樫山(岩国市黒島) [離島の山]
柱島群島のひとつ黒島へ渡る。最高峰の樫山だけでは時間が余りそうなので、北峰の89mピークなどへも足を延ばすことにする。(2015.01.10)
荒神社から樫山
(クリックで拡大)
定期船は高速船「すいせい」。午前10時発の土日等限定便で岩国港を出航、40分弱で黒島漁港へ着く。下船は数名、釣り客はいない。前の便に乗ったのかもしれない。
「すいせい」(岩国港)
船内から黒島(北側)
黒島(南側)
出航する「すいせい」
まず船着場から少し離れた待合所へ立ち寄る。
待合所
船着場
港の北方に見える陸繋島上にある荒神社へ向かう。砂洲の先にある石鳥居をくぐり急斜面に付けられた階段を注意しながら登る。
集落道へ上がる分岐
荒神社のある小島
石鳥居・急斜面の参道
参道
頂上に風除けのためかコンクリートで囲われた小社がある。山頂部からは黒島漁港や樫山が望める。
荒神社
黒島漁港
樫山
防波堤の北側にもきれいな海岸がある。これが「カゲヶ浦」と思われる。
北東側の海岸
89mピーク
砂洲でつながった本島との間にこんもりとした樹木の茂みが目に止まり、道が付いていたので登ってみると、石積みの祠に石仏が収まっていた。
樹木の茂み
石仏
裏側へ回り、斜面の石段を登ると集落道へ出る。右折するとすぐに分岐となり、直進方向のコンクリート小道へ入る。
集落道へ上がる石段
集落道
集落道分岐
左折側の集落道
右下に海岸を見ながら巻き道を進むと、浜へ下る道を右に過ごす。
海岸
農道
分岐
左上に小屋がある分岐を直進すると、右の谷に貯水槽を見る。(分岐を右折すると畑で行き止まりとなる)
分岐・左上に小屋
貯水槽
さらに次の分岐で舗装が終わり、直進すると倒竹帯となる。(分岐を右折すると、これも畑で行き止まり)
分岐・舗装切れ
手前の斜面に落ち葉が積もっていて見落としたが、踏み跡程度の山道があったので、これに取り付く。尾根へ上がって左からの山道と合わさり、すぐ先で幅広のコンクリート舗装道へ出る。地形図から判断すると集落道が上方へ延びているようだ。
山道
落ち葉が積もる山道
尾根へ出る
舗装道
右折し100mほどでテレビの共同アンテナが立つT字分岐に出る。
分岐・TV共同アンテナ
右折し墓地を右に過ごすと、舗装道が終わり山道となる。
墓地への道
山道
コザサが茂る左斜面の巻き道を進み、尾根へ上がると東側が開け、段々畑跡に付けられた右斜面の巻き道に変わる。
コザサ沿いの巻き道
尾根へ出る
右斜面の巻き道
鞍掛山・大見山
すぐに前方がカヤ等のヤブとなるが、構わず進むとヒノキ植林の段上に出る。石垣沿いにやや荒れた植林内を進み、植林帯が終るところで左の斜面に取り付く。
カヤ等のヤブ
石垣沿いに植林を進む
植林終点部
雑木疎林斜面を登ると平坦尾根へ出る。右折した少し先あたりが89m標高点のある平坦ピークである。展望は樹間に西側の海が見える程度。
雑木疎林斜面
89m平坦ピーク
北側の疎林尾根も歩きやすそうなので、少し先まで行ってみると、掘削したような大小の穴が並んであった。
穴(小)
穴(大)
引き返し、そのまま南方向へ尾根伝いに下ることにする。ヒノキ植林尾根となり、さらに進むと前方に何やら構造物がある。「おや」と思い、近づいてみると、レンガ柱が三つ並び、さらにその先に何と石造の建物があった。
ヒノキ植林尾根
レンガ柱・奥に石造建物
幅3m、奥行き4m、高さ3mぐらいで、花崗岩が使われており、天井はモルタル、内部はセメントが塗られている。中には小枝が積まれ近年は物置として使われていたようだが、造りからして戦時中の軍事遺構ではないかと思われる。
石造建物
入口
内部
上部
裏側
建物の近くにはさらにレンガ柱とコンクリート柱が各1本、溝もある。敷地は削平されたようで、南側に2mほどの掘削斜面がある。
レンガ柱
コン柱
掘削法面
調査後、さらに尾根伝いに歩きやすいところを下って行き、ササを少し分けると山道に出た。
尾根伝いに下る
山道へ出る(逆方向)
墓地の先の分岐から幅広の舗装道へ出て直進し、いよいよ樫山をめざす。
舗装道を進む
右に海側の展望地を過ぎ、耕作地へ下る分岐を右へ二つほど過ごすと、支尾根を横切るところで山道が右へ分岐し、舗装が終る。(実際には舗装が続いているが、落ち葉が厚く積もっており、最近農耕機械類が通った形跡はない)
飯の山
琴石山・三ヶ岳
前島・銭壷山
分岐
分岐
分岐・舗装切れ?
