焼下山(萩市椿) [県北部の山]
焼下山(やけしたやま)には過去2度ほど登っている。最初は平成11年1月に道の駅の東側の谷を詰め、鞍部から直登した。帰路は縦走し南明寺側へ下るつもりだったが、途中で予定を変更し、植林境を急降下で大屋側へ下った。二度目は平成18年11月に北東麓の長野側から尾根伝いに登り、帰路は尾根の途中から谷へ下り、工事中の砂防堰堤を迂回して戻った。三度目となる今回はリベンジの意味もあり、南明寺側から縦走し山頂をめざすことにした。
裏山を背にした観音堂
(クリックで拡大)
萩往還梅林園の駐車場に車を置く。トイレも利用できる。
萩往還梅林園駐車場
東に向かうと中国自然歩道に出る。涙松跡を左に過ごし大屋集落に入る。
涙松跡
観音橋、南明寺橋を過ぎ、南明寺駐車場の表示で右折すると、裏参道経由でイトザクラのある境内に着く。
裏参道入口
イトザクラ
表参道側より境内
墓地を右に過ごし、奥の院の観音堂をめざし参道を進む。
参道・墓地
参道
参道
左折地点で数体の石仏に出会う。
石仏群
二度折り返して進むと、前方に観音堂の屋根が現れる。
観音堂
観音堂は手前にロープが張られ立入禁止中である。
観音堂
境内からは新設の土塀越しに萩市街や指月山が見渡せ、絶好の展望地となっている。
萩市街・指月山を遠望
境内の左に上がると平坦地があり、ここから尾根に取り付く。あとは左側植林の尾根境をひたすら登ればよい。
左植林境
途中シダが現れるが長くはない。
シダ付きの尾根
シダが薄くなる
植林が右に変わり登り切ると300m小ピークに出る。植林に囲まれ展望は得られない。
右植林境
300mピーク
植林境の平坦尾根を進み、二つ目の支尾根分岐で北に方向を変えて進むと、突然尾根上に大穴が現れる。深さ4m、幅8m程度の擂鉢状の穴で人工的なものかどうかは不明瞭だ。初めて歩いた時にもこの穴を記録している。
平坦尾根
謎の大穴
大穴(逆方向)
雑木疎林を進むと、318m小ピーク上に出る。ここも展望はない。
318mピーク
植林尾根を下ると倒木鞍部に出る。倒木の下はヌタ場となっている。以前の記録にもヌタ場の記録があり、昔からイノシシの好みの場所のようだ。
植林尾根の下り
倒木鞍部
植林尾根をアップダウンし、310m小ピーク上で石柱「萩町」を確認する。
小ピークの石柱
雑木尾根を北東方向へ急降下し登り返すと、「椿村有境」と記された石柱が横たわる支尾根分岐点に着く。
雑木尾根の急降
倒石柱
この先しばらくヤブ気味の雑木尾根が続く。
雑木疎林ヤブ
雑木尾根
右側ヒノキ植林に変わると少し歩きやすくなる。
右植林境
340mの支尾根分岐点で西に方向を変え、雑木疎林尾根を進む。明瞭な山道が一部残り感じがよい。
雑木尾根道
支尾根分岐点を過ぎ、右下に植林谷が現れるとまもなく山頂部に出る。
山頂手前の雑木尾根
山頂部分岐点(小プラ杭)
左折し雑木尾根を少し進むと三等三角点のある山頂に着く。前方はヒノキ植林帯となっている。展望は植林の樹間越しにわずかに見える程度である。
焼下山山頂
山頂(逆方向)
帰路は前回上りに取った北東尾根を下るつもりだったが、道の駅上部の植林谷に測量(?)テープが付いていたので、予定を変更し、道の駅側に下ることにした。
枝打ちされた植林谷に所々不明瞭ながら踏み跡が残っていて、歩きやすいところを選びながら踏み跡を辿って下る。
枝打ちされた植林谷
植林谷
三方谷が合流するところに石積の堰堤がある。中央部が開口されているので水はない。初めてこの谷から登ったときは、この堰堤を越え、中央の谷を詰めて鞍部へ上がった。
石積堰堤
草つきの山道となり、さらに下ると急勾配の倒竹谷に出会う。
草付きの山道
竹林の急斜面(逆方向)
倒竹谷
足元を確認しながら沢を右岸・左岸と渡り変えながら下っていくと、荒れた山道が現れる。
やや荒れた山道
沢を渡り、さらに山道を下っていくと、麓が近づき前方に駐車場が見えるあたりで突然ササヤブにぶつかる。
沢渡り(水無し)
荒れ気味の山道が続く
山道終点近く
