黄幡山(周防大島町前島) [離島の山]
周防大島の旧久賀町沖にある前島をめざす。地形図には山名はなく、ネット情報によると最高峰の標高125m付近には砲台跡など戦時中の軍事遺構があるようだ。久賀港から1日3往復の定期船が運航している。
最高峰のほか島北部の海岸や島南部の峰も探索してみたが、最高峰以外は近年ほとんど人が足を踏み入れた様子はなく、それなりの覚悟が要る。(2014.11.20)
前島漁港から黄幡山
(1,2クリックで拡大)
久賀港から午前7時10分発の船に乗る。乗客は平日のせいか私ひとり。近年前島沖で多数のスナメリが目撃され、町の観光キャンペーンの効果もあって乗船客の6割はスナメリ目的という。目撃の確率は3割とか。スナメリを見ることもなく約20分で島西側の前島漁港に着いた。
久賀港の定期船「くか」
さっそく待合所に入り当日の行程を練る。まずは港の上方にある前島神社へ参拝し、本日の無事を祈る。
渡船待合所
堤防沿いの道
山手へ右折
神社石段
神社境内
次に島唯一の三角点をめざすことにする。神社下から舗装道を北へ向かい、分岐を右折し墓地上方の小ピークをめざす。
墓地への分岐(右へ)
墓地
尾根上はヤダケなどが茂り手ごわそうなので、尾根の裏側へ回ってみたが、石垣が築かれた平坦尾根上はヤダケなどがびっしりと密生しとても寄りつけそうにない。
墓地上の尾根へ向かう
尾根上の石垣
尾根上のササヤブ
ふたたび墓地側へ戻り、墓地の東端部から右へ回り込みながら尾根へ上がったら、ヤブの手前に保護石に囲まれた二等三角点(基準点名:前島)がポツンとあった。
墓地最上部の取り付き
三角点東側の尾根へ向かう
ササヤブ手前の三角点
二等三角点
墓地の西端から山道を登り、尾根へ出て少し藪を分けると車道のカーブ地点へ出る。すぐ上にヘリポートがある。
尾根の山道
ヘリポート
ここで一旦下って黄幡社をめざす。カーブ地点に道標があり、分岐を右に取るとすぐに石鳥居と出会う。柱には「安永九」の字が刻まれている。
車道
分岐の道標
石鳥居
石段を下っていくと前方に通夜堂があり、右にご神体の巨岩を見る。幹の皮が剥がれているのはバクチノキだろう。
石段
黄幡社の巨岩
巨岩(正面)
境内
下の車道へ出て右折し、浜の方へ下っていくと、作業小屋の横からヤブ気味の作業道が上がっている。これが北の浜へ向かう道だろう。
車道への下降口(逆方向)
分岐の作業小屋
作業道跡入口
カズラなどが茂るヤブを分けて巻き加減に進むと、支尾根と合わさるあたりで上方に電柱を見る。電柱はここから左下の浜の方へ続いている。
カズラヤブ
ササヤブ
電柱
荒れた作業道をさらにたどると右カーブして一旦支尾根上へ上がる。ふたたび左の巻き道となり、ササが交じる背丈高のシダヤブに突入する。ここ最近人が入った形跡はない。
作業道跡
ササヤブ
シダヤブの巻き道
段々畑跡の段状の道となり、どの段が道なのか不明瞭なところもある。
道が上下に分かれる
ササヤブ
ササ交じりのシダヤブ
ササヤブ
疎林
三つ目の支尾根を横切るあたりでさらにヤブが濃くなったので、これ以上作業道跡をたどるのをあきらめ、ヤブが薄そうな左の支尾根へ下ることにする。
ふたたびヤブが濃くなる
左の支尾根へ下る
支尾根上のササヤブを左によけながら下っていくと、ササヤブが切れるあたりで尾根へ出る。
尾根左の疎林を下る
支尾根上のヤダケ
尾根へ一旦出る
右の谷方向へ巻き加減に下る薄い踏み跡が残っており、これを下ると、前方に海岸が見える。手前には小さな溜池がある。
古い巻き道の踏み跡
溜池
浜が見える
岩場の海岸へ着くと、海岸沿いに石垣が築かれており、石垣上にコンクリート製の基礎部分と桝らしきものを見る。
