鎌ヶ山・千疋城・遠田城(萩市弥富下・上小川西分) [県北部の山]
前回に続き弥富近辺の山城跡を歩いた。鎌ヶ山と千疋城跡は植林境が多く思ったよりも楽に歩けたが、両山とも下降時にやや手こずった。遠田(とおだ)城跡は山頂の金毘羅社への参道が利用できる。(2022.4.16)
及谷から鎌ヶ山
(1,2クリックで拡大)
●駐車地~鎌ヶ山
大野集落の西端、県道124号(津和野須佐線)沿いに広い路肩スペースがある。集落道に入るとすぐ左に舗装林道が分かれるのでこれを上がる。
駐車地
舗装道分岐
舗装林道に入る
林道
「竣功記念碑」のある林道終点に着く。奥のササを少し分けて入り、コンクリート水路に架けられた小さな丸木橋を渡る。(谷沿いの踏み跡をたどると小さな貯水槽があり、踏み跡は不明瞭となる)
林道終点
竣功記念碑
朽ちかけた丸木橋
スギ植林谷
貯水槽
右手の植林境尾根を急登すると、大字境で旧町境の標高270mの主尾根上に出る。(二十数年前にグループで歩いたときは東の林道から直接旧町境を上がった。)
植林境となっており右の斜面は伐採後に灌木ヤブ化したようだ。
植林境
植林境
270m支尾根合流点
植林境を少し登ると東面の展望が開け、島根県境あたりの山並みが望める。
植林境
280m支尾根合流点
365mピーク
東方向の展望(左端は神宮山)
シダ鞍部を左によけながら雑木尾根を登り返す。切り開きが残り歩きやすい。
平坦尾根
シダ鞍部
雑木尾根・上り
290m支尾根合流点
雑木平坦尾根
290m鞍部からやや急な植林境をひたすら登ると410m支尾根合流点に出る。
290m鞍部
植林境・上り
植林境・上り
410m支尾根合流点
緩やかな植林境を進むと三等三角点「鎌山」がポツンとある。明確な城跡らしきものは見当たらない。
植林境
わずかなへこみ①
420m支尾根合流点
わずかなへこみ②
鎌ヶ山山頂
三等三角点「鎌山」
●~林道恵知ヶ迫線
緩やかな植林境をそのまま西へ下る。390m支尾根分岐点で植林が終わるが、『城郭放浪記』で縄張り図が描いてある二つの400mピークまで足を延ばしてみた。ピーク上は削平されたような感じだがここでもほかに城郭遺構らしきものは確認できない。
植林境・下り
植林境・灌木
410m支尾根分岐点①・黄ポール(倒)
植林境・下り
鞍部
410mピーク②
植林境・下り
390m支尾根分岐点
雑木尾根・下り
400mピーク①
樹間展望
樹間展望
雑木尾根・下り
400mピーク②
樹間展望
『城郭放浪記』掲載のルート図では400mピーク①から北東の雑木尾根を下っているが、390m支尾根分岐点まで戻り、植林境尾根を下ることにする。標高差40mほど下ると右に「公社造林紙屋事業地」看板があるところで植林が終わる。
植林境・下り
植林境終端部
「公社造林」看板
仕方なくそのままヤブ気味の雑木尾根を下るとふたたび植林に出合う。
ここでこの尾根を捨て左の尾根へ移り、結局放浪記のルートに出た。
雑木疎林尾根・下り
植林出合い
左尾根へ移る
左植林尾根出合い
背丈状に伸びた灌木がややうるさい植林尾根を下る。
植林尾根・下り
植林尾根・下り
280m鞍部で右の谷へ下りてみた。炭焼窯跡まで下ったが谷がヤブぽい感じだったので、尾根へ戻り、植林尾根をさらに下る。
280m鞍部
右谷
炭焼窯跡
植林境・下り
植林境・下り
勾配がきつくなり、林道法面上に出る不安があったので、途中から植林斜面を右へトラバースしながら下っていくと竹が現れ、少し下るとちょうど舗装林道のカーブ地点へ出た。
右斜面をトラバース
竹が交じる
舗装林道下降手前
林道下降地点
林道下降地点(後方から)
●~356mピーク(見張台跡)
続いて千疋城をめざす。舗装林道を谷を回り込むように東へ200mほど上がり、植林尾根に取り付く。
駐車可能スペース
取り付き
