白山・三ヶ迫山・中尾山・大つえ山・枯木山・下大野城跡(下関市菊川町下大野) [県西部の山]
白山中腹の鉄塔が付け替えられているようなので、新設巡視路を利用しルートの開拓ももくろんで歩いてみた。
まず大野神社側から歩き、鉄塔NO.28までは鉄塔建設時につけられたと思われる踏み跡をたどる。白山山頂へはNo.27へ向かう巡視路と途中で別れ、尾根伝いに登る。ヤブはない。
白山は北側の展望が開ける。東麓の平田口からのコースは、尾根から直接山頂に出るコースが新しく付けられている。
白山からの帰路は南西尾根を下る。田部峠側へ下るコースが付け変わっている。途中からコースをはずれ、大字境をたどり南へ向かう。三つの大字境のピーク三ヶ迫山から鉄塔No.30が山頂直下に建つ大つえ山へは、植林境が主で一部防獣ネットが設置されている。
鉄塔No.31まで足を延ばし、鉄塔No.30まで戻り、新設の巡視路を下る。巡視路は新設にもかかわらず倒竹などで早くも荒れ加減となっている。
帰路、二つの城跡に立ち寄る。下大野城は城跡が明瞭に確認できる。(2024.4.1)
鉄塔No.30から三ヶ迫山・白山
(1,2クリックで拡大)
●駐車地~鉄塔No.28
大師堂の横に駐車スペースがある。
大師堂・駐車地
大野神社に立ち寄る。社殿には絵馬がいくつも掲げられ興味深い。
大野神社
絵馬
社殿横から集落道に出て、ポンプ場前で未舗装道へ右折する。
集落道
未舗装道
古墓地を右に過ごすと溜池(涸れ)に出て、土手横の広場で道が終わる。
古い墓地
涸れ溜池
終点広場・取り付き
鉄塔建設時の作業道跡が尾根際の谷を直線状に上がっている。灌木が茂り歩けそうにないので、左の雑木疎林斜面に取り付き尾根に上がると、作業時に付けられたのか明瞭な踏み跡に出合う。
作業道跡の灌木が茂る谷
左の尾根へ取り付く
植林境尾根出合い
植林境を上がっていくと90m支尾根合流点で右手に展望が少し開ける。
明瞭な踏み跡
90m支尾根合流点
古烏帽子山・猿王岳
白山
尾根伝いに踏み跡をたどると伐採広場に出て、前方に鉄塔が望める。
雑木尾根・上り
植林沿い
灌木谷(右)
伐採広場
緩やかな尾根をたどると鉄塔No.28の建つ157mピークに着く。前方の白山山頂が近い。
150m支尾根合流点・前方に鉄塔
中電標柱・No.28鉄塔
白山
●~白山
白山山頂をめざし巡視路を北へ向かい、雑木疎林尾根を進む。巡視路はところどころ黄色の火の用心マーカーが付けられているものの、新設のためか踏み跡がやや不明瞭である。
標柱・巡視路
150m①支尾根合流点・巡視路
巡視路
150m②の支尾根分岐点で右下方へ向かう巡視路とわかれ、北西方向へ尾根伝いに進む。
150m③支尾根分岐点で植林と出合い、北方向の鞍部へ下るとヌタ場に出合う。
巡視路右下方へ・150m②支尾根分岐点
雑木尾根
植林出合い・150m③支尾根分岐点
植林尾根・下り
鞍部・ヌタ場
雑木尾根を登り返し、尾根伝いに上方をめざす。
雑木尾根・上り
雑木尾根
190m支尾根合流点
植林境に変わり登り切ると、220m支尾根合流点で田部峠コースと出合う。
植林境尾根
220m支尾根合流点手前
220m支尾根合流点から下方の南西尾根(田部峠コース)
右へ山道を少し進むと鉄塔跡の平坦地で平田コースと合わさる。
雑木平坦尾根
230mコース合流点・鉄塔跡
