SSブログ

竹城山(平山星ノ城)・天守ヶ嶽・弥富茶臼山城(萩市上小川西分・弥富下) [県北部の山]

前回(4月6日)の敵陣ヶ嶽城に続き、北東に位置する竹城山をめざす。あわせて南の尾根伝いに天守ヶ嶽・弥富茶臼山城と縦走してみた。
竹城山は二十数年前に旧町境の尾根を直登したことがある。今回は『防長山野へのいざない第3集』でも紹介されている北東尾根から上がってみた。最後の急登と山頂部の竹ヤブを除けば歩きやすい。
縦走路では330m鞍部付近までは倒竹が続く。その後は部分的に灌木や竹ヤブがあるが長くはない。(2022.4.10)
IMG_9046吉見氏館跡付近から竹城山.JPG吉見氏館跡付近から竹城山
IMG_9007南麓から天守ヶ嶽.JPG南麓から天守ヶ嶽
IMG_9006弥富茶臼ヶ岳・森集落.JPG弥富茶臼山城・森集落
竹城山.jpeg (1,2クリックで拡大)

●駐車地~竹城山
千人塚1号溜池近くの「阿武東ふるさと農道」沿いに路肩駐車。100mほど平山方面へ下り、分岐で右の舗装道へ上がる。終点広場の下方は墓地となっている。
IMG_8848駐車地.JPG駐車地
IMG_8849駐車地付近から犬鳴山.JPG駐車地付近から犬鳴山
IMG_8850舗装道分岐.JPG舗装道分岐
IMG_8851舗装道.JPG舗装道
IMG_8852舗装道終点広場.JPG舗装道終点広場
IMG_8853墓地.JPG墓地

山頂方向はタケヤブのため敬遠し、舗装道を少し戻り、ササヤブが切れた道路法面の踏み跡を少し上がると、植林の下端部へ出る。
IMG_8857法面・踏み跡.JPG法面・踏み跡
IMG_8858植林北端.JPG植林下端

幅広い緩い植林境を登っていくと、まもなく植林が終わり雑木尾根に変わる。
IMG_8860植林境尾根.JPG植林境尾根
IMG_8861植林頂部.JPG植林頂部
IMG_8862雑木尾根.JPG雑木尾根
IMG_8864310m支尾根合流点.JPG310m支尾根合流点
IMG_8865雑木尾根.JPG雑木尾根
IMG_8866320m支尾根合流点.JPG320m支尾根合流点
IMG_8868タケ交じり雑木尾根・上り.JPGタケ交じり雑木尾根・上り
IMG_8869340m支尾根合流点.JPG340m支尾根合流点

最初は歩きやすいが、ロープが設置されているあたりから勾配がきつくなる。
標高390mあたりで右からの支尾根が合流する。旧町境の尾根で以前はこの尾根から上がった。
IMG_8871次第に勾配がきつくなる.JPG次第に勾配がきつくなる
IMG_8872ロープ.JPGロープ
IMG_8873急勾配.JPG急勾配
IMG_8875390m支尾根合流点.JPG390m支尾根合流点

明瞭な堀切跡を過ぎるとひと登りで平坦な山頂部へ出る。明らかに削平された山頂は竹がびっしりと密生し落ち着くところがない。周辺の展望も全く得られない。
やや開けた感じの左方向へ向かうとすぐに三等三角点「竹城」があった。
IMG_8876堀切.JPG堀切
IMG_8877堀切(横から).JPG堀切(横から)
IMG_8878山頂手前.JPG山頂手前
IMG_8879タケ・雑木が密生する平坦山頂.JPGタケ・雑木が密生する山頂
IMG_8884竹城山山頂.JPG山頂
IMG_8882三等三角点「竹城」.JPG三等三角点「竹城」

倒竹が邪魔をしてあまり歩きまわれないが、『田万川町史』と『山口県中世城館遺跡総合調査報告書―長門国編―』所載の縄張り図を参考に山頂部を少し踏査してみた。
主郭を南西端まで進み、少し手前から南へ下る幅広の坂道があったので、竹をよけながら斜面を下るとすぐ左手に石垣があった。
IMG_8885山頂部(主郭)の倒竹.JPG山頂部(主郭)の倒竹
IMG_8889主郭南西側.JPG主郭南西部
IMG_8892坂道.JPG坂道
IMG_8893坂道から上方.JPG坂道から後方を振り返る
IMG_8894石垣.JPG石垣

