茶臼山城・展視山城・首かたげ山・天狗坊山(下関市内日下) [県西部の山]
展視(てんし)山は山田春男さんの本で山名を知って以来、車で近くを走るたびそのうちにと思いながら登りそびれていた。今日は隣接する城跡の茶臼山と合わせて歩き、さらに首かたげ山まで縦走を試みた。
二つの城跡は素人目でも城の遺構がわかり楽しめる。展視山は当初軽く考えていたが、標高差100m以上あり、結構登りごたえがある。
縦走路は雑木尾根と植林境尾根が交互に現われるといった感じ。明瞭な山道はないものの、さほど荒れたところもなく比較的歩きやすい。展望は期待できない。何度かシカの鋭い声に驚かされる。
帰りは天狗坊山まで縦走路コースをたどり、北側の植林尾根を高さ100mほど下り作業道に出て、林道大畑河内線を戻った。(2024.3.15)
茶臼山・展視山(北方向から)
首かたげ山~天狗坊山~西ノ嶽(林道より)
(1,2クリックで拡大)
●駐車地~茶臼山城
田屋公民館に車を置かせてもらう。
田屋公民館
集落道を北西に進み、民家の横から右折して山道に入る。林道ほどの道幅がある。防獣用フェンスのゲートを抜け、谷を進むと沢にぶつかる。
民家裏から山道に入る
フェンスゲート
ササ沿い
谷分岐
沢出合い
少し手前で谷が分かれるので、左折しまずは茶臼山城をめざす。倒木がめだつ植林谷で道が不明瞭だが、東の鞍部方向をめざして適当に谷を詰めていくと、尾根鞍部に出る。
植林谷
谷を進む
鞍部
ここからは『山口県中世城館遺跡総合調査報告書・長門国編』を参考に城跡を歩く。
左折し植林境を登ると帯状の曲輪と思われる平坦地に出る。
植林境尾根
帯状の曲輪
さらに斜面を少し上がると郭②のピークに着く。この先細く緩やかな尾根が続く。
郭②
平坦尾根
小穴を確認し、小曲輪の平坦地をいくつか越えると最高処の郭①に出る。ここを茶臼山山頂とする。
北側下方にも帯状に曲輪が巻いているのがわかる。
小穴(逆方向)
郭①・山頂
山頂北側の帯状曲輪
西の一段低い曲輪へ下りると展望が開ける。
山頂西側の曲輪
展視山
鬼ヶ城・狩音山・内日の町並み
郭①から南側の帯曲輪
郭②から西側の帯曲輪.
●~展視山城
鞍部まで戻り、次は展視山城をめざす。鞍部から展視山方向へ巻き道があったのでたどってみる。
谷へ出ると、先ほどの谷分岐から上がって来た作業道と出合う。(確認のため、下方の沢まで往復してみる)
巻き道
巻き道
巻き道
作業道出合い
谷沿いに作業道を上がる。分岐をいくつか左に分け、谷にぶつかったところで左上方に折れる。
作業道
分岐
作業道
左上方へ折れる
水平道(巡視路か?)に出て右折する。谷と合わさったところで道が終わり、斜面の踏み跡をたどると鉄塔の建つ鞍部へ出る。
水平道に出る
右の巻き道
作業道終点
鉄塔・鞍部
右の雑木尾根を上がると堀切に着く。
雑木尾根
堀切
堀切(横から)
尾根を登るとすぐ山頂の一角に出る。
山頂(郭)は長細く、北側は植林尾根となり、下側に3段の小曲輪がある。樹木に囲まれ展望は得られない。
山頂の一角に出る
展視山山頂
北尾根の小曲輪(上方から)
小曲輪(下方から)
●~281mピーク
鉄塔鞍部まで戻り、いよいよ首かたげ山までの縦走にかかる。
測量・植林作業を含め最近歩かれた様子はないが、ヤブコギを強いられるほど荒れがひどいころもない。
最初の210m支尾根合流点への雑木尾根は短いが急である。
雑木尾根・急な上り
210m支尾根合流点
次の250m支尾根合流点への上りも急、上方で左に植林が現われる。
220m鞍部
雑木尾根・上り
植林出合い
250m支尾根合流点
250m支尾根合流点のすぐ先で左手に堀割状の涸れため池のようなものがある。人工的なもののようだが、こんな標高の高いところに何の目的でつくられたのだろうか?