道標
平田口コース分岐
さらにゆるやかな尾根を登っていき、曲輪跡らしき段状の平坦地を二つほど越えると山頂広場へ着く。
「白山宮址」石碑の先に三等三角点「白山」がある。
山頂方向の取り付き
雑木尾根
雑木尾根
曲輪跡①
曲輪跡②
「白山宮旧趾」石碑
白山山頂
三等三角点「白山」
山頂からは伐採により北から東に向けて展望が開け、華山・高畑山などが望める。
鳴滝山・六部山
狗留孫山・大滝山
京ヶ嶽・華山
高畑山
古烏帽子山・江船山
東方向には新しく付けられた道が付けられている。
東尾根方向の道
●~三ヶ迫山
測量の影響か田部峠側に新コースができているので、帰路はこれを下る。
220m支尾根分岐点まで戻り、南西尾根を下ると鞍部で登り返す。
植林境・下り
210m鞍部
植林・雑木尾根・上り
コース上にはピンクテープが付けられ、雑木尾根をたどっていく。途中、旧コースの分岐230m①支尾根合流点を右に過ごす。
220m支尾根合流点
230m①支尾根合流点
230m②支尾根分岐点
220m①支尾根分岐点
倒石杭のある220m②支尾根分岐点で右方向へ直角に下ると、すぐに石杭「貸」やコン杭「菊川町」を見る。
220m➁支尾根分岐点・石杭(倒)
石杭「貸」・コン杭「菊川町」
そのまま南西方向に斜面を下っていくと植林と出合い、西に延びる尾根に乗る。
ゆるい雑木斜面
コン杭・植林
鞍部
テープに導かれ180m②支尾根分岐点までコースをたどってみたが、ここで少し引き返す。
180m①支尾根分岐点
雑木平坦尾根
石杭「貸」
180m②支尾根分岐点
平坦尾根の石杭「貸」まで戻り、南へ斜面を下ると植林境となり鞍部へ着く。
植林境・下り
コン杭
鞍部、石杭・コン杭(倒)
雑木尾根を登り返すと植林境の190m平坦尾根へ出る。
雑木尾根・上り
コン杭
植林境平坦尾根出合い
植林境を右に向かうと190m平坦ピーク(三ヶ迫山)に着く。下大野・上田部・小月町の三つの大字境となっており、測量のためかピーク周辺は伐採され、石杭「山」を見る。少し北西に下ったところに図根三角点がある。三角点あたりからは六万坊山が望める。
三ヶ迫山・石杭「山」
図根三角点
六万坊山
●~大つえ山
小月町との大字境である南東の植林境尾根を下る。途中左から防獣ネットと出合い、しばらくはネット沿いに植林境尾根を進む。
植林境・下り
防獣ネット出合い
鞍部・石杭「山」
130m①支尾根合流点・コン杭「57」
130m➁平坦ピーク(中尾山)を越え登り返すと、ヒザ高ほどのシダ交じり植林尾根となるが長くはない。
中尾山
鞍部
シダ(ひざ下)・植林・上り
130m支尾根合流点でネットと分かれる。
150m支尾根合流点で南東方向に進んでいくと、前方が開け160mピーク(大つえ山)の左斜面に鉄塔No.30が現れる。
ネットわかれ
石杭
150m支尾根合流点
コン杭
左に鉄塔No.30
160mピークの大つえ山の山頂には巡視路標柱が立ち、展望が大きく開ける。
大つえ山・標柱
白山
古烏帽子山(中央)・猿王岳
大音山
蓮台寺山(中央)・石山
●~鉄塔No.31~鉄塔No.30~車道出合い
眼下の鉄塔No.30は後回しにして、先に鉄塔No.31まで巡視路をたどってみる。プラ段を下り、平坦な植林尾根を抜けると、鉄塔No.31が150mピーク上に建つ。
平坦尾根
