ゲート
林道
第二堰堤
第三堰堤
尾根に出ると、雑木疎林を主体とした尾根道を山頂までたどる。切り開きの道が結構残っており、ヤブも薄い。
途中、展望岩や429mピーク付近で眺望が開ける。
展望岩
展望岩からの眺め
429mピークからの展望
雑木尾根
雑木尾根
山頂は北東側の眺望が少し開け、南側に華山もわずかに望める。
山頂
山頂北東方向の眺め
桃の木河内ルートは谷詰めのルートである。第三堰堤の右を越えて進むと、植林管理道のしっかりした踏み跡が谷沿いに付いている。途中倒木や伐採木で分かりずらい箇所もあるが、稜線直下まで続く。植林の緩い斜面をよじ登ると主稜線鞍部に達する。
植林管理道
植林管理道
植林管理道終端部
なお、林道脇にある「藤輪伊佐衛門碑」も「豊田の歴史と文化」に説明がある。江戸末期の人で、村人の惨状を見かねて直訴し、その後脱獄し熊本県星野村の寓居で死去したといったことが漢文で刻まれている。ドラマチックな人生を感じた。
藤輪伊佐衛門碑
■殿岩(?)へのルート
「殿岩」へは明確な踏み跡はない(もちろんテープ類もない)。したがって、何度か歩いた経験から言うと、展望岩ルートの途中からアプローチをかける方法が一番見付けやすいと思われる。
まず429mの展望ピークをめざし、ピークを下った鞍部から一旦東の支谷へ下る。谷の分岐に来たところで南へ小谷を遡る。小谷は比較的歩きやすい。ただし一つ東の小谷へ入り込まないよう注意が必要。谷が詰まると前方に大岩が現れる。殿岩の周辺はヒノキ樹林帯となっている。帰路は岩から西へトラバースすると、展望岩ルートに合流する。
なお、展望岩ルートから逆に東へ平行移動して探索するのは一見みやすそうだが、今のところ明瞭な道がないので、岩を見付けるのは難しいだろう。
殿岩への小谷
殿岩(前面)
殿岩(側面)
殿岩(上部)
■山名考
「桃の木河内」の名は『地下上申』にも出てくる。地元の初老の男性に尋ねたところ、「桃の木河内」「殿岩」のいずれもご存知なかった。
また、同書に「桃の木河内之頭」が旧村境の八道側の山名として出ている。鷹子側では「大だんの頭」、杢路子側では「出ヶ迫山頭」と呼ばれたようである。なお、現在これら三つの大字境は三角点山頂の東南にある570mピークであり、大字境が昔の旧村境と同じとすれば、このピークが「桃の木河内之頭」となる。また、鷹子集落側から見たピークは更に東にあたる580mピークとみられることから、こちらが本来の鷹子山かもしれない。もっとも、これら三つのピークを合わせて一つの山頂と考えられなくもない。
「呉ヶ畑の西の頭という所の、桃木河内という深山に、扁平な大岩が屋根になった岩窟がある。昔豊田の領主が合戦に負けて、この石穴に逃げ込んだという。それで、この岩を豊田殿岩と里人がいい始めた。この豊田殿は、敵の大内氏の兵に煙でくすべられ、たまりかねて岩の上に出て切腹した。…」
なお、『地下上申』の八道村の項にも同様の記載がある。
興味をそそられたので、前書にある概略位置図と岩の写真を頼りに探索してみた。写真から判断すると尾根上にあると思われたので、ここぞと思われるあたりを歩き回ったが、小岩は散在するものの、なかなかそれらしき岩は見あたらない。三日目となり今日も無駄足だったかと下山しかけたところ、突然眼前に大岩が現れた。
位置、風格(高さ約6m、幅約10m)、岩屋風の形状から見て、おそらくこれだと実感した。周辺を歩き回った限りではこれ以外に考えられない。ただ、岩穴の形が掲載写真と違っているように思われること、尾根上ではなく小谷の源頭部にあることなどから、今一つ確証が得られていない。
しかし、平坦な岩上に立つと、周辺の樹木が低ければ北東側の展望が得られただろうと推測できる。ルートから外れているため、周辺の樹木が伐採されていない限り通常では見付からないだろう。
こうして鷹子山へ何度か足を運んだおかげで新たなルートを開拓したので、報告したい。
(クリックで拡大)
呉ヶ畑から遠望
展望岩ルートは、ゲートを抜け、林道終点まで進み、第三堰堤の右急斜面の杉植林帯に取り付く。取付きの急斜面が苦手であれば、少しシダが被るが第二堰堤左の支尾根から取り付いた方が無難だろう。
ゲート
林道
第二堰堤
第三堰堤
尾根に出ると、雑木疎林を主体とした尾根道を山頂までたどる。切り開きの道が結構残っており、ヤブも薄い。
途中、展望岩や429mピーク付近で眺望が開ける。
展望岩
展望岩からの眺め
429mピークからの展望
雑木尾根
雑木尾根
山頂は北東側の眺望が少し開け、南側に華山もわずかに望める。
山頂
山頂北東方向の眺め
桃の木河内ルートは谷詰めのルートである。第三堰堤の右を越えて進むと、植林管理道のしっかりした踏み跡が谷沿いに付いている。途中倒木や伐採木で分かりずらい箇所もあるが、稜線直下まで続く。植林の緩い斜面をよじ登ると主稜線鞍部に達する。
植林管理道
植林管理道
植林管理道終端部
なお、林道脇にある「藤輪伊佐衛門碑」も「豊田の歴史と文化」に説明がある。江戸末期の人で、村人の惨状を見かねて直訴し、その後脱獄し熊本県星野村の寓居で死去したといったことが漢文で刻まれている。ドラマチックな人生を感じた。
藤輪伊佐衛門碑
■殿岩(?)へのルート
「殿岩」へは明確な踏み跡はない(もちろんテープ類もない)。したがって、何度か歩いた経験から言うと、展望岩ルートの途中からアプローチをかける方法が一番見付けやすいと思われる。
まず429mの展望ピークをめざし、ピークを下った鞍部から一旦東の支谷へ下る。谷の分岐に来たところで南へ小谷を遡る。小谷は比較的歩きやすい。ただし一つ東の小谷へ入り込まないよう注意が必要。谷が詰まると前方に大岩が現れる。殿岩の周辺はヒノキ樹林帯となっている。帰路は岩から西へトラバースすると、展望岩ルートに合流する。
なお、展望岩ルートから逆に東へ平行移動して探索するのは一見みやすそうだが、今のところ明瞭な道がないので、岩を見付けるのは難しいだろう。
殿岩への小谷
殿岩(前面)
殿岩(側面)
殿岩(上部)
■山名考
「桃の木河内」の名は『地下上申』にも出てくる。地元の初老の男性に尋ねたところ、「桃の木河内」「殿岩」のいずれもご存知なかった。
また、同書に「桃の木河内之頭」が旧村境の八道側の山名として出ている。鷹子側では「大だんの頭」、杢路子側では「出ヶ迫山頭」と呼ばれたようである。なお、現在これら三つの大字境は三角点山頂の東南にある570mピークであり、大字境が昔の旧村境と同じとすれば、このピークが「桃の木河内之頭」となる。また、鷹子集落側から見たピークは更に東にあたる580mピークとみられることから、こちらが本来の鷹子山かもしれない。もっとも、これら三つのピークを合わせて一つの山頂と考えられなくもない。