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古別所山・岩崎寺山・別所山(山陽小野田市高畑) [県西部の山]

岩崎寺の北方に連なる山塊を江汐公園側から縦走してみた。
まずは高圧線鉄塔の巡視路を利用し古別所山へ上がり、岩崎寺山へ縦走。八十八か所巡りの巡拝路をたどって岩崎寺へ下る。再び巡視路を上がって古別所山まで戻り、三等三角点のある別所山をめざし北へ向かう。
別所山からの下山道は、当日北ルートと西ルートをたどってみたが、ヤブ化しているところがあったので、数日後北東麓の仁保ノ上古墳側からのルートも探索してみた。(2022.1.10)

IMG_5949岩崎鰓山.JPG千歳橋から岩崎寺山
IMG_5951古別所山.JPG古別所山
IMG_5819企業団地から別所山.JPG企業団地から別所山
古別所山・岩崎寺山・別所山.jpg(1,2クリックで拡大)

●江汐公園第二駐車場~巡視路取り付き~古別所山
県道を横切り、高畑受水槽の建物の横から舗装管理道へ入る。
IMG_5842公園第二駐車場.JPG公園第二駐車場
IMG_5676管理道入口.JPG管理道入口
IMG_5677管理道.JPG管理道

高圧線鉄塔の手前で道路法面を上がり、巡視路に取りつくとすぐ鉄塔No.39に出合う。
IMG_5678巡視路取り付き.JPG巡視路取り付き
IMG_5680鉄塔No.39.JPG鉄塔No.39

巡視路をたどり、鉄塔No.38を過ごすと一旦高畑集落へ出る。
IMG_5682竹林沿いの巡視路.JPG竹林沿いの巡視路
IMG_5683巡視路・標柱.JPG巡視路・標柱
IMG_5684巡視路.JPG巡視路
IMG_5685掘割道を横切る.JPG掘割道を横切る
IMG_5688コン杭4本・右へ.JPGコン杭4本・右へ
IMG_5689右に鉄塔No.38.JPG右に鉄塔No.38
IMG_5690倒竹.JPG倒竹
IMG_5691掘割道.JPG掘割道
IMG_5692民家に出合う.JPG民家に出合う
IMG_5693標柱.JPG標柱

分岐を左に取る方が近道だが、民家の敷地内を抜けるように見えたので、回り道になるが河内神社を経由し、神社左手の林道へ入る。
IMG_5695庚申塚.JPG庚申塚
IMG_5696河内社.JPG河内社
IMG_5697林道入口.JPG林道入口
IMG_5698林道から鉄塔No.37.JPG林道から鉄塔No.37

農機具小屋のところから右の山道へ入ると溜池と出合う。土手へ出て、水路を横切ると再び巡視路に入る。
IMG_5700農機具小屋横から山道を右へ.JPG農機具小屋横から山道を右へ
IMG_5701土手を上がる.JPG土手を上がる
IMG_5702溜池.JPG溜池
IMG_5703水路を渡る.JPG水路を渡る
IMG_5705右下に標柱.JPG右下に標柱

雑木尾根を登り、鉄塔No.37を過ぎると右へトラバースしながらの登りとなる。
IMG_5706雑木尾根を上がる.JPG雑木尾根を上がる
IMG_5707標柱.JPG標柱
IMG_5708鉄塔No.37.JPG鉄塔No.37
IMG_5710右へトラバースしながら進む.JPG右へトラバースしながら進む

右に伐採地を過ごすとまもなく主尾根上へ出る。右折するとすぐ右下に鉄塔No.36が建つ。
IMG_5713標柱.JPG標柱
IMG_5714右に伐採地.JPG右に伐採地
IMG_5716標柱・主尾根出合い.JPG6標柱・主尾根出合い
IMG_5718右下に鉄塔No.36.JPG右下に鉄塔No.36

尾根上に続く巡視路を進み、登り返すと105mピークの古別所山に着く。左に標柱を見る。山頂は小広場となっているが樹木にさえぎられ展望は得られない。
IMG_5719主尾根を進む.JPG主尾根を進む
IMG_5720竹交じり.JPG竹交じり
IMG_5721105mピーク手前.JPG105mピーク手前
IMG_5722古別所山山頂・標柱.JPG古別所山山頂・標柱