土手の石垣
コンクリートの基礎
コンクリート桝
浜はこぢんまりとした岩石海岸となっている。
島で出会ったお婆さんの話によると、この浜は「真名ヶ浦」と言い、ひとつ手前にある砂浜の海岸を「こもヶ浦」と言うようだ。ネット情報によれば、こもヶ浦は船で渡って海水浴ができるらしい。
『地下上申』久賀村の前島の項には「こもか浦」の名が見える。また、『角川 日本地名大辞典 山口県』小字一覧の久賀町前島の項には、「こもヶ浦」・「真名ヶ浦」の名がある。
お婆さんによると、戦時中、真名ヶ浦には砲台のある山頂の兵舎まで生活用水を揚げるための施設があったらしい。コンクリート基礎がその名残りかもしれない。また、以前は浦の上方まで畑を作っていたという。
真名ヶ浦(東方向
(西方向)
岩国方面(大将軍山・高照寺山)
旧山道跡など歩きやすいところを選びながら作業道跡へ戻り、ふたたびヤブを分けて車道まで引き返す。
途中旧山道と出会う
鞍部へ出る
ヘリポートまで戻り最高峰をめざす。ヘリポートの右手からツル植物が這うコンクリート舗装の林道が続いている。途中の路傍に笠戸島で見たものと同じ旧海軍の境界石があった。
車道分岐
林道入口
舗装林道
カーブしながら登り切ると尾根に突き当たり、林道終点となる。
林道終点
終点左方向のヤブ
前方の尾根斜面に取り付き、右へ少し巻きながら登ると雑木疎林の尾根へ出る。左折するとすぐ下に、砲台跡とみられるコンクリート製の丸い大穴がある。
疎林斜面を登る
斜面の溝
尾根上へ出る
砲台跡①の縁部分
砲台跡①.
砲台跡①退避壕
尾根を右に回り込みながら尾根伝いに進むと、穴状の軍事遺構が次々と現われる。その先にも砲台跡とみられる遺構が二つ続き、南側の一段下がったところにはレンガ造りの塔状の指揮所跡がある。さらに尾根を進むと土塁跡や大小二つの円形の窪地を見る。これらの遺構については、ファーザーさんのHPに詳しい。
砲台跡②
砲台跡②退避壕
砲台①②間の平坦地
指揮所跡
砲台跡③
砲台跡③退避壕
方形の小穴
円形の凹地
定期船の船員からの情報によると数ヶ月前にも2、3名調査に入ったようで、ヤダケなどが一部刈られ、当初想像していたより案外楽に探索できた。
出航までまだ時間があるので、次に島南側の最高峰、97mピークをめざす。
お婆さんから「山へ上がる道はもうないが、小学校の裏から行けるかも?」との情報を得たので取り付いてみたが、平坦尾根鞍部あたりでヤブがひどくなり引き返した。
久賀小学校前島分校(休校中)
分岐(左へ)
尾根道
石祠
カヅラヤブの平坦尾根
そこで、港まで戻り、南側の防波堤の端から尾根に取り付いてみた。踏み跡をたどると、左側が段々畑跡の竹林となる。
堤防南端からの尾根取り付き
踏み跡
竹林
段上をたどり、斜面をよじ登ると尾根へ出る。尾根上に小岩を見る。
竹林の斜面
鞍部の小岩
鞍部へ出ると右の浜へ抜ける溝状の道の名残りがある。浜側はヤブで完全に潰れている。
タケヤブを抜けながら尾根を登り、最初のピークを左へ巻く。
溝状の鞍部
タケヤブ
小ピークを左に巻く
鞍部から竹林を登り返し、小岩を二つ右に過ごしながらタケヤブを登ると雑木疎林の尾根となり、山頂ひとつ手前の平坦ピークへ着く。
タケ交じりの尾根
小岩二つ
タケヤブ
疎林尾根
90m平坦ピーク
緩い鞍部を登り返すと山頂の97mピークへ着く。山頂部北側には大岩がある。二つの岩だが、ひとつの岩のように見える。もとはひとつの岩だったのが割れたのかもしれない。岩の下は人がひとりくらい入れそうな穴となっている。
平坦山頂の中央部にはコンクリート杭がポツンとある。
雑木疎林
