野丸岳・中山嶽(萩市明木) [県北部の山]
山行記録を調べたら野丸岳は21年前に歩いていた。山頂にあった電波塔も含めほとんど記憶にとどめていない。
今回は北西麓側の藤ヶ谷から林道を終点までたどり、植林尾根に取り付いてみた。途中から雑木尾根に変わる。明瞭な踏み跡はないものの、ひどいヤブ漕ぎもない。
帰路は、石組箇所から北東に延びる尾根にテープがあり、思いのほか楽に下れた。下降地点が少しヤブ化しており、逆方向にたどる場合、現時点では取り付きを探すのに苦労しそうだ。
中山嶽は、野々垰方面からは最近人が入った様子はない。帰路は植林境を下ったが民家裏に出た。(2017.6.9)
釿切集落から野丸岳
国道より中山嶽
(1,2クリックで拡大)
●駐車地~林道終点
釿切(ちょうのぎり)バス停そばに駐車。途中の市道上にも数箇所駐車可能スペースがある。
藤ヶ谷橋を渡り、コンクリート舗装された林道藤ヶ谷線に入る。
市道分岐
林道八久保線分岐
藤ヶ谷橋
藤ヶ谷橋・林道藤ヶ谷線
林道看板
途中二箇所の分岐を右に分ける。巻き気味に蛇行しながらたどると舗装終点に着く。
林道分岐①
分岐より野丸岳
林道分岐②(左へ)
展望地
とうじ山
舗装林道終点
さらにやや作業道風に未舗装林道が続き、いくつか大きくカーブしながら終点までたどる。
未舗装林道・カーブ①
植林沿い
カーブ③
標高450m地点
林道
440m鞍部
林道終点
● ~野丸岳山頂
植林尾根に取り付き、480m支尾根合流点で雑木尾根に変わる。
植林境尾根
植林尾根
480m支尾根合流点
雑木尾根
490m平坦ピークを越え雑木疎林尾根を登る。いくつか支尾根合流点を過ごしながら登り切ると520mピークへ出る。
490m平坦ピーク①
植林境
鞍部
雑木疎林尾根・上り
490m平坦ピーク②
雑木疎林尾根
鞍部
雑木疎林尾根・上り
500m支尾根合流点
510m支尾根合流点
520m支尾根合流点
鞍部を登り返すと540mピークへ着く。
ピーク上は数段の石組があり、最上部には台座らしき平たい石が置かれている。これが『防長山野へのいざない第1集改訂版』に記載があった石組と思われる。
『旭村史』には、「貴布祢神社は、元来、野丸岳の山上にあったという。」との記載があり、石組は神社跡ではないだろうか。貴布祢神社は水神であることから、雨乞いとして野丸岳に祀られていたのかもしれない。
鞍部
小コン杭
雑木尾根・上り
540mピーク
段状の石組
石組(左方向から)
石組上部・台座?
雑木疎林の山頂尾根を南へ少し進むと石杭「明木」を見る。ここで旧佐々並村との境界が東斜面方向へ変わると思われる。同じ方向へ踏み跡が続いており、こちらが『防長山野へのいざない』の紹介コースである。
雑木疎林
石杭「明木」
左斜面方向の踏み跡
さらに少し南へ進むと二等三角点「野丸山」のある小広場の山頂へ着く。三角点のそばには電波塔関係の電柱跡と思われるブリキカバーが残っている。展望は得られない。
少し先に電波塔跡の小広場がある。
『防長地下上申』によれば山頂付近に狼煙場があったとされるが、その痕跡はわからなかった。
野丸岳山頂
電波塔跡
二等三角点
● ~市道出合い
帰路は石組のピークまで戻り北東尾根を下ってみた。雑木疎林尾根で歩きやすい。
間遠いが所々テープもあり期待が高まる。
雑木疎林尾根
雑木疎林尾根・テープ
雑木疎林尾根
標高490mあたりで左側植林尾根となるが、まもなく雑木疎林尾根に戻る。
二箇所ほど支尾根分岐箇所で方向を迷いやすいところがある。
植林出合い
植林境尾根
480m尾根分岐点(右へ)
