金蔵山(岩国市柱島) [離島の山]
柱島を歩く。10数年前に雑誌「山と渓谷」に紹介された際に一度歩いたことがあり、それ以来である。
一般コースを歩くだけでは面白味がないので、山頂周辺の軍事遺構を探索するほか、できれば新しいルートを探ってみようと島へ向かった。(2015.01.17)
端島より柱島(2014.11.06)
(1,2クリックで拡大)
周回図(1,2クリックで拡大)
岩国港午前7時40分の始発便に乗る。船は高速船「すいせい」。黒島・端島と立ち寄り、約1時間で柱島港へ着く。
「すいせい」(柱島港)
待合所から山手へ向かうと、すぐに大きな島の案内板がある。山へ向かう集落道へ入り、まずは柱島小中学校をめざす。
柱島港待合所
柱島案内図 (クリックで拡大)
分岐
集落道を山側へ向かう
分岐
分岐・道標
前方に山頂方面
柱島小中学校を右に過ごすと道標を見て登山道へ入る。
柱島小中学校
登山道入口道標
分岐
分岐の石仏
竹林や植林沿いに登山道を登る。100mごとに距離表示板が設置されている。
登山道
100m表示・竹林
ヒノキ林沿い
200m表示
300m表示
以前は背丈状のシダが被るところもあったが、昨年、地元や県の中山間応援隊によりシダ等が刈られたらしく、整備された快適な道が続く。
400m表示あたりから背後に海側の展望がときどき開ける。
手前の平坦支尾根上に柱島城主「藤原種智(やすとも)」の墓があったのだが、標識もなく分岐を見落としてしまったようだ。
400m表示
500m表示
広島県側の島々
柱島港
途中から「あとX00m」の表示に変わる。
あと400m表示
妙見の鼻・新宮の鼻
あと300m表示
小柱島・倉橋島(奥側)
あと200m表示
鞍部が前方に見えてくるあたりで、左の路傍に旧海軍の境界石標を見る。
海軍境界石標
まもなく鞍部へ出て、まずは「三角点」の道標に従い左折する。
三角点道標
あと100m表示
二等三角点(点名:柱島)が設置された平坦ピークは、広く刈り払われ、海側東半面の展望が大きく広がる。
三角点ピーク
二等三角点
倉橋島・黒島
鹿島・横島
妙見の鼻・新宮の鼻
続島
長島・福良島
鞍部へ戻り、尾根沿いに幅広の山道をたどり山頂をめざす。
山頂方向の登山道
左側の尾根はササヤブとなっており溝が切ってある。また尾根の反対側がコの字状に掘削され、コンクリート・レンガの基礎部分と横に小水槽が残っている。軍事施設跡か?
尾根上の溝
コンクリート基礎(正面)
コンクリート基礎(側面)
小水槽
尾根上へ出ると、周辺の笹が刈られ、前方の尾根上斜面に貯水槽が二基並んでいるのが見える。
貯水槽①、上に②がある
貯水槽①
貯水槽②
さらにその奥にレンガ造りの大きな建物が現れる。「特設見張り所」跡と思われる。ここも周辺のササがきれいに刈られ、海側が望める。
見張り所(東側)
見張り所(北側)
見張り所(南側)
見張り所(西側)
便所跡?