97m山頂
大岩
大岩の下の穴
コン杭
帰路は北側の尾根を下ってみた。
鞍部までは疎林で歩きよかったが、段状の尾根に変わるとササヤブが現われ始める。
北尾根方向
疎林尾根
段状斜面
斜面をトラバース
荒れてくる
西側の谷へ降りかけたが湿地帯でとても歩けそうにないので、登り返し一旦尾根へ出て、東側の緩い勾配の疎林谷を下る。
下方の浜が急勾配のようなので、左へ巻きながら尾根へ出るとガケ上となる。
右の緩い疎林谷
左の尾根へ巻く
ガケ上部へ出る
左の急勾配の斜面を注意ながら少し下ると谷へ出て、右折するとすぐに漁港南端の道へ出た。
ガケをよけ左の谷へ
谷の出口
漁港の南端へ出る
島の東側の漁港を散策したあと、峠を越えて待合所のある西側の漁港へ下った。
東側漁港にある石仏
東側漁港
東側の海岸
柱島・端島
黒島
東側漁港全景
西側漁港
97mピーク・西側漁港横の砂浜・
西側漁港横の砂浜(北方向)
漁港に停泊中の「くか」
前島
福島
◆ 山名考
前島神社下の東西の漁港を結ぶ峠で、手押し車を押しながら畑仕事から戻る島のお婆さんと出会ったので、山名について尋ねてみた。
数十年このかた山には上がっていないらしく、はじめのうちはなかなか山の名が思い出せない様子だったが、四方山話をしているうちにやっと思い出したらしく、記憶があるうちに教えてもらった。
それによると、島の最高峰、北側の砲台跡のある山は「黄幡山」、南側の標高97mの山は「ギョウジョウ山」と呼んでいるらしい。
黄幡山は黄幡社の上方にある山だからだろう。これは納得できる。
ギョウジョウ山については、名前を何度もしつこく確認しながら、漢字名も聞いてみたがわからないとのこと。
『防長風土注進案』久賀村同浦の森林小祠山の項に「同嶋(前島)之内 迫田岡役行者山」が記されており、「役行者山」から「行者山」、さら「ギョウジョウ山」に変わったのではないかと勝手に推測してみた。なお、小学校上方の山道沿いに石祠があるが、役行者と関連するものかは確認できなかった。
(追記)
黄幡山は、『島嶼大事典』(1991年発行、日外アソシエーツ)には「式部山」とある。これは小字名の式部に由来すると思われる。
また、『日本の島事典』(1995年発行、菅田正昭編著)では「大番頭」とある。これは黄幡山と同様黄幡社が由来であろう。
最高峰のほか島北部の海岸や島南部の峰も探索してみたが、最高峰以外は近年ほとんど人が足を踏み入れた様子はなく、それなりの覚悟が要る。(2014.11.20)
前島漁港から黄幡山
(1,2クリックで拡大)
久賀港から午前7時10分発の船に乗る。乗客は平日のせいか私ひとり。近年前島沖で多数のスナメリが目撃され、町の観光キャンペーンの効果もあって乗船客の6割はスナメリ目的という。目撃の確率は3割とか。スナメリを見ることもなく約20分で島西側の前島漁港に着いた。
久賀港の定期船「くか」
さっそく待合所に入り当日の行程を練る。まずは港の上方にある前島神社へ参拝し、本日の無事を祈る。
渡船待合所
堤防沿いの道
山手へ右折
神社石段
神社境内
次に島唯一の三角点をめざすことにする。神社下から舗装道を北へ向かい、分岐を右折し墓地上方の小ピークをめざす。
墓地への分岐(右へ)
墓地
尾根上はヤダケなどが茂り手ごわそうなので、尾根の裏側へ回ってみたが、石垣が築かれた平坦尾根上はヤダケなどがびっしりと密生しとても寄りつけそうにない。
墓地上の尾根へ向かう
尾根上の石垣
尾根上のササヤブ
ふたたび墓地側へ戻り、墓地の東端部から右へ回り込みながら尾根へ上がったら、ヤブの手前に保護石に囲まれた二等三角点(基準点名:前島)がポツンとあった。
