岩枯山城・嘉年勝山城・和田山城(山口市阿東嘉年上・嘉年下) [県央部の山]
八幡山城と居坂茶臼山城を縦走後、近くにある三城をめざす。
岩枯(いわかれ)山城は防獣フェンスに妨げられ取り付きに手間取った。道はないがササは少なく比較的楽に歩ける。
嘉年勝山城は26年前にグループで歩いているがほとんど記憶がない。今回は大迫側から上がってみた。こちらもササは薄い。山頂直下は急勾配だが思ったほどではない。帰路は以前の登山道を下りてみた。簡単に下れると思い下調べもしなかったところ、麓の谷に出る直前で道が不明瞭となり、ササヤブで進退窮まったが、旧登山道?へどうにか抜け出た。
和田山城は前に勝山城と合わせて登っている。公園化し気軽に歩ける。(2022.5.15)
〈参考資料〉:『山口県中世城館遺跡総合調査報告書 ― 長門編― 』、HP『城郭放浪記』(岩枯山を除く)
駐車地付近から岩枯山城
駐車地付近から勝山城
和田山城・西方向から
(1,2クリックで拡大)
▲岩枯山城
●駐車地~岩枯山城
大迫集落に向かい路肩スペースに駐車。駐車地から勝山と岩枯山が望める。禅門ヶ迫溜池側から取り付くことにし、舗装農道から未舗装の溜池管理道に入る。溜池の土手から山に取り付こうとしたが防獣フェンスに阻まれ断念。
コン橋
勝山
防獣フェンス・ゲート
溜池・土手
畦道を歩き幅広農道終点部に出て、ひとつ西側の谷にゲートを見つける。尾根斜面に付けられた取り付け道を上がりゲートを抜ける。
取り付け道
防獣フェンス・ゲート
フェンス沿いに付けられた踏み跡を右へ少したどって谷に入り、すぐに左の尾根に取り付く。
フェンス沿いの踏み跡
谷に入る
左の尾根をめざす
ササを少し分けると平坦尾根に出る。上方が小ガケ状となっている。
ササ斜面
平坦尾根へ出る
尾根方向(小ガケ状)
道や踏み跡はない。雑木の間の歩きやすいところを選びながら緩やかな雑木尾根を登っていくと、標高450mあたりで堀切に出合う。
雑木尾根
堀切
横から
さらに登り、南西方向に尾根の向きが変わると480mピーク(郭Ⅲ)に着く。樹木に囲まれ展望は得られない。
雑木尾根
雑木尾根
480mピーク(郭Ⅲ)
ピークから西尾根
470m支尾根分岐を過ぎ、西から北西方向へ尾根を進むと470m小ピーク(郭Ⅱ)に着く。
470m支尾根分岐点
雑木尾根・下り
鞍部
470mピーク(郭Ⅱ)
鞍部から登り返し北方向へ登ると、曲輪跡を過ごし480m①支尾根合流点に着く。
鞍部
曲輪
480m①支尾根合流点
平坦尾根を進み、小岩のある480m➁支尾根分岐点(郭Ⅰ)へ着く。ここが最高処と思われ山頂とする。展望はない。
平坦尾根
280m➁ピーク(郭Ⅰ)
●~駐車地
北方向へ尾根を下ると所々岩が現れる。どれもゴツゴツした岩肌で苔むしている。岩枯山という山名はこれらの岩に由来すると思われる。
雑木尾根・下り
岩
岩
岩(逆方向)
標高430mあたりで左植林の平坦尾根に出る。右の雑木尾根を下っていくと上りの際の谷へ出て、ゲートと出合う。
雑木尾根・下り
430m平坦尾根
雑木尾根
植林・ササ
幅広農道を歩き民家の横を通って駐車地へ戻る。
幅広農道
▲嘉年勝山城
●駐車地~嘉年勝山城
駐車地から勝山をめざす。ふたたび禅門ヶ迫溜池へ通ずる道を進み、左の防獣フェンスゲートを抜けて尾根末端の墓地に取り付く。
防獣フェンス・墓地
墓地
墓地最高処からササ尾根に入る。胸高のササを分けて進むと次第に薄くなる。
墓地最高処
ササ尾根
ササ
緩やかな雑木尾根を進み、450m支尾根合流点過ぎると左植林境となる。
平坦ピーク
左植林境出合い・450m
植林境の平坦尾根を進み少し登ると、標高460mあたりで右から植林尾根が合わさる。
さらに標高差10mほど登ると堀切に出合う。
右ヒノキ林出合い・460m
堀切
横から