さらに坂道を下ると左に腰郭を見る。一つ上にも腰郭があるようだ。上記二書の縄張り図はほぼ同じ内容だが、腰郭は一段しかなく、坂道は図示されていない。
(帰宅して『城郭放浪記』の縄張り図を見てみると、二段の腰郭と坂道も記載されており、現状に近い感じがする。ひょっとしたら下の腰郭と坂道は後世に手が加わったものと判断され省略されたのかもしれない。)
IMG_8895坂道.JPG坂道
IMG_8898腰郭②.JPG腰郭②

●~391mピーク~天守ヶ嶽
城郭調査が主目的でないので、適当なところで切り上げて縦走にかかる。竹林斜面を左へトラバース気味に下ると主尾根に出て、標高380mの鞍部へ出る。
IMG_8899トラバース気味に下る.JPGトラバース気味に下る
IMG_8900380m鞍部.JPG380m鞍部
IMG_8901鞍部(横から).JPG鞍部(横から)

380m支尾根分岐点で右尾根へ下り、竹交じりの平坦尾根を進む。370m支尾根分岐で左尾根を下っていくと330m鞍部へ出る。このあたりでようやく竹から解放される。
IMG_8902380mピーク.JPG380m支尾根分岐点
IMG_8904倒竹.JPG倒竹
IMG_8905タケ交じり雑木平坦尾根.JPGタケ交じり雑木平坦尾根
IMG_8906平坦尾根.JPG平坦尾根
IMG_8909370m支尾根分岐点.JPG370m支尾根分岐点
IMG_8911タケ交じり雑木尾根.JPGタケ交じり雑木尾根・下り
IMG_8912330m鞍部.JPG330m鞍部

この先緩いアップダウンを繰り返しながら進む。360m支尾根合流点①から灌木がややうるさいが、360m支尾根合流点➁で北東方向の展望が少し開ける。
IMG_8913雑木尾根・上り.JPG雑木尾根・上り
IMG_8914350m支尾根合流点①.JPG350m支尾根合流点①
IMG_8915雑木尾根.JPG雑木尾根
IMG_8916コン杭.JPGコン杭
IMG_8917350m支尾根合流点➁.JPG350m支尾根合流点➁
IMG_8918340m鞍部.JPG340m鞍部
IMG_8919雑木尾根・上り.JPG雑木尾根・上り
IMG_8920360m支尾根合流点①.JPG360m支尾根合流点①
IMG_8921灌木尾根.JPG灌木尾根
IMG_8923360m支尾根合流点➁.JPG360m支尾根合流点➁
IMG_8924周鷹寺山~金比羅山.JPG周鷹寺山~金比羅山の山並み
IMG_8925神宮山方向.JPG神宮山方向

南西に方向を変えて灌木尾根を進み、いくつかの支尾根合流点で方向を確認しながら鞍部を登り返すと391mピークに着く。北東面の一部が植林境となっているが展望はない。『地下上申』弥富村隣村境目書の「大崩平山」がこの山にあたると思われる。
IMG_8927灌木尾根.JPG灌木尾根
IMG_8928370m支尾根合流点①.JPG370m支尾根合流点①
IMG_8929灌木尾根.JPG灌木尾根
IMG_8931370m支尾根合流点➁・植林頂部.JPG370m支尾根合流点➁・植林頂部
IMG_8932周鷹寺山~金比羅山.JPG周鷹寺山~金比羅山の展望
IMG_8934雑木尾根・下り.JPG雑木尾根・下り
IMG_8935370m鞍部.JPG370m鞍部
IMG_8936竹交じり雑木尾根・上り.JPG竹交じり雑木尾根・上り
IMG_8938391mピーク.JPG391mピーク

三角点のある天守ヶ嶽をめざし南下する。鞍部から左植林境を登っていくと標高350mの北ピークへ着く。
IMG_8939竹交じり雑木尾根・下り.JPG竹交じり雑木尾根・下り
IMG_8940雑木尾根・下り.JPG雑木尾根・下り
IMG_8942330m鞍部.JPG330m鞍部
IMG_8943植林境・上り.JPG植林境・上り
IMG_8945植林境・上り.JPG植林境・上り
IMG_8946350m支尾根合流点.JPG350m支尾根合流点(北ピーク)