堀割状のくぼみ
270m支尾根合流点で右からの尾根と合わさると、まもなく左植林境となり、281mピークmに着く。
雑木尾根
270m支尾根合流点
左植林出合い
281mピーク
●~358mピーク
南に方向を変え、雑木尾根をたどる。
雑木尾根
280mピーク
270m鞍部から雑木尾根の急登となり、植林に出合うと勾配が緩み、330mピークに着く。
鞍部・左植林谷
雑木尾根・急登
植林出合い
330mピーク
植林境は東尾根方向に続下っているが、ここは南に向けて雑木尾根を下る。
雑木尾根・下り
鞍部
左ガケ状となった雑木細尾根を進んでいく。
雑木細尾根
左ガケ状のピーク
雑木尾根
雑木尾根
シダが現れるがよけるとすぐに340m支尾根合流点に出る。
ややシダ被り
340m支尾根合流点
やや灌木がかぶる尾根を進むと、植林頂部の358mピークに至る。
やや灌木が被る
雑木尾根
358mピーク・植林出合い
●~首かたげ山
南西方向にも明瞭な植林境尾根が下っているが、ここは南東方向の植林境へ向かい、まもなく植林境に従って、南へ下る。
植林境尾根(南東方向)
350m支尾根分岐点
右植林境尾根をたどると、途中植林の間から、右手に藤ヶ嶽、後方に竜王山が望める。
植林境
植林境
藤ヶ嶽・竜王山
植林境
330m支尾根分岐点で植林境とわかれ、南東方向に雑木尾根を進む。
330m支尾根分岐点・植林わかれ
雑木尾根
340mピーク、350m①支尾根合流点とたどり、350m②支尾根合流点で右植林境尾根に変わる。
340mピーク
雑木尾根
350m①支尾根合流点
350m②支尾根合流点・植林出合い・白ポール・石杭
植林境
360m支尾根合流点
支尾根合流点ごとに現在地や方向・杭類を確認ししながら登っていくと、410mピークで高地峠からの縦走コースと出合う。樹木が伸び、ここでも展望は得られない。
植林境
370m支尾根合流点・白ポール
植林境
380m①支尾根合流点
植林境
380m②支尾根合流点・白ポール
雑木尾根
雑木尾根
410mピーク・縦走コース出合い・白ポール・コン杭
右折し、明瞭な山道を進む。白ポールを二つ過ごすと、いよいよ植林境の急登にかかる。
植林境
白ポール
白ポール
標高差50mほどだが、てがかりの幹を探しながら慎重に登っていく。植林頂部に出るとすぐ右手が首かたげ山の山頂である。四等三角点「高地」を確認する。
植林境・急登
急登・山頂手前
山頂部出合い・植林頂部(逆方向)
首かたげ山山頂
四等三角点「高地」
●~天狗坊山(450m)
首かたげ山で引き返し別ルートで下山する予定だったが、山頂下の急勾配を下る気がせず、予定を変更。先の天狗坊山まで行き、すぐ手前の尾根を北へ下って戻ることにした。
天狗坊山までは先日(2月24日)歩いたので、写真のみ掲載とする。
雑木尾根・下り
440m支尾根分岐点
430m支尾根分岐点
雑木尾根
420m支尾根合流点
430m支尾根合流点
天狗坊山山頂・白ポール・植林境
山頂には現在「猪子三叉」というプレートがかかっている(先日もあった)。天狗坊山の名が501mピーク(西ノ嶽)にもっていかれたので名前がないのは寂しいとはいえ、コース分岐名ではちょっとかわいそうな気もする。わずかに残っている松も周りの木に圧倒され、そのうちなくなってしまうのだろうか。
道標プレート
●~中村共同墓地
天狗坊山から手前の430m支尾根分岐点まで戻る。ここで縦走コースとわかれ植林境を北に下る。
430m支尾根分岐点・下降地点
最初は明瞭な植林境が続く。ところどころ小さな測量杭も確認できる。勾配がきつくなるとやや雑木も交じるので、植林境を外さないように下る。
植林境
植林境
下方ではヒザ高程度のシダも現われるが長くはない。標高差100mほどを一気に下ると作業道の四叉路地点に降り立つ。
植林境
植林境
作業道出合い・分岐①
いずれに進むか迷うが、左下へ向かう道を下る。作業道は、造成されてそれほど経っていないのか荒れは少ない。草木もまだあまり伸びてはいないようだ。
作業道
まもなく右のトラバース道となり、谷を二つ横切っていくと尾根の先端部で分岐②と出合う。先日(2月24日)首かたげ山へ直登した際の作業道とここで出合う。
谷を横切る