左によけてヤブを分けると、すぐに中国自然歩道に出る。山道の入口がトタン小屋でふさがれヤブとなっているのが分かる。そばには萩往還道の道標が立っている。
山道出口のトタン小屋
萩往還と鹿背隧道の分岐道標
道の駅沿いに進み、萩往還道を歩き、解剖地跡、一里塚を通って駐車地へ戻る。
解剖地跡石碑
往還道
一里塚
■山名考
「焼下山」の名は地下上申や風土注進案には見当たらないことから、比較的新しい山名と思われる。一方、悴坂(かせがざか)山というのが、地下上申には御立山、風土注進案には大山として記載があり、大屋にある山とされている。したがって焼下山は、古くは悴坂山と呼ばれていたと思われる。
なお、山名の呼び名は「日本山名総覧」(武内正著、白山書房)に拠った。
また、他のいくつかの資料には「南明寺山」の名が見え、この山の中腹に南明寺観音堂が建つといった内容の記載がある。萩市史第三巻(昭和62年刊行)の萩市指定文化財の項には、南明寺観音堂の説明書きの中で「標高300メートルの南明寺山中腹にある奥の院には…」といった記述があり、これらから南明寺山は南明寺の境内山の名であり、その山頂は、上方の標高300mの小ピークもしくは標高318mのピークではないかと推測される。
裏山を背にした観音堂
(クリックで拡大)
萩往還梅林園の駐車場に車を置く。トイレも利用できる。
萩往還梅林園駐車場
東に向かうと中国自然歩道に出る。涙松跡を左に過ごし大屋集落に入る。
涙松跡
観音橋、南明寺橋を過ぎ、南明寺駐車場の表示で右折すると、裏参道経由でイトザクラのある境内に着く。
裏参道入口
イトザクラ
表参道側より境内
墓地を右に過ごし、奥の院の観音堂をめざし参道を進む。
参道・墓地
参道
参道
左折地点で数体の石仏に出会う。
石仏群
二度折り返して進むと、前方に観音堂の屋根が現れる。
観音堂
観音堂は手前にロープが張られ立入禁止中である。
観音堂
境内からは新設の土塀越しに萩市街や指月山が見渡せ、絶好の展望地となっている。
萩市街・指月山を遠望
境内の左に上がると平坦地があり、ここから尾根に取り付く。あとは左側植林の尾根境をひたすら登ればよい。
左植林境
途中シダが現れるが長くはない。
シダ付きの尾根
シダが薄くなる
植林が右に変わり登り切ると300m小ピークに出る。植林に囲まれ展望は得られない。
右植林境
300mピーク
植林境の平坦尾根を進み、二つ目の支尾根分岐で北に方向を変えて進むと、突然尾根上に大穴が現れる。深さ4m、幅8m程度の擂鉢状の穴で人工的なものかどうかは不明瞭だ。初めて歩いた時にもこの穴を記録している。
平坦尾根
謎の大穴
大穴(逆方向)
雑木疎林を進むと、318m小ピーク上に出る。ここも展望はない。
318mピーク
植林尾根を下ると倒木鞍部に出る。倒木の下はヌタ場となっている。以前の記録にもヌタ場の記録があり、昔からイノシシの好みの場所のようだ。
植林尾根の下り
倒木鞍部
植林尾根をアップダウンし、310m小ピーク上で石柱「萩町」を確認する。
小ピークの石柱
雑木尾根を北東方向へ急降下し登り返すと、「椿村有境」と記された石柱が横たわる支尾根分岐点に着く。
雑木尾根の急降
倒石柱
この先しばらくヤブ気味の雑木尾根が続く。
雑木疎林ヤブ
雑木尾根
右側ヒノキ植林に変わると少し歩きやすくなる。
右植林境
340mの支尾根分岐点で西に方向を変え、雑木疎林尾根を進む。明瞭な山道が一部残り感じがよい。
雑木尾根道
支尾根分岐点を過ぎ、右下に植林谷が現れるとまもなく山頂部に出る。
山頂手前の雑木尾根
山頂部分岐点(小プラ杭)
左折し雑木尾根を少し進むと三等三角点のある山頂に着く。前方はヒノキ植林帯となっている。展望は植林の樹間越しにわずかに見える程度である。
焼下山山頂
山頂(逆方向)
帰路は前回上りに取った北東尾根を下るつもりだったが、道の駅上部の植林谷に測量(?)テープが付いていたので、予定を変更し、道の駅側に下ることにした。
枝打ちされた植林谷に所々不明瞭ながら踏み跡が残っていて、歩きやすいところを選びながら踏み跡を辿って下る。
