桧ノ木ヶ嶽(柳井市伊陸) [県東部の山]
20年ほど前に一度登った山だが、山頂近くにあった石祠や石鳥居のその後の状況も気になったので再度歩いてみることにした。前回とほぼ同じルートで登り、帰路はルートを変えてみた。ひどいヤブの箇所はないが、林道歩きを含め展望はほとんど得られない。(2023.3.19)
上長野より桧ノ木ヶ嶽
(1,2クリックで拡大)
●駐車地~林道終点~桧ノ木ヶ嶽
上長野集会所の駐車場を借りる。県道を南東方向へ500mほど進み、右折してコン舗装道に入る。(近くの歩道沿いにも駐車可能)
上長野集会所
コン道取り付き(逆方向)
山際の道を上がっていくと溜池からの道と合わさる(分岐①)。すぐの分岐②を直進すると右に最奥民家への道が分かれる(分岐③)。
コン舗装道
長野溜池
分岐①左へ
分岐②直進
分岐③左へ・直進方向に最奥民家
未舗装の林道となり、植林沿いの道をたどる。分岐をいくつか過ごし、180m鞍部近くの分岐で左折し、林道支線に入る。最近は使用されていないらしくやや荒れてきている。
林道
分岐・左へ
林道
カーブ地点の分岐・直進
分岐・左の林道支線へ
200mほど巻き道を進むと終点となるので、雑木交じりの植林尾根に取り付く。
林道
右カーブ地点
林道終点
薄いシダ尾根
雑木交じり植林尾根
210m平坦支尾根合流点に着くと、植林尾根を北に向かい山頂を直接めざす。
やや荒れ加減の雑木交じり植林尾根をひたすら登る。
210m平坦鞍部
植林尾根・上り.
240m鞍部
標高250mあたりの小岩が重なったあたりから290mあたりまでは尾根が明瞭でないので、歩きやすいところを登る。
250m支尾根合流点・岩の重なり
岩(横から)
不明瞭な尾根
280m支尾根合流点.
290m平坦尾根
最後は雑木尾根を登り切ると山頂に出る。
山頂は狭く、中央に三等三角点「竹常」があり、木の幹には「大廻山」と書かれたブリキの山名札がかけられている。以前登ったときは「放浪の老犬 竹常より H13.1.19」と書かれたベニヤ板が付けられていて、山名札は同氏のものと思われた。当時、周辺のあまり人が入らない山でも同様の山名札がかけられているのをときどき見かけたものだ。
そのときの自分の記録によると「東南に大きく展望が開けている」としているが、植林が育ったせいか現在展望はまったくない。
雑木尾根
山頂直前
桧ノ木ヶ嶽山頂
山名札
●~林道~桧ノ木ヶ嶽(再登頂)
ここで下の林道に一旦下りてみることにする。
雑木尾根を少し南に進み、支尾根分岐点で西に下る。植林境の鞍部を登り返し、支尾根分岐を左に取って少し下ると樹間に南東方向(神代城山)の展望が少し得られるところに出る。
320m支尾根分岐点
雑木尾根・下り
290m鞍部
290m支尾根分岐点.
雑木尾根
290m・わずかな展望地
樹間展望
尾根をさらに下っていき、右下に林道が見えるあたりで、右の疎林谷を下ると林道へ降り立つ。
雑木尾根・下り
270m支尾根分岐点.