墓地最上部の取り付き
三角点東側の尾根へ向かう
ササヤブ手前の三角点
二等三角点
墓地の西端から山道を登り、尾根へ出て少し藪を分けると車道のカーブ地点へ出る。すぐ上にヘリポートがある。
尾根の山道
ヘリポート
ここで一旦下って黄幡社をめざす。カーブ地点に道標があり、分岐を右に取るとすぐに石鳥居と出会う。柱には「安永九」の字が刻まれている。
車道
分岐の道標
石鳥居
石段を下っていくと前方に通夜堂があり、右にご神体の巨岩を見る。幹の皮が剥がれているのはバクチノキだろう。
石段
黄幡社の巨岩
巨岩(正面)
境内
下の車道へ出て右折し、浜の方へ下っていくと、作業小屋の横からヤブ気味の作業道が上がっている。これが北の浜へ向かう道だろう。
車道への下降口(逆方向)
分岐の作業小屋
作業道跡入口
カズラなどが茂るヤブを分けて巻き加減に進むと、支尾根と合わさるあたりで上方に電柱を見る。電柱はここから左下の浜の方へ続いている。
カズラヤブ
ササヤブ
電柱
荒れた作業道をさらにたどると右カーブして一旦支尾根上へ上がる。ふたたび左の巻き道となり、ササが交じる背丈高のシダヤブに突入する。ここ最近人が入った形跡はない。
作業道跡
ササヤブ
シダヤブの巻き道
段々畑跡の段状の道となり、どの段が道なのか不明瞭なところもある。
道が上下に分かれる
ササヤブ
ササ交じりのシダヤブ
ササヤブ
疎林
三つ目の支尾根を横切るあたりでさらにヤブが濃くなったので、これ以上作業道跡をたどるのをあきらめ、ヤブが薄そうな左の支尾根へ下ることにする。
ふたたびヤブが濃くなる
左の支尾根へ下る
支尾根上のササヤブを左によけながら下っていくと、ササヤブが切れるあたりで尾根へ出る。
尾根左の疎林を下る
支尾根上のヤダケ
尾根へ一旦出る
右の谷方向へ巻き加減に下る薄い踏み跡が残っており、これを下ると、前方に海岸が見える。手前には小さな溜池がある。
古い巻き道の踏み跡
溜池
浜が見える
岩場の海岸へ着くと、海岸沿いに石垣が築かれており、石垣上にコンクリート製の基礎部分と桝らしきものを見る。
土手の石垣
コンクリートの基礎
コンクリート桝
浜はこぢんまりとした岩石海岸となっている。
島で出会ったお婆さんの話によると、この浜は「真名ヶ浦」と言い、ひとつ手前にある砂浜の海岸を「こもヶ浦」と言うようだ。ネット情報によれば、こもヶ浦は船で渡って海水浴ができるらしい。
『地下上申』久賀村の前島の項には「こもか浦」の名が見える。また、『角川 日本地名大辞典 山口県』小字一覧の久賀町前島の項には、「こもヶ浦」・「真名ヶ浦」の名がある。
お婆さんによると、戦時中、真名ヶ浦には砲台のある山頂の兵舎まで生活用水を揚げるための施設があったらしい。コンクリート基礎がその名残りかもしれない。また、以前は浦の上方まで畑を作っていたという。
真名ヶ浦(東方向
(西方向)
岩国方面(大将軍山・高照寺山)
旧山道跡など歩きやすいところを選びながら作業道跡へ戻り、ふたたびヤブを分けて車道まで引き返す。
途中旧山道と出会う
鞍部へ出る
ヘリポートまで戻り最高峰をめざす。ヘリポートの右手からツル植物が這うコンクリート舗装の林道が続いている。途中の路傍に笠戸島で見たものと同じ旧海軍の境界石があった。
車道分岐
林道入口
舗装林道
カーブしながら登り切ると尾根に突き当たり、林道終点となる。
林道終点
終点左方向のヤブ
前方の尾根斜面に取り付き、右へ少し巻きながら登ると雑木疎林の尾根へ出る。左折するとすぐ下に、砲台跡とみられるコンクリート製の丸い大穴がある。
疎林斜面を登る
斜面の溝
尾根上へ出る
砲台跡①の縁部分
砲台跡①.