見張り所(内側)
内部中央のコンクリート台座
少し登ると平坦ピークに出る。ここが最高所の金蔵山山頂である。以前はササヤブだったが、今はササが刈られて、ここからも海側の展望が得られ、明るい山頂に変貌している。コンクリートやレンガ片をいくつか見つけた。
登山道
山頂への最後の登り
金蔵山山頂
大見山
浮島
コンクリート片
コンクリート片
レンガ片
ササ刈りはここまでだが、西側にある次のピークまで足を延ばしてみた。
山頂から雑木疎林の斜面を北側へ巻き加減に進むと、すぐ左のササヤブの中に、山頂方向へコの字型に掘削されたところがあった。
山頂北側の平坦地
ササヤブを分けて掘削部分へ入ると、手前に小さな水槽があり、奥には約4m角のコンクリート台座が残っている。また中央にはその上に横1m、縦1.5m程度の方形のコンクリート台座があり、四隅に半円形の欠けた跡がある。背後は4mほどの掘削面となっている。
掘削地・小水槽
コンクリート台座
コンクリート台座(中央)
西側の270m平坦ピークまで行ってみたが、鞍部から山頂部までは竹ヤブとなっており、その先はササ尾根となったので引き返す。
雑木疎林の西尾根
タケヤブ
270m平坦ピーク
山頂から北へ延びる支尾根方向へ下ってみると、鞍部から260m平坦ピークあたりまでは雑木疎林の尾根で歩きやすいが、その先は背丈を越える濃いシダが茂り先へ続いているようなので断念。
北支尾根分岐部
支尾根上のイノシシの足跡
雑木疎林鞍部
260m平坦ピーク
シダヤブ
手前鞍部まで戻り、東側の谷方向へ下ることにする。
測量杭が所々続いているが、倒竹木が現れ始めたので左の支尾根へ逃げ込み、急斜面を注意しながら下る。
疎林谷
疎林谷
測量杭
倒竹谷
支尾根
支尾根斜面
支尾根斜面
急斜面
右の倒竹木谷
急斜面が谷に合わさるあたりで、小さな取水施設と出会い、谷底の平坦部へ降り立つ。
荒れ谷へ下る
取水施設(逆方向)
荒れ谷(逆方向)
ここからは踏み跡をたどっていくと堰堤と出会う。
堰堤①
堰堤の左端側を越えて下っていくと次第に左の巻き道となり、竹林沿いに進むと耕作地へ出る。
堰堤左端を下る
水路沿いの山道
竹林沿い
左の支尾根上に石段があり、少し登ると「不老様」(ふろうさま。地元ではなまって「くろうさま」と呼ぶ)がある。その上の墓地で道は終わる。
石段
不老様
巻き道へ戻り耕作地を下ると、右下に堰堤を見て集落道へ出る。
堰堤②
集落道
井戸・ポンプ
出航まで時間があるので、島を巡る周回道を歩いてみた。
右に松田港や小柱島などを眺めながら周回道を進む。
墓地
周回道・小柱島
松田港
小柱島
無線中継所のところから、周回道を一旦離れ、「島尻の浜」へ降りてみた。小柱島のほか、手島や端島などが望める。
無線中継所
手島
端島(タコウ山)
島尻の浜(西側)・端島(見壁山)
島尻の浜(東側)・小柱島
周回道へ戻り、先を進んでいると、向こうから軽トラがやってきた。数名のお年寄りが乗っている。イノシシ用のククリワナを仕掛けているようで、今年だけですでに10数頭は仕留めたという。
周回道への舗装道
周回道合流点
周回道
端島(周回道西端付近から)
竹林
ミカン園
周回道
松崎(左手前)・情島・長島・福良島・鯛の峰
大見山
三角点ピーク方向
周回道
大峠の分岐
大峠の切通し
山頂探索等で時間を費やしてしまったので、予定していた島南側の「浦庄の浜」や賀茂神社などはあきらめ、善立寺や赤禰武人の墓がある西栄寺に立ち寄り、柱島港へ戻る。
分岐(逆方向)・立入禁止表示
コンクリート橋
分岐(右善立寺)
善立寺への路地
善立寺
西栄寺