植林境の平坦尾根を直進すると四等三角点「大堂」が座る天守ヶ嶽に着く。展望は樹林を通してわずかにある程度。『地下上申』では古城としているが、歩いた限りではそれらしき遺構は見当たらない。
なお『地下上申』によると天守ヶ嶽は弥富村側の呼び名で、上小川村では「鹿(しし?)遊び山」としている。
IMG_8948植林境.JPG植林境
IMG_8949天守ヶ嶽山頂.JPG天守ヶ嶽山頂
IMG_8950四等三角点「大堂」.JPG四等三角点「大堂」
IMG_8951樹間わずかな展望(南東方向).JPG樹間わずかな展望(南東方向)

●~弥富茶臼山城
ここで大字境(旧町境)は東へ向かう。南の雑木尾根も歩きやすそうだが、茶臼山城をめざすためここは一旦北ピークまで戻り、西雑木尾根へ下る。
IMG_8953南尾根.JPG南尾根方向
IMG_8947(西尾根)雑木平坦尾根・下り.JPG西の雑木平坦尾根・下り
IMG_8954雑木尾根・下り.JPG雑木尾根・下り
IMG_8955樹間に391mピーク.JPG樹間に391mピーク
IMG_8956雑木平坦尾根.JPG雑木平坦尾根

340m支尾根分岐点で南の雑木支尾根を下る。途中から竹交じり植林尾根となる。急勾配の尾根を下っていくと谷近くで明瞭な山道に出合う。
IMG_8957340m支尾根分岐点.JPG340m支尾根分岐点
IMG_8958雑木尾根・下り.JPG雑木尾根・下り
IMG_8959雑木尾根・下り.JPG雑木尾根・下り
IMG_8960竹交じり植林尾根・急な下り.JPG竹交じり植林尾根・急な下り
IMG_8961逆方向.JPG逆方向

道は麓へ通じていると思われる。ここは右折し鞍部に出る。
IMG_8962山道出合い(左方向).JPG山道出合い(左方向)
IMG_8963山道(右方向).JPG3山道(右方向)
IMG_8964240m鞍部.JPG240m鞍部

左折し平坦地を進むとすぐに墓地と出合う。上方の斜面も数段の墓地となっている。墓地が終わるところで右の斜面を上がり、尾根へ出る。
IMG_8967墓地跡.JPG墓地跡
IMG_8966尾根へ向かう.JPG墓地左端の斜面を上がる

左折し尾根上を進むとすぐに植林境となり、まもなく260mピーク①へ出る。
IMG_8968植林境.JPG植林境
IMG_8969260mピーク①.JPG260mピーク①

260m➁、③小ピークを越え平坦雑木尾根を進むと、堀切を見る。
IMG_8971雑木平坦鞍部.JPG雑木平坦鞍部
IMG_8972雑木尾根・上り.JPG雑木尾根・上り
IMG_8973260mピーク②.JPG260mピーク②
IMG_8974260mピーク③.JPG260mピーク③
IMG_8975雑木尾根・下り.JPG雑木尾根・下り
IMG_8977雑木平坦鞍部.JPG雑木平坦鞍部
IMG_8978雑木平坦鞍部.JPG雑木平坦鞍部
IMG_8979堀切(北側).JPG堀切(北側)
IMG_8980堀切(横から).JPG堀切(横から)

すぐ上にも三角の削平地があり、急な斜面を登ると削平された狭い茶臼山城の山頂に出る。樹木に囲まれ展望はよくない。この城跡も『山口県中世城館遺跡総合調査報告書―長門国編―』の縄張り図が参考になる。
山頂直下の南尾根にも堀切が認められる。
IMG_8981主郭手前の小曲輪.JPG主郭手前の小曲輪
IMG_8982茶臼山城主郭.JPG茶臼山城山頂(主郭)
IMG_8983逆方向.JPG山頂(逆方向)
IMG_8985南尾根.JPG南尾根
IMG_8986堀切(南側)・横から.JPG堀切(南側)・横から

●~吉見阿波守墓所~吉見氏館跡~駐車地
帰路は南の雑木尾根をそのまま下る。途中でTV共同アンテナ跡を過ごし竹林を下っていくと民家裏の農耕地に出る。
IMG_8987雑木平坦尾根.JPG雑木平坦尾根
IMG_8988260m支尾根分岐点.JPG260m支尾根分岐点
IMG_8989雑木尾根.JPG雑木尾根
IMG_8992TV共同アンテナ跡.JPGTV共同アンテナ跡
IMG_8993竹交じり・アンテナケーブル.JPG竹交じり・アンテナケーブル
IMG_8994タケ.JPG竹林
IMG_8995古墓.JPG古墓
IMG_8996下降地点(逆方向).JPG下降地点(逆方向)

