見壁山(周防大島町浮島) [離島の山]
周防大島町の浮島へ渡る。島の南側のお椀を伏せたような形の見壁山と中央最高部の三角点のある無名峰をめざす。出航までの時間を利用し、橋で結ばれている頭島の最高峰(標高87m)まで足をのばした。
見壁山はもともと森村の塩田用の薪を採取するため開かれたようだが、浮島と森村との間で山の所有をめぐって江戸中期と明治初期に大きな紛争が起こり、裁判沙汰にまで発展した。このあたりの経緯は『わたしの浮島風土記』(梶田清七編著、平成二十一年発行)に詳しい。(2014.11.15)
頭島・浮島(周防長浜から)
(1,2クリックで拡大)
日良居港を午前8時に出港。乗客は10人ほど、釣り客が半数以上だ。船は江ノ浦、楽ノ江、樽見の三港に泊まるが、最初の停泊地江ノ浦港で降りる。
飛瀬島・浮島(日良居港から)
ひらい丸(江ノ浦港)
江ノ浦待合所
港沿いの道から山手へ向かう道へ入り、まずは磐尾神社に立ち寄る。江戸初期、島を開拓した際に大蛇や大鼠に悩まされ、これを鎮めるために建てられたのが始まりという。
磐尾神社
神社案内板
神社裏手の分岐を右に取り北側鞍部から見壁山をめざそうとしたが、取り付きとなるようなところが見あたらず、また山の北側斜面は竹林に覆われているようなので、一旦港まで戻る。
舗装道分岐
江ノ浦港
大島アルプス
舗装道
見壁山
港側南端から東の峠へ向けて舗装道が上がっており、これへ進む。
峠へ向かう舗装道
峠へ上がると、すぐ下の海側に浄化センターがある。
峠
浄化センター
センター右の柵沿いに幅広の道を下ると、「おかげの浜」と呼ばれる浜へ出る。『山口縣風土誌』浮島の項には字名として「大影」が見え、これに由来する名だろう。
おかげの浜(南側)
浜の北側
峠に戻り、斜面に設置されている手摺り付きの取付け道を登る。ツルなどが絡まりヤブ気味のコンクリート小道を登り切ると、平坦地へ出る。
取り付け道
取り付け道
取り付け道
ヤブの奥に平坦地
前方に竹林が現れ、支尾根の竹林境を登る。
竹林沿いの踏み跡
竹林境の尾根
左竹林・右スギ林
段々畑跡とみられる段状の尾根を最上段まで登ると、雑木が密生する斜面に変わる。段上を右に少しトラバースし、やや疎林となった斜面に取り付く。
段状の平坦地(最上段)
上方の雑木密生斜面
疎林斜面
ヤブが薄いところを選びながら上方をめざす。勾配が緩むと倒木にツルが絡み歩きづらい。
まもなく尾根上に小穴を見る。
疎林斜面
勾配が緩む
ツルが絡む
小穴(3m×2m)
前方に大木が現れると山頂へ着く。測量杭等はなく山頂を示すものはない。樹林に囲まれ展望も全く得られない。
山頂が近い
山頂部の大木
帰路は山頂尾根のヤブを右によけながら下り、途中から上りとは別の支尾根を取り、そのまま下る。
下り斜面
下り斜面(逆方向)
ツルが絡んだ大木を見るあたりからふたたび段状の斜面に変わる。
ツルが絡まる大木(逆方向)
段状の斜面
ヤブの平坦地を一段一段下っていくとコンクリート製の電柱に出会う。周辺に管理道らしきものは見あたらない。
コン電柱
段状のヤブ
さらに下ると、次の電柱が現れ、すぐ先のヤブを抜けると下草が生い茂る空き地へ抜け出る。
次の電柱
荒れた空地
港へふたたび戻り、神社上の分岐を、今度は左折し三角点峰をめざす。
舗装車道を登り、右に配水池を過ごすと、右上に大師堂の建物が見えたので立ち寄る。堂横には石仏が並び、西の周防大島側の展望が開ける。
配水地
右上に大師堂
大師堂
嵩山
舗装道を登りきったところの分岐に作業小屋があり、右の舗装道を上がる。
舗装道
分岐・作業小屋
左のミカン畑沿いに登っていくと、最高所で左に廃車バスを見る。地形図上ではここから東に向かって実線道がのびているが、それらしき道は見あたらない。雑木や下草が繁茂し道が荒れたようだ。
左みかん畑沿いに登る
旧作業道分岐(右)
作業道があったと見られる平坦尾根上を進むと、竹林となる。
作業道跡
雑木・下草が茂る
竹林となる
竹林中の廃車
竹林がなくなるあたりから、左掘削面沿いとなり、やっと道の名残りらしき感じとなる。
掘削面が残る作業道跡
荒れた作業道跡をたどると、切り通し状の鞍部を左に過ごす。
荒れた作業道跡