赤禰武人の墓
赤禰武人は幕末の奇兵隊第三代総督。墓は西栄寺内にある。
桑原杢之助の墓(隣に側室と幼児の墓)
桑原杢之助は16世紀半ばごろの柱南城の城主。墓は西栄寺の下の田にある。この付近に城があったという。
集落から三角点ピーク方向
柱島港・妙見の鼻
柱島(帰路・船内から)
■軍事遺構について
周回道を歩いていると散歩中の古老に出会った。
山頂にある軍事遺構のことを尋ねたところ、次の情報をいただいた。
①山頂直下の掘削地には探照灯が設置されていた。
②鞍部から山頂の南側斜面は戦時中から耕作地だった。鞍部から山頂寄りにある掘削地は耕作関係の家屋の名残りで軍事施設ではない。(これについては検証の必要あり)
③帰路に下った堰堤あたりに発電所と貯水槽があり、山頂へ電気を送っていたが、戦後堰堤建設のため取り壊された。
一般コースを歩くだけでは面白味がないので、山頂周辺の軍事遺構を探索するほか、できれば新しいルートを探ってみようと島へ向かった。(2015.01.17)
端島より柱島(2014.11.06)
(1,2クリックで拡大)
周回図(1,2クリックで拡大)
岩国港午前7時40分の始発便に乗る。船は高速船「すいせい」。黒島・端島と立ち寄り、約1時間で柱島港へ着く。
「すいせい」(柱島港)
待合所から山手へ向かうと、すぐに大きな島の案内板がある。山へ向かう集落道へ入り、まずは柱島小中学校をめざす。
柱島港待合所
柱島案内図 (クリックで拡大)
分岐
集落道を山側へ向かう
分岐
分岐・道標
前方に山頂方面
柱島小中学校を右に過ごすと道標を見て登山道へ入る。
柱島小中学校
登山道入口道標
分岐
分岐の石仏
竹林や植林沿いに登山道を登る。100mごとに距離表示板が設置されている。
登山道
100m表示・竹林
ヒノキ林沿い
200m表示
300m表示
以前は背丈状のシダが被るところもあったが、昨年、地元や県の中山間応援隊によりシダ等が刈られたらしく、整備された快適な道が続く。
400m表示あたりから背後に海側の展望がときどき開ける。
手前の平坦支尾根上に柱島城主「藤原種智(やすとも)」の墓があったのだが、標識もなく分岐を見落としてしまったようだ。
400m表示
500m表示
広島県側の島々
柱島港
途中から「あとX00m」の表示に変わる。
あと400m表示
妙見の鼻・新宮の鼻
あと300m表示
小柱島・倉橋島(奥側)
あと200m表示
鞍部が前方に見えてくるあたりで、左の路傍に旧海軍の境界石標を見る。
海軍境界石標
まもなく鞍部へ出て、まずは「三角点」の道標に従い左折する。
三角点道標
あと100m表示
二等三角点(点名:柱島)が設置された平坦ピークは、広く刈り払われ、海側東半面の展望が大きく広がる。
三角点ピーク
二等三角点
倉橋島・黒島
鹿島・横島
妙見の鼻・新宮の鼻
続島
長島・福良島
鞍部へ戻り、尾根沿いに幅広の山道をたどり山頂をめざす。
山頂方向の登山道
左側の尾根はササヤブとなっており溝が切ってある。また尾根の反対側がコの字状に掘削され、コンクリート・レンガの基礎部分と横に小水槽が残っている。軍事施設跡か?
尾根上の溝
コンクリート基礎(正面)
コンクリート基礎(側面)
小水槽
尾根上へ出ると、周辺の笹が刈られ、前方の尾根上斜面に貯水槽が二基並んでいるのが見える。
貯水槽①、上に②がある
貯水槽①
貯水槽②
さらにその奥にレンガ造りの大きな建物が現れる。「特設見張り所」跡と思われる。ここも周辺のササがきれいに刈られ、海側が望める。
見張り所(東側)
見張り所(北側)
見張り所(南側)
見張り所(西側)
便所跡?