枝打ちされた植林谷
植林谷
三方谷が合流するところに石積の堰堤がある。中央部が開口されているので水はない。初めてこの谷から登ったときは、この堰堤を越え、中央の谷を詰めて鞍部へ上がった。
石積堰堤
草つきの山道となり、さらに下ると急勾配の倒竹谷に出会う。
草付きの山道
竹林の急斜面(逆方向)
倒竹谷
足元を確認しながら沢を右岸・左岸と渡り変えながら下っていくと、荒れた山道が現れる。
やや荒れた山道
沢を渡り、さらに山道を下っていくと、麓が近づき前方に駐車場が見えるあたりで突然ササヤブにぶつかる。
沢渡り(水無し)
荒れ気味の山道が続く
山道終点近く
左によけてヤブを分けると、すぐに中国自然歩道に出る。山道の入口がトタン小屋でふさがれヤブとなっているのが分かる。そばには萩往還道の道標が立っている。
山道出口のトタン小屋
萩往還と鹿背隧道の分岐道標
道の駅沿いに進み、萩往還道を歩き、解剖地跡、一里塚を通って駐車地へ戻る。
解剖地跡石碑
往還道
一里塚
■山名考
「焼下山」の名は地下上申や風土注進案には見当たらないことから、比較的新しい山名と思われる。一方、悴坂(かせがざか)山というのが、地下上申には御立山、風土注進案には大山として記載があり、大屋にある山とされている。したがって焼下山は、古くは悴坂山と呼ばれていたと思われる。
なお、山名の呼び名は「日本山名総覧」(武内正著、白山書房)に拠った。
また、他のいくつかの資料には「南明寺山」の名が見え、この山の中腹に南明寺観音堂が建つといった内容の記載がある。萩市史第三巻(昭和62年刊行)の萩市指定文化財の項には、南明寺観音堂の説明書きの中で「標高300メートルの南明寺山中腹にある奥の院には…」といった記述があり、これらから南明寺山は南明寺の境内山の名であり、その山頂は、上方の標高300mの小ピークもしくは標高318mのピークではないかと推測される。
2012-10-13 18:54
コメント(4)
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お久しぶりです。
今日は前から狙っていた焼下山に行きました。もちろん、地図をお借りしましたよ。
4年くらい前に南明寺から登ろうと思っていたら、山友の熊毛さんが先に行ったので伸び々々になっていました。
当時と地図が少し変わっていて「萩有料道路」が懐かしく感じました。
南明寺観音堂からの急登は掴まるものが無く難儀しましたね。彼処に目標物があって安心して歩けました。
降りの道の駅へは荒れていましたが、歩かれているようでピンテもあり迷うこと無さそうでした。
by のんびり夫婦 (2024-02-17 19:42)
本当にお久しぶりですね。
わたしもやっと冬眠からさめてぼちぼち歩いていますが、すっかりカラダがなまってしまい、急登はなかなかこたえます。
先日、山中でシマヘビに遭遇。むこうもびっくりしたのか、興奮して盛んにシッポをふるわせていました。これまで2月にヘビを見た記憶はありません。気ままにヤブコギできるゴールデンタイムももう終わるのでしょうか?
ブログのほうもなかなか報告するまでには至りませんが、そろそろ再開できそうです。
by gomen (2024-02-18 19:50)
え、もう蛇がでているのですか?再来週には古墳を踏査するのですが?
先週の金曜日に、登山口の庚申塚をすぎ、小さな鉄塔があったはずの山をめざしましたが、鉄塔はなくなり、展望も得られず、となりの神社から引き返しました。もう一つの目的地の資料館もエレベータ交換工事のため休館。駅前は随分寂しくなり、お菓子やもなくなっていました。駅内のうどんやは相変わらずおいしく満足して帰りました。
by yamakan (2024-02-18 20:19)
登山口の庚申塚? どこかで見たような…。
こんどはぜひ我が家にもお立ち寄りください。裏庭のハッサクの木が熟し顔でお待ちしております。
by gomen (2024-02-18 21:05)