●~岩崎寺山~岩崎寺
ここで巡視路は東方向へ下っているが、そのまま尾根を南へ向かう。尾根上は幅広く樹木がなく歩きよい。植林沿いに緩い尾根をアップダウンしながら下っていく。
IMG_5723緩い雑木尾根を下る.JPG緩い雑木尾根を下る
IMG_5724植林沿い.JPG植林沿い
IMG_5725コン柱.JPGコン柱
IMG_5726植林沿い.JPG植林沿い
IMG_5727石杭.JPG石杭

前方に突然大きな石仏が現れ驚く。大日如来とあり両側にも石仏が続いている。八十八か所巡りの石仏らしい。そばに瓦積みが残っている(石仏を納めたお堂の跡とわかる)。
IMG_5728大日如来.JPG大日如来
IMG_572949番石仏.JPG49番石仏
IMG_5732古瓦.JPG古瓦

逆まわりに石仏をたどって巡拝路を下ることにする。44番と43番の石仏の間でケーブル埋設道が横切る。左道は下方へ下っており、右道を上がりヒノキ植林の中を抜けると中央にテレビ共同アンテナが建つ広場へ出た。残念ながら展望はない。アンテナは現在も稼働中のようで下草がきれいに刈られている。
IMG_5733分岐・44番石仏.JPG分岐・44番石仏
IMG_5929ケーブル埋設道.JPG左下方のケーブル埋設道
IMG_5734ヒノキ林沿い.JPGヒノキ林沿い
IMG_5735テレビ共同ンテナ・岩崎寺山頂広場.JPGテレビ共同ンテナ・岩崎寺山頂広場

巡拝路に戻り石仏を確認しながら下る。途中数か所巡拝路が左へ分岐するので、少し立ち寄りながら下っていくと、谷あいの墓地へ抜け出る。左折して墓地沿いに下り岩崎寺(がんきじ)の境内へ降り立つ。
IMG_5737三十三か所巡拝路.JPG三十三か所巡拝路
IMG_5738十一面観音(観音めぐり33番).JPG十一面観音(33番観音)
IMG_592219番石仏・23番観音(下方から).JPG19番石仏・23番観音(逆方向)
IMG_5741癪王大権現ほか.JPG癪王大権現ほか
IMG_592112番石仏(下方から).JPG12番石仏(逆方向)
IMG_5743墓地出合い(逆方向).JPG墓地出合い(逆方向)
IMG_5747本堂.JPG本堂
IMG_5746観音堂仏像説明板.JPG観音堂仏像説明板
IMG_5745岩崎寺鰐口説明板.JPG岩崎寺鰐口説明板
IMG_5917兒玉元兼の宝篋印塔.JPG兒玉若狭守元兼(毛利家重臣)の宝篋印塔

※当日、石仏をたどってもう一度麓から巡拝路を一部歩いてみたが、四国八十八ヶ所霊場と西国三十三ヶ所観音霊場の石仏が混在し、巡拝路も輻輳しているので途中であきらめた。
帰宅後、創建千二百年記念誌「曹洞宗海福山 岩崎寺」(平成22年発刊)に記載の石仏配置図を入手した。石仏は大正初期に設置されたものらしい。図を参考に巡拝路を再度歩いてみた。
両霊場の順路はおおざっぱに言うと、八十八ヶ所霊場が大きな円を時計回りにめぐり、三十三ケ所観音霊場がその円の下からジグザグに途中まで上がっていると思えばよい。
石仏の配置や巡拝路はおおよそ図のとおりだが、作成後に裏山のガケ崩れや植林・伐採等により巡拝路の一部変更、石仏の消失・配置換えなどが生じたと思われ、特に観音霊場の石仏への影響が大きい。最近は巡拝者もほとんどないようで、倒壊やヤブに埋もれかけている石仏もあった。
IMG_5952.JPG石仏配置図(拡大可)
IMG_5752分岐・83番石仏.JPG分岐・83番石仏
IMG_593879番石仏.JPG79番石仏
IMG_593775番石仏.JPG75番石仏
IMG_575467番石仏・ケーブル埋設道分岐(下方より).JPG67番石仏・ケーブル埋設道分岐
IMG_576064番石仏・ケーブル埋設道分岐(左)(下方より).JPG64番石仏・ケーブル埋設道分岐
IMG_576159番石仏(下方より).JPG59番石仏
IMG_5764下降地点(逆方向).JPG下降地点

●~どうかん屋敷跡~巡視路取り付き~古別所山
岩崎寺から有帆川沿いに市道を北上する。山陽自動車道の高架橋下を抜けるとまもなく、左手に「どうかん屋敷跡」がある。説明文によると昔の豪族の屋敷跡と伝えられ、明徳三年(室町初期)の銘がある岩崎寺観音堂の鰐口に、奉納者として「道乾」の名があるという。
IMG_5765庚申塚.JPG庚申塚
IMG_5766どうかん屋敷跡.JPGどうかん屋敷跡
IMG_5767屋敷跡(逆方向).JPG屋敷跡(逆方向)
IMG_5768説明板.JPG説明板