切通し状の鞍部(左方向)
三角点があるとみられる小ピークを左に巻きながら回り込み、下りにかかると、作業小屋跡に出会う。
作業道跡
作業小屋跡
小ピーク側は掘削されたガケ状となり、上方は濃いシダヤブとなっていて手強そうなので、少し戻り、小谷の雑木疎林斜面に取り付く。
掘削斜面(逆方向)
取り付き
斜面を登りきると三角点ピークよりやや西側の平坦尾根上へ出る。
『わたしの浮島風土記』によると、島の最高峰は三角点ピークのやや西側にあり、昔の山道の峠であったと記されている。そこで少し左方向の平坦ピークまでたどってみたが、三角点ピークとの高低差はほとんどないように思えた。
疎林斜面を登る
尾根へ出る
西側平坦ピーク
尾根上へ戻り三角点ピークをめざす。ピーク左は掘削によるガケ状となり、ピーク手前は背丈高のシダヤブとなっているので、観念しこれに突っ込む。距離的には短いが、サルトリイバラがときどき交じるため難渋する。
左掘削斜面
山頂手前のシダヤブ
背丈高のシダ
シダをかき分けていくと、ヤブが薄くなり、抜け出た足下に二等三角点(基準点名:浮島)があった。
山頂
二等三角点
東から南西方向に樹木が切れて展望が開け、報われる。東方向に大見山、情島。南方向に嵩山から文殊山へ連なる山並みが見渡せる。
情島・大見山
見壁山
乙小島・白木山
飛瀬島・嵩山
作業道跡へ戻り、作業小屋を左に過ごし、下草や雑木・灌木が茂る作業道跡をたどる。途中、小崩落箇所があるが道は残っている。
下草が被る作業道跡
作業道跡
作業道跡
灌木ヤブ
小崩壊箇所(逆方向)
灌木ヤブ
ヤブが薄いところ
灌木ヤブ
シダヤブの道となり、雑木が密生し道が不明瞭になると、下に舗装車道が見え、すぐに降り立つ。
シダヤブが続く
雑木ヤブ(下に舗装道)
下降地点(逆方向)
島の東側をつなぐ舗装道をたどっていくと、やがて眼下に樽見港と集落が現れる。
舗装道
頭島・樽見集落を遠望
集落上部の分岐を右に取り、樽見観音に立ち寄る。
樽見観音
道を下り切ったところに五社大明神がある。
五社大明神の石段
五社大明神
樽見港で出航まで待ち時間があったので、頭島まで足をのばすことにする。
橋高の低い浮島大橋を渡り、島の最高峰87mピークをめざす。
浮島大橋・頭島
大橋から情島
大見山
大橋・樽見(逆方向)
舗装道
舗装車道の最高所近くで、左のピーク方向へ作業道が分かれるので、これに入る。
道はピークの東側から下りとなり、下方のミカン畑の方まで続いている。
作業道分岐(左)
作業道最高部
ここで左の尾根の切り開きに取り付く。尾根上にビニールホースが敷設してあり、不思議に思いながら登っていくと、山頂部へ出て驚いた。山頂はコンクリート製の溜池となっている。ミカン畑の給水用に設けられたものと思われる。
雑木尾根の踏み跡
ビニールホース
頂上部の溜池
時間の都合もあり、ここで樽見漁港へ戻ることにする。
頭島西端の岬
87mピーク
樽見港・三角点ピーク
樽見待合所
ひらい丸(樽見港)
最終便の船窓から島を眺めながら帰途につく。
楽ノ江の大丁場(採石場)跡
浮島小学校
見壁山
◆山名考
樽見で出会った老夫婦に三角点ピークの山名を訪ねてみた。
おじいさんの話では、三角点のある山に自分の土地があるが、山の名はなく、昔から「三角点」と言っているとのこと。昔はイワシの群を探すのに登っていたが、今は魚群探知機があるので登ることはないようだ。
峠近くに小学校があり「峰の学校」と言っていたという。『わたしの浮島風土記』でも、最高峰近くの櫻という地に昭和二年に分教場が建てられ、江ノ浦・樽見・楽ノ江のそれぞれから通学路が島民により整備されたことが記されている。
おばあさんによると山の名ではなく、「大樽見」という土地の名で呼んでいるとのことで、どうも昔から峰の名を呼ぶ習慣はないようだ。
『防長地下上申』大島郡森平野村の項には、浮島の御立山として「立岩山」・「僧入道山」、頭島の御立山として「ひわか首山」・「竹か迫山」の名が見える。
HP『日本の島へ行こう』記載の浮島の地図には、島の東海岸が「立石海岸」と記されている。また『山口縣風土誌』の浮島の項には、字名として「立テ岩」の名が見える。これから推測すると、海岸の西に位置する三角点ピークの山が「立岩山」にあたるのかもしれない。