灌木が茂る道路法面境を登っていくと290mピーク①の一角に出る。
植林・灌木、上り
290mピークの一角に出る
シダがやや茂る植林斜面をトラバースしながら鞍部に出て登り返すと、290mピーク②へ着く。
シダ斜面をトラバース
植林鞍部
290mピーク②
赤ポールを見て下るとアオキの茂る鞍部へ出る。アオキヤブを登るとまもなく雑木尾根に変わる。尾根筋が不明瞭な斜面を登り切ると、330m支尾根合流点①近くに出る。前面はヒノキ植林帯となっている。
進行方向に赤ポール
植林尾根・下り
アオキ・鞍部
アオキヤブ・上り
雑木尾根・上り
雑木尾根・上り
ヌタ場
330m支尾根合流点①・植林境
東の356mピークをめざし、植林境尾根を右へ向かう。二つ鞍部を登り返すと左に大岩を見る。さらに登ると356mピークへ着く。狭いピークで、『田万川町史』によると見張り台(櫓)があったという。現在は樹木に遮られ展望はきかない。
植林境・下り
植林境・上り
330m支尾根合流点
植林境・下り
鞍部
大岩
植林境・上り
356mピーク(見張台跡)
●~367mピーク(千疋城跡)
ここで引き返し、367mピークをめざす。330m支尾根合流点①まで戻り、さらに緩やかな植林境をたどる。
植林境・上り
330mピーク②
植林境・下り
340m支尾根合流点
植林境・平坦尾根
植林境
340m鞍部を登り返し350m、360m支尾根合流点を過ごすと、山頂手前の鞍部が緩い堀切状となっている。
340m鞍部
鞍部(横から)
植林境・上り
350m支尾根合流点
360m支尾根合流点
堀切?
横から
少し登ると367mピークの千疋城跡に着く。山頂は狭く中央に直径2m程度の穴がある。
樹木に囲まれ展望はすぐれない。
367ピーク・千疋城
山頂の穴
●~△澄田~林道恵知ヶ迫線
帰路は西の植林境尾根へ下る。320m支尾根分岐点で北へ方向を変えて下り。鞍部を登ると320mピークに着く。
西尾根方向
植林境・下り
植林境・下り
320m支尾根分岐点
植林境・下り
植林境・鞍部
320mピーク
西方向の植林境を下るとすぐテレビ共同アンテナ跡を見る。急に明瞭な踏み跡が現れる。
鞍部を登り返すと四等三角点「澄田」のあるピークに着く。
TV共同アンテナ跡
明瞭な踏み跡
雑木尾根・下り
鞍部
雑木尾根・上り
四等三角点「澄田」ピーク
ここで踏み跡が不明瞭となるので、西の雑木尾根を下ってみる。途中から竹が現れ不安になるが、ヤブはそれほどひどくはない。急な斜面を下ると平坦地に出る。ヤブを少しわけると舗装林道に降り立つ。そばに小さな集水桝がある。
雑木尾根
雑木尾根
竹交じり
竹交じり
平坦地へ出る
舗装林道下降地点手前
下降地点
少し南東に広い路肩スペースがあり、山側に道が付いていたのでたどってみると墓地で消失した。上方は竹林となっている。
(注)帰宅して四等三角点「澄田」の「点の記」を見たら、四等三角点ピークから南北に破線道が記されており、南側の破線道は墓地に通じていた。墓地側の道は消失しているようなので、三角点から北側の尾根に踏み跡等が見つかる可能性はある。
広い路肩スペース
墓地
●~梅ノ木トンネル~及谷公会堂(登山口)~遠田城~駐車地
林道から旧道を通り、県道に出て梅ノ木トンネルを歩く。トンネル内を歩くのは憚れるが案外と明るく、通行量もある。
林道起点から三角点ピーク方向
古墓
梅ノ木トンネル
トンネル内
弥富支所などがある新市の町並みに入ると、対岸に遠田城跡の三角形の山容が間近に見える。これも二十数年前にグループで歩いた山だが全く記憶から消えている。
遠田城
及谷橋を渡り及谷集落に入る。公会堂の手前から舗装道が山側へ鋭角に分かれるので、これに取り付く。緩い坂道を登り切ったカーブのところから水路をまたいで斜めに上がる踏み跡に取り付く。
及谷公会堂
舗装道分岐
舗装道.
