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笠松山城・懸の城(萩市須佐) [県北部の山]

須佐地域の二つの城跡を歩いてみた。笠松山城は須佐漁港の西にあり、東麓の益田家墓所から上がれ、ヤブも少なく歩きやすい。懸の城は須佐駅の東に位置し、中腹の墓地まで山道があるが、山頂直下でややシダヤブとなる。(2022.5.3)

〈参考資料〉
『山口県中世城館遺跡総合調査報告書―長門国編―』、HP『城郭放浪記』(笠松山城

IMG_9868須佐漁港から笠松山.JPG須佐漁港から笠松山城跡
笠松山城.jpeg(1,2クリックで拡大)

◆笠松山城
●駐車地~益田家墓所~山頂
須佐漁港の駐車地が利用できトイレもある。駐車地から笠松山城が望める。
新港橋を渡り県道343号に出ると、すぐ左に益田家墓所の案内標識があり、ここが登山口となる。
IMG_9810新港橋・笠松山城.JPG新港橋・笠松山城
IMG_9814益田家墓所入口.JPG益田家墓所入口
IMG_9815墓所説明板.JPG墓所案内板

石段を登り切ると、第二十代益田元祥以降の累代墓が並ぶ墓所に着く。益田氏は毛利氏に従い関ケ原の戦いに敗れた後、益田から須佐に転封され、毛利家の永代家老を勤めたという。案内板によるとこれだけの累代墓が一か所にまとまってあるのは全国でも珍しいとのこと。
ただし、笠松山城自体は益田氏のものではなく、それ以前の吉見氏が築城したもののようだ。
IMG_9816石段.JPG石段
IMG_9818石段.JPG石段
IMG_9820墓所.JPG墓所
IMG_9821高山・須佐漁港.JPG高山・須佐漁港

山頂へは墓所の北端から尾根に取り付く。右下は急峻な崖となっており足がすくみそうなので、少し左に回り込んであがる。
明確な道はないが、歩きやすい雑木疎林の緩やかな尾根を登る。
IMG_9825尾根取り付き.JPG尾根取り付き
IMG_9826雑木尾根.JPG雑木尾根
IMG_9829雑木尾根.JPG雑木尾根

標高60mあたりの平坦地を過ぎると、縄張り図にある郭跡を確認しながら上がる。途中2箇所ほど段差のある崖(切岸)にロープが設置してある。
IMG_983160m平坦尾根.JPG60m平坦尾根
IMG_9833郭Ⅳ.JPG郭Ⅳ
IMG_9834郭Ⅳ(横から).JPG郭Ⅳ(横から)
IMG_9835切岸・ロープ.JPG切岸・ロープ
IMG_9836郭Ⅲ.JPG郭Ⅲ
IMG_9837郭Ⅲ(横から).JPG郭Ⅲ(横から)

郭Ⅱを登ると郭Ⅰ(主郭)に着く。
IMG_9838郭Ⅱ.JPG郭Ⅱ
IMG_9839郭Ⅱ(横から).JPG郭Ⅱ(横から)
IMG_9840郭Ⅰ(東側).JPG郭Ⅰ(東側)

主郭の中央部にくぼみがあり、これを境に東西に少し段差がある。西側中央に四等三角点「笠松」を見る。
IMG_9841中央部のくぼみ.JPG中央部のくぼみ
IMG_9842郭Ⅰ(西側)・三角点.JPG郭Ⅰ(西側)・三角点
IMG_9843四等三角点「笠松」.JPG四等三角点「笠松」
IMG_9844郭Ⅰ(西側)逆方向から.JPG郭Ⅰ(西側)逆方向から

山頂から南尾根側と西尾根側を少し探索してみた。
IMG_9847西側切岸.JPG西側切岸

●~駐車地
帰路は80m支尾根分岐点(郭Ⅲ)まで戻り、南東側の植林境尾根へ下ってみた。
IMG_9852植林境・下り.JPG植林境・下り

勾配が緩み、60m支尾根分岐点で左(北東)の支尾根へ下る。踏み跡が残る雑木尾根を下っていくと、突然眼下に墓地が現れた。明治15年の建立碑には「益田家祖先合葬墓」とある。須佐転封以前の墓を合葬したものだろうか。石垣で囲まれた上には五輪塔の上部分だけがいくつか祀られている。こちらへ参拝する人はほとんどいないらしくさびれた感じだ。
IMG_9855雑木尾根・下り.JPG雑木尾根・下り
IMG_9856雑木尾根・下り.JPG雑木尾根・下り
IMG_9858益田氏祖先合葬墓.JPG益田氏祖先合葬墓
IMG_9860石垣.JPG石垣

墓所の右手から続く小道を下っていくと、益田家墓所へあがる石段と合流した。
IMG_9864山道.JPG山道
IMG_9865山道・植林沿い.JPG山道・植林沿い
IMG_9866石段道出合い.JPG石段道出合い


◆懸の城
●駐車地~墓地跡~山頂
IMG_9822益田家墓所より懸の城(左).JPG益田家墓所より懸の城(左)
懸の城.jpeg(1,2クリックで拡大)