舗装道に出て左折し、本日縦走した山の麓を反時計回りに歩いて戻る。
途中林道に入り、墓地のある240m鞍部から南谷へ下っていた山道とつながるか確認してみた。
IMG_9001舗装道出合い(逆方向).JPG舗装道出合い(逆方向)
IMG_8998鎌ヶ山.JPG鎌ヶ山
IMG_9002猿田彦大神.JPG猿田彦大神
IMG_9004小社.JPG小社
IMG_9009林道(逆方向).JPG林道(逆方向)
IMG_9008林道終点・山道.JPG林道終点・山道
IMG_9012小社.JPG小社(林道途中の民家敷地内)
IMG_9014蒲原より天守ヶ嶽.JPG蒲原より天守ヶ嶽
IMG_9015峠(旧町境).JPG大道垰
IMG_9017坑穴.JPG坑穴?
IMG_9021平田氏頌徳碑.JPG平田氏頌徳碑
IMG_9022南東から竹城山.JPG南東から竹城山
IMG_9023「花畠テラス」.JPG「花畠テラス」(個人所有の東屋?)

平山集落に入り、『田万川町史』の平山城跡案内図に表示のある「吉見阿波守墓地」と「吉見氏館跡」を訪ねてみた。
吉見阿波守は平山城主であった吉見頼員と伝えられている。

吉見阿波守の墓は、民家横の道を奥へ進むと一般墓があり、その右奥に「星ノ城由来」石碑が建つ。
IMG_9025民家横の舗装道・竹城山.JPG民家横の舗装道に入る・竹城山(後方)
IMG_9026草付きの道.JPG草付きの道
IMG_9027植林沿い.JPG植林沿い
IMG_9028星ノ城由来碑(右端).JPG星ノ城由来碑(墓の後方)
IMG_9029星ノ城由来碑.JPG星ノ城由来碑

石碑の右から斜面を尾根へ向かって上がると尾根上にある。(町史で示された位置より少し下方にあった。)石垣が組まれ墓に刻銘はない。そばに手水鉢と思われる穴のあいた丸岩がある。竹林の斜面を下っていくと民家裏に出た。
IMG_9030段状斜面.JPG段状斜面
IMG_9032雑木尾根へ出る.JPG雑木尾根上へ出る
IMG_9035吉見阿波守の墓.JPG吉見阿波守の墓
IMG_9037墓(拡大).JPG墓(拡大)
IMG_9036手水鉢?.JPG手水鉢?
IMG_9038竹林斜面.JPG竹林斜面

館跡も町史の案内図の位置を目安に探す。舗装道をたどり民家横から幅広農道を進むと、右手の少し小高くなったところがその場所のようだ。現在はヒノキ植林の平坦地となっていて特に館跡を示すものは見当たらない。
農道を隔てた南西側に民家跡と思われる石垣に囲まれた平坦地があり、こちらの方が館跡の趣がある。
IMG_9040広域農道ガード下.JPG広域農道ガード下を抜ける
IMG_9041民家前の幅広農道へ.JPG民家前の幅広農道へ進む
IMG_9047吉見氏館跡?(下方から).JPG吉見氏館跡?(下方から)
IMG_9044吉見氏館跡?.JPG館跡?
IMG_9045吉見氏館跡?(逆方向).JPG逆方向から

■古城について
『地下上申』弥富村の項に簡単な記載がある。

・平山ノ古城
  但星ノ要害城主吉見安房守居城と申伝候事
  (注)ほかに『風土注進案』弥富村および小川村の項には、やや詳細な記載がある。
・天守か嶽
  但先年平山居城之時分、此の山之岡に天守有之候故、今以天守か嶽と申伝候事
・茶臼山ノ古城
  但平山居城之時分、此山出城之由申伝、尤馬場と申候て長広所此岡に有之候事

■吉見阿波守墓について
『風土注進案』に次の記載がある。

但平山村前にいふ所の木戸屋敷田村左内と申もの抱の内に有之、高サ四尺餘横幅貳尺三角形にして中厚サ壹尺貳寸位上下細き石にて臺石埋れ見え不申、法名俗名年月日等無之、石垣形横壹丈入七尺位眞中に右の石墳御座候、往古より阿波守墓と申傳候、里説に云(以下略)
コメント(0)