作業道
分岐②
この先ふもとの中村共同墓地まで前回とは逆コースで下ったので、説明は省略。前回気付かなかった炭焼窯跡を二ヶ所確認した。
分岐③
谷沿いに下る
分岐④
分岐⑤
沢渡り・えぐれた林道
コン舗装道終点
沢を横切る
対岸の倒壊小屋
植林沿い
炭焼窯跡
広場
堰堤
川沿い
林道
コン橋①
炭焼窯跡
コン橋②
コン橋③
林道
コン橋④
フェンスゲート
中村共同墓地
●~駐車地
中村共同墓地からなるべく集落道をたどって駐車地まで戻る。
途中銅鉱山跡に立ち寄る。説明板によると、戦前に発見され、7年ほど操業したようだ。鉱道が三つあり、総延長は2キロメートルにも達したという。坑道入口の上部に小社が祀られている。
教正寺
展視山~281mピーク
330mピーク~358mピーク(中央奥)
道城橋
銅鉱山跡・小社
坑道口
銅鉱山跡
庚申塚
■山名について
▲茶臼山
『防長地下上申』内日村の項に、茶臼山城の記載がある。
「城山 茶臼山共云 西表之二壇有之、上ノ段平地の所凡一反程た屋に有り
但往古堀の内に居住仕候高橋ノ何某郷侍此山に出城を構へ申たる申伝候得共、外に由緒申伝ハ無御座候事」
地下上申絵図には展視山と両方に「城山」と記され、この山には「茶臼山トモ云」との注記がある。字図には、この山の北麓に「城ノ腰」の地名が残る。
『内日の歴史物語』(山田春男著)によれば、麓ではむかし(室町時代か?)合戦が二度行われ、その戦死者を弔った墓が寄せ墓(一石五輪の塔二十五基)として残っている。(ただし、県道バイパス工事により現在地に移動している由)
一石五輪の塔
▲展視山
地下上申には記載がないが、地元では展視山と呼ばれている。
「調査報告書」では、茶臼山との関連を「小谷を挟んで立地する内日茶臼山城は同じ山塊から派生した別の尾根上に位置し、規模の大きい内日臼山城が根城で、当城が物見台のような機能を担った可能性が考えられる一方、内日茶臼山城を攻めるための砦と考えることもできる。」としている。
山田春男さんの書でも「展視山」とされている。また、『防長山野へのいざない第4集』の田屋茶臼山のコース図によると、西麓の銅鉱山跡のところの小社は天神様のようである。
「てんし」とは聞きなれない言葉で由来は不明だが、ここでちょっと思いついた。
天神(てんじん) → てんじ → てんし → 展視
小社の由来は知らないが、どうだろうか?
二つの城跡は素人目でも城の遺構がわかり楽しめる。展視山は当初軽く考えていたが、標高差100m以上あり、結構登りごたえがある。
縦走路は雑木尾根と植林境尾根が交互に現われるといった感じ。明瞭な山道はないものの、さほど荒れたところもなく比較的歩きやすい。展望は期待できない。何度かシカの鋭い声に驚かされる。
帰りは天狗坊山まで縦走路コースをたどり、北側の植林尾根を高さ100mほど下り作業道に出て、林道大畑河内線を戻った。(2024.3.15)
茶臼山・展視山(北方向から)
首かたげ山~天狗坊山~西ノ嶽(林道より)
(1,2クリックで拡大)
●駐車地~茶臼山城
田屋公民館に車を置かせてもらう。
田屋公民館
集落道を北西に進み、民家の横から右折して山道に入る。林道ほどの道幅がある。防獣用フェンスのゲートを抜け、谷を進むと沢にぶつかる。
民家裏から山道に入る
フェンスゲート
ササ沿い
谷分岐
沢出合い
少し手前で谷が分かれるので、左折しまずは茶臼山城をめざす。倒木がめだつ植林谷で道が不明瞭だが、東の鞍部方向をめざして適当に谷を詰めていくと、尾根鞍部に出る。
植林谷
谷を進む
鞍部
ここからは『山口県中世城館遺跡総合調査報告書・長門国編』を参考に城跡を歩く。
左折し植林境を登ると帯状の曲輪と思われる平坦地に出る。
植林境尾根
帯状の曲輪
さらに斜面を少し上がると郭②のピークに着く。この先細く緩やかな尾根が続く。
郭②
平坦尾根
小穴を確認し、小曲輪の平坦地をいくつか越えると最高処の郭①に出る。ここを茶臼山山頂とする。
北側下方にも帯状に曲輪が巻いているのがわかる。
小穴(逆方向)
郭①・山頂
山頂北側の帯状曲輪
西の一段低い曲輪へ下りると展望が開ける。
山頂西側の曲輪
展視山
鬼ヶ城・狩音山・内日の町並み
郭①から南側の帯曲輪
郭②から西側の帯曲輪.