急勾配の雑木尾根となり登り切ると平坦山頂(郭Ⅰ)の一角に出る。
雑木・ササ尾根
雑木尾根・急登
山頂部(郭Ⅰ)
広場奥の小高くなったところに三等三角点「勝山」がある。ここでも展望は得られない。
静かな山頂で、最近はあまり登られていない様子がうかがえる。
三角点山頂
三等三角点「勝山」
東に続く平坦尾根へ下ってみる。胸高のササを分けながら進むとササの薄い平坦地に出る。ここが510m支尾根分岐点と思われる。総合調査書の縄張り図によると尾根の東側に郭Ⅱがあるようだが、パスして、南東側の郭Ⅲへ向かう。
ササヤブ
510m支尾根分岐点
明瞭な踏み跡もないやや急勾配の尾根を下っていくと突然明瞭な山道に出合う。登山道らしい。斜面をトラバース気味に山頂方向へ上がっている。念のため登ってみると、三角点山頂と510m支尾根分岐点の中間あたりへ出た。合流点に小さな赤のビニールテープが付けてある。周辺はササが茂っているので気付かなかったのだろう。
南西尾根・下り
登山道出合い
元に戻り、ややササ被りの道を下ると480m鞍部へ降り立つ。
鞍部手前・ササ
480m鞍部
右の巻き道を進み490m平坦ピーク(郭Ⅲ)へ上がってみる。ヤブ化しつつあり展望もない。
巻き道
490mピーク(郭Ⅲ)
南東尾根方向
●~国道316号
鞍部に戻り下山にかかる。すぐ下が土砂崩れで登山道が不明瞭となっている。
不明瞭箇所
巻き道の登山道に出て右へ進むとすぐ、下に急勾配の明瞭な道が分かれる。こちらが登山道っぽいので下っていくと、落ち葉に埋もれかけたロープが現れた。
巻き道
分岐
登山道・急降
小さな谷を合わせながら下っていくと倒木で道が塞がり、先がヤブ化しているようなので、右の尾根側に逃げる(後で考えるとこれがそもそも間違いのもとと思われる)。
登山道
登山道
倒木・登山道?
右に回避
ササを分けて少しくだるとササヤブ化した平坦地(道?)らしきところへ出る。左へ進めば登山道と合わさると考え、ヤブに突っ込む。
ヤブはさらに深まり明瞭な道も見あたらない。思案していると左斜面の少し上方に平坦地らしきものが見えたので上がってみると古い道に出た。灌木が生え少しヤブ化しているが巻き道が続いている。とりあえずたどっていくと歩きやすくなる。
ササヤブ
ササヤブ
巻き道(古道)に出る
小崩落箇所を上方へ迂回し、石垣箇所を過ぎ、支尾根を回り込むところで下方に見えた民家方向へ下る。
崩落箇所
巻き道
石垣
下方に民家
最後はヤブを少し分けて空き家の横から林道へ出た。このあたりが旧登山道の入口だったようだが、ヤブ化し消失したと思われる。
林道(右方向)
林道(左方向)
新たな登山道がないか、林道をたどり風呂ヶ迫溜池まで探索してみたが、道標や明瞭な踏み跡は見当たらなかった。
帰宅後検索してみると、yamapなどで溜池の堰堤から尾根に取り付いているのが数件あったが、明瞭な道はないようだ。機会があれば再度探索してみたい。
林道
広場
風呂ヶ迫溜池
国道出合い(逆方向)
▲和田山城
●~和田山城~駐車地
勝山城から近いので、国道に出てそのまま歩いて向かう。交差点そばの北側の尾根に手摺付きのコンクリート小道があり、これを上がる。
和田山城
交通安全のかかし
交差点
取り付きのコン道
右に古墓を過ごし、広い山道を登っていくと曲輪跡と思われる広場に出る。
古墓
山道
山道分岐
曲輪
奥の坂道を上がると一段上の山頂広場(郭Ⅰ)に着く。忠魂碑が建ち西半面の展望が開ける。間近に嘉年勝山城、北西方向に津々良ヶ岳などが望める。
従軍之碑
山頂(郭Ⅰ)・忠魂塔
勝山城
津々良ヶ岳(左端)
擬木階段の付いた南尾根を下ると堀切跡を見る。
堀切・上方から
横から
右折して巻き道の遊歩道をたどる。卒業記念の桜などが植樹されている。
巻き道
分岐
分岐・左は平坦広場(曲輪?)