150mピーク・鉄塔No.31
標柱
こちらも周辺の山々の展望が楽しめる。
雌笠山
中嶽・六万坊山・△一本松
鉄塔No.29・No.28
古烏帽子山
猿王岳
大音山(中央)
古春日山・大垰山
巡視路は南西方向の尾根を下っているが、ここで引き返す。160mピークから巡視路を東へ下ると尾根上に鉄塔No.30に着く。
鉄塔No.30
さらに尾根を下ると標柱があり、ここで新設巡視路を北西方向へ下る。
標柱(逆方向)
巡視路
竹林谷に下ると、倒竹が目立つ。イノシシの掘り返しもあり、新設ながら早くも荒れ加減となっている。
巡視路・タケ
倒竹
谷が合わさったところで標柱を見る。不明瞭な踏み跡をたどって沢沿いを下る。
標柱・谷出合い
沢沿い
対岸に標柱が見えると沢を渡り、谷出合いで主沢を渡る。小さな中洲状の沢を渡り、対岸の山道に出る。
標柱・沢渡り
沢渡り
小さな中洲状の沢
山道に出る
次の河原状に広くなった谷出合いで標柱①、標柱②を見て巡視路とわかれ、対岸に渡って林道に出る。
標柱①
標柱②(鉄塔No.29分岐)
鉄塔No.28への巡視路取り付き
河原状の谷分岐(逆方向)
未舗装林道を進むと最奥民家手前で舗装道に変わる。
林道
舗装道出合い・民家
●~枯木山~えげ山城跡?
途中、城跡二つに立ち寄る。
右カーブのところから左の未舗装道に入る。道なりに谷分岐を右に向かう。(左の実線道は現在山道程度の細道となっている)
未舗装道分岐
未舗装道
分岐
作業道風の幅広道に変わり、谷を登り切ると尾根上で防獣ネットに出合う。前方は伐採斜面となっている。
幅広道
尾根・ネット出合い
ネット・伐採斜面(逆方向)
幅広道は旧巡視路らしく尾根上に左へ続いている。ネット沿いに進み、次の80m支尾根合流点(枯木山)でネットが終わる。
枯木山・ネットわかれ
古春日山・大垰山
植林境の90m①支尾根合流点を過ぎたところで鉄塔跡の平坦地に出る。左が開け前方に白山を望める。
90m①支尾根合流点
鉄塔跡
白山
『山口県中世城館遺跡総合調査報告書』の地図によれば、すぐ上の90m②ピークがえげ山城跡のようだが、竹や雑木が伸び、遺構らしきものは確認できない。
幅広道(巡視路跡)
えげ山城跡?・90m②ピーク
えげ山城跡?(逆方向)
●~下大野城跡~駐車場
旧巡視路の雑木尾根を下っていくと次第に不明瞭となり、70m支尾根分岐点あたりで方向を定め東へ下る。
やや荒れた道
70m支尾根分岐点
倒竹が交る竹林尾根となり、50m支尾根分岐点で南東尾根を下ると鉄塔跡の広場に出る。
竹林沿い
倒竹・鞍部
50m支尾根分岐点
鞍部
鉄塔跡
東方向へ竹交じりのやや荒れた植林尾根を下ると鞍部に着く。明瞭な堀切が残っている。
竹まじり植林鞍部(堀切跡)
登り返すと土塁・竪堀・横堀跡があり、主郭の平坦頂上へ出る。樹木に囲まれ展望は得られない。
土塁
竪堀(手前)・横堀
横堀
大野城・主郭
大野城プレート
主郭(北方向)
報告書の縄張り図どおり、北や南側に曲輪(段状地)も認められる。
曲輪(北方向)
曲輪(南東方向①)
曲輪(南東方向②)
東側急斜面
帰路は南東側の小谷へ下る。谷あいに二段の古墓墓地がある。
竹林尾根から谷へ下る
古墓地(上段)
古墓地(下段)
下段の墓地から南東に続く山道をたどって民家横に降り立ち、集落道に出る。
山道・左下に民家
