風神山(柳井市伊陸) [県東部の山]
風神山(ふうじんやま)は桧ノ木ヶ嶽と同じく20年ほど前に合わせて歩いた。3月19日に桧ノ木ヶ嶽のあと時間切れで歩けなかったので、再度足を運んでみた。
前回は北西麓から林道を歩き植林尾根をたどって登頂、南東尾根に下り、林道を横切って巡視路を歩き大ノ口へ出た。今回は林道を南東麓から歩き、前回とは逆に植林境尾根を登った。大きな荒れはないが明瞭な道はない。
登頂後ややヤブ加減の植林尾根を北北西へ下り、林道へ出た後、ひとつ東の植林尾根を登って再度山頂をめざした。歩いた限りではこのルートが一番歩きやすいようだ。
ピストン後、林道から東の緩い谷を下り、ヤブ加減のところを抜けると巡視路に出た。(2023.3.28)
風神山
(1,2クリックで拡大)
●駐車地~山頂
県道と里道が合わさるあたりに駐車スペースがある。
駐車地(玖珂方向)
県道を少し南へ行くと、右手に地蔵堂がある。
峠(古名は馬皿垰、切貫垰ともいう)を越え、300mほど下った「法専寺墓苑」の道標があるところから右の舗装道に入る。すぐ右に舗装林道が分岐するので、これを上がる(道路改良により地形図の林道入口は移動している)。
地蔵堂
分岐①
分岐②(逆方向)
コン舗装林道
左に林道を分け、左斜面に高圧線鉄塔(No.64)を過ごすと峠に着く。
分岐(右道へ)
鉄塔No.64
林道・竹林沿い
鞍部・鉄塔路(右へ)
右の尾根に上がると次の鉄塔(No.63)に出合う。北西に風神山が望める。
鉄塔No.63
鉄塔No.63から風神山
峠に戻り、以前はなかった「私有地につき立入禁止」の看板が立っていたので、林道を進むのをはばかり、左の尾根に取り付くことにした。
林道斜面を少しよじ登り、植林境の尾根をたどると270m鞍部に出る(以前は林道から右の谷を上がりこの鞍部へ出た)。
尾根取り付き・立入禁止看板
尾根上へ出る
雑木交じり植林尾根
270m鞍部
植林と雑木の尾根境の歩きやすいところを選びながら登っていく。300m支尾根合流点を過ごし少し進むと平坦な山頂に着く。四等三角点「横川」が端っこにぽつんとある。植林に囲まれ展望は得られない。
「絶頂に鐘撞堂屋敷とて平なる所あり」(『玖珂郡志』)との記述があり、建物が建っていたとしてもおかしくはない広さがある。
雑木交じり植林尾根
300m支尾根合流点
山頂手前の上り
風神山の平坦山頂
四等三角点「横川」
●~林道~再登頂
帰りは山頂から林道に一番近そうな北側の植林境を下りてみた。灌木が邪魔をして少し歩きづらい。
植林境・下り
植林尾根
尾根を外さないよう忠実に下っていき、タケが現れると間もなく林道が見えたので、ヤブの急斜面をわずかに下ると林道へ飛び出た。
竹林斜面
林道下降地点(左方向)
林道を東に進み、カーブが広場になったところを回り込むと、右の植林斜面に作業道跡のような幅広の山道がある。歩きやすそうだったので別ルートでもう一度山頂をめざすことにし、これに取り付く。(谷に向かっていく筋か道の名残があり、それをたどっても尾根に上がれそうだ。)
蓮華山~矢櫃山(林道から)
林道
カーブの広場.