下降地点
疎林の小谷
林道下降地点
林道を少し南へ下ってみると、荒れのない歩きやすい道が続いている。
林道(南方向)
林道を戻り、下降点からさらに300mほど進んだところの谷に取り付き、ふたたび山頂をめざす。
林道
林道上方の大岩
取り付きの植林谷
勾配はきついが下草がないので歩きやすい。さらに勾配がきつくなったので、無理をせず左の植林斜面に逃げ込み、薄い踏み跡をたどりながら尾根へ出る。
谷の上り
谷の上方
左の植林斜面に逃げる
植林尾根に出る
植林境を登り切り、さらに登ると290m支尾根分岐点と合わさり、山頂まで戻る。
280m植林頂部
植林尾根・上り
290m支尾根分岐点
山頂
●~石祠・石鳥居~林道
山頂から今度は北に向かう。植林境のヤセ尾根を下っていくと300m①平坦ピークで枯れた巨木に出合う。以前歩いたときに石祠があったピークだ。
木の裏側に回ると巨木の下に石祠を見つけた。本尊はないが巨木の下で祠の形はなんとか保っている。何の神様を祀ってあったのかはわからない。
ヤセ尾根・下り
ヤセ尾根・下り
300m①ピーク
石祠
石祠(遠景)・枯れ巨木
さらに尾根を下り次の平坦ピークを少し越えたところに倒壊した石鳥居があった。刻まれた文字を探したが風化したのか読めない(前回の山行では「明治二十三年」と記録している)。
300m②ピーク
倒壊石鳥居
前回はここから北の尾根を下り林道へ直接下りたようだが、今回は北東方向の尾根へ下ることにする。
ヤブ気味の尾根を少し降りると大岩の下の平坦地に出た。
岩(逆方向)
植林境を下っていき、250m、260mと平坦ピークを越えると、250m鞍部で溝状の古道跡に出合う。道は両方向の谷へ下っている(現在使用されている様子はない)。
植林境・下り
250m平坦鞍部
250m支尾根分岐点
260m小ピーク
250m鞍部・両側に溝道
右に岩を過ごすと少し先で平べったい大岩に出合う。この山域はあちこちに花崗岩質と見られる岩が散在している。
右に岩を過ごす
大岩
緩やかな雑木交じりの植林尾根を登っていくといつの間にか標高278m地点を過ぎていた。標高点より少し先の方が高度はあるようだ。
ヤダケ交じり
260m支尾根合流点
270m支尾根合流点
278mピーク付近
北方向へ尾根を下り、平坦な240m支尾根分岐点に着く。林道が近いはずなので適当なところで左(西)に下ってもよさそうだったが、さらに北西方向へ尾根をたどり、最後は凹状になったところを下り切ると林道に飛び出た。
植林尾根・下り
240m支尾根分岐点
植林尾根・下り
230m支尾根分岐点
林道下降地点(逆方向)
●~愛宕神社~駐車地
林道をすぐに右(東)に向かわず、左方向へ向かい、以前下りたことのある山頂の北尾根直下あたりまで、林道の状態確認がてら足をのばしてみた。
以前も一部タケやササが伸び荒れたところがあったが、あまり使用された様子がない割には荒れておらず、歩くぶんにはさほど支障はない。
大岩がある谷はちょっとした雰囲気もあり、ここから上方の250m鞍部へ上がって山頂をめざすのもよいかもしれない。
林道
ササ
崩落箇所
ヤダケ
ヤダケのトンネル
小谷(逆方向)
大岩
大岩の谷
以前の降下箇所
林道下降地点まで戻り、さらに100mほど進むと四差路に着く。
左折すると奥に愛宕神社がある。神社は大きな石祠を石垣で囲み、屋根が付けられている。石鳥居には明治十一年と刻まれている。
石鳥居の年代だけで判断すると上方にある石祠の方が若干新しそうだ。当初、山頂下の石祠はこの神社の奥ノ院ではないかと思っていたが、違う神様を祀っているのかもしれない。状況から判断すると大迫か竹常側が管理していたのではなかろうか。
四差路・左へ
参道
石鳥居
愛宕神社
灯篭・手水鉢
石祠(裏側)
四差路まで戻り、左折し、一部簡易舗装の林道を下って駐車地へ戻る。
林道
分岐・直進
林道
分岐・右へ
林道
里道へ出る・最奥民家前
三ヶ岳
桧ノ木ヶ嶽
■山名について
●大廻山について
『周防アルハイク』(安部正道著)の巻末資料「周防の山一覧」に「大廻山 325m」を見て、前回この山をめざしたところ、山頂に「放浪の老犬」さんによる同様の山名プレートがあった。