落ち葉を踏みながら先へ進むと間もなく幅広道の終点となる。
落ち葉が積もる幅広道
終点
踏み跡はないが左の尾根へ取り付く。疎林尾根のやや急な斜面を登り、石が散在するところをよけながら登り切ると尾根上へ出たところに丁度三角点があった。三等三角点(点名:黒島)である。
山頂は雑木に囲まれ展望は得られない。
上方の疎林斜面
石が散在する斜面
樫山山頂・三等三角点
山頂尾根(南側)
帰路はそのまま尾根伝いに北へ下ることにする。
ツルに覆われた岩稜帯を少し進むと、歩きやすい雑木疎林尾根となる。
岩稜尾根
雑木疎林尾根
北峰の100mからさらに北へ尾根を下っていくと、左の谷に舗装道が見える。それをめざして斜面を下っていくと、最後は道路法面が1mほどのところから舗装道へ降り立つ。
100m北ピーク
疎林尾根
下方に舗装道
下降地点
そのまま舗装道を黒島集落方面へ下る。
貯水槽を右に過ごし、集落の間を抜けていくと、カーブ地点で漁港が眼下に広がる。
舗装道
集落の間を進む
黒島漁港
黒島集落
漁港西側の山際を進むと右に供養塔がある。横には終戦間際の爆撃により亡くなった19名の方々の名が石碑に刻んである。死者の大半は小学生だ。防空壕へ避難した際に爆撃を受けたらしい。
山際の集落道
供養塔
その先の三島神社と休校中の黒島小中学校へ立ち寄り、港へ戻る。
石鳥居
三島神社
黒島小中学校
校門
学校側から樫山
端島
柱島
長島・福良島・情島
鞍掛島
漁港南側海岸・頭島・浮島
船を待つ間、港近くで日向ぼっこしていたお爺さんに石造建物について尋ねてみた。
やはり戦時中に軍が建てたものらしく、何の目的かは知らないが、当時は今のような道がなかったので、資材を兵隊が背負って山道を登っていったという。柱島のような探照灯はないらしい。
午後2時38分発の便で島を離れる。
■山名考
最高峰の「樫山」については『玖珂郡志』には記載がない。由来は定かではないが、『山口県の島々』(昭和58年発行)や『角川日本地名大辞典 山口県』など諸書にその名が記されている。
島の北側にある標高89mピークについては山名は不明だが、島北端の岬が「松山ヶ鼻」(『玖珂郡志』に記載あり)であることから、「松山」かと推測したが、今回は確認していない。
荒神社から樫山
(クリックで拡大)
定期船は高速船「すいせい」。午前10時発の土日等限定便で岩国港を出航、40分弱で黒島漁港へ着く。下船は数名、釣り客はいない。前の便に乗ったのかもしれない。
「すいせい」(岩国港)
船内から黒島(北側)
黒島(南側)
出航する「すいせい」
まず船着場から少し離れた待合所へ立ち寄る。
待合所
船着場
港の北方に見える陸繋島上にある荒神社へ向かう。砂洲の先にある石鳥居をくぐり急斜面に付けられた階段を注意しながら登る。
集落道へ上がる分岐
荒神社のある小島
石鳥居・急斜面の参道
参道
頂上に風除けのためかコンクリートで囲われた小社がある。山頂部からは黒島漁港や樫山が望める。
荒神社
黒島漁港
樫山
防波堤の北側にもきれいな海岸がある。これが「カゲヶ浦」と思われる。
北東側の海岸
89mピーク
砂洲でつながった本島との間にこんもりとした樹木の茂みが目に止まり、道が付いていたので登ってみると、石積みの祠に石仏が収まっていた。
樹木の茂み
石仏
裏側へ回り、斜面の石段を登ると集落道へ出る。右折するとすぐに分岐となり、直進方向のコンクリート小道へ入る。
集落道へ上がる石段
集落道
集落道分岐
左折側の集落道
右下に海岸を見ながら巻き道を進むと、浜へ下る道を右に過ごす。
海岸
農道
分岐
左上に小屋がある分岐を直進すると、右の谷に貯水槽を見る。(分岐を右折すると畑で行き止まりとなる)
分岐・左上に小屋
貯水槽
さらに次の分岐で舗装が終わり、直進すると倒竹帯となる。(分岐を右折すると、これも畑で行き止まり)
分岐・舗装切れ
手前の斜面に落ち葉が積もっていて見落としたが、踏み跡程度の山道があったので、これに取り付く。尾根へ上がって左からの山道と合わさり、すぐ先で幅広のコンクリート舗装道へ出る。地形図から判断すると集落道が上方へ延びているようだ。
山道
落ち葉が積もる山道
尾根へ出る
舗装道
右折し100mほどでテレビの共同アンテナが立つT字分岐に出る。
分岐・TV共同アンテナ
右折し墓地を右に過ごすと、舗装道が終わり山道となる。
墓地への道
山道
コザサが茂る左斜面の巻き道を進み、尾根へ上がると東側が開け、段々畑跡に付けられた右斜面の巻き道に変わる。