尾根取り付き
踏み跡が残る歩きやすい植林尾根を登っていく。
幅広山道
尾根へ出る・吸い殻入れ
雑木尾根
植林尾根
植林尾根
290mあたりで岩が並ぶところを過ごし、登り切ると、さきほどの平坦山頂に着く。
岩の並び
山頂手前
●~林道~巡視路~駐車地
植林尾根を戻り林道にふたたび降り立つ。向かい側の谷に古い道が残っているようなので、林道を横切り、緩やかな疎林谷を下る。
緩い谷を下る
疎林谷
疎林谷
標高差50mほど下ったあたりで前方に突然廃棄バスが現われ驚く。車体に「防長バス」のネームが残っており、どのようにしてここまで上がったのか不思議に思う。
廃棄バス
道が不明瞭となったので廃棄バスの左へ向かい、ややヤブ加減の山際を下っていくと、下に平坦道が見え、未舗装の幅広道終点部に降り立つ。以前歩いたことのある巡視路に出たようだ。
山際のやや荒れた踏み跡
倒木
眼下に平坦地(幅広巡視路)
巡視路・幅広道終点
右にたどってみると湿地に架けられたプラ橋があった。
元へ戻り巡視路を下る。標柱を見て、左の尾根上の鉄塔No.62へ立ち寄る。展望は樹上わずかに桧ノ木ヶ嶽が確認できる程度である。
湿地に架かったプラ橋
巡視路・標柱
鉄塔への巡視路
鉄塔No.62
樹上に桧ノ木ヶ嶽
巡視路を下っていくと視界が開け県道へ出た。
巡視路
桧ノ木ヶ嶽
氷室嶽
県道出合い
下降箇所(逆方向)
■山名について
前回は、『周防アルハイク』(安部正道著)の巻末資料「周防の山一覧」に「風神山 318」と記載があり、この山をめざした。その際たまたまお会いした地元のお年寄りに山名を尋ねたところ、「風神山と呼んでいる。風の神様(杵崎様など)は祀っていない。」ということであった。
この山について古書にあたったところ記述に混乱があり少し整理が必要である。
『地下上申』によると、伊陸村では鳶ヶ峯山(村境の記述なし、絵図による)、柳井村では「横川山」(村境の記述および絵図による)としている。ただし、柳井村では西隣の山を「鳶ヶ嶺山」としている。
岩国藩の『古村記』では、両村とも「トビガ峯ノ鐘ツキ堂屋敷」の記述がある。伊陸側では「トモカ峯」と記載しているが誤りだろう。また、柳井村では不思議なことに長野垰と木落山(桧ノ木ヶ嶽)との間にも「トヒカ嶽」の名がある。
『享保増補村記』では、論争があるとして両村ともこの山あたりの村境の記載を省略しているが、高山の項には「鳶カ峰 鐘撞堂屋敷」を挙げている。
『玖珂郡志』では村境の記述はないが、両村とも高山の項に以下の記述がある。
伊陸村では「鳶ガ峰。柳井境。鐘撞堂ヤシキト云所、絶頂ニアリ。」とある。
柳井村では「伊陸境 本(※木の誤り)落山。伊陸ニテハ檜木ノ嶽ト云。絶頂ニ鐘撞堂屋敷とて平ナル所有リ。」とあり、明らかに桧ノ木ヶ嶽とこの山を混同している。
四等三角点「横川」のピークはかなり広い平坦地となっているが、桧ノ木ヶ嶽の山頂は狭く、とても建物が建てられるようなスペースはない。
以上によりこの山は「鳶ヶ峰」にあたると判断したが、ここでは地元での現在の呼称と思われる「風神山」を採った。
前回は北西麓から林道を歩き植林尾根をたどって登頂、南東尾根に下り、林道を横切って巡視路を歩き大ノ口へ出た。今回は林道を南東麓から歩き、前回とは逆に植林境尾根を登った。大きな荒れはないが明瞭な道はない。
登頂後ややヤブ加減の植林尾根を北北西へ下り、林道へ出た後、ひとつ東の植林尾根を登って再度山頂をめざした。歩いた限りではこのルートが一番歩きやすいようだ。
ピストン後、林道から東の緩い谷を下り、ヤブ加減のところを抜けると巡視路に出た。(2023.3.28)
風神山
(1,2クリックで拡大)
●駐車地~山頂
県道と里道が合わさるあたりに駐車スペースがある。
駐車地(玖珂方向)
県道を少し南へ行くと、右手に地蔵堂がある。
峠(古名は馬皿垰、切貫垰ともいう)を越え、300mほど下った「法専寺墓苑」の道標があるところから右の舗装道に入る。すぐ右に舗装林道が分岐するので、これを上がる(道路改良により地形図の林道入口は移動している)。
地蔵堂
分岐①
分岐②(逆方向)
コン舗装林道
左に林道を分け、左斜面に高圧線鉄塔(No.64)を過ごすと峠に着く。
分岐(右道へ)
鉄塔No.64
林道・竹林沿い
鞍部・鉄塔路(右へ)
右の尾根に上がると次の鉄塔(No.63)に出合う。北西に風神山が望める。
鉄塔No.63
鉄塔No.63から風神山
峠に戻り、以前はなかった「私有地につき立入禁止」の看板が立っていたので、林道を進むのをはばかり、左の尾根に取り付くことにした。
林道斜面を少しよじ登り、植林境の尾根をたどると270m鞍部に出る(以前は林道から右の谷を上がりこの鞍部へ出た)。
尾根取り付き・立入禁止看板
尾根上へ出る
雑木交じり植林尾根
270m鞍部
植林と雑木の尾根境の歩きやすいところを選びながら登っていく。300m支尾根合流点を過ごし少し進むと平坦な山頂に着く。四等三角点「横川」が端っこにぽつんとある。植林に囲まれ展望は得られない。
「絶頂に鐘撞堂屋敷とて平なる所あり」(『玖珂郡志』)との記述があり、建物が建っていたとしてもおかしくはない広さがある。
雑木交じり植林尾根
300m支尾根合流点
山頂手前の上り
風神山の平坦山頂
四等三角点「横川」
●~林道~再登頂
帰りは山頂から林道に一番近そうな北側の植林境を下りてみた。灌木が邪魔をして少し歩きづらい。
植林境・下り
植林尾根
尾根を外さないよう忠実に下っていき、タケが現れると間もなく林道が見えたので、ヤブの急斜面をわずかに下ると林道へ飛び出た。
竹林斜面
林道下降地点(左方向)
林道を東に進み、カーブが広場になったところを回り込むと、右の植林斜面に作業道跡のような幅広の山道がある。歩きやすそうだったので別ルートでもう一度山頂をめざすことにし、これに取り付く。(谷に向かっていく筋か道の名残があり、それをたどっても尾根に上がれそうだ。)
蓮華山~矢櫃山(林道から)
林道
カーブの広場.