その後も山名の由来が気になっていたので、このたび調べてみた。
地下上申・古村記・享保増補村記・玖珂郡史・柳井市史にあたってみた限りでは、伊陸村や柳井村についての記述の中に「大廻山」の山名は見あたらない。
ただ、玖珂郡志に、小名の項に地名として「大廻、南山・光行」があった。享保増補村記を見ると、同様に小名の項には「大迫 南山 光行」とあった。
そこで両書をほかの箇所で同様に対照してみたところ、享保増補村記では「後迫」、「長ヶ迫」、「鳥屋ヶ迫」、「樋ノ迫」、「堤迫」としているのを、玖珂郡志では「後廻」、「長廻」、「鳥ヤヶ廻、「樋ノ廻」、「堤廻」としていることがわかった。すなわち享保増補村記では「迫」の字が、玖珂郡志では「廻」になっている。
『玖珂郡志』巻頭の「玖珂郡志の刊行について」によると、「玖珂郡志は、岩国藩士で国学者の広瀬喜運が、藩の編集による享保増補村記が記事は正確であるが広博でないのを遺憾として、(中略)広瀬自身の著『岩邑若千集『』を増補したもの」という。
迫の字が廻になっている理由として次のように考えてみた。
① 迫と廻のくずし字がよく似ているため、活字にする際、迫を廻と誤った。
② 広瀬自身が迫と廻を混同して使用していた。
いずれにせよ迫と廻は意味が全く違っており、廻という字が谷を意味する字として使用された例は知らない。以上のことから、大廻は大迫が正しいと考える。
安部さんが「大廻山」とされたのは玖珂郡志の記述に何らかの関係があると思われるが、北麓の字名である大迫(誤って大廻)を山名として使用した経緯はわからない。関係書を調べた限りでは「大迫山」という山名も見あたらない。
したがって、現在の呼び名を承知しないので、ここでは下記のとおり古書に由来する山名を採用することとした。
(注)
その後ネットで調べたところ、「迫」の異形字として「廻」の字が使われることがあるようです(出雲地方に多い)。たとえば名字で「大廻(おおさこ)」・「長廻(ながさこ)」などの例があります。
したがって、「大廻山」は「おおさこやま」と呼ぶのかもしれません。北麓の字名は大迫なので、山名として使うのであれば「大迫山」で統一した方がよいと思います。
いずれにせよ、地元での呼称は確認していないので、当面「桧ノ木ヶ嶽」としておきます。
●桧ノ木ヶ嶽について
この山については、『地下上申』柳井村隣村境目書によると「ひの木垰山」、岩国藩の記録『古村記』及び『享保増補村記』によると、伊陸側では「桧ノ木ヵ嶽」、柳井側では「木落(きおとし)山」がこの山にあたると思われる。ここでは桧ノ木ヶ嶽を採った。
上長野より桧ノ木ヶ嶽
(1,2クリックで拡大)
●駐車地~林道終点~桧ノ木ヶ嶽
上長野集会所の駐車場を借りる。県道を南東方向へ500mほど進み、右折してコン舗装道に入る。(近くの歩道沿いにも駐車可能)
上長野集会所
コン道取り付き(逆方向)
山際の道を上がっていくと溜池からの道と合わさる(分岐①)。すぐの分岐②を直進すると右に最奥民家への道が分かれる(分岐③)。
コン舗装道
長野溜池
分岐①左へ
分岐②直進
分岐③左へ・直進方向に最奥民家
未舗装の林道となり、植林沿いの道をたどる。分岐をいくつか過ごし、180m鞍部近くの分岐で左折し、林道支線に入る。最近は使用されていないらしくやや荒れてきている。
林道
分岐・左へ
林道
カーブ地点の分岐・直進
分岐・左の林道支線へ
200mほど巻き道を進むと終点となるので、雑木交じりの植林尾根に取り付く。
林道
右カーブ地点
林道終点
薄いシダ尾根
雑木交じり植林尾根
210m平坦支尾根合流点に着くと、植林尾根を北に向かい山頂を直接めざす。
やや荒れ加減の雑木交じり植林尾根をひたすら登る。
210m平坦鞍部
植林尾根・上り.
240m鞍部
標高250mあたりの小岩が重なったあたりから290mあたりまでは尾根が明瞭でないので、歩きやすいところを登る。
250m支尾根合流点・岩の重なり
岩(横から)
不明瞭な尾根
280m支尾根合流点.