すぐ先で水路を渡り畦道を山側へ進むと、左下に標柱が倒れているのを見て巡視路に取り付く。
IMG_5770巡視路入口(逆方向).JPG巡視路入口(逆方向)
IMG_5771標柱(倒).JPG標柱(倒)

急坂の道を登り、右の小尾根へ上がって登り切ると鉄塔No.35に出合う。少し登るとふたたび古別所山山頂に立つ。
IMG_5772竹林沿い.JPG竹林沿い
IMG_5776右の小尾根へ・プラ段.JPG右の小尾根へ・プラ段
IMG_5778鉄塔No.35.JPG鉄塔No.35
IMG_5779古別所山山頂.JPG古別所山山頂

●~別所山
別所山へ向けて尾根を北上する。巡視路を左へ過ごし雑木尾根を進む。踏み跡のない疎林尾根が続く。
IMG_5781雑木尾根.JPG雑木尾根
IMG_5782石柱「村有林73」.JPG石柱「村有林73」
IMG_5783石杭.JPG石杭
IMG_5784雑木尾根・下り.JPG雑木尾根・下り
IMG_5785尾根・上り.JPG尾根・上り

100mピークを越え鞍部で登り返すと、平坦な100m南ピークに出る。
IMG_5786100mピーク.JPG100mピーク
IMG_5787尾根・下り.JPG尾根・下り
IMG_5789鞍部.JPG鞍部
IMG_5790尾根・上り.JPG尾根・上り
IMG_5791支尾根合流点.JPG支尾根合流点
IMG_5792南峰平坦ピーク.JPG南峰平坦ピーク

三角点はすぐ先の北ピークだが、測量時に伐採されたためか周囲がブッシュ化している。左に逃げながらヤブが少し薄くなったあたりで右のヤブへ入ると、ヤブが透けたところにちょうど三等三角点「別所」があった。
IMG_5795別所山山頂手前の灌木ヤブ.JPG山頂手前の灌木ヤブ
IMG_5797三等三角点「別所」.JPG三等三角点「別所」

●~駐車場
別所山からの下山ルートは思いがけず手間取った。

①〈北ルート〉 ~車道出合い~駐車地
最初は方向を確認しながら北方向へ疎林尾根を下る。
IMG_5798雑木尾根・下り.JPG雑木尾根・下り
IMG_5799雑木尾根・下り.JPG雑木尾根・下り

地形図に実線道があるので企業団地へ楽に降りられると思ったら、眼下に工場が見えるところでひどいヤブに阻まれた。
IMG_5800雑木尾根(先端部).JPG雑木尾根(先端部)
IMG_5802ヤブを透かして企業団地.JPGヤブを透かして企業団地

企業団地の敷地沿いにヤブが続くので、右へよけながら谷沿いに下っていくと、涸れ溜池あたりから山道が現れた。
IMG_5803右の緩い疎林谷を下る.JPG右の緩い疎林谷を下る
IMG_5805植林沿い.JPG植林沿い
IMG_5809涸れ溜池出合い.JPG涸れ溜池出合い
IMG_5810山道.JPG山道

旧耕作地沿いに下っていき、ササヤブを抜けると通信施設に出合う。カヤをわけながら民家そばから車道へ出た。
IMG_5811竹林沿い.JPG竹林沿い
IMG_5813ヤブ.JPGヤブ
IMG_5814通信施設.JPG通信施設
IMG_5815民家横から通信施設・カヤヤブ.JPG民家横から通信施設・カヤヤブ(逆方向)

企業団地内を通って駐車場へ戻る。
IMG_5817別所山・名切溜池.JPG別所山・名切溜池

➁〈西ルート〉 ~高畑配水池下~駐車地
当日、今度は駐車場から配水池の管理道を利用し別所山山頂までピストンしてみた。
(上りの説明は省略)
山頂から南の支尾根合流点まで戻り、西の緩い疎林谷へ向けて下っていくとケーブル埋設道に出合う。
IMG_5828下方の谷へ向かう.JPG下方の谷へ向かう
IMG_5829ケーブル埋設のコン杭.JPGケーブル埋設のコン杭