見張り所(内側)
内部中央のコンクリート台座
少し登ると平坦ピークに出る。ここが最高所の金蔵山山頂である。以前はササヤブだったが、今はササが刈られて、ここからも海側の展望が得られ、明るい山頂に変貌している。コンクリートやレンガ片をいくつか見つけた。
登山道
山頂への最後の登り
金蔵山山頂
大見山
浮島
コンクリート片
コンクリート片
レンガ片
ササ刈りはここまでだが、西側にある次のピークまで足を延ばしてみた。
山頂から雑木疎林の斜面を北側へ巻き加減に進むと、すぐ左のササヤブの中に、山頂方向へコの字型に掘削されたところがあった。
山頂北側の平坦地
ササヤブを分けて掘削部分へ入ると、手前に小さな水槽があり、奥には約4m角のコンクリート台座が残っている。また中央にはその上に横1m、縦1.5m程度の方形のコンクリート台座があり、四隅に半円形の欠けた跡がある。背後は4mほどの掘削面となっている。
掘削地・小水槽
コンクリート台座
コンクリート台座(中央)
西側の270m平坦ピークまで行ってみたが、鞍部から山頂部までは竹ヤブとなっており、その先はササ尾根となったので引き返す。
雑木疎林の西尾根
タケヤブ
270m平坦ピーク
山頂から北へ延びる支尾根方向へ下ってみると、鞍部から260m平坦ピークあたりまでは雑木疎林の尾根で歩きやすいが、その先は背丈を越える濃いシダが茂り先へ続いているようなので断念。
北支尾根分岐部
支尾根上のイノシシの足跡
雑木疎林鞍部
260m平坦ピーク
シダヤブ
手前鞍部まで戻り、東側の谷方向へ下ることにする。
測量杭が所々続いているが、倒竹木が現れ始めたので左の支尾根へ逃げ込み、急斜面を注意しながら下る。
疎林谷
疎林谷
測量杭
倒竹谷
支尾根
支尾根斜面
支尾根斜面
急斜面
右の倒竹木谷
急斜面が谷に合わさるあたりで、小さな取水施設と出会い、谷底の平坦部へ降り立つ。
荒れ谷へ下る
取水施設(逆方向)
荒れ谷(逆方向)
ここからは踏み跡をたどっていくと堰堤と出会う。
堰堤①
堰堤の左端側を越えて下っていくと次第に左の巻き道となり、竹林沿いに進むと耕作地へ出る。
堰堤左端を下る
水路沿いの山道
竹林沿い
左の支尾根上に石段があり、少し登ると「不老様」(ふろうさま。地元ではなまって「くろうさま」と呼ぶ)がある。その上の墓地で道は終わる。
石段
不老様
巻き道へ戻り耕作地を下ると、右下に堰堤を見て集落道へ出る。
堰堤②
集落道
井戸・ポンプ
出航まで時間があるので、島を巡る周回道を歩いてみた。
右に松田港や小柱島などを眺めながら周回道を進む。
墓地
周回道・小柱島
松田港
小柱島
無線中継所のところから、周回道を一旦離れ、「島尻の浜」へ降りてみた。小柱島のほか、手島や端島などが望める。
無線中継所
手島
端島(タコウ山)
島尻の浜(西側)・端島(見壁山)
島尻の浜(東側)・小柱島
周回道へ戻り、先を進んでいると、向こうから軽トラがやってきた。数名のお年寄りが乗っている。イノシシ用のククリワナを仕掛けているようで、今年だけですでに10数頭は仕留めたという。
周回道への舗装道
周回道合流点
周回道
端島(周回道西端付近から)
竹林
ミカン園
周回道
松崎(左手前)・情島・長島・福良島・鯛の峰
大見山
三角点ピーク方向
周回道
大峠の分岐
大峠の切通し
山頂探索等で時間を費やしてしまったので、予定していた島南側の「浦庄の浜」や賀茂神社などはあきらめ、善立寺や赤禰武人の墓がある西栄寺に立ち寄り、柱島港へ戻る。
分岐(逆方向)・立入禁止表示
コンクリート橋
分岐(右善立寺)
善立寺への路地
善立寺
西栄寺
赤禰武人の墓
赤禰武人は幕末の奇兵隊第三代総督。墓は西栄寺内にある。
桑原杢之助の墓(隣に側室と幼児の墓)
桑原杢之助は16世紀半ばごろの柱南城の城主。墓は西栄寺の下の田にある。この付近に城があったという。
集落から三角点ピーク方向
柱島港・妙見の鼻
柱島(帰路・船内から)
■軍事遺構について
周回道を歩いていると散歩中の古老に出会った。
山頂にある軍事遺構のことを尋ねたところ、次の情報をいただいた。
①山頂直下の掘削地には探照灯が設置されていた。
②鞍部から山頂の南側斜面は戦時中から耕作地だった。鞍部から山頂寄りにある掘削地は耕作関係の家屋の名残りで軍事施設ではない。(これについては検証の必要あり)
③帰路に下った堰堤あたりに発電所と貯水槽があり、山頂へ電気を送っていたが、戦後堰堤建設のため取り壊された。
2015-01-27 22:26
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