雑木疎林尾根
雑木疎林尾根・倒木
440m支尾根分岐点(左へ)
標高400mあたりでふたたび植林と出合い、左の植林谷へ下る。踏み跡をたどり、少しだけササヤブを分けると作業道へ抜け出る。作業道の左奥にはイノシシワナが置かれている。下降地点はササで被われており、逆方向から取り付きを探すのはテープ類もなく難しい。強いて言えば、下降地点の数メートル東側にスギの木が一本他とやや離れて立っているので、これを目印にするしかなかろう。
植林出合い
植林谷の踏み跡
踏み跡
作業道出合い(逆方向)
イノシシワナ
下降地点(東方向から)
草が被る作業道上に残る踏み跡をたどって東へ向かうと広場へ出る。横切って行くと市道と出合う。
(帰宅後「点の記」を見たらこのルートらしき山道が記されていた。山頂にあったという貴布祢神社への参道としても利用されていたのかもしれない。)
作業道の踏み跡
広場
広場出口(逆方向)・一本スギ゙
● 野々垰~中山嶽
野々垰から中山嶽をめざす。
旧村境の斜面に取り付く。ササヤブと雑木ヤブを抜けると雑木疎林尾根へ出る。踏み跡もなく最近人が入った形跡はない。
野々垰・取り付き
雑木ヤブ
雑木疎林尾根
430m平坦ピーク
雑木疎林尾根
430m支尾根合流点で北東方向へ旧村境の雑木疎林尾根を登り切ると雑木ヤブの中山嶽山頂部へ着く。
430m支尾根合流点
小コン杭
雑木疎林尾根
雑木疎林尾根
中山嶽山頂
明るそうな右の方へ向かうとすぐ植林の最高処へ出た。コンクリート小杭「水造・6」を見る。そばの境界見出票に「水源造林事業」の文字があった。
3mほど伸びたヒノキの間から東方向に549mピークが見える。
植林頂部・コン杭「水造・6」
549mピーク方向
● ~中ノ垰
帰路は植林境の踏み跡をたどり、北東尾根を下る。
途中、龍門岳方向の展望が得られる。
分岐を左に取り、雑木林の中の踏み跡をたどって下るとログハウスの民家裏へ出た。敷地沿いに歩き、国道へ出る。
植林境・踏み跡
龍門岳
549mピーク
踏み跡
分岐
踏み跡
ログハウスの裏
国道側出口(逆方向)
国道・駐車スペース
● ~駐車地
前回(6月3日)と同様、竹林公園に立ち寄り、萩往還道に入り、東屋と展望台に立ち寄る。
東屋は行政作製図によると「七賢堂」とある。「竹林の七賢」に拠るものだろうか。
前回は休憩中の先客がいて遠慮した展望台に上がってみた。釿切集落の後方に、なだらかな山容の「とうじ山」が望める。
竹林公園
萩往還道分岐
東屋(展望台から)
展望台
とうじ山
萩往還道を下る。
萩往還道
野丸岳
中山嶽
「御籠建場と桜茶屋」説明板
地形図にある神社マークが以前から気になっていたので立ち寄ってみた。地形図には建物を示す印もあるが現地には建物の姿はなく、荒地に変わっている。
石段があったので登ってみると、市道を隔てて釿切農事集会所があり、その裏手に石祠が数基まつられている。
「金比羅大権現」、「稲荷大明神」、「猿田彦」などが判読できたほか、三面六臂の石仏があった。石仏は馬頭観音か?
これらの祭神はもともとここに祀られていたのか、あるいはそれぞれ別の場所にあったものを合祀されたのだろうか。集落には人影がなく確認できなかった。集落で祀られていた貴布祢神社の行方を伺えなかったのも残念だった。
(『旭村史』には藁葺き屋根の旧社殿の写真が掲載されている。「昭和五十二年、新社殿を建てて移転した」とあるが明確な場所は記されていない。神社は、野丸岳山頂→旧社殿→新社殿と移転していったものとみられる。)
神社跡?
石段
釿切農事集会所
石祠・灯篭
石仏(馬頭観音?)