取り付き(逆方向)
山道となり墓地を抜け、雑木尾根上の道を登る。
山道(参道)
墓地
雑木尾根
途中そま道が左へ水平方向に分かれる。やや勾配のある道となり、わずかに残る石段を上がると金毘羅社が建つ山頂広場に出る。社殿はすでに古いが、建て替えか修復されたの時のものか境内に瓦が積まれている。最近祭事が行われた様子はない。樹木に囲まれ展望は得られない。
そま道分岐
勾配がきつくなる
平坦地
山頂下の石段
石垣
金毘羅社
金毘羅社(南側から)
社殿の背後に石祠跡が残り、その後方に四等三角点「金谷」が隠れている。(注)三角点の地番の字名は「遠田」である。
石祠跡・三角点
四等三角点「金谷」
南西へ明瞭な尾根道が続くのでこれを下る。
雑木尾根・下り
260m支尾根分岐点
240m鞍部で右谷に下る踏み跡を分け、左の巻き道を進むと権現社がある。こちらも森閑としている。
鞍部
右谷へ下る踏み跡
権現社
鞍部へ戻り、『防長山野へのいざない』に記載された及谷集落側へ下る道を探したが、竹交じりの急勾配の谷で道は消失したようなので断念し、往路を戻った。
帰路は下畑、姥喰、桑原の集落を通り駐車地へ戻る。県道沿いに古墓(?)と石仏2体がある。
及谷から弥富茶臼山、敵陣ヶ嶽(中央の三角形)
及谷から天守ヶ嶽
古墓?へのコン階段
古墓?・石灯籠
古墓(拡大)
路傍の地蔵2体(法印地蔵など)
■城跡について
●鎌ヶ山城
『風土注進案』小川村の項に、「鎌ヶ山ノ古城 但千疋村の南にあり、太山にして町数相分り不申、嶮岨の山頂上に櫓の跡とおほしき所相見へ申候、(以下略)」とある。
『調査報告書』の城館分布図には位置が示され、一覧表で保存状況は部分残と簡略な記載があるのみ。
●千疋城
『調査報告書』には位置と縄張り図等を記載し、風土注進案の記述から当城が上記の鎌ヶ山城に該当する可能性もあるとしている。
『田万川町史』では当城を鎌ヶ山城とし、縄張り図等を掲載している。
地下上申絵図を見ると、この山を「古城山」と記し、「鎌ヶ城」と添え書きがある。地下上申と風土注進案の弥富村の項に鎌ヶ山城の記述がなく、風土注進案の小川村の項に記述があることからも鎌ヶ(山)城はこの城だと推定できる。
なお、現在の鎌ヶ山は弥富側の呼び名であり、地下上申の上小川村境目書では「ゑしカ谷山」としているが、風土注進案では「鎌か山」に変わっている。このことで城の位置の混同が生じたと思われる。
ちなみに、「ゑしカ谷」については、同注進案の千疋川の説明に「衛士か迫より落る谷筋を合わせ」という記述があり、林道恵知ヶ迫線も同じ由来と思われる。
●遠田城
『地下上申』弥富村の古城の項に、「遠田ノ古城 但星ノ要害、家頼遠田式部と申仁居城之由申伝候事」とあり、地下上申絵図には同所に古城山と記されている。
『調査報告書』の城館分布図には位置が示され、一覧表で保存状況は部分残と簡略な記載があるのみ。
■参考資料
鎌ヶ山:『城郭放浪記』、『防長山野へのいざない第2集』
千疋城:『田万川町史』、『山口県中世城館遺跡総合調査報告書―長門国編―』、『城郭放浪記』
遠田城:『防長山野へのいざない第2集』、『山口県中世城館遺跡総合調査報告書―長門国編―』
及谷から鎌ヶ山
(1,2クリックで拡大)
●駐車地~鎌ヶ山
大野集落の西端、県道124号(津和野須佐線)沿いに広い路肩スペースがある。集落道に入るとすぐ左に舗装林道が分かれるのでこれを上がる。
駐車地
舗装道分岐
舗装林道に入る
林道