砲台跡①退避壕
尾根を右に回り込みながら尾根伝いに進むと、穴状の軍事遺構が次々と現われる。その先にも砲台跡とみられる遺構が二つ続き、南側の一段下がったところにはレンガ造りの塔状の指揮所跡がある。さらに尾根を進むと土塁跡や大小二つの円形の窪地を見る。これらの遺構については、ファーザーさんのHPに詳しい。
砲台跡②
砲台跡②退避壕
砲台①②間の平坦地
指揮所跡
砲台跡③
砲台跡③退避壕
方形の小穴
円形の凹地
定期船の船員からの情報によると数ヶ月前にも2、3名調査に入ったようで、ヤダケなどが一部刈られ、当初想像していたより案外楽に探索できた。
出航までまだ時間があるので、次に島南側の最高峰、97mピークをめざす。
お婆さんから「山へ上がる道はもうないが、小学校の裏から行けるかも?」との情報を得たので取り付いてみたが、平坦尾根鞍部あたりでヤブがひどくなり引き返した。
久賀小学校前島分校(休校中)
分岐(左へ)
尾根道
石祠
カヅラヤブの平坦尾根
そこで、港まで戻り、南側の防波堤の端から尾根に取り付いてみた。踏み跡をたどると、左側が段々畑跡の竹林となる。
堤防南端からの尾根取り付き
踏み跡
竹林
段上をたどり、斜面をよじ登ると尾根へ出る。尾根上に小岩を見る。
竹林の斜面
鞍部の小岩
鞍部へ出ると右の浜へ抜ける溝状の道の名残りがある。浜側はヤブで完全に潰れている。
タケヤブを抜けながら尾根を登り、最初のピークを左へ巻く。
溝状の鞍部
タケヤブ
小ピークを左に巻く
鞍部から竹林を登り返し、小岩を二つ右に過ごしながらタケヤブを登ると雑木疎林の尾根となり、山頂ひとつ手前の平坦ピークへ着く。
タケ交じりの尾根
小岩二つ
タケヤブ
疎林尾根
90m平坦ピーク
緩い鞍部を登り返すと山頂の97mピークへ着く。山頂部北側には大岩がある。二つの岩だが、ひとつの岩のように見える。もとはひとつの岩だったのが割れたのかもしれない。岩の下は人がひとりくらい入れそうな穴となっている。
平坦山頂の中央部にはコンクリート杭がポツンとある。
雑木疎林
97m山頂
大岩
大岩の下の穴
コン杭
帰路は北側の尾根を下ってみた。
鞍部までは疎林で歩きよかったが、段状の尾根に変わるとササヤブが現われ始める。
北尾根方向
疎林尾根
段状斜面
斜面をトラバース
荒れてくる
西側の谷へ降りかけたが湿地帯でとても歩けそうにないので、登り返し一旦尾根へ出て、東側の緩い勾配の疎林谷を下る。
下方の浜が急勾配のようなので、左へ巻きながら尾根へ出るとガケ上となる。
右の緩い疎林谷
左の尾根へ巻く
ガケ上部へ出る
左の急勾配の斜面を注意ながら少し下ると谷へ出て、右折するとすぐに漁港南端の道へ出た。
ガケをよけ左の谷へ
谷の出口
漁港の南端へ出る
島の東側の漁港を散策したあと、峠を越えて待合所のある西側の漁港へ下った。
東側漁港にある石仏
東側漁港
東側の海岸
柱島・端島
黒島
東側漁港全景
西側漁港
97mピーク・西側漁港横の砂浜・
西側漁港横の砂浜(北方向)
漁港に停泊中の「くか」
前島
福島
◆ 山名考
前島神社下の東西の漁港を結ぶ峠で、手押し車を押しながら畑仕事から戻る島のお婆さんと出会ったので、山名について尋ねてみた。
数十年このかた山には上がっていないらしく、はじめのうちはなかなか山の名が思い出せない様子だったが、四方山話をしているうちにやっと思い出したらしく、記憶があるうちに教えてもらった。
それによると、島の最高峰、北側の砲台跡のある山は「黄幡山」、南側の標高97mの山は「ギョウジョウ山」と呼んでいるらしい。
黄幡山は黄幡社の上方にある山だからだろう。これは納得できる。
ギョウジョウ山については、名前を何度もしつこく確認しながら、漢字名も聞いてみたがわからないとのこと。
『防長風土注進案』久賀村同浦の森林小祠山の項に「同嶋(前島)之内 迫田岡役行者山」が記されており、「役行者山」から「行者山」、さら「ギョウジョウ山」に変わったのではないかと勝手に推測してみた。なお、小学校上方の山道沿いに石祠があるが、役行者と関連するものかは確認できなかった。
(追記)
黄幡山は、『島嶼大事典』(1991年発行、日外アソシエーツ)には「式部山」とある。これは小字名の式部に由来すると思われる。
また、『日本の島事典』(1995年発行、菅田正昭編著)では「大番頭」とある。これは黄幡山と同様黄幡社が由来であろう。
2014-11-28 21:59
コメント(1)
山名考に追記しました。
by gomen (2015-02-01 11:13)