尾根取り付き
踏み跡が残る歩きやすい植林尾根を登っていく。
幅広山道
尾根へ出る・吸い殻入れ
雑木尾根
植林尾根
植林尾根
290mあたりで岩が並ぶところを過ごし、登り切ると、さきほどの平坦山頂に着く。
岩の並び
山頂手前
●~林道~巡視路~駐車地
植林尾根を戻り林道にふたたび降り立つ。向かい側の谷に古い道が残っているようなので、林道を横切り、緩やかな疎林谷を下る。
緩い谷を下る
疎林谷
疎林谷
標高差50mほど下ったあたりで前方に突然廃棄バスが現われ驚く。車体に「防長バス」のネームが残っており、どのようにしてここまで上がったのか不思議に思う。
廃棄バス
道が不明瞭となったので廃棄バスの左へ向かい、ややヤブ加減の山際を下っていくと、下に平坦道が見え、未舗装の幅広道終点部に降り立つ。以前歩いたことのある巡視路に出たようだ。
山際のやや荒れた踏み跡
倒木
眼下に平坦地(幅広巡視路)
巡視路・幅広道終点
右にたどってみると湿地に架けられたプラ橋があった。
元へ戻り巡視路を下る。標柱を見て、左の尾根上の鉄塔No.62へ立ち寄る。展望は樹上わずかに桧ノ木ヶ嶽が確認できる程度である。
湿地に架かったプラ橋
巡視路・標柱
鉄塔への巡視路
鉄塔No.62
樹上に桧ノ木ヶ嶽
巡視路を下っていくと視界が開け県道へ出た。
巡視路
桧ノ木ヶ嶽
氷室嶽
県道出合い
下降箇所(逆方向)
■山名について
前回は、『周防アルハイク』(安部正道著)の巻末資料「周防の山一覧」に「風神山 318」と記載があり、この山をめざした。その際たまたまお会いした地元のお年寄りに山名を尋ねたところ、「風神山と呼んでいる。風の神様(杵崎様など)は祀っていない。」ということであった。
この山について古書にあたったところ記述に混乱があり少し整理が必要である。
『地下上申』によると、伊陸村では鳶ヶ峯山(村境の記述なし、絵図による)、柳井村では「横川山」(村境の記述および絵図による)としている。ただし、柳井村では西隣の山を「鳶ヶ嶺山」としている。
岩国藩の『古村記』では、両村とも「トビガ峯ノ鐘ツキ堂屋敷」の記述がある。伊陸側では「トモカ峯」と記載しているが誤りだろう。また、柳井村では不思議なことに長野垰と木落山(桧ノ木ヶ嶽)との間にも「トヒカ嶽」の名がある。
『享保増補村記』では、論争があるとして両村ともこの山あたりの村境の記載を省略しているが、高山の項には「鳶カ峰 鐘撞堂屋敷」を挙げている。
『玖珂郡志』では村境の記述はないが、両村とも高山の項に以下の記述がある。
伊陸村では「鳶ガ峰。柳井境。鐘撞堂ヤシキト云所、絶頂ニアリ。」とある。
柳井村では「伊陸境 本(※木の誤り)落山。伊陸ニテハ檜木ノ嶽ト云。絶頂ニ鐘撞堂屋敷とて平ナル所有リ。」とあり、明らかに桧ノ木ヶ嶽とこの山を混同している。
四等三角点「横川」のピークはかなり広い平坦地となっているが、桧ノ木ヶ嶽の山頂は狭く、とても建物が建てられるようなスペースはない。
以上によりこの山は「鳶ヶ峰」にあたると判断したが、ここでは地元での現在の呼称と思われる「風神山」を採った。
2023-03-30 19:58
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