朝日観音(天神山)・△吉光・足谷山(光市岩田・束荷) [県東部の山]
「朝日観音は昔から霊験あらたかな観音として、光井八海の龍智観音、束荷の夕日観音とともに、村人たちの信仰のまとであった。この三観音は三姉妹と伝えられ、人々に救いの手をいつもさしのべていた。この観音を朝日観音というのは、岩の重なる丘上にあって、石塁を背に石の祠に鎮座し、東に向かって朝日に映え、光明を放ったという故事によって名づけられたものであろう。」(『大和町史』1003頁)
ということで朝日観音を訪ねながら周辺を探索することにした。実は自分の25000分の1地図に当山域を歩いた軌跡を記しているのだが、朝日観音を含めすっかり記憶から抜け落ちてしまっている。(山行後よく記録を調べてみると、23年前に松田武司さんの自家出版本『山によみがえる』で情報を得てさっそくでかけたものらしく、今回とは逆のコースで歩いていたことがわかった。)
まずは、ふもと雨桑(あまぐわ)の小丘上にある観音堂を手始めに、やや荒れたところのある参道をたどり天神山頂上直下の朝日観音をめざす。帰路は、西へ林道をたどり、三角点「吉光」峰や150m峰(足谷山)に立ち寄りながら周回して戻った。情けないことに歩いてみてもさっぱり記憶は戻らなかった。
朝日観音へは西麓側から林道を上がった方が簡単だが、味気ないだろう。(2023.2.26)
展望墓地から明法寺山・天神山
(1,2クリックで拡大)
●駐車地~雨桑観音堂
大和総合運動公園東側の市道沿いに駐車スペースがある。大和あじさい苑(墓地)入口のところで反対側へ左折し里道に入る。200mほど進むと舗装道が左に上がっており、ここが登山口(①)となる。
駐車地
観音堂の建つ観音山
里道分岐
登山口①(左折)
幅広の道をさらに200mほど上がると広場風の分岐に出る。どちらを取っても上がれるが、直進するとすぐに登山口➁からの小道と合わさる。
幅広参道
参道分岐(直進)
参道出合い(右折)
右折するとすぐに石段を上がり、両側に朽ちかけた小屋の間を抜けて、さらに石段を上がったところにやや古びた観音堂が建つ。
あまり参拝された様子はなく、やや荒廃した感がある。本尊は馬頭観音・子安観音・火除観音の石仏三体という。境内の右手には石仏が並ぶ。
観音堂建立のいわれは『風土注進案』や『大和町史』に江戸初期の逸話の記述がある。
石段・手摺り
石段
境内
観音堂
境内の石仏群
●~さやが垰
境内から東に下ると、右から上がって来た幅広道と合わさる。そばに石仏2体があり、朝日観音への巡拝道の起点となる。
巡拝道出合い(逆方向)
石仏1
ここから巡拝道は尾根伝いに北上する。途中石仏が巡拝道沿いに所々据えられていて、確認した限りでは起点の石仏1と次の石仏2以外はすべて道の右側にある。(風化して石仏の字が読み取れないため、便宜上通し番号をふることにする)
巡拝道はほとんど歩かれていないようで、途中距離は短いが倒竹箇所がある。後半は植林の関係か次第に歩きやすくなる。高低差の少ない道を巻き道や緩いアップダウンを繰り返しながら進み、石仏8を過ごすと110m鞍部(さやが垰)に着く。
巡拝道
石仏2
巡拝道
石仏3
倒竹
石仏4(倒)
倒竹
土塁状鞍部
右の巻き道
土塁状鞍部
石仏5・左の巻き道
石仏6・鞍部
土塁状・竹林沿い
石仏7
左の巻き道・植林沿い
石仏8
さえが垰・石杭・ゴミ散乱
●~朝日観音~天神山
さやが垰から植林尾根の左斜面を巻き加減に上がっていく。ここから先、石仏の間隔が狭くなり次々と現れる。
石仏9・左巻き道
石仏10・石杭
石仏15