山道・下り
民家沿い
民家沿い
県道出合い
■山名について
地下上申及び同書絵図(地下図)をもとに同定した。
▲三(みつ)ヶ迫山
三つの旧村境(大字境)の山で、下大野側では「なめら山之頭」、上田部側では「道別当山」、小月側では「三ツ迫山」(絵図では「三か迫山)としているしている。
現在も字名として「堂別当」、「三ヶ迫」が残る。ここでは小月側の山名を採った。
▲中尾山
下大野村側に記載がある。地下上申では「中尾山」、絵図では「長尾山」となっている。ここでは「中尾山」とした。
▲大つえ山
下大野村側に記載がある。地下上申では「大つへ山」・「大つゑ山」、絵図では「大つへ山」となっている。「つえ」とは崖や崩れを意味する言葉であり、急勾配の谷の地形からも山名の由来がうかがえる。ここでは「大つえ山」とした。
▲枯木山
下大野村の地下上申絵図に山名が記されている。
山名と関係するか不明だが、山林の字名に「前枯木」・「枯山」、耕地の字名に「枯木辺」がある。
■城跡について
『山口県中世城館遺跡総合調査報告書』の掲載地図を参考に二つの城跡を歩き、
山行後に地下上申や絵図を調べ直した。
▲えげ山城跡
調査報告書には7万分の1地図に概略位置が示されているだけで、詳細は不明。
山行記録にも記載したように城跡らしきものは見当たらなかった。
なお「えげ」の名については、絵図に南麓の小名「ゑけ」が見える。
『地下上申』豊浦郡大野村由来覚には「城山 下大野之内矢井に有之 但矢から山とも申候、何某之城山とも申伝無御座候事」との記載がある。
また、「矢井と申小名は、此所に矢から山と申山有之、此麓故矢井と申由伝候事」とある。
絵図では、不思議なことに山域東側の40mピークあたりに記された「城山」の字が墨で消され、山域西側の80mピークあたりに「城山」と記されている。
絵図では同じ山域の西端に小村として「ヤイ」の名がある。
これらからすると、80mピークの枯木山が矢から山すなわち地下上申や絵図で示された城山かもしれない。現在は伐採頂部の緩やかなピークとなっており、特に城跡をうかがわせるようなものは見当たらない。
調査報告書でも、下大野城跡の項に「『地下上申』記載のこの山城が下大野城跡かえげ山城跡のいずれかを指すかは、明らかではない。」としている。
まず大野神社側から歩き、鉄塔NO.28までは鉄塔建設時につけられたと思われる踏み跡をたどる。白山山頂へはNo.27へ向かう巡視路と途中で別れ、尾根伝いに登る。ヤブはない。
白山は北側の展望が開ける。東麓の平田口からのコースは、尾根から直接山頂に出るコースが新しく付けられている。
白山からの帰路は南西尾根を下る。田部峠側へ下るコースが付け変わっている。途中からコースをはずれ、大字境をたどり南へ向かう。三つの大字境のピーク三ヶ迫山から鉄塔No.30が山頂直下に建つ大つえ山へは、植林境が主で一部防獣ネットが設置されている。
鉄塔No.31まで足を延ばし、鉄塔No.30まで戻り、新設の巡視路を下る。巡視路は新設にもかかわらず倒竹などで早くも荒れ加減となっている。
帰路、二つの城跡に立ち寄る。下大野城は城跡が明瞭に確認できる。(2024.4.1)
鉄塔No.30から三ヶ迫山・白山
(1,2クリックで拡大)
●駐車地~鉄塔No.28
大師堂の横に駐車スペースがある。
大師堂・駐車地
