竹城山(平山星ノ城)・天守ヶ嶽・弥富茶臼山城(萩市上小川西分・弥富下) [県北部の山]
前回(4月6日)の敵陣ヶ嶽城に続き、北東に位置する竹城山をめざす。あわせて南の尾根伝いに天守ヶ嶽・弥富茶臼山城と縦走してみた。
竹城山は二十数年前に旧町境の尾根を直登したことがある。今回は『防長山野へのいざない第3集』でも紹介されている北東尾根から上がってみた。最後の急登と山頂部の竹ヤブを除けば歩きやすい。
縦走路では330m鞍部付近までは倒竹が続く。その後は部分的に灌木や竹ヤブがあるが長くはない。(2022.4.10)
吉見氏館跡付近から竹城山
南麓から天守ヶ嶽
弥富茶臼山城・森集落
(1,2クリックで拡大)
●駐車地~竹城山
千人塚1号溜池近くの「阿武東ふるさと農道」沿いに路肩駐車。100mほど平山方面へ下り、分岐で右の舗装道へ上がる。終点広場の下方は墓地となっている。
駐車地
駐車地付近から犬鳴山
舗装道分岐
舗装道
舗装道終点広場
墓地
山頂方向はタケヤブのため敬遠し、舗装道を少し戻り、ササヤブが切れた道路法面の踏み跡を少し上がると、植林の下端部へ出る。
法面・踏み跡
植林下端
幅広い緩い植林境を登っていくと、まもなく植林が終わり雑木尾根に変わる。
植林境尾根
植林頂部
雑木尾根
310m支尾根合流点
雑木尾根
320m支尾根合流点
タケ交じり雑木尾根・上り
340m支尾根合流点
最初は歩きやすいが、ロープが設置されているあたりから勾配がきつくなる。
標高390mあたりで右からの支尾根が合流する。旧町境の尾根で以前はこの尾根から上がった。
次第に勾配がきつくなる
ロープ
急勾配
390m支尾根合流点
明瞭な堀切跡を過ぎるとひと登りで平坦な山頂部へ出る。明らかに削平された山頂は竹がびっしりと密生し落ち着くところがない。周辺の展望も全く得られない。
やや開けた感じの左方向へ向かうとすぐに三等三角点「竹城」があった。
堀切
堀切(横から)
山頂手前
タケ・雑木が密生する山頂
山頂
三等三角点「竹城」
倒竹が邪魔をしてあまり歩きまわれないが、『田万川町史』と『山口県中世城館遺跡総合調査報告書―長門国編―』所載の縄張り図を参考に山頂部を少し踏査してみた。
主郭を南西端まで進み、少し手前から南へ下る幅広の坂道があったので、竹をよけながら斜面を下るとすぐ左手に石垣があった。
山頂部(主郭)の倒竹
主郭南西部
坂道
坂道から後方を振り返る
石垣
さらに坂道を下ると左に腰郭を見る。一つ上にも腰郭があるようだ。上記二書の縄張り図はほぼ同じ内容だが、腰郭は一段しかなく、坂道は図示されていない。
(帰宅して『城郭放浪記』の縄張り図を見てみると、二段の腰郭と坂道も記載されており、現状に近い感じがする。ひょっとしたら下の腰郭と坂道は後世に手が加わったものと判断され省略されたのかもしれない。)
坂道
腰郭②
●~391mピーク~天守ヶ嶽
城郭調査が主目的でないので、適当なところで切り上げて縦走にかかる。竹林斜面を左へトラバース気味に下ると主尾根に出て、標高380mの鞍部へ出る。
トラバース気味に下る
380m鞍部
鞍部(横から)
380m支尾根分岐点で右尾根へ下り、竹交じりの平坦尾根を進む。370m支尾根分岐で左尾根を下っていくと330m鞍部へ出る。このあたりでようやく竹から解放される。
380m支尾根分岐点
倒竹
タケ交じり雑木平坦尾根
平坦尾根
370m支尾根分岐点
タケ交じり雑木尾根・下り
330m鞍部
この先緩いアップダウンを繰り返しながら進む。360m支尾根合流点①から灌木がややうるさいが、360m支尾根合流点➁で北東方向の展望が少し開ける。
雑木尾根・上り
350m支尾根合流点①
雑木尾根
コン杭