石仏18
石仏20(倒)
石仏22を過ごすと林道が交差する170m鞍部の尾根へ出る。
石仏22
林道出合い(右方向)
林道出合い(左方向)
直接朝日観音へ向かう前に林道を少し探索してみる。
東から北へ下る林道は、地形図の実線どおりに186mピーク下で行き止まりとなった。
鞍部からすぐ北東へ下る林道と北西に向かう林道は先で終わっているようだ。(帰宅後の調査で確認)
地形図上では破線道の西へ水平に向かう林道は、これは以前歩いたとおり西麓に下ると思われる。
巡拝道の続きをたどるため、尾根に取り付く。雑木尾根伝いに進みながら石仏4体を過ごすと石垣が組まれた平坦地に出合う。おこもり堂跡らしい。
石仏23
石仏24
石仏25
石仏26
おこもり堂跡
奥に見えるのが朝日観音のようだ。
少し岩場を上がると、塁状に重なった岩を背に、中央に小さな観音像が鎮座する石祠、右手に石仏三体、左手に石仏1体と手水鉢などが配されている。
観音手前・手摺り
石祠・石仏4体
朝日観音の石祠
石仏三体
手水鉢・石仏
背後の岩
「石塁を背に石の祠に鎮座し、東に向かって朝日に映え、光明を放った」というが、
今は雑木に囲まれ展望も得られない。
夕日観音は整備され、滝や山頂での展望もあることから人気があるが、こちらは訪れる人も稀なようで静寂感がただよう。
「祠の下側には三間に一間半のおこもり家の跡も残り、室積の漁師の危難を救われたので、寛政十年(1798)に寄進した手洗鉢もある。燈篭には明和三年(1766)と刻まれ、扉の中の石像には天保七年三月(1824)と残っている。」(『大和町史』1004頁)
一応山の頂上まで上がってみることにする。
朝日観音から巻き道をさらに西へ、石仏1体(朝日観音そばの4体を加えると31座目)を過ごしながら進むと尾根と合わさる。
石仏31
巻き道
尾根出合い(逆方向)
ここで北東方向へ雑木尾根を登り薄いシダに変わると、ちょうど朝日観音の真上にあたる天神山南ピークへ着く。樹木に囲まれ展望はない。
石杭・雑木尾根
薄いシダ尾根
天神山南ピーク
コン杭
南ピーク(逆方向)
さらにヒノキ尾根を北に少し進むとやや高所の北ピークに着く。こちらも展望は得られない。
雑木交じり植林尾根
北ピーク
●~△吉光
南ピークへ戻り、今度は南東尾根を下ってみた。シダも少なくこちらの方がやや歩きよい。石垣の平坦地近くへ降り立った。
南ピークから東尾根の下り
もう一度朝日観音の前を通り巡拝道を西の尾根出合いまで戻る。さらに尾根上を進み、シダが被るなか石仏3体(32~34)を過ごす。
石仏32
シダ被りの石仏33
石仏34
シダが濃くなり歩きにくくなったので、右の植林境に逃げ込みながら下ると林道が広くなっている所へ出る。石仏は(数え方にもよるが、途中見過ごしがなければ)ほぼ三十三観音に近い数を確認できたことになる。
植林境・石杭
植林境
林道出合い
ここから三角点「吉光」峰をめざす。林道分岐を右に取り作業道吉光線を下る。100mほど谷沿いに下り分岐を直進する。
林道分岐
ヌタ場・林道(作業道吉光線)
林道分岐(逆方向)
すぐに行き止まりとなるので、左の植林斜面に取り付く。植林の中を適当にトラバースしながら登り切ると尾根へ出る。
林道行き止まり
植林斜面
尾根へ出る
植林境を北へ進み、緩い鞍部を登り返すと山頂に着く。中央に三等三角点「吉光」がある。樹木に囲まれ展望はない。
植林鞍部
植林境・上り
三角点山頂
三等三角点「吉光」
●~足谷山~県道出合い
尾根を戻り植林境をたどっていくと平坦な190mピークに着く。
尾根・上り