「竣功記念碑」のある林道終点に着く。奥のササを少し分けて入り、コンクリート水路に架けられた小さな丸木橋を渡る。(谷沿いの踏み跡をたどると小さな貯水槽があり、踏み跡は不明瞭となる)
林道終点
竣功記念碑
朽ちかけた丸木橋
スギ植林谷
貯水槽
右手の植林境尾根を急登すると、大字境で旧町境の標高270mの主尾根上に出る。(二十数年前にグループで歩いたときは東の林道から直接旧町境を上がった。)
植林境となっており右の斜面は伐採後に灌木ヤブ化したようだ。
植林境
植林境
270m支尾根合流点
植林境を少し登ると東面の展望が開け、島根県境あたりの山並みが望める。
植林境
280m支尾根合流点
365mピーク
東方向の展望(左端は神宮山)
シダ鞍部を左によけながら雑木尾根を登り返す。切り開きが残り歩きやすい。
平坦尾根
シダ鞍部
雑木尾根・上り
290m支尾根合流点
雑木平坦尾根
290m鞍部からやや急な植林境をひたすら登ると410m支尾根合流点に出る。
290m鞍部
植林境・上り
植林境・上り
410m支尾根合流点
緩やかな植林境を進むと三等三角点「鎌山」がポツンとある。明確な城跡らしきものは見当たらない。
植林境
わずかなへこみ①
420m支尾根合流点
わずかなへこみ②
鎌ヶ山山頂
三等三角点「鎌山」
●~林道恵知ヶ迫線
緩やかな植林境をそのまま西へ下る。390m支尾根分岐点で植林が終わるが、『城郭放浪記』で縄張り図が描いてある二つの400mピークまで足を延ばしてみた。ピーク上は削平されたような感じだがここでもほかに城郭遺構らしきものは確認できない。
植林境・下り
植林境・灌木
410m支尾根分岐点①・黄ポール(倒)
植林境・下り
鞍部
410mピーク②
植林境・下り
390m支尾根分岐点
雑木尾根・下り
400mピーク①
樹間展望
樹間展望
雑木尾根・下り
400mピーク②
樹間展望
『城郭放浪記』掲載のルート図では400mピーク①から北東の雑木尾根を下っているが、390m支尾根分岐点まで戻り、植林境尾根を下ることにする。標高差40mほど下ると右に「公社造林紙屋事業地」看板があるところで植林が終わる。
植林境・下り
植林境終端部
「公社造林」看板
仕方なくそのままヤブ気味の雑木尾根を下るとふたたび植林に出合う。
ここでこの尾根を捨て左の尾根へ移り、結局放浪記のルートに出た。
雑木疎林尾根・下り
植林出合い
左尾根へ移る
左植林尾根出合い
背丈状に伸びた灌木がややうるさい植林尾根を下る。
植林尾根・下り
植林尾根・下り
280m鞍部で右の谷へ下りてみた。炭焼窯跡まで下ったが谷がヤブぽい感じだったので、尾根へ戻り、植林尾根をさらに下る。
280m鞍部
右谷
炭焼窯跡
植林境・下り
植林境・下り
勾配がきつくなり、林道法面上に出る不安があったので、途中から植林斜面を右へトラバースしながら下っていくと竹が現れ、少し下るとちょうど舗装林道のカーブ地点へ出た。
右斜面をトラバース
竹が交じる
舗装林道下降手前
林道下降地点
林道下降地点(後方から)
●~356mピーク(見張台跡)
続いて千疋城をめざす。舗装林道を谷を回り込むように東へ200mほど上がり、植林尾根に取り付く。
駐車可能スペース
取り付き
灌木が茂る道路法面境を登っていくと290mピーク①の一角に出る。
植林・灌木、上り
290mピークの一角に出る
シダがやや茂る植林斜面をトラバースしながら鞍部に出て登り返すと、290mピーク②へ着く。
シダ斜面をトラバース
植林鞍部
290mピーク②