350m支尾根合流点➁
340m鞍部
雑木尾根・上り
360m支尾根合流点①
灌木尾根
360m支尾根合流点➁
周鷹寺山~金比羅山の山並み
神宮山方向
南西に方向を変えて灌木尾根を進み、いくつかの支尾根合流点で方向を確認しながら鞍部を登り返すと391mピークに着く。北東面の一部が植林境となっているが展望はない。『地下上申』弥富村隣村境目書の「大崩平山」がこの山にあたると思われる。
灌木尾根
370m支尾根合流点①
灌木尾根
370m支尾根合流点➁・植林頂部
周鷹寺山~金比羅山の展望
雑木尾根・下り
370m鞍部
竹交じり雑木尾根・上り
391mピーク
三角点のある天守ヶ嶽をめざし南下する。鞍部から左植林境を登っていくと標高350mの北ピークへ着く。
竹交じり雑木尾根・下り
雑木尾根・下り
330m鞍部
植林境・上り
植林境・上り
350m支尾根合流点(北ピーク)
植林境の平坦尾根を直進すると四等三角点「大堂」が座る天守ヶ嶽に着く。展望は樹林を通してわずかにある程度。『地下上申』では古城としているが、歩いた限りではそれらしき遺構は見当たらない。
なお『地下上申』によると天守ヶ嶽は弥富村側の呼び名で、上小川村では「鹿(しし?)遊び山」としている。
植林境
天守ヶ嶽山頂
四等三角点「大堂」
樹間わずかな展望(南東方向)
●~弥富茶臼山城
ここで大字境(旧町境)は東へ向かう。南の雑木尾根も歩きやすそうだが、茶臼山城をめざすためここは一旦北ピークまで戻り、西雑木尾根へ下る。
南尾根方向
西の雑木平坦尾根・下り
雑木尾根・下り
樹間に391mピーク
雑木平坦尾根
340m支尾根分岐点で南の雑木支尾根を下る。途中から竹交じり植林尾根となる。急勾配の尾根を下っていくと谷近くで明瞭な山道に出合う。
340m支尾根分岐点
雑木尾根・下り
雑木尾根・下り
竹交じり植林尾根・急な下り
逆方向
道は麓へ通じていると思われる。ここは右折し鞍部に出る。
山道出合い(左方向)
3山道(右方向)
240m鞍部
左折し平坦地を進むとすぐに墓地と出合う。上方の斜面も数段の墓地となっている。墓地が終わるところで右の斜面を上がり、尾根へ出る。
墓地跡
墓地左端の斜面を上がる
左折し尾根上を進むとすぐに植林境となり、まもなく260mピーク①へ出る。
植林境
260mピーク①
260m➁、③小ピークを越え平坦雑木尾根を進むと、堀切を見る。
雑木平坦鞍部
雑木尾根・上り
260mピーク②
260mピーク③
雑木尾根・下り
雑木平坦鞍部
雑木平坦鞍部
堀切(北側)
堀切(横から)
すぐ上にも三角の削平地があり、急な斜面を登ると削平された狭い茶臼山城の山頂に出る。樹木に囲まれ展望はよくない。この城跡も『山口県中世城館遺跡総合調査報告書―長門国編―』の縄張り図が参考になる。
山頂直下の南尾根にも堀切が認められる。
主郭手前の小曲輪
茶臼山城山頂(主郭)
山頂(逆方向)
南尾根
堀切(南側)・横から
●~吉見阿波守墓所~吉見氏館跡~駐車地
帰路は南の雑木尾根をそのまま下る。途中でTV共同アンテナ跡を過ごし竹林を下っていくと民家裏の農耕地に出る。
雑木平坦尾根
260m支尾根分岐点
雑木尾根
TV共同アンテナ跡
竹交じり・アンテナケーブル
竹林
古墓
下降地点(逆方向)
舗装道に出て左折し、本日縦走した山の麓を反時計回りに歩いて戻る。
途中林道に入り、墓地のある240m鞍部から南谷へ下っていた山道とつながるか確認してみた。
舗装道出合い(逆方向)
鎌ヶ山
猿田彦大神
小社
林道(逆方向)
林道終点・山道
小社(林道途中の民家敷地内)
蒲原より天守ヶ嶽
大道垰
坑穴?
平田氏頌徳碑
南東から竹城山
「花畠テラス」(個人所有の東屋?)