290m平坦尾根
最後は雑木尾根を登り切ると山頂に出る。
山頂は狭く、中央に三等三角点「竹常」があり、木の幹には「大廻山」と書かれたブリキの山名札がかけられている。以前登ったときは「放浪の老犬 竹常より H13.1.19」と書かれたベニヤ板が付けられていて、山名札は同氏のものと思われた。当時、周辺のあまり人が入らない山でも同様の山名札がかけられているのをときどき見かけたものだ。
そのときの自分の記録によると「東南に大きく展望が開けている」としているが、植林が育ったせいか現在展望はまったくない。
雑木尾根
山頂直前
桧ノ木ヶ嶽山頂
山名札
●~林道~桧ノ木ヶ嶽(再登頂)
ここで下の林道に一旦下りてみることにする。
雑木尾根を少し南に進み、支尾根分岐点で西に下る。植林境の鞍部を登り返し、支尾根分岐を左に取って少し下ると樹間に南東方向(神代城山)の展望が少し得られるところに出る。
320m支尾根分岐点
雑木尾根・下り
290m鞍部
290m支尾根分岐点.
雑木尾根
290m・わずかな展望地
樹間展望
尾根をさらに下っていき、右下に林道が見えるあたりで、右の疎林谷を下ると林道へ降り立つ。
雑木尾根・下り
270m支尾根分岐点.
下降地点
疎林の小谷
林道下降地点
林道を少し南へ下ってみると、荒れのない歩きやすい道が続いている。
林道(南方向)
林道を戻り、下降点からさらに300mほど進んだところの谷に取り付き、ふたたび山頂をめざす。
林道
林道上方の大岩
取り付きの植林谷
勾配はきついが下草がないので歩きやすい。さらに勾配がきつくなったので、無理をせず左の植林斜面に逃げ込み、薄い踏み跡をたどりながら尾根へ出る。
谷の上り
谷の上方
左の植林斜面に逃げる
植林尾根に出る
植林境を登り切り、さらに登ると290m支尾根分岐点と合わさり、山頂まで戻る。
280m植林頂部
植林尾根・上り
290m支尾根分岐点
山頂
●~石祠・石鳥居~林道
山頂から今度は北に向かう。植林境のヤセ尾根を下っていくと300m①平坦ピークで枯れた巨木に出合う。以前歩いたときに石祠があったピークだ。
木の裏側に回ると巨木の下に石祠を見つけた。本尊はないが巨木の下で祠の形はなんとか保っている。何の神様を祀ってあったのかはわからない。
ヤセ尾根・下り
ヤセ尾根・下り
300m①ピーク
石祠
石祠(遠景)・枯れ巨木
さらに尾根を下り次の平坦ピークを少し越えたところに倒壊した石鳥居があった。刻まれた文字を探したが風化したのか読めない(前回の山行では「明治二十三年」と記録している)。
300m②ピーク
倒壊石鳥居
前回はここから北の尾根を下り林道へ直接下りたようだが、今回は北東方向の尾根へ下ることにする。
ヤブ気味の尾根を少し降りると大岩の下の平坦地に出た。
岩(逆方向)
植林境を下っていき、250m、260mと平坦ピークを越えると、250m鞍部で溝状の古道跡に出合う。道は両方向の谷へ下っている(現在使用されている様子はない)。
植林境・下り
250m平坦鞍部
250m支尾根分岐点
260m小ピーク
250m鞍部・両側に溝道
右に岩を過ごすと少し先で平べったい大岩に出合う。この山域はあちこちに花崗岩質と見られる岩が散在している。
右に岩を過ごす
大岩
緩やかな雑木交じりの植林尾根を登っていくといつの間にか標高278m地点を過ぎていた。標高点より少し先の方が高度はあるようだ。
ヤダケ交じり
260m支尾根合流点
270m支尾根合流点
278mピーク付近
北方向へ尾根を下り、平坦な240m支尾根分岐点に着く。林道が近いはずなので適当なところで左(西)に下ってもよさそうだったが、さらに北西方向へ尾根をたどり、最後は凹状になったところを下り切ると林道に飛び出た。
植林尾根・下り
240m支尾根分岐点
植林尾根・下り
230m支尾根分岐点
林道下降地点(逆方向)
●~愛宕神社~駐車地
林道をすぐに右(東)に向かわず、左方向へ向かい、以前下りたことのある山頂の北尾根直下あたりまで、林道の状態確認がてら足をのばしてみた。