北側の道と合わさり、北麓へ戻る。
周辺の山を確認しながら大迫の駐車地まで戻る。
八幡山城・茶臼山城
■城跡について
『風土注進案』に次の記載がある。
●岩枯山城
「岩枯山
但市場後の方にあり、陶方糟谷某勝山の寄手に此所へ居城の由申傳へ候、城跡山上貳畝はかり」
●嘉年勝山城
「勝山城
但市場にあり、天文年中波多野内蔵介滋信居城のよし申傳候、頂上平地壹反はかり」
(注)この記述のあと、「勝山合戦之記」が掲載されている。勝山に籠る波多野氏(吉見方)と、それを囲む諸城(岩枯山・陶殿陣・和田山・居坂山)に陣取る陶方との攻防の様子などが興味深く読める。
●和田山城
「 和田山
但和田にあり、陶方麾下三浦越中守、三本松より白坂通り勝山への往来をさゝへん為に暫時居城のよし申傳候、城山の上貳畝程」
なお、注進案には代官の話として次の記載がある。
「御代官所考曰、此陶殿陣と申所已下の居城跡と申ハ悉皆陶尾張守勝山城を攻たる時、陶方諸將在陣の所と見えたり、城跡なんといふへき所にはあらす、一二夜滞陣の砦とミえたり、(以下略)」
岩枯(いわかれ)山城は防獣フェンスに妨げられ取り付きに手間取った。道はないがササは少なく比較的楽に歩ける。
嘉年勝山城は26年前にグループで歩いているがほとんど記憶がない。今回は大迫側から上がってみた。こちらもササは薄い。山頂直下は急勾配だが思ったほどではない。帰路は以前の登山道を下りてみた。簡単に下れると思い下調べもしなかったところ、麓の谷に出る直前で道が不明瞭となり、ササヤブで進退窮まったが、旧登山道?へどうにか抜け出た。
和田山城は前に勝山城と合わせて登っている。公園化し気軽に歩ける。(2022.5.15)
〈参考資料〉:『山口県中世城館遺跡総合調査報告書 ― 長門編― 』、HP『城郭放浪記』(岩枯山を除く)
駐車地付近から岩枯山城
駐車地付近から勝山城
和田山城・西方向から
(1,2クリックで拡大)
▲岩枯山城
●駐車地~岩枯山城
大迫集落に向かい路肩スペースに駐車。駐車地から勝山と岩枯山が望める。禅門ヶ迫溜池側から取り付くことにし、舗装農道から未舗装の溜池管理道に入る。溜池の土手から山に取り付こうとしたが防獣フェンスに阻まれ断念。
コン橋
勝山
防獣フェンス・ゲート
溜池・土手
畦道を歩き幅広農道終点部に出て、ひとつ西側の谷にゲートを見つける。尾根斜面に付けられた取り付け道を上がりゲートを抜ける。
取り付け道
防獣フェンス・ゲート
フェンス沿いに付けられた踏み跡を右へ少したどって谷に入り、すぐに左の尾根に取り付く。
フェンス沿いの踏み跡
谷に入る
左の尾根をめざす
ササを少し分けると平坦尾根に出る。上方が小ガケ状となっている。
ササ斜面
平坦尾根へ出る
尾根方向(小ガケ状)
道や踏み跡はない。雑木の間の歩きやすいところを選びながら緩やかな雑木尾根を登っていくと、標高450mあたりで堀切に出合う。
雑木尾根
堀切
横から
さらに登り、南西方向に尾根の向きが変わると480mピーク(郭Ⅲ)に着く。樹木に囲まれ展望は得られない。
雑木尾根
雑木尾根
480mピーク(郭Ⅲ)
ピークから西尾根
470m支尾根分岐を過ぎ、西から北西方向へ尾根を進むと470m小ピーク(郭Ⅱ)に着く。
470m支尾根分岐点
雑木尾根・下り
鞍部