●~展視山城
鞍部まで戻り、次は展視山城をめざす。鞍部から展視山方向へ巻き道があったのでたどってみる。
谷へ出ると、先ほどの谷分岐から上がって来た作業道と出合う。(確認のため、下方の沢まで往復してみる)
巻き道
巻き道
巻き道
作業道出合い
谷沿いに作業道を上がる。分岐をいくつか左に分け、谷にぶつかったところで左上方に折れる。
作業道
分岐
作業道
左上方へ折れる
水平道(巡視路か?)に出て右折する。谷と合わさったところで道が終わり、斜面の踏み跡をたどると鉄塔の建つ鞍部へ出る。
水平道に出る
右の巻き道
作業道終点
鉄塔・鞍部
右の雑木尾根を上がると堀切に着く。
雑木尾根
堀切
堀切(横から)
尾根を登るとすぐ山頂の一角に出る。
山頂(郭)は長細く、北側は植林尾根となり、下側に3段の小曲輪がある。樹木に囲まれ展望は得られない。
山頂の一角に出る
展視山山頂
北尾根の小曲輪(上方から)
小曲輪(下方から)
●~281mピーク
鉄塔鞍部まで戻り、いよいよ首かたげ山までの縦走にかかる。
測量・植林作業を含め最近歩かれた様子はないが、ヤブコギを強いられるほど荒れがひどいころもない。
最初の210m支尾根合流点への雑木尾根は短いが急である。
雑木尾根・急な上り
210m支尾根合流点
次の250m支尾根合流点への上りも急、上方で左に植林が現われる。
220m鞍部
雑木尾根・上り
植林出合い
250m支尾根合流点
250m支尾根合流点のすぐ先で左手に堀割状の涸れため池のようなものがある。人工的なもののようだが、こんな標高の高いところに何の目的でつくられたのだろうか?
堀割状のくぼみ
270m支尾根合流点で右からの尾根と合わさると、まもなく左植林境となり、281mピークmに着く。
雑木尾根
270m支尾根合流点
左植林出合い
281mピーク
●~358mピーク
南に方向を変え、雑木尾根をたどる。
雑木尾根
280mピーク
270m鞍部から雑木尾根の急登となり、植林に出合うと勾配が緩み、330mピークに着く。
鞍部・左植林谷
雑木尾根・急登
植林出合い
330mピーク
植林境は東尾根方向に続下っているが、ここは南に向けて雑木尾根を下る。
雑木尾根・下り
鞍部
左ガケ状となった雑木細尾根を進んでいく。
雑木細尾根
左ガケ状のピーク
雑木尾根
雑木尾根
シダが現れるがよけるとすぐに340m支尾根合流点に出る。
ややシダ被り
340m支尾根合流点
やや灌木がかぶる尾根を進むと、植林頂部の358mピークに至る。
やや灌木が被る
雑木尾根
358mピーク・植林出合い
●~首かたげ山
南西方向にも明瞭な植林境尾根が下っているが、ここは南東方向の植林境へ向かい、まもなく植林境に従って、南へ下る。
植林境尾根(南東方向)
350m支尾根分岐点
右植林境尾根をたどると、途中植林の間から、右手に藤ヶ嶽、後方に竜王山が望める。
植林境
植林境
藤ヶ嶽・竜王山
植林境
330m支尾根分岐点で植林境とわかれ、南東方向に雑木尾根を進む。
330m支尾根分岐点・植林わかれ
雑木尾根
340mピーク、350m①支尾根合流点とたどり、350m②支尾根合流点で右植林境尾根に変わる。
340mピーク
雑木尾根
350m①支尾根合流点
350m②支尾根合流点・植林出合い・白ポール・石杭
植林境
360m支尾根合流点
支尾根合流点ごとに現在地や方向・杭類を確認ししながら登っていくと、410mピークで高地峠からの縦走コースと出合う。樹木が伸び、ここでも展望は得られない。
植林境
370m支尾根合流点・白ポール
植林境
380m①支尾根合流点
植林境
380m②支尾根合流点・白ポール
雑木尾根
雑木尾根
410mピーク・縦走コース出合い・白ポール・コン杭
右折し、明瞭な山道を進む。白ポールを二つ過ごすと、いよいよ植林境の急登にかかる。
植林境
白ポール
白ポール
標高差50mほどだが、てがかりの幹を探しながら慎重に登っていく。植林頂部に出るとすぐ右手が首かたげ山の山頂である。四等三角点「高地」を確認する。
植林境・急登
急登・山頂手前
山頂部出合い・植林頂部(逆方向)
首かたげ山山頂
四等三角点「高地」
●~天狗坊山(450m)