少し下ると高畑配水池の法面下に出る。法面沿いに作業道跡と思われる道があり、ヤブをよけながら下ると、配水池の舗装管理道と合流。さらに右からの道と合わせて進むと県道へ出る。
IMG_5830高畑配水池.JPG高畑配水池
IMG_5831法面下の作業道跡.JPG法面下の作業道跡
IMG_5832タケヤブ.JPGタケヤブ
IMG_5833作業道跡.JPG作業道跡
IMG_5836配水池管理道出合い(逆方向).JPG配水池管理道出合い(逆方向)
IMG_5838管理道合流.JPG管理道合流
IMG_5839鉄塔No.39.JPG鉄塔No.39

③〈仁保ノ上古墳ルート〉 ~共同テレビアンテナ跡ピーク~仁保ノ上古墳
帰宅後、山の北東麓に仁保ノ上古墳があることを知り、数日後、古墳側から取り付いてみた。
古墳駐車場に車を置く。階段を上がった小高いところに横穴式古墳がある。菩提寺山方面が見渡せる。
IMG_5847駐車場.JPG古墳駐車場
IMG_5848横穴式古墳.JPG横穴式古墳
IMG_5850古墳説明板.JPG古墳説明板
IMG_5853幸神(庚申)塚.JPG幸神(庚申)塚
IMG_5910菩提寺山方面.JPG菩提寺山方面

上へ行くと横穴墓がありその横に石祠がある。墓では家族とみられる四人の人骨等が発見されている。
説明文によると、いずれも六世紀末ごろに築造されたもので、同時期に違う形式のものが同一か所に葬られているのは非常にめずらしいという。
IMG_5854横穴墓・石祠.JPG横穴墓・石祠
IMG_5857横穴墓説明板.JPG横穴墓説明板

さらに尾根を上方に向かい、雑木疎林からヒノキ植林沿いに登り切るとテレビ共同アンテナ跡が建つ40mピークに着く。
IMG_5858上方の尾根へ向かう.JPG上方の尾根へ向かう
IMG_5860疎林尾根.JPG疎林尾根
IMG_5862植林沿い.JPG植林沿い
IMG_5863植林沿い・上り.JPG植林沿い・上り
IMG_5864テレビ共同アンテナ跡.JPGテレビ共同アンテナ跡

西へ尾根を下り、鞍部から竹まじりの緩やかな尾根を上がる。
IMG_5865疎林尾根・下り.JPG疎林尾根・下り
IMG_5866鞍部.JPG鞍部
IMG_5867竹林・上り.JPG竹林・上り
IMG_5869コン杭.JPGコン杭
IMG_5870倒竹.JPG倒竹
IMG_5872疎林.JPG疎林

左からの尾根と合流するとまもなくヤブ化した山頂部へ出る。
IMG_5873支尾根合流点手前.JPG支尾根合流点手前
IMG_5874雑木尾根.JPG雑木尾根
IMG_5876山頂部のヤブ.JPG山頂部のヤブ
IMG_5877三等三角点山頂.JPG三等三角点山頂

帰路は古道があったので尾根分岐を東へ下ってみたが、倒竹林ヤブとなったので引き返し、往路のルートを戻った。下りでは支尾根分岐で方向を確認しないと東尾根へ入り込みやすいだろう。
IMG_5883東尾根・下り.JPG東尾根・下り
IMG_5885竹林ヤブ.JPG竹林ヤブ

■山名について
『地下上申』有帆村石高境目書の御立山の項に古別所山、『風土注進案』東高泊村有帆村に古別所山と岩崎寺山が見えるが、別所山の名は見あたらない。
古別所山は、東麓の「どうかん屋敷」の説明文に記載があることに拠った。
別所山は、三等三角点名が「別所」であり、山陽小野田市のホームページの同古墳の説明文にも別所山とあることに拠った。
岩崎寺山は、創建千二百年記念誌「曹洞宗海福山 岩崎寺」でも裏山を岩崎寺山とした記載がある。ただし、同書では千日如来の立つピークを山頂としているが、ここでは最高処の80mピークとした。

■別所の地名について
「別所」とは、『地名語源辞典』(山中襄太著)によると、一説には俘囚(捕虜)の村と考えられており、主として蝦夷の俘囚を移住させたところらしい。関東から広島までに多く、移住地は42か国1島に及んだという。
岩崎寺の寺伝によれば、寺は大同元年(806年)征夷大将軍坂上田村麻呂が一国一仏を奉納した時に建立されたと言い、寺には本尊の千手観音など平安期の仏像も多い。
岩崎寺との関連から想像が広がる。

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