470mピーク(郭Ⅱ)
鞍部から登り返し北方向へ登ると、曲輪跡を過ごし480m①支尾根合流点に着く。
鞍部
曲輪
480m①支尾根合流点
平坦尾根を進み、小岩のある480m➁支尾根分岐点(郭Ⅰ)へ着く。ここが最高処と思われ山頂とする。展望はない。
平坦尾根
280m➁ピーク(郭Ⅰ)
●~駐車地
北方向へ尾根を下ると所々岩が現れる。どれもゴツゴツした岩肌で苔むしている。岩枯山という山名はこれらの岩に由来すると思われる。
雑木尾根・下り
岩
岩
岩(逆方向)
標高430mあたりで左植林の平坦尾根に出る。右の雑木尾根を下っていくと上りの際の谷へ出て、ゲートと出合う。
雑木尾根・下り
430m平坦尾根
雑木尾根
植林・ササ
幅広農道を歩き民家の横を通って駐車地へ戻る。
幅広農道
▲嘉年勝山城
●駐車地~嘉年勝山城
駐車地から勝山をめざす。ふたたび禅門ヶ迫溜池へ通ずる道を進み、左の防獣フェンスゲートを抜けて尾根末端の墓地に取り付く。
防獣フェンス・墓地
墓地
墓地最高処からササ尾根に入る。胸高のササを分けて進むと次第に薄くなる。
墓地最高処
ササ尾根
ササ
緩やかな雑木尾根を進み、450m支尾根合流点過ぎると左植林境となる。
平坦ピーク
左植林境出合い・450m
植林境の平坦尾根を進み少し登ると、標高460mあたりで右から植林尾根が合わさる。
さらに標高差10mほど登ると堀切に出合う。
右ヒノキ林出合い・460m
堀切
横から
急勾配の雑木尾根となり登り切ると平坦山頂(郭Ⅰ)の一角に出る。
雑木・ササ尾根
雑木尾根・急登
山頂部(郭Ⅰ)
広場奥の小高くなったところに三等三角点「勝山」がある。ここでも展望は得られない。
静かな山頂で、最近はあまり登られていない様子がうかがえる。
三角点山頂
三等三角点「勝山」
東に続く平坦尾根へ下ってみる。胸高のササを分けながら進むとササの薄い平坦地に出る。ここが510m支尾根分岐点と思われる。総合調査書の縄張り図によると尾根の東側に郭Ⅱがあるようだが、パスして、南東側の郭Ⅲへ向かう。
ササヤブ
510m支尾根分岐点
明瞭な踏み跡もないやや急勾配の尾根を下っていくと突然明瞭な山道に出合う。登山道らしい。斜面をトラバース気味に山頂方向へ上がっている。念のため登ってみると、三角点山頂と510m支尾根分岐点の中間あたりへ出た。合流点に小さな赤のビニールテープが付けてある。周辺はササが茂っているので気付かなかったのだろう。
南西尾根・下り
登山道出合い
元に戻り、ややササ被りの道を下ると480m鞍部へ降り立つ。
鞍部手前・ササ
480m鞍部
右の巻き道を進み490m平坦ピーク(郭Ⅲ)へ上がってみる。ヤブ化しつつあり展望もない。
巻き道
490mピーク(郭Ⅲ)
南東尾根方向
●~国道316号
鞍部に戻り下山にかかる。すぐ下が土砂崩れで登山道が不明瞭となっている。
不明瞭箇所
巻き道の登山道に出て右へ進むとすぐ、下に急勾配の明瞭な道が分かれる。こちらが登山道っぽいので下っていくと、落ち葉に埋もれかけたロープが現れた。
巻き道
分岐
登山道・急降
小さな谷を合わせながら下っていくと倒木で道が塞がり、先がヤブ化しているようなので、右の尾根側に逃げる(後で考えるとこれがそもそも間違いのもとと思われる)。
登山道
登山道
倒木・登山道?