JR山陰本線の踏切を渡り、青葉台団地や須佐中学校へ上がる車道の途中に路肩スペースが数か所あり、一番広いスペースに車を置く。
IMG_9869駐車スペース.JPG駐車スペース
IMG_9870駐車地から懸の城.JPG駐車地から懸の城

取り付きを探しながら車道を下っていくが、適当なところが見つからないので、倉庫らしき建物がある敷地内を通らせてもらい、尾根に取り付く。
IMG_9871倉庫敷地入口.JPG倉庫敷地入口
IMG_9872取り付き斜面.JPG取り付き斜面

急勾配の雑木疎林尾根を這い上がり支尾根上に出る。明瞭な踏み跡はないが疎林で案外歩きよい。
IMG_9873支尾根へ出る.JPG支尾根へ出る
IMG_9874雑木尾根.JPG雑木尾根

標高30mあたりの平坦地を過ぎ、ややヤブ気味の尾根を登り切ると左尾根と合流し削平地に出る。古墓(宝暦年間など)が重ねられ、そばに「山下範三郎安邦神霊」と刻まれた供養塔らしきものが立つ。
塔の裏側には「明治元戊辰年七月四日戦死于越後國螺嶽」とあり、戊辰戦争の戦没者を祀ったもののようだ。
IMG_9875平坦地.JPG平坦地
IMG_9876平坦地(横から).JPG平坦地(横から)
IMG_9877支尾根合流点手前.JPG支尾根合流点手前
IMG_9878支尾根合流点・植林境.JPG支尾根合流点・植林境
IMG_9879供養塔?・古墓・削平地.JPG供養塔?・古墓
IMG_9880供養塔「山下範三郎安邦神霊」.JPG供養塔
右折し植林境の尾根を登る。尾根上はシダ等で荒れているので、植林側に付けられた踏み跡をたどる。
標高60mあたりで植林が終わるとシダ被りの雑木尾根となる。
IMG_9883植林境(右斜面側の踏み跡).JPG植林境(右斜面側の踏み跡)
IMG_9884植林頂部.JPG植林頂部
IMG_9885雑木尾根・シダヤブ.JPG雑木尾根・シダヤブ

膝丈程度のシダを分けながら登っていくと、やや平坦な北ピークへ着く。
IMG_9886シダヤブ.JPGシダヤブ
IMG_9887北ピーク.JPG北ピーク

さらに山頂尾根を進むと南ピークに至る。いずれのピークも疎林が茂り落ち着かない。また樹木に遮られほとんど展望は得られないが、南ピークでは樹間越しに丸嶽がわずかに望める。
IMG_9888山頂尾根.JPG山頂尾根
IMG_9890南ピーク.JPG南ピーク
IMG_9892南方向わずかに丸嶽.JPG南方向わずかに丸嶽

●~墓地~駐車地
帰路は墓地跡まで戻り、そのまま尾根を直進して下る。歩きやすい雑木疎林尾根を下っていくと、眼下に墓地が現れる。
文化年間など江戸末期の墓が並ぶほか昭和年代の新しい墓もあり、まだ参り手はあるようだ。
IMG_9893雑木尾根・下り.JPG雑木尾根・下り
IMG_9894雑木尾根・下り.JPG雑木尾根・下り
IMG_9895古墓.JPG古墓

墓まで通じている山道を下る。右斜面上にも墓地がある。左の谷に倒壊した小屋らしき建物跡を見て、下り切ると線路沿いの民家裏に出る。
IMG_9897山道・上にも墓.JPG山道・上にも墓
IMG_9898山道.JPG山道
IMG_9901民家裏(逆方向).JPG民家裏(逆方向)

民家敷地際の踏み跡をたどり(夏季は草が茂るかも?)、電柱「アオバダイ 15 左17」の建つところで舗装道へ出る。水路沿いの舗装された小道を通り車道へ出た。
IMG_9903民家沿い.JPG敷地沿いの踏み跡
IMG_9906舗装道出合い(逆方向).JPG舗装道出合い(逆方向)
IMG_9907水路沿い.JPG水路沿い

■城跡について
いずれも『地下上申』と『風土注進案』に次の記載がある。

●笠松山城

・『地下上申』
「笠松山  田屋ノ上に有之
但古老諺に、吉見家築所之要害申伝候、時代不分明笠松と申名由緒不分明、只今は田屋山にて御座候事」

・『風土注進案』 
「笠松山古城  須佐笠松山ニアリ
當城は吉見家の出城と申傳候事
右笠松山の古城跡ハ御領主様御田屋山にて巨細は相知不申候事」

●懸の城

・『地下上申』
「掛ノ城 水海に有之
但石州益田家之抱出城にて、寺戸大学と申仁居申之由申伝候事」  

・『風土注進案』 
「懸之古城  水海ニアリ
當城は寺戸大學と申人居候由、是も益田家の御抱出城と申傳候事
右山の高サ凡壹丁半位にて山上に方三四畝もあらん思しき平地あり、山方形三方ハ険阻にして壹方は尾續、全ク時の要害にて居城とは相見へ不申候事」
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