以前も一部タケやササが伸び荒れたところがあったが、あまり使用された様子がない割には荒れておらず、歩くぶんにはさほど支障はない。
大岩がある谷はちょっとした雰囲気もあり、ここから上方の250m鞍部へ上がって山頂をめざすのもよいかもしれない。
林道
ササ
崩落箇所
ヤダケ
ヤダケのトンネル
小谷(逆方向)
大岩
大岩の谷
以前の降下箇所
林道下降地点まで戻り、さらに100mほど進むと四差路に着く。
左折すると奥に愛宕神社がある。神社は大きな石祠を石垣で囲み、屋根が付けられている。石鳥居には明治十一年と刻まれている。
石鳥居の年代だけで判断すると上方にある石祠の方が若干新しそうだ。当初、山頂下の石祠はこの神社の奥ノ院ではないかと思っていたが、違う神様を祀っているのかもしれない。状況から判断すると大迫か竹常側が管理していたのではなかろうか。
四差路・左へ
参道
石鳥居
愛宕神社
灯篭・手水鉢
石祠(裏側)
四差路まで戻り、左折し、一部簡易舗装の林道を下って駐車地へ戻る。
林道
分岐・直進
林道
分岐・右へ
林道
里道へ出る・最奥民家前
三ヶ岳
桧ノ木ヶ嶽
■山名について
●大廻山について
『周防アルハイク』(安部正道著)の巻末資料「周防の山一覧」に「大廻山 325m」を見て、前回この山をめざしたところ、山頂に「放浪の老犬」さんによる同様の山名プレートがあった。
その後も山名の由来が気になっていたので、このたび調べてみた。
地下上申・古村記・享保増補村記・玖珂郡史・柳井市史にあたってみた限りでは、伊陸村や柳井村についての記述の中に「大廻山」の山名は見あたらない。
ただ、玖珂郡志に、小名の項に地名として「大廻、南山・光行」があった。享保増補村記を見ると、同様に小名の項には「大迫 南山 光行」とあった。
そこで両書をほかの箇所で同様に対照してみたところ、享保増補村記では「後迫」、「長ヶ迫」、「鳥屋ヶ迫」、「樋ノ迫」、「堤迫」としているのを、玖珂郡志では「後廻」、「長廻」、「鳥ヤヶ廻、「樋ノ廻」、「堤廻」としていることがわかった。すなわち享保増補村記では「迫」の字が、玖珂郡志では「廻」になっている。
『玖珂郡志』巻頭の「玖珂郡志の刊行について」によると、「玖珂郡志は、岩国藩士で国学者の広瀬喜運が、藩の編集による享保増補村記が記事は正確であるが広博でないのを遺憾として、(中略)広瀬自身の著『岩邑若千集『』を増補したもの」という。
迫の字が廻になっている理由として次のように考えてみた。
① 迫と廻のくずし字がよく似ているため、活字にする際、迫を廻と誤った。
② 広瀬自身が迫と廻を混同して使用していた。
いずれにせよ迫と廻は意味が全く違っており、廻という字が谷を意味する字として使用された例は知らない。以上のことから、大廻は大迫が正しいと考える。
安部さんが「大廻山」とされたのは玖珂郡志の記述に何らかの関係があると思われるが、北麓の字名である大迫(誤って大廻)を山名として使用した経緯はわからない。関係書を調べた限りでは「大迫山」という山名も見あたらない。
したがって、現在の呼び名を承知しないので、ここでは下記のとおり古書に由来する山名を採用することとした。
(注)
その後ネットで調べたところ、「迫」の異形字として「廻」の字が使われることがあるようです(出雲地方に多い)。たとえば名字で「大廻(おおさこ)」・「長廻(ながさこ)」などの例があります。
したがって、「大廻山」は「おおさこやま」と呼ぶのかもしれません。北麓の字名は大迫なので、山名として使うのであれば「大迫山」で統一した方がよいと思います。
いずれにせよ、地元での呼称は確認していないので、当面「桧ノ木ヶ嶽」としておきます。
●桧ノ木ヶ嶽について
この山については、『地下上申』柳井村隣村境目書によると「ひの木垰山」、岩国藩の記録『古村記』及び『享保増補村記』によると、伊陸側では「桧ノ木ヵ嶽」、柳井側では「木落(きおとし)山」がこの山にあたると思われる。ここでは桧ノ木ヶ嶽を採った。
2023-03-23 20:14
コメント(1)
山名の大廻山について、注意書きを追記しました。
by gomen (2023-03-25 20:53)