平山集落に入り、『田万川町史』の平山城跡案内図に表示のある「吉見阿波守墓地」と「吉見氏館跡」を訪ねてみた。
吉見阿波守は平山城主であった吉見頼員と伝えられている。
吉見阿波守の墓は、民家横の道を奥へ進むと一般墓があり、その右奥に「星ノ城由来」石碑が建つ。
民家横の舗装道に入る・竹城山(後方)
草付きの道
植林沿い
星ノ城由来碑(墓の後方)
星ノ城由来碑
石碑の右から斜面を尾根へ向かって上がると尾根上にある。(町史で示された位置より少し下方にあった。)石垣が組まれ墓に刻銘はない。そばに手水鉢と思われる穴のあいた丸岩がある。竹林の斜面を下っていくと民家裏に出た。
段状斜面
雑木尾根上へ出る
吉見阿波守の墓
墓(拡大)
手水鉢?
竹林斜面
館跡も町史の案内図の位置を目安に探す。舗装道をたどり民家横から幅広農道を進むと、右手の少し小高くなったところがその場所のようだ。現在はヒノキ植林の平坦地となっていて特に館跡を示すものは見当たらない。
農道を隔てた南西側に民家跡と思われる石垣に囲まれた平坦地があり、こちらの方が館跡の趣がある。
広域農道ガード下を抜ける
民家前の幅広農道へ進む
吉見氏館跡?(下方から)
館跡?
逆方向から
■古城について
『地下上申』弥富村の項に簡単な記載がある。
・平山ノ古城
但星ノ要害城主吉見安房守居城と申伝候事
(注)ほかに『風土注進案』弥富村および小川村の項には、やや詳細な記載がある。
・天守か嶽
但先年平山居城之時分、此の山之岡に天守有之候故、今以天守か嶽と申伝候事
・茶臼山ノ古城
但平山居城之時分、此山出城之由申伝、尤馬場と申候て長広所此岡に有之候事
■吉見阿波守墓について
『風土注進案』に次の記載がある。
但平山村前にいふ所の木戸屋敷田村左内と申もの抱の内に有之、高サ四尺餘横幅貳尺三角形にして中厚サ壹尺貳寸位上下細き石にて臺石埋れ見え不申、法名俗名年月日等無之、石垣形横壹丈入七尺位眞中に右の石墳御座候、往古より阿波守墓と申傳候、里説に云(以下略)
竹城山は二十数年前に旧町境の尾根を直登したことがある。今回は『防長山野へのいざない第3集』でも紹介されている北東尾根から上がってみた。最後の急登と山頂部の竹ヤブを除けば歩きやすい。
縦走路では330m鞍部付近までは倒竹が続く。その後は部分的に灌木や竹ヤブがあるが長くはない。(2022.4.10)
吉見氏館跡付近から竹城山
南麓から天守ヶ嶽
弥富茶臼山城・森集落
(1,2クリックで拡大)
●駐車地~竹城山
千人塚1号溜池近くの「阿武東ふるさと農道」沿いに路肩駐車。100mほど平山方面へ下り、分岐で右の舗装道へ上がる。終点広場の下方は墓地となっている。
駐車地
駐車地付近から犬鳴山
舗装道分岐
舗装道
舗装道終点広場
墓地
山頂方向はタケヤブのため敬遠し、舗装道を少し戻り、ササヤブが切れた道路法面の踏み跡を少し上がると、植林の下端部へ出る。
法面・踏み跡
植林下端
幅広い緩い植林境を登っていくと、まもなく植林が終わり雑木尾根に変わる。
植林境尾根
植林頂部
雑木尾根
310m支尾根合流点
雑木尾根
320m支尾根合流点
タケ交じり雑木尾根・上り
340m支尾根合流点
最初は歩きやすいが、ロープが設置されているあたりから勾配がきつくなる。
標高390mあたりで右からの支尾根が合流する。旧町境の尾根で以前はこの尾根から上がった。
次第に勾配がきつくなる
ロープ
急勾配
390m支尾根合流点
明瞭な堀切跡を過ぎるとひと登りで平坦な山頂部へ出る。明らかに削平された山頂は竹がびっしりと密生し落ち着くところがない。周辺の展望も全く得られない。
やや開けた感じの左方向へ向かうとすぐに三等三角点「竹城」があった。
堀切
堀切(横から)
山頂手前
タケ・雑木が密生する山頂
山頂
三等三角点「竹城」