大野神社に立ち寄る。社殿には絵馬がいくつも掲げられ興味深い。
大野神社
絵馬
社殿横から集落道に出て、ポンプ場前で未舗装道へ右折する。
集落道
未舗装道
古墓地を右に過ごすと溜池(涸れ)に出て、土手横の広場で道が終わる。
古い墓地
涸れ溜池
終点広場・取り付き
鉄塔建設時の作業道跡が尾根際の谷を直線状に上がっている。灌木が茂り歩けそうにないので、左の雑木疎林斜面に取り付き尾根に上がると、作業時に付けられたのか明瞭な踏み跡に出合う。
作業道跡の灌木が茂る谷
左の尾根へ取り付く
植林境尾根出合い
植林境を上がっていくと90m支尾根合流点で右手に展望が少し開ける。
明瞭な踏み跡
90m支尾根合流点
古烏帽子山・猿王岳
白山
尾根伝いに踏み跡をたどると伐採広場に出て、前方に鉄塔が望める。
雑木尾根・上り
植林沿い
灌木谷(右)
伐採広場
緩やかな尾根をたどると鉄塔No.28の建つ157mピークに着く。前方の白山山頂が近い。
150m支尾根合流点・前方に鉄塔
中電標柱・No.28鉄塔
白山
●~白山
白山山頂をめざし巡視路を北へ向かい、雑木疎林尾根を進む。巡視路はところどころ黄色の火の用心マーカーが付けられているものの、新設のためか踏み跡がやや不明瞭である。
標柱・巡視路
150m①支尾根合流点・巡視路
巡視路
150m②の支尾根分岐点で右下方へ向かう巡視路とわかれ、北西方向へ尾根伝いに進む。
150m③支尾根分岐点で植林と出合い、北方向の鞍部へ下るとヌタ場に出合う。
巡視路右下方へ・150m②支尾根分岐点
雑木尾根
植林出合い・150m③支尾根分岐点
植林尾根・下り
鞍部・ヌタ場
雑木尾根を登り返し、尾根伝いに上方をめざす。
雑木尾根・上り
雑木尾根
190m支尾根合流点
植林境に変わり登り切ると、220m支尾根合流点で田部峠コースと出合う。
植林境尾根
220m支尾根合流点手前
220m支尾根合流点から下方の南西尾根(田部峠コース)
右へ山道を少し進むと鉄塔跡の平坦地で平田コースと合わさる。
雑木平坦尾根
230mコース合流点・鉄塔跡
道標
平田口コース分岐
さらにゆるやかな尾根を登っていき、曲輪跡らしき段状の平坦地を二つほど越えると山頂広場へ着く。
「白山宮址」石碑の先に三等三角点「白山」がある。
山頂方向の取り付き
雑木尾根
雑木尾根
曲輪跡①
曲輪跡②
「白山宮旧趾」石碑
白山山頂
三等三角点「白山」
山頂からは伐採により北から東に向けて展望が開け、華山・高畑山などが望める。
鳴滝山・六部山
狗留孫山・大滝山
京ヶ嶽・華山
高畑山
古烏帽子山・江船山
東方向には新しく付けられた道が付けられている。
東尾根方向の道
●~三ヶ迫山
測量の影響か田部峠側に新コースができているので、帰路はこれを下る。
220m支尾根分岐点まで戻り、南西尾根を下ると鞍部で登り返す。
植林境・下り
210m鞍部
植林・雑木尾根・上り
コース上にはピンクテープが付けられ、雑木尾根をたどっていく。途中、旧コースの分岐230m①支尾根合流点を右に過ごす。
220m支尾根合流点
230m①支尾根合流点
230m②支尾根分岐点
220m①支尾根分岐点
倒石杭のある220m②支尾根分岐点で右方向へ直角に下ると、すぐに石杭「貸」やコン杭「菊川町」を見る。
220m➁支尾根分岐点・石杭(倒)
石杭「貸」・コン杭「菊川町」