植林境尾根・鞍部
190mピーク
植林境を東に下ると林道へ出た。
東尾根植林境・下り
林道出合い(逆方向)
林道(作業道大和2号)を南から西へ巻きながら下る
160m鞍部直下に通信塔が建っている。大字境にある西の150mピークが気になったので、ここから尾根に取り付こうと思ったが、倒竹がひどいので断念。
林道(作業道大和2号)
林道
160m鞍部
通信塔
舗装林道に変わった道をどんどん下り、標高100mあたりの谷から南方向の谷斜面に取り付く(電柱ノジリ15が目印)。
舗装林道・下り
竹林沿い
植林沿い
谷を横切る
斜面取り付き
取り付き・電柱
ケモノ道を参考に、急斜面を頑張ると尾根鞍部へ出る。
急斜面のケモノ道
植林境尾根出合い
歩きやすそうな植林境を西に登ると150mピーク(足谷山)に着く。鋲が打たれたコン杭があるが、ほかに特徴的なものは見当たらない。展望はない。
130m支尾根合流点
植林境・上り
150mピーク(足谷山)
コン杭
林道まで引き返し、谷沿いの舗装道を下っていくと県道159号(束荷一ノ瀬線)に出た。入口の掲示によると一般車両進入禁止となっている。
舗装林道・下り
県道出合い(逆方向)
山火事注意標柱と看板
●~雨桑観音堂登山口➁~駐車地
県道159号を西進し、県道23号(光上関線)を南下、井堀踏切のところで左折し里道に入る。
慶見から足谷山
森ヶ迫から呉麓山
明法寺山
八海山・鶴羽山
登山口➁付近から明法寺山(中央)・天神山(右)
山域の南麓を周回し、宮重溜池のそばの登山口(➁)からもう一度観音堂まで上がってみた。コン舗装の堀割道をあがり、分岐を左に取って進むと登山口①から上がってきた幅広道と出合う。
登山口➁
コン舗装参道
分岐
堀割状の参道
観音堂上り口・登山道②合流点
帰路は同じ道を戻り、三叉路のところで法面にコン階段があったので、上がってみると小さな丘の上の墓地に出た。北面に明法寺山や天神山の山並みが望める。
墓地への階段
展望墓地から明法寺山(左)・天神山(右)
■山名について
●天神山
朝日観音のある200m峰の山名について調べてみた。
『大和町史』の地質・地形の項に「天神山」のおおまかな場所と山名の記載があるが、場所の特定はできない。
『地下上申』によると、束荷村隣村境目書には岩田村境の山として「天神山」があり、絵図には「天神迫山」の名が見える。一方、岩田村隣村境目書には山名が見当たらないが、絵図では「大平山」が該当すると思われる。
200m峰と三角点「吉光」峰にはさまれた谷が「天神迫」と思われ、北麓には菅原神社があることから、これが天神迫山の由来だろう。また、『山口県地名明細書』にも束荷村の小字名として「天神迫」の名が記載されている。
この山域において、絵図には他の山名の表記もあるのに、境目書には天神山の山名しかないのは、この山域一帯を総称する山名として地元で扱われていたのではないかと推測される。大和町史では天神山の記載しかないことからもそのことがうかがえる。
なお松田さんの書では200m峰を天神山とし、三等三角点の標高201.6mを記載されているが、誤記載と思われる。
ついでに、三等三角点「吉光」峰の山名を調べてみると、絵図では少し下方の谷に「迫奥ノ山」の名が表記されており、『風土注進案』には御立山として「迫奥山」の名がある。
また、『防長山野へのいざない第4集』の「山口県の山標高ランキング」には「天神山(吉光山)202m」が掲載されている。三角点のある地番の字名が吉光であり(点の記)、東側の谷に付けられた作業道名が吉光線であることから、吉光山でもいいのかもしれない。