赤ポールを見て下るとアオキの茂る鞍部へ出る。アオキヤブを登るとまもなく雑木尾根に変わる。尾根筋が不明瞭な斜面を登り切ると、330m支尾根合流点①近くに出る。前面はヒノキ植林帯となっている。
進行方向に赤ポール
植林尾根・下り
アオキ・鞍部
アオキヤブ・上り
雑木尾根・上り
雑木尾根・上り
ヌタ場
330m支尾根合流点①・植林境
東の356mピークをめざし、植林境尾根を右へ向かう。二つ鞍部を登り返すと左に大岩を見る。さらに登ると356mピークへ着く。狭いピークで、『田万川町史』によると見張り台(櫓)があったという。現在は樹木に遮られ展望はきかない。
植林境・下り
植林境・上り
330m支尾根合流点
植林境・下り
鞍部
大岩
植林境・上り
356mピーク(見張台跡)
●~367mピーク(千疋城跡)
ここで引き返し、367mピークをめざす。330m支尾根合流点①まで戻り、さらに緩やかな植林境をたどる。
植林境・上り
330mピーク②
植林境・下り
340m支尾根合流点
植林境・平坦尾根
植林境
340m鞍部を登り返し350m、360m支尾根合流点を過ごすと、山頂手前の鞍部が緩い堀切状となっている。
340m鞍部
鞍部(横から)
植林境・上り
350m支尾根合流点
360m支尾根合流点
堀切?
横から
少し登ると367mピークの千疋城跡に着く。山頂は狭く中央に直径2m程度の穴がある。
樹木に囲まれ展望はすぐれない。
367ピーク・千疋城
山頂の穴
●~△澄田~林道恵知ヶ迫線
帰路は西の植林境尾根へ下る。320m支尾根分岐点で北へ方向を変えて下り。鞍部を登ると320mピークに着く。
西尾根方向
植林境・下り
植林境・下り
320m支尾根分岐点
植林境・下り
植林境・鞍部
320mピーク
西方向の植林境を下るとすぐテレビ共同アンテナ跡を見る。急に明瞭な踏み跡が現れる。
鞍部を登り返すと四等三角点「澄田」のあるピークに着く。
TV共同アンテナ跡
明瞭な踏み跡
雑木尾根・下り
鞍部
雑木尾根・上り
四等三角点「澄田」ピーク
ここで踏み跡が不明瞭となるので、西の雑木尾根を下ってみる。途中から竹が現れ不安になるが、ヤブはそれほどひどくはない。急な斜面を下ると平坦地に出る。ヤブを少しわけると舗装林道に降り立つ。そばに小さな集水桝がある。
雑木尾根
雑木尾根
竹交じり
竹交じり
平坦地へ出る
舗装林道下降地点手前
下降地点
少し南東に広い路肩スペースがあり、山側に道が付いていたのでたどってみると墓地で消失した。上方は竹林となっている。
(注)帰宅して四等三角点「澄田」の「点の記」を見たら、四等三角点ピークから南北に破線道が記されており、南側の破線道は墓地に通じていた。墓地側の道は消失しているようなので、三角点から北側の尾根に踏み跡等が見つかる可能性はある。
広い路肩スペース
墓地
●~梅ノ木トンネル~及谷公会堂(登山口)~遠田城~駐車地
林道から旧道を通り、県道に出て梅ノ木トンネルを歩く。トンネル内を歩くのは憚れるが案外と明るく、通行量もある。
林道起点から三角点ピーク方向
古墓
梅ノ木トンネル
トンネル内
弥富支所などがある新市の町並みに入ると、対岸に遠田城跡の三角形の山容が間近に見える。これも二十数年前にグループで歩いた山だが全く記憶から消えている。
遠田城
及谷橋を渡り及谷集落に入る。公会堂の手前から舗装道が山側へ鋭角に分かれるので、これに取り付く。緩い坂道を登り切ったカーブのところから水路をまたいで斜めに上がる踏み跡に取り付く。
及谷公会堂
舗装道分岐
舗装道.