そのまま南西方向に斜面を下っていくと植林と出合い、西に延びる尾根に乗る。
ゆるい雑木斜面
コン杭・植林
鞍部
テープに導かれ180m②支尾根分岐点までコースをたどってみたが、ここで少し引き返す。
180m①支尾根分岐点
雑木平坦尾根
石杭「貸」
180m②支尾根分岐点
平坦尾根の石杭「貸」まで戻り、南へ斜面を下ると植林境となり鞍部へ着く。
植林境・下り
コン杭
鞍部、石杭・コン杭(倒)
雑木尾根を登り返すと植林境の190m平坦尾根へ出る。
雑木尾根・上り
コン杭
植林境平坦尾根出合い
植林境を右に向かうと190m平坦ピーク(三ヶ迫山)に着く。下大野・上田部・小月町の三つの大字境となっており、測量のためかピーク周辺は伐採され、石杭「山」を見る。少し北西に下ったところに図根三角点がある。三角点あたりからは六万坊山が望める。
三ヶ迫山・石杭「山」
図根三角点
六万坊山
●~大つえ山
小月町との大字境である南東の植林境尾根を下る。途中左から防獣ネットと出合い、しばらくはネット沿いに植林境尾根を進む。
植林境・下り
防獣ネット出合い
鞍部・石杭「山」
130m①支尾根合流点・コン杭「57」
130m➁平坦ピーク(中尾山)を越え登り返すと、ヒザ高ほどのシダ交じり植林尾根となるが長くはない。
中尾山
鞍部
シダ(ひざ下)・植林・上り
130m支尾根合流点でネットと分かれる。
150m支尾根合流点で南東方向に進んでいくと、前方が開け160mピーク(大つえ山)の左斜面に鉄塔No.30が現れる。
ネットわかれ
石杭
150m支尾根合流点
コン杭
左に鉄塔No.30
160mピークの大つえ山の山頂には巡視路標柱が立ち、展望が大きく開ける。
大つえ山・標柱
白山
古烏帽子山(中央)・猿王岳
大音山
蓮台寺山(中央)・石山
●~鉄塔No.31~鉄塔No.30~車道出合い
眼下の鉄塔No.30は後回しにして、先に鉄塔No.31まで巡視路をたどってみる。プラ段を下り、平坦な植林尾根を抜けると、鉄塔No.31が150mピーク上に建つ。
平坦尾根
150mピーク・鉄塔No.31
標柱
こちらも周辺の山々の展望が楽しめる。
雌笠山
中嶽・六万坊山・△一本松
鉄塔No.29・No.28
古烏帽子山
猿王岳
大音山(中央)
古春日山・大垰山
巡視路は南西方向の尾根を下っているが、ここで引き返す。160mピークから巡視路を東へ下ると尾根上に鉄塔No.30に着く。
鉄塔No.30
さらに尾根を下ると標柱があり、ここで新設巡視路を北西方向へ下る。
標柱(逆方向)
巡視路
竹林谷に下ると、倒竹が目立つ。イノシシの掘り返しもあり、新設ながら早くも荒れ加減となっている。
巡視路・タケ
倒竹
谷が合わさったところで標柱を見る。不明瞭な踏み跡をたどって沢沿いを下る。
標柱・谷出合い
沢沿い
対岸に標柱が見えると沢を渡り、谷出合いで主沢を渡る。小さな中洲状の沢を渡り、対岸の山道に出る。
標柱・沢渡り
沢渡り
小さな中洲状の沢
山道に出る
次の河原状に広くなった谷出合いで標柱①、標柱②を見て巡視路とわかれ、対岸に渡って林道に出る。
標柱①
標柱②(鉄塔No.29分岐)
鉄塔No.28への巡視路取り付き
河原状の谷分岐(逆方向)
未舗装林道を進むと最奥民家手前で舗装道に変わる。
林道
舗装道出合い・民家
●~枯木山~えげ山城跡?