庚申塚
■山名考
◆中山嶽
『防長地下上申』隣村境目書の明木村および佐々並村の項に山名が記されている。
明木村では中山嶽、佐々並村では中山頭と呼んでいたようだ。
現在の呼称については確認していない。
今回は北西麓側の藤ヶ谷から林道を終点までたどり、植林尾根に取り付いてみた。途中から雑木尾根に変わる。明瞭な踏み跡はないものの、ひどいヤブ漕ぎもない。
帰路は、石組箇所から北東に延びる尾根にテープがあり、思いのほか楽に下れた。下降地点が少しヤブ化しており、逆方向にたどる場合、現時点では取り付きを探すのに苦労しそうだ。
中山嶽は、野々垰方面からは最近人が入った様子はない。帰路は植林境を下ったが民家裏に出た。(2017.6.9)
釿切集落から野丸岳
国道より中山嶽
(1,2クリックで拡大)
●駐車地~林道終点
釿切(ちょうのぎり)バス停そばに駐車。途中の市道上にも数箇所駐車可能スペースがある。
藤ヶ谷橋を渡り、コンクリート舗装された林道藤ヶ谷線に入る。
市道分岐
林道八久保線分岐
藤ヶ谷橋
藤ヶ谷橋・林道藤ヶ谷線
林道看板
途中二箇所の分岐を右に分ける。巻き気味に蛇行しながらたどると舗装終点に着く。
林道分岐①
分岐より野丸岳
林道分岐②(左へ)
展望地
とうじ山
舗装林道終点
さらにやや作業道風に未舗装林道が続き、いくつか大きくカーブしながら終点までたどる。
未舗装林道・カーブ①
植林沿い
カーブ③
標高450m地点
林道
440m鞍部
林道終点
● ~野丸岳山頂
植林尾根に取り付き、480m支尾根合流点で雑木尾根に変わる。
植林境尾根
植林尾根
480m支尾根合流点
雑木尾根
490m平坦ピークを越え雑木疎林尾根を登る。いくつか支尾根合流点を過ごしながら登り切ると520mピークへ出る。
490m平坦ピーク①
植林境
鞍部
雑木疎林尾根・上り
490m平坦ピーク②
雑木疎林尾根
鞍部
雑木疎林尾根・上り
500m支尾根合流点
510m支尾根合流点
520m支尾根合流点
鞍部を登り返すと540mピークへ着く。
ピーク上は数段の石組があり、最上部には台座らしき平たい石が置かれている。これが『防長山野へのいざない第1集改訂版』に記載があった石組と思われる。
『旭村史』には、「貴布祢神社は、元来、野丸岳の山上にあったという。」との記載があり、石組は神社跡ではないだろうか。貴布祢神社は水神であることから、雨乞いとして野丸岳に祀られていたのかもしれない。
鞍部
小コン杭
雑木尾根・上り
540mピーク
段状の石組
石組(左方向から)
石組上部・台座?
雑木疎林の山頂尾根を南へ少し進むと石杭「明木」を見る。ここで旧佐々並村との境界が東斜面方向へ変わると思われる。同じ方向へ踏み跡が続いており、こちらが『防長山野へのいざない』の紹介コースである。
雑木疎林
石杭「明木」
左斜面方向の踏み跡
さらに少し南へ進むと二等三角点「野丸山」のある小広場の山頂へ着く。三角点のそばには電波塔関係の電柱跡と思われるブリキカバーが残っている。展望は得られない。
少し先に電波塔跡の小広場がある。
『防長地下上申』によれば山頂付近に狼煙場があったとされるが、その痕跡はわからなかった。
野丸岳山頂
電波塔跡
二等三角点
● ~市道出合い
帰路は石組のピークまで戻り北東尾根を下ってみた。雑木疎林尾根で歩きやすい。
間遠いが所々テープもあり期待が高まる。
雑木疎林尾根
雑木疎林尾根・テープ
雑木疎林尾根
標高490mあたりで左側植林尾根となるが、まもなく雑木疎林尾根に戻る。
二箇所ほど支尾根分岐箇所で方向を迷いやすいところがある。
植林出合い
植林境尾根
480m尾根分岐点(右へ)
雑木疎林尾根
雑木疎林尾根・倒木
440m支尾根分岐点(左へ)