見壁山はもともと森村の塩田用の薪を採取するため開かれたようだが、浮島と森村との間で山の所有をめぐって江戸中期と明治初期に大きな紛争が起こり、裁判沙汰にまで発展した。このあたりの経緯は『わたしの浮島風土記』(梶田清七編著、平成二十一年発行)に詳しい。(2014.11.15)
頭島・浮島(周防長浜から)
(1,2クリックで拡大)
日良居港を午前8時に出港。乗客は10人ほど、釣り客が半数以上だ。船は江ノ浦、楽ノ江、樽見の三港に泊まるが、最初の停泊地江ノ浦港で降りる。
飛瀬島・浮島(日良居港から)
ひらい丸(江ノ浦港)
江ノ浦待合所
港沿いの道から山手へ向かう道へ入り、まずは磐尾神社に立ち寄る。江戸初期、島を開拓した際に大蛇や大鼠に悩まされ、これを鎮めるために建てられたのが始まりという。
磐尾神社
神社案内板
神社裏手の分岐を右に取り北側鞍部から見壁山をめざそうとしたが、取り付きとなるようなところが見あたらず、また山の北側斜面は竹林に覆われているようなので、一旦港まで戻る。
舗装道分岐
江ノ浦港
大島アルプス
舗装道
見壁山
港側南端から東の峠へ向けて舗装道が上がっており、これへ進む。
峠へ向かう舗装道
峠へ上がると、すぐ下の海側に浄化センターがある。
峠
浄化センター
センター右の柵沿いに幅広の道を下ると、「おかげの浜」と呼ばれる浜へ出る。『山口縣風土誌』浮島の項には字名として「大影」が見え、これに由来する名だろう。
おかげの浜(南側)
浜の北側
峠に戻り、斜面に設置されている手摺り付きの取付け道を登る。ツルなどが絡まりヤブ気味のコンクリート小道を登り切ると、平坦地へ出る。
取り付け道
取り付け道
取り付け道
ヤブの奥に平坦地
前方に竹林が現れ、支尾根の竹林境を登る。
竹林沿いの踏み跡
竹林境の尾根
左竹林・右スギ林
段々畑跡とみられる段状の尾根を最上段まで登ると、雑木が密生する斜面に変わる。段上を右に少しトラバースし、やや疎林となった斜面に取り付く。
段状の平坦地(最上段)
上方の雑木密生斜面
疎林斜面
ヤブが薄いところを選びながら上方をめざす。勾配が緩むと倒木にツルが絡み歩きづらい。
まもなく尾根上に小穴を見る。
疎林斜面
勾配が緩む
ツルが絡む
小穴(3m×2m)
前方に大木が現れると山頂へ着く。測量杭等はなく山頂を示すものはない。樹林に囲まれ展望も全く得られない。
山頂が近い
山頂部の大木
帰路は山頂尾根のヤブを右によけながら下り、途中から上りとは別の支尾根を取り、そのまま下る。
下り斜面
下り斜面(逆方向)
ツルが絡んだ大木を見るあたりからふたたび段状の斜面に変わる。
ツルが絡まる大木(逆方向)
段状の斜面
ヤブの平坦地を一段一段下っていくとコンクリート製の電柱に出会う。周辺に管理道らしきものは見あたらない。
コン電柱
段状のヤブ
さらに下ると、次の電柱が現れ、すぐ先のヤブを抜けると下草が生い茂る空き地へ抜け出る。
次の電柱
荒れた空地
港へふたたび戻り、神社上の分岐を、今度は左折し三角点峰をめざす。
舗装車道を登り、右に配水池を過ごすと、右上に大師堂の建物が見えたので立ち寄る。堂横には石仏が並び、西の周防大島側の展望が開ける。
配水地
右上に大師堂
大師堂
嵩山
舗装道を登りきったところの分岐に作業小屋があり、右の舗装道を上がる。
舗装道
分岐・作業小屋
左のミカン畑沿いに登っていくと、最高所で左に廃車バスを見る。地形図上ではここから東に向かって実線道がのびているが、それらしき道は見あたらない。雑木や下草が繁茂し道が荒れたようだ。
左みかん畑沿いに登る
旧作業道分岐(右)
作業道があったと見られる平坦尾根上を進むと、竹林となる。
作業道跡
雑木・下草が茂る
竹林となる
竹林中の廃車
竹林がなくなるあたりから、左掘削面沿いとなり、やっと道の名残りらしき感じとなる。
掘削面が残る作業道跡
荒れた作業道跡をたどると、切り通し状の鞍部を左に過ごす。
荒れた作業道跡
切通し状の鞍部(左方向)
三角点があるとみられる小ピークを左に巻きながら回り込み、下りにかかると、作業小屋跡に出会う。
作業道跡
作業小屋跡