右に回避
ササを分けて少しくだるとササヤブ化した平坦地(道?)らしきところへ出る。左へ進めば登山道と合わさると考え、ヤブに突っ込む。
ヤブはさらに深まり明瞭な道も見あたらない。思案していると左斜面の少し上方に平坦地らしきものが見えたので上がってみると古い道に出た。灌木が生え少しヤブ化しているが巻き道が続いている。とりあえずたどっていくと歩きやすくなる。
ササヤブ
ササヤブ
巻き道(古道)に出る
小崩落箇所を上方へ迂回し、石垣箇所を過ぎ、支尾根を回り込むところで下方に見えた民家方向へ下る。
崩落箇所
巻き道
石垣
下方に民家
最後はヤブを少し分けて空き家の横から林道へ出た。このあたりが旧登山道の入口だったようだが、ヤブ化し消失したと思われる。
林道(右方向)
林道(左方向)
新たな登山道がないか、林道をたどり風呂ヶ迫溜池まで探索してみたが、道標や明瞭な踏み跡は見当たらなかった。
帰宅後検索してみると、yamapなどで溜池の堰堤から尾根に取り付いているのが数件あったが、明瞭な道はないようだ。機会があれば再度探索してみたい。
林道
広場
風呂ヶ迫溜池
国道出合い(逆方向)
▲和田山城
●~和田山城~駐車地
勝山城から近いので、国道に出てそのまま歩いて向かう。交差点そばの北側の尾根に手摺付きのコンクリート小道があり、これを上がる。
和田山城
交通安全のかかし
交差点
取り付きのコン道
右に古墓を過ごし、広い山道を登っていくと曲輪跡と思われる広場に出る。
古墓
山道
山道分岐
曲輪
奥の坂道を上がると一段上の山頂広場(郭Ⅰ)に着く。忠魂碑が建ち西半面の展望が開ける。間近に嘉年勝山城、北西方向に津々良ヶ岳などが望める。
従軍之碑
山頂(郭Ⅰ)・忠魂塔
勝山城
津々良ヶ岳(左端)
擬木階段の付いた南尾根を下ると堀切跡を見る。
堀切・上方から
横から
右折して巻き道の遊歩道をたどる。卒業記念の桜などが植樹されている。
巻き道
分岐
分岐・左は平坦広場(曲輪?)
北側の道と合わさり、北麓へ戻る。
周辺の山を確認しながら大迫の駐車地まで戻る。
八幡山城・茶臼山城
■城跡について
『風土注進案』に次の記載がある。
●岩枯山城
「岩枯山
但市場後の方にあり、陶方糟谷某勝山の寄手に此所へ居城の由申傳へ候、城跡山上貳畝はかり」
●嘉年勝山城
「勝山城
但市場にあり、天文年中波多野内蔵介滋信居城のよし申傳候、頂上平地壹反はかり」
(注)この記述のあと、「勝山合戦之記」が掲載されている。勝山に籠る波多野氏(吉見方)と、それを囲む諸城(岩枯山・陶殿陣・和田山・居坂山)に陣取る陶方との攻防の様子などが興味深く読める。
●和田山城
「 和田山
但和田にあり、陶方麾下三浦越中守、三本松より白坂通り勝山への往来をさゝへん為に暫時居城のよし申傳候、城山の上貳畝程」
なお、注進案には代官の話として次の記載がある。
「御代官所考曰、此陶殿陣と申所已下の居城跡と申ハ悉皆陶尾張守勝山城を攻たる時、陶方諸將在陣の所と見えたり、城跡なんといふへき所にはあらす、一二夜滞陣の砦とミえたり、(以下略)」
2022-05-19 21:23
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