取り付き(逆方向)
山道となり墓地を抜け、雑木尾根上の道を登る。
山道(参道)
墓地
雑木尾根
途中そま道が左へ水平方向に分かれる。やや勾配のある道となり、わずかに残る石段を上がると金毘羅社が建つ山頂広場に出る。社殿はすでに古いが、建て替えか修復されたの時のものか境内に瓦が積まれている。最近祭事が行われた様子はない。樹木に囲まれ展望は得られない。
そま道分岐
勾配がきつくなる
平坦地
山頂下の石段
石垣
金毘羅社
金毘羅社(南側から)
社殿の背後に石祠跡が残り、その後方に四等三角点「金谷」が隠れている。(注)三角点の地番の字名は「遠田」である。
石祠跡・三角点
四等三角点「金谷」
南西へ明瞭な尾根道が続くのでこれを下る。
雑木尾根・下り
260m支尾根分岐点
240m鞍部で右谷に下る踏み跡を分け、左の巻き道を進むと権現社がある。こちらも森閑としている。
鞍部
右谷へ下る踏み跡
権現社
鞍部へ戻り、『防長山野へのいざない』に記載された及谷集落側へ下る道を探したが、竹交じりの急勾配の谷で道は消失したようなので断念し、往路を戻った。
帰路は下畑、姥喰、桑原の集落を通り駐車地へ戻る。県道沿いに古墓(?)と石仏2体がある。
及谷から弥富茶臼山、敵陣ヶ嶽(中央の三角形)
及谷から天守ヶ嶽
古墓?へのコン階段
古墓?・石灯籠
古墓(拡大)
路傍の地蔵2体(法印地蔵など)
■城跡について
●鎌ヶ山城
『風土注進案』小川村の項に、「鎌ヶ山ノ古城 但千疋村の南にあり、太山にして町数相分り不申、嶮岨の山頂上に櫓の跡とおほしき所相見へ申候、(以下略)」とある。
『調査報告書』の城館分布図には位置が示され、一覧表で保存状況は部分残と簡略な記載があるのみ。
●千疋城
『調査報告書』には位置と縄張り図等を記載し、風土注進案の記述から当城が上記の鎌ヶ山城に該当する可能性もあるとしている。
『田万川町史』では当城を鎌ヶ山城とし、縄張り図等を掲載している。
地下上申絵図を見ると、この山を「古城山」と記し、「鎌ヶ城」と添え書きがある。地下上申と風土注進案の弥富村の項に鎌ヶ山城の記述がなく、風土注進案の小川村の項に記述があることからも鎌ヶ(山)城はこの城だと推定できる。
なお、現在の鎌ヶ山は弥富側の呼び名であり、地下上申の上小川村境目書では「ゑしカ谷山」としているが、風土注進案では「鎌か山」に変わっている。このことで城の位置の混同が生じたと思われる。
ちなみに、「ゑしカ谷」については、同注進案の千疋川の説明に「衛士か迫より落る谷筋を合わせ」という記述があり、林道恵知ヶ迫線も同じ由来と思われる。
●遠田城
『地下上申』弥富村の古城の項に、「遠田ノ古城 但星ノ要害、家頼遠田式部と申仁居城之由申伝候事」とあり、地下上申絵図には同所に古城山と記されている。
『調査報告書』の城館分布図には位置が示され、一覧表で保存状況は部分残と簡略な記載があるのみ。
■参考資料
鎌ヶ山:『城郭放浪記』、『防長山野へのいざない第2集』
千疋城:『田万川町史』、『山口県中世城館遺跡総合調査報告書―長門国編―』、『城郭放浪記』
遠田城:『防長山野へのいざない第2集』、『山口県中世城館遺跡総合調査報告書―長門国編―』
2022-04-19 00:47
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