●明法寺山
『ふるさと散歩道大和町』には、明法寺山上に朝日観音があるという記述が見える。
しかし、地下上申絵図では200m峰(天神山)から南西約500mにある150mピークに明法寺山の記載があり、『山口県地名明細書』には岩田村の小字名として「明法寺」の名がある。
明法寺山は200m峰とは別の山塊であると考えるられる。
●足谷山
大字境の山だが『地下上申』には岩田・束荷の両村とも山名は見あたらない。絵図には束荷村に「足谷山」が見え、『風土注進案』にも御立山として山名の記載がある。地下上申作成以降に御立山(官有林)となったのかもしれない。
また、『山口県地名明細書』には束荷村の小字名として「足谷」がある。
ということで朝日観音を訪ねながら周辺を探索することにした。実は自分の25000分の1地図に当山域を歩いた軌跡を記しているのだが、朝日観音を含めすっかり記憶から抜け落ちてしまっている。(山行後よく記録を調べてみると、23年前に松田武司さんの自家出版本『山によみがえる』で情報を得てさっそくでかけたものらしく、今回とは逆のコースで歩いていたことがわかった。)
まずは、ふもと雨桑(あまぐわ)の小丘上にある観音堂を手始めに、やや荒れたところのある参道をたどり天神山頂上直下の朝日観音をめざす。帰路は、西へ林道をたどり、三角点「吉光」峰や150m峰(足谷山)に立ち寄りながら周回して戻った。情けないことに歩いてみてもさっぱり記憶は戻らなかった。
朝日観音へは西麓側から林道を上がった方が簡単だが、味気ないだろう。(2023.2.26)
展望墓地から明法寺山・天神山
(1,2クリックで拡大)
●駐車地~雨桑観音堂
大和総合運動公園東側の市道沿いに駐車スペースがある。大和あじさい苑(墓地)入口のところで反対側へ左折し里道に入る。200mほど進むと舗装道が左に上がっており、ここが登山口(①)となる。
駐車地
観音堂の建つ観音山
里道分岐
登山口①(左折)
幅広の道をさらに200mほど上がると広場風の分岐に出る。どちらを取っても上がれるが、直進するとすぐに登山口➁からの小道と合わさる。
幅広参道
参道分岐(直進)
参道出合い(右折)
右折するとすぐに石段を上がり、両側に朽ちかけた小屋の間を抜けて、さらに石段を上がったところにやや古びた観音堂が建つ。
あまり参拝された様子はなく、やや荒廃した感がある。本尊は馬頭観音・子安観音・火除観音の石仏三体という。境内の右手には石仏が並ぶ。
観音堂建立のいわれは『風土注進案』や『大和町史』に江戸初期の逸話の記述がある。
石段・手摺り
石段
境内
観音堂
境内の石仏群
●~さやが垰
境内から東に下ると、右から上がって来た幅広道と合わさる。そばに石仏2体があり、朝日観音への巡拝道の起点となる。
巡拝道出合い(逆方向)
石仏1
ここから巡拝道は尾根伝いに北上する。途中石仏が巡拝道沿いに所々据えられていて、確認した限りでは起点の石仏1と次の石仏2以外はすべて道の右側にある。(風化して石仏の字が読み取れないため、便宜上通し番号をふることにする)
巡拝道はほとんど歩かれていないようで、途中距離は短いが倒竹箇所がある。後半は植林の関係か次第に歩きやすくなる。高低差の少ない道を巻き道や緩いアップダウンを繰り返しながら進み、石仏8を過ごすと110m鞍部(さやが垰)に着く。
巡拝道
石仏2
巡拝道
石仏3
倒竹
石仏4(倒)
倒竹
土塁状鞍部
右の巻き道
土塁状鞍部
石仏5・左の巻き道
石仏6・鞍部
土塁状・竹林沿い
石仏7
左の巻き道・植林沿い