コザサ沿いの巻き道
尾根へ出る
右斜面の巻き道
鞍掛山・大見山
すぐに前方がカヤ等のヤブとなるが、構わず進むとヒノキ植林の段上に出る。石垣沿いにやや荒れた植林内を進み、植林帯が終るところで左の斜面に取り付く。
カヤ等のヤブ
石垣沿いに植林を進む
植林終点部
雑木疎林斜面を登ると平坦尾根へ出る。右折した少し先あたりが89m標高点のある平坦ピークである。展望は樹間に西側の海が見える程度。
雑木疎林斜面
89m平坦ピーク
北側の疎林尾根も歩きやすそうなので、少し先まで行ってみると、掘削したような大小の穴が並んであった。
穴(小)
穴(大)
引き返し、そのまま南方向へ尾根伝いに下ることにする。ヒノキ植林尾根となり、さらに進むと前方に何やら構造物がある。「おや」と思い、近づいてみると、レンガ柱が三つ並び、さらにその先に何と石造の建物があった。
ヒノキ植林尾根
レンガ柱・奥に石造建物
幅3m、奥行き4m、高さ3mぐらいで、花崗岩が使われており、天井はモルタル、内部はセメントが塗られている。中には小枝が積まれ近年は物置として使われていたようだが、造りからして戦時中の軍事遺構ではないかと思われる。
石造建物
入口
内部
上部
裏側
建物の近くにはさらにレンガ柱とコンクリート柱が各1本、溝もある。敷地は削平されたようで、南側に2mほどの掘削斜面がある。
レンガ柱
コン柱
掘削法面
調査後、さらに尾根伝いに歩きやすいところを下って行き、ササを少し分けると山道に出た。
尾根伝いに下る
山道へ出る(逆方向)
墓地の先の分岐から幅広の舗装道へ出て直進し、いよいよ樫山をめざす。
舗装道を進む
右に海側の展望地を過ぎ、耕作地へ下る分岐を右へ二つほど過ごすと、支尾根を横切るところで山道が右へ分岐し、舗装が終る。(実際には舗装が続いているが、落ち葉が厚く積もっており、最近農耕機械類が通った形跡はない)
飯の山
琴石山・三ヶ岳
前島・銭壷山
分岐
分岐
分岐・舗装切れ?
落ち葉を踏みながら先へ進むと間もなく幅広道の終点となる。
落ち葉が積もる幅広道
終点
踏み跡はないが左の尾根へ取り付く。疎林尾根のやや急な斜面を登り、石が散在するところをよけながら登り切ると尾根上へ出たところに丁度三角点があった。三等三角点(点名:黒島)である。
山頂は雑木に囲まれ展望は得られない。
上方の疎林斜面
石が散在する斜面
樫山山頂・三等三角点
山頂尾根(南側)
帰路はそのまま尾根伝いに北へ下ることにする。
ツルに覆われた岩稜帯を少し進むと、歩きやすい雑木疎林尾根となる。
岩稜尾根
雑木疎林尾根
北峰の100mからさらに北へ尾根を下っていくと、左の谷に舗装道が見える。それをめざして斜面を下っていくと、最後は道路法面が1mほどのところから舗装道へ降り立つ。
100m北ピーク
疎林尾根
下方に舗装道
下降地点
そのまま舗装道を黒島集落方面へ下る。
貯水槽を右に過ごし、集落の間を抜けていくと、カーブ地点で漁港が眼下に広がる。
舗装道
集落の間を進む
黒島漁港
黒島集落
漁港西側の山際を進むと右に供養塔がある。横には終戦間際の爆撃により亡くなった19名の方々の名が石碑に刻んである。死者の大半は小学生だ。防空壕へ避難した際に爆撃を受けたらしい。
山際の集落道
供養塔
その先の三島神社と休校中の黒島小中学校へ立ち寄り、港へ戻る。
石鳥居
三島神社
黒島小中学校
校門
学校側から樫山
端島
柱島
長島・福良島・情島
鞍掛島
漁港南側海岸・頭島・浮島
船を待つ間、港近くで日向ぼっこしていたお爺さんに石造建物について尋ねてみた。
やはり戦時中に軍が建てたものらしく、何の目的かは知らないが、当時は今のような道がなかったので、資材を兵隊が背負って山道を登っていったという。柱島のような探照灯はないらしい。
午後2時38分発の便で島を離れる。
■山名考
最高峰の「樫山」については『玖珂郡志』には記載がない。由来は定かではないが、『山口県の島々』(昭和58年発行)や『角川日本地名大辞典 山口県』など諸書にその名が記されている。
島の北側にある標高89mピークについては山名は不明だが、島北端の岬が「松山ヶ鼻」(『玖珂郡志』に記載あり)であることから、「松山」かと推測したが、今回は確認していない。
2015-01-12 15:15
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