小ピーク側は掘削されたガケ状となり、上方は濃いシダヤブとなっていて手強そうなので、少し戻り、小谷の雑木疎林斜面に取り付く。
掘削斜面(逆方向)
取り付き
斜面を登りきると三角点ピークよりやや西側の平坦尾根上へ出る。
『わたしの浮島風土記』によると、島の最高峰は三角点ピークのやや西側にあり、昔の山道の峠であったと記されている。そこで少し左方向の平坦ピークまでたどってみたが、三角点ピークとの高低差はほとんどないように思えた。
疎林斜面を登る
尾根へ出る
西側平坦ピーク
尾根上へ戻り三角点ピークをめざす。ピーク左は掘削によるガケ状となり、ピーク手前は背丈高のシダヤブとなっているので、観念しこれに突っ込む。距離的には短いが、サルトリイバラがときどき交じるため難渋する。
左掘削斜面
山頂手前のシダヤブ
背丈高のシダ
シダをかき分けていくと、ヤブが薄くなり、抜け出た足下に二等三角点(基準点名:浮島)があった。
山頂
二等三角点
東から南西方向に樹木が切れて展望が開け、報われる。東方向に大見山、情島。南方向に嵩山から文殊山へ連なる山並みが見渡せる。
情島・大見山
見壁山
乙小島・白木山
飛瀬島・嵩山
作業道跡へ戻り、作業小屋を左に過ごし、下草や雑木・灌木が茂る作業道跡をたどる。途中、小崩落箇所があるが道は残っている。
下草が被る作業道跡
作業道跡
作業道跡
灌木ヤブ
小崩壊箇所(逆方向)
灌木ヤブ
ヤブが薄いところ
灌木ヤブ
シダヤブの道となり、雑木が密生し道が不明瞭になると、下に舗装車道が見え、すぐに降り立つ。
シダヤブが続く
雑木ヤブ(下に舗装道)
下降地点(逆方向)
島の東側をつなぐ舗装道をたどっていくと、やがて眼下に樽見港と集落が現れる。
舗装道
頭島・樽見集落を遠望
集落上部の分岐を右に取り、樽見観音に立ち寄る。
樽見観音
道を下り切ったところに五社大明神がある。
五社大明神の石段
五社大明神
樽見港で出航まで待ち時間があったので、頭島まで足をのばすことにする。
橋高の低い浮島大橋を渡り、島の最高峰87mピークをめざす。
浮島大橋・頭島
大橋から情島
大見山
大橋・樽見(逆方向)
舗装道
舗装車道の最高所近くで、左のピーク方向へ作業道が分かれるので、これに入る。
道はピークの東側から下りとなり、下方のミカン畑の方まで続いている。
作業道分岐(左)
作業道最高部
ここで左の尾根の切り開きに取り付く。尾根上にビニールホースが敷設してあり、不思議に思いながら登っていくと、山頂部へ出て驚いた。山頂はコンクリート製の溜池となっている。ミカン畑の給水用に設けられたものと思われる。
雑木尾根の踏み跡
ビニールホース
頂上部の溜池
時間の都合もあり、ここで樽見漁港へ戻ることにする。
頭島西端の岬
87mピーク
樽見港・三角点ピーク
樽見待合所
ひらい丸(樽見港)
最終便の船窓から島を眺めながら帰途につく。
楽ノ江の大丁場(採石場)跡
浮島小学校
見壁山
◆山名考
樽見で出会った老夫婦に三角点ピークの山名を訪ねてみた。
おじいさんの話では、三角点のある山に自分の土地があるが、山の名はなく、昔から「三角点」と言っているとのこと。昔はイワシの群を探すのに登っていたが、今は魚群探知機があるので登ることはないようだ。
峠近くに小学校があり「峰の学校」と言っていたという。『わたしの浮島風土記』でも、最高峰近くの櫻という地に昭和二年に分教場が建てられ、江ノ浦・樽見・楽ノ江のそれぞれから通学路が島民により整備されたことが記されている。
おばあさんによると山の名ではなく、「大樽見」という土地の名で呼んでいるとのことで、どうも昔から峰の名を呼ぶ習慣はないようだ。
『防長地下上申』大島郡森平野村の項には、浮島の御立山として「立岩山」・「僧入道山」、頭島の御立山として「ひわか首山」・「竹か迫山」の名が見える。
HP『日本の島へ行こう』記載の浮島の地図には、島の東海岸が「立石海岸」と記されている。また『山口縣風土誌』の浮島の項には、字名として「立テ岩」の名が見える。これから推測すると、海岸の西に位置する三角点ピークの山が「立岩山」にあたるのかもしれない。
2014-11-24 11:10
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