倒竹が邪魔をしてあまり歩きまわれないが、『田万川町史』と『山口県中世城館遺跡総合調査報告書―長門国編―』所載の縄張り図を参考に山頂部を少し踏査してみた。
主郭を南西端まで進み、少し手前から南へ下る幅広の坂道があったので、竹をよけながら斜面を下るとすぐ左手に石垣があった。
山頂部(主郭)の倒竹
主郭南西部
坂道
坂道から後方を振り返る
石垣
さらに坂道を下ると左に腰郭を見る。一つ上にも腰郭があるようだ。上記二書の縄張り図はほぼ同じ内容だが、腰郭は一段しかなく、坂道は図示されていない。
(帰宅して『城郭放浪記』の縄張り図を見てみると、二段の腰郭と坂道も記載されており、現状に近い感じがする。ひょっとしたら下の腰郭と坂道は後世に手が加わったものと判断され省略されたのかもしれない。)
坂道
腰郭②
●~391mピーク~天守ヶ嶽
城郭調査が主目的でないので、適当なところで切り上げて縦走にかかる。竹林斜面を左へトラバース気味に下ると主尾根に出て、標高380mの鞍部へ出る。
トラバース気味に下る
380m鞍部
鞍部(横から)
380m支尾根分岐点で右尾根へ下り、竹交じりの平坦尾根を進む。370m支尾根分岐で左尾根を下っていくと330m鞍部へ出る。このあたりでようやく竹から解放される。
380m支尾根分岐点
倒竹
タケ交じり雑木平坦尾根
平坦尾根
370m支尾根分岐点
タケ交じり雑木尾根・下り
330m鞍部
この先緩いアップダウンを繰り返しながら進む。360m支尾根合流点①から灌木がややうるさいが、360m支尾根合流点➁で北東方向の展望が少し開ける。
雑木尾根・上り
350m支尾根合流点①
雑木尾根
コン杭
350m支尾根合流点➁
340m鞍部
雑木尾根・上り
360m支尾根合流点①
灌木尾根
360m支尾根合流点➁
周鷹寺山~金比羅山の山並み
神宮山方向
南西に方向を変えて灌木尾根を進み、いくつかの支尾根合流点で方向を確認しながら鞍部を登り返すと391mピークに着く。北東面の一部が植林境となっているが展望はない。『地下上申』弥富村隣村境目書の「大崩平山」がこの山にあたると思われる。
灌木尾根
370m支尾根合流点①
灌木尾根
370m支尾根合流点➁・植林頂部
周鷹寺山~金比羅山の展望
雑木尾根・下り
370m鞍部
竹交じり雑木尾根・上り
391mピーク
三角点のある天守ヶ嶽をめざし南下する。鞍部から左植林境を登っていくと標高350mの北ピークへ着く。
竹交じり雑木尾根・下り
雑木尾根・下り
330m鞍部
植林境・上り
植林境・上り
350m支尾根合流点(北ピーク)
植林境の平坦尾根を直進すると四等三角点「大堂」が座る天守ヶ嶽に着く。展望は樹林を通してわずかにある程度。『地下上申』では古城としているが、歩いた限りではそれらしき遺構は見当たらない。
なお『地下上申』によると天守ヶ嶽は弥富村側の呼び名で、上小川村では「鹿(しし?)遊び山」としている。
植林境
天守ヶ嶽山頂
四等三角点「大堂」
樹間わずかな展望(南東方向)
●~弥富茶臼山城
ここで大字境(旧町境)は東へ向かう。南の雑木尾根も歩きやすそうだが、茶臼山城をめざすためここは一旦北ピークまで戻り、西雑木尾根へ下る。
南尾根方向
西の雑木平坦尾根・下り
雑木尾根・下り
樹間に391mピーク
雑木平坦尾根
340m支尾根分岐点で南の雑木支尾根を下る。途中から竹交じり植林尾根となる。急勾配の尾根を下っていくと谷近くで明瞭な山道に出合う。
340m支尾根分岐点
雑木尾根・下り
雑木尾根・下り
竹交じり植林尾根・急な下り
逆方向
道は麓へ通じていると思われる。ここは右折し鞍部に出る。
山道出合い(左方向)
3山道(右方向)
240m鞍部
左折し平坦地を進むとすぐに墓地と出合う。上方の斜面も数段の墓地となっている。墓地が終わるところで右の斜面を上がり、尾根へ出る。