途中、城跡二つに立ち寄る。
右カーブのところから左の未舗装道に入る。道なりに谷分岐を右に向かう。(左の実線道は現在山道程度の細道となっている)
未舗装道分岐
未舗装道
分岐
作業道風の幅広道に変わり、谷を登り切ると尾根上で防獣ネットに出合う。前方は伐採斜面となっている。
幅広道
尾根・ネット出合い
ネット・伐採斜面(逆方向)
幅広道は旧巡視路らしく尾根上に左へ続いている。ネット沿いに進み、次の80m支尾根合流点(枯木山)でネットが終わる。
枯木山・ネットわかれ
古春日山・大垰山
植林境の90m①支尾根合流点を過ぎたところで鉄塔跡の平坦地に出る。左が開け前方に白山を望める。
90m①支尾根合流点
鉄塔跡
白山
『山口県中世城館遺跡総合調査報告書』の地図によれば、すぐ上の90m②ピークがえげ山城跡のようだが、竹や雑木が伸び、遺構らしきものは確認できない。
幅広道(巡視路跡)
えげ山城跡?・90m②ピーク
えげ山城跡?(逆方向)
●~下大野城跡~駐車場
旧巡視路の雑木尾根を下っていくと次第に不明瞭となり、70m支尾根分岐点あたりで方向を定め東へ下る。
やや荒れた道
70m支尾根分岐点
倒竹が交る竹林尾根となり、50m支尾根分岐点で南東尾根を下ると鉄塔跡の広場に出る。
竹林沿い
倒竹・鞍部
50m支尾根分岐点
鞍部
鉄塔跡
東方向へ竹交じりのやや荒れた植林尾根を下ると鞍部に着く。明瞭な堀切が残っている。
竹まじり植林鞍部(堀切跡)
登り返すと土塁・竪堀・横堀跡があり、主郭の平坦頂上へ出る。樹木に囲まれ展望は得られない。
土塁
竪堀(手前)・横堀
横堀
大野城・主郭
大野城プレート
主郭(北方向)
報告書の縄張り図どおり、北や南側に曲輪(段状地)も認められる。
曲輪(北方向)
曲輪(南東方向①)
曲輪(南東方向②)
東側急斜面
帰路は南東側の小谷へ下る。谷あいに二段の古墓墓地がある。
竹林尾根から谷へ下る
古墓地(上段)
古墓地(下段)
下段の墓地から南東に続く山道をたどって民家横に降り立ち、集落道に出る。
山道・左下に民家
山道・下り
民家沿い
民家沿い
県道出合い
■山名について
地下上申及び同書絵図(地下図)をもとに同定した。
▲三(みつ)ヶ迫山
三つの旧村境(大字境)の山で、下大野側では「なめら山之頭」、上田部側では「道別当山」、小月側では「三ツ迫山」(絵図では「三か迫山)としているしている。
現在も字名として「堂別当」、「三ヶ迫」が残る。ここでは小月側の山名を採った。
▲中尾山
下大野村側に記載がある。地下上申では「中尾山」、絵図では「長尾山」となっている。ここでは「中尾山」とした。
▲大つえ山
下大野村側に記載がある。地下上申では「大つへ山」・「大つゑ山」、絵図では「大つへ山」となっている。「つえ」とは崖や崩れを意味する言葉であり、急勾配の谷の地形からも山名の由来がうかがえる。ここでは「大つえ山」とした。
▲枯木山
下大野村の地下上申絵図に山名が記されている。
山名と関係するか不明だが、山林の字名に「前枯木」・「枯山」、耕地の字名に「枯木辺」がある。
■城跡について
『山口県中世城館遺跡総合調査報告書』の掲載地図を参考に二つの城跡を歩き、
山行後に地下上申や絵図を調べ直した。
▲えげ山城跡
調査報告書には7万分の1地図に概略位置が示されているだけで、詳細は不明。
山行記録にも記載したように城跡らしきものは見当たらなかった。
なお「えげ」の名については、絵図に南麓の小名「ゑけ」が見える。
『地下上申』豊浦郡大野村由来覚には「城山 下大野之内矢井に有之 但矢から山とも申候、何某之城山とも申伝無御座候事」との記載がある。
また、「矢井と申小名は、此所に矢から山と申山有之、此麓故矢井と申由伝候事」とある。
絵図では、不思議なことに山域東側の40mピークあたりに記された「城山」の字が墨で消され、山域西側の80mピークあたりに「城山」と記されている。
絵図では同じ山域の西端に小村として「ヤイ」の名がある。
これらからすると、80mピークの枯木山が矢から山すなわち地下上申や絵図で示された城山かもしれない。現在は伐採頂部の緩やかなピークとなっており、特に城跡をうかがわせるようなものは見当たらない。
調査報告書でも、下大野城跡の項に「『地下上申』記載のこの山城が下大野城跡かえげ山城跡のいずれかを指すかは、明らかではない。」としている。
2024-04-09 19:45
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