標高400mあたりでふたたび植林と出合い、左の植林谷へ下る。踏み跡をたどり、少しだけササヤブを分けると作業道へ抜け出る。作業道の左奥にはイノシシワナが置かれている。下降地点はササで被われており、逆方向から取り付きを探すのはテープ類もなく難しい。強いて言えば、下降地点の数メートル東側にスギの木が一本他とやや離れて立っているので、これを目印にするしかなかろう。
植林出合い
植林谷の踏み跡
踏み跡
作業道出合い(逆方向)
イノシシワナ
下降地点(東方向から)
草が被る作業道上に残る踏み跡をたどって東へ向かうと広場へ出る。横切って行くと市道と出合う。
(帰宅後「点の記」を見たらこのルートらしき山道が記されていた。山頂にあったという貴布祢神社への参道としても利用されていたのかもしれない。)
作業道の踏み跡
広場
広場出口(逆方向)・一本スギ゙
● 野々垰~中山嶽
野々垰から中山嶽をめざす。
旧村境の斜面に取り付く。ササヤブと雑木ヤブを抜けると雑木疎林尾根へ出る。踏み跡もなく最近人が入った形跡はない。
野々垰・取り付き
雑木ヤブ
雑木疎林尾根
430m平坦ピーク
雑木疎林尾根
430m支尾根合流点で北東方向へ旧村境の雑木疎林尾根を登り切ると雑木ヤブの中山嶽山頂部へ着く。
430m支尾根合流点
小コン杭
雑木疎林尾根
雑木疎林尾根
中山嶽山頂
明るそうな右の方へ向かうとすぐ植林の最高処へ出た。コンクリート小杭「水造・6」を見る。そばの境界見出票に「水源造林事業」の文字があった。
3mほど伸びたヒノキの間から東方向に549mピークが見える。
植林頂部・コン杭「水造・6」
549mピーク方向
● ~中ノ垰
帰路は植林境の踏み跡をたどり、北東尾根を下る。
途中、龍門岳方向の展望が得られる。
分岐を左に取り、雑木林の中の踏み跡をたどって下るとログハウスの民家裏へ出た。敷地沿いに歩き、国道へ出る。
植林境・踏み跡
龍門岳
549mピーク
踏み跡
分岐
踏み跡
ログハウスの裏
国道側出口(逆方向)
国道・駐車スペース
● ~駐車地
前回(6月3日)と同様、竹林公園に立ち寄り、萩往還道に入り、東屋と展望台に立ち寄る。
東屋は行政作製図によると「七賢堂」とある。「竹林の七賢」に拠るものだろうか。
前回は休憩中の先客がいて遠慮した展望台に上がってみた。釿切集落の後方に、なだらかな山容の「とうじ山」が望める。
竹林公園
萩往還道分岐
東屋(展望台から)
展望台
とうじ山
萩往還道を下る。
萩往還道
野丸岳
中山嶽
「御籠建場と桜茶屋」説明板
地形図にある神社マークが以前から気になっていたので立ち寄ってみた。地形図には建物を示す印もあるが現地には建物の姿はなく、荒地に変わっている。
石段があったので登ってみると、市道を隔てて釿切農事集会所があり、その裏手に石祠が数基まつられている。
「金比羅大権現」、「稲荷大明神」、「猿田彦」などが判読できたほか、三面六臂の石仏があった。石仏は馬頭観音か?
これらの祭神はもともとここに祀られていたのか、あるいはそれぞれ別の場所にあったものを合祀されたのだろうか。集落には人影がなく確認できなかった。集落で祀られていた貴布祢神社の行方を伺えなかったのも残念だった。
(『旭村史』には藁葺き屋根の旧社殿の写真が掲載されている。「昭和五十二年、新社殿を建てて移転した」とあるが明確な場所は記されていない。神社は、野丸岳山頂→旧社殿→新社殿と移転していったものとみられる。)
神社跡?
石段
釿切農事集会所
石祠・灯篭
石仏(馬頭観音?)
庚申塚
■山名考
◆中山嶽
『防長地下上申』隣村境目書の明木村および佐々並村の項に山名が記されている。
明木村では中山嶽、佐々並村では中山頭と呼んでいたようだ。
現在の呼称については確認していない。
2017-06-12 00:38
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