墓地跡
墓地左端の斜面を上がる
左折し尾根上を進むとすぐに植林境となり、まもなく260mピーク①へ出る。
植林境
260mピーク①
260m➁、③小ピークを越え平坦雑木尾根を進むと、堀切を見る。
雑木平坦鞍部
雑木尾根・上り
260mピーク②
260mピーク③
雑木尾根・下り
雑木平坦鞍部
雑木平坦鞍部
堀切(北側)
堀切(横から)
すぐ上にも三角の削平地があり、急な斜面を登ると削平された狭い茶臼山城の山頂に出る。樹木に囲まれ展望はよくない。この城跡も『山口県中世城館遺跡総合調査報告書―長門国編―』の縄張り図が参考になる。
山頂直下の南尾根にも堀切が認められる。
主郭手前の小曲輪
茶臼山城山頂(主郭)
山頂(逆方向)
南尾根
堀切(南側)・横から
●~吉見阿波守墓所~吉見氏館跡~駐車地
帰路は南の雑木尾根をそのまま下る。途中でTV共同アンテナ跡を過ごし竹林を下っていくと民家裏の農耕地に出る。
雑木平坦尾根
260m支尾根分岐点
雑木尾根
TV共同アンテナ跡
竹交じり・アンテナケーブル
竹林
古墓
下降地点(逆方向)
舗装道に出て左折し、本日縦走した山の麓を反時計回りに歩いて戻る。
途中林道に入り、墓地のある240m鞍部から南谷へ下っていた山道とつながるか確認してみた。
舗装道出合い(逆方向)
鎌ヶ山
猿田彦大神
小社
林道(逆方向)
林道終点・山道
小社(林道途中の民家敷地内)
蒲原より天守ヶ嶽
大道垰
坑穴?
平田氏頌徳碑
南東から竹城山
「花畠テラス」(個人所有の東屋?)
平山集落に入り、『田万川町史』の平山城跡案内図に表示のある「吉見阿波守墓地」と「吉見氏館跡」を訪ねてみた。
吉見阿波守は平山城主であった吉見頼員と伝えられている。
吉見阿波守の墓は、民家横の道を奥へ進むと一般墓があり、その右奥に「星ノ城由来」石碑が建つ。
民家横の舗装道に入る・竹城山(後方)
草付きの道
植林沿い
星ノ城由来碑(墓の後方)
星ノ城由来碑
石碑の右から斜面を尾根へ向かって上がると尾根上にある。(町史で示された位置より少し下方にあった。)石垣が組まれ墓に刻銘はない。そばに手水鉢と思われる穴のあいた丸岩がある。竹林の斜面を下っていくと民家裏に出た。
段状斜面
雑木尾根上へ出る
吉見阿波守の墓
墓(拡大)
手水鉢?
竹林斜面
館跡も町史の案内図の位置を目安に探す。舗装道をたどり民家横から幅広農道を進むと、右手の少し小高くなったところがその場所のようだ。現在はヒノキ植林の平坦地となっていて特に館跡を示すものは見当たらない。
農道を隔てた南西側に民家跡と思われる石垣に囲まれた平坦地があり、こちらの方が館跡の趣がある。
広域農道ガード下を抜ける
民家前の幅広農道へ進む
吉見氏館跡?(下方から)
館跡?
逆方向から
■古城について
『地下上申』弥富村の項に簡単な記載がある。
・平山ノ古城
但星ノ要害城主吉見安房守居城と申伝候事
(注)ほかに『風土注進案』弥富村および小川村の項には、やや詳細な記載がある。
・天守か嶽
但先年平山居城之時分、此の山之岡に天守有之候故、今以天守か嶽と申伝候事
・茶臼山ノ古城
但平山居城之時分、此山出城之由申伝、尤馬場と申候て長広所此岡に有之候事
■吉見阿波守墓について
『風土注進案』に次の記載がある。
但平山村前にいふ所の木戸屋敷田村左内と申もの抱の内に有之、高サ四尺餘横幅貳尺三角形にして中厚サ壹尺貳寸位上下細き石にて臺石埋れ見え不申、法名俗名年月日等無之、石垣形横壹丈入七尺位眞中に右の石墳御座候、往古より阿波守墓と申傳候、里説に云(以下略)
2022-04-13 23:08
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