首かたげ山で引き返し別ルートで下山する予定だったが、山頂下の急勾配を下る気がせず、予定を変更。先の天狗坊山まで行き、すぐ手前の尾根を北へ下って戻ることにした。
天狗坊山までは先日(2月24日)歩いたので、写真のみ掲載とする。
雑木尾根・下り
440m支尾根分岐点
430m支尾根分岐点
雑木尾根
420m支尾根合流点
430m支尾根合流点
天狗坊山山頂・白ポール・植林境
山頂には現在「猪子三叉」というプレートがかかっている(先日もあった)。天狗坊山の名が501mピーク(西ノ嶽)にもっていかれたので名前がないのは寂しいとはいえ、コース分岐名ではちょっとかわいそうな気もする。わずかに残っている松も周りの木に圧倒され、そのうちなくなってしまうのだろうか。
道標プレート
●~中村共同墓地
天狗坊山から手前の430m支尾根分岐点まで戻る。ここで縦走コースとわかれ植林境を北に下る。
430m支尾根分岐点・下降地点
最初は明瞭な植林境が続く。ところどころ小さな測量杭も確認できる。勾配がきつくなるとやや雑木も交じるので、植林境を外さないように下る。
植林境
植林境
下方ではヒザ高程度のシダも現われるが長くはない。標高差100mほどを一気に下ると作業道の四叉路地点に降り立つ。
植林境
植林境
作業道出合い・分岐①
いずれに進むか迷うが、左下へ向かう道を下る。作業道は、造成されてそれほど経っていないのか荒れは少ない。草木もまだあまり伸びてはいないようだ。
作業道
まもなく右のトラバース道となり、谷を二つ横切っていくと尾根の先端部で分岐②と出合う。先日(2月24日)首かたげ山へ直登した際の作業道とここで出合う。
谷を横切る
作業道
分岐②
この先ふもとの中村共同墓地まで前回とは逆コースで下ったので、説明は省略。前回気付かなかった炭焼窯跡を二ヶ所確認した。
分岐③
谷沿いに下る
分岐④
分岐⑤
沢渡り・えぐれた林道
コン舗装道終点
沢を横切る
対岸の倒壊小屋
植林沿い
炭焼窯跡
広場
堰堤
川沿い
林道
コン橋①
炭焼窯跡
コン橋②
コン橋③
林道
コン橋④
フェンスゲート
中村共同墓地
●~駐車地
中村共同墓地からなるべく集落道をたどって駐車地まで戻る。
途中銅鉱山跡に立ち寄る。説明板によると、戦前に発見され、7年ほど操業したようだ。鉱道が三つあり、総延長は2キロメートルにも達したという。坑道入口の上部に小社が祀られている。
教正寺
展視山~281mピーク
330mピーク~358mピーク(中央奥)
道城橋
銅鉱山跡・小社
坑道口
銅鉱山跡
庚申塚
■山名について
▲茶臼山
『防長地下上申』内日村の項に、茶臼山城の記載がある。
「城山 茶臼山共云 西表之二壇有之、上ノ段平地の所凡一反程た屋に有り
但往古堀の内に居住仕候高橋ノ何某郷侍此山に出城を構へ申たる申伝候得共、外に由緒申伝ハ無御座候事」
地下上申絵図には展視山と両方に「城山」と記され、この山には「茶臼山トモ云」との注記がある。字図には、この山の北麓に「城ノ腰」の地名が残る。
『内日の歴史物語』(山田春男著)によれば、麓ではむかし(室町時代か?)合戦が二度行われ、その戦死者を弔った墓が寄せ墓(一石五輪の塔二十五基)として残っている。(ただし、県道バイパス工事により現在地に移動している由)
一石五輪の塔
▲展視山
地下上申には記載がないが、地元では展視山と呼ばれている。
「調査報告書」では、茶臼山との関連を「小谷を挟んで立地する内日茶臼山城は同じ山塊から派生した別の尾根上に位置し、規模の大きい内日臼山城が根城で、当城が物見台のような機能を担った可能性が考えられる一方、内日茶臼山城を攻めるための砦と考えることもできる。」としている。
山田春男さんの書でも「展視山」とされている。また、『防長山野へのいざない第4集』の田屋茶臼山のコース図によると、西麓の銅鉱山跡のところの小社は天神様のようである。
「てんし」とは聞きなれない言葉で由来は不明だが、ここでちょっと思いついた。
天神(てんじん) → てんじ → てんし → 展視
小社の由来は知らないが、どうだろうか?
2024-03-22 23:02
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