石仏8
さえが垰・石杭・ゴミ散乱
●~朝日観音~天神山
さやが垰から植林尾根の左斜面を巻き加減に上がっていく。ここから先、石仏の間隔が狭くなり次々と現れる。
石仏9・左巻き道
石仏10・石杭
石仏15
石仏18
石仏20(倒)
石仏22を過ごすと林道が交差する170m鞍部の尾根へ出る。
石仏22
林道出合い(右方向)
林道出合い(左方向)
直接朝日観音へ向かう前に林道を少し探索してみる。
東から北へ下る林道は、地形図の実線どおりに186mピーク下で行き止まりとなった。
鞍部からすぐ北東へ下る林道と北西に向かう林道は先で終わっているようだ。(帰宅後の調査で確認)
地形図上では破線道の西へ水平に向かう林道は、これは以前歩いたとおり西麓に下ると思われる。
巡拝道の続きをたどるため、尾根に取り付く。雑木尾根伝いに進みながら石仏4体を過ごすと石垣が組まれた平坦地に出合う。おこもり堂跡らしい。
石仏23
石仏24
石仏25
石仏26
おこもり堂跡
奥に見えるのが朝日観音のようだ。
少し岩場を上がると、塁状に重なった岩を背に、中央に小さな観音像が鎮座する石祠、右手に石仏三体、左手に石仏1体と手水鉢などが配されている。
観音手前・手摺り
石祠・石仏4体
朝日観音の石祠
石仏三体
手水鉢・石仏
背後の岩
「石塁を背に石の祠に鎮座し、東に向かって朝日に映え、光明を放った」というが、
今は雑木に囲まれ展望も得られない。
夕日観音は整備され、滝や山頂での展望もあることから人気があるが、こちらは訪れる人も稀なようで静寂感がただよう。
「祠の下側には三間に一間半のおこもり家の跡も残り、室積の漁師の危難を救われたので、寛政十年(1798)に寄進した手洗鉢もある。燈篭には明和三年(1766)と刻まれ、扉の中の石像には天保七年三月(1824)と残っている。」(『大和町史』1004頁)
一応山の頂上まで上がってみることにする。
朝日観音から巻き道をさらに西へ、石仏1体(朝日観音そばの4体を加えると31座目)を過ごしながら進むと尾根と合わさる。
石仏31
巻き道
尾根出合い(逆方向)
ここで北東方向へ雑木尾根を登り薄いシダに変わると、ちょうど朝日観音の真上にあたる天神山南ピークへ着く。樹木に囲まれ展望はない。
石杭・雑木尾根
薄いシダ尾根
天神山南ピーク
コン杭
南ピーク(逆方向)
さらにヒノキ尾根を北に少し進むとやや高所の北ピークに着く。こちらも展望は得られない。
雑木交じり植林尾根
北ピーク
●~△吉光
南ピークへ戻り、今度は南東尾根を下ってみた。シダも少なくこちらの方がやや歩きよい。石垣の平坦地近くへ降り立った。
南ピークから東尾根の下り
もう一度朝日観音の前を通り巡拝道を西の尾根出合いまで戻る。さらに尾根上を進み、シダが被るなか石仏3体(32~34)を過ごす。
石仏32
シダ被りの石仏33
石仏34
シダが濃くなり歩きにくくなったので、右の植林境に逃げ込みながら下ると林道が広くなっている所へ出る。石仏は(数え方にもよるが、途中見過ごしがなければ)ほぼ三十三観音に近い数を確認できたことになる。
植林境・石杭
植林境
林道出合い
ここから三角点「吉光」峰をめざす。林道分岐を右に取り作業道吉光線を下る。100mほど谷沿いに下り分岐を直進する。
林道分岐
ヌタ場・林道(作業道吉光線)
林道分岐(逆方向)
すぐに行き止まりとなるので、左の植林斜面に取り付く。植林の中を適当にトラバースしながら登り切ると尾根へ出る。
林道行き止まり
植林斜面
尾根へ出る
植林境を北へ進み、緩い鞍部を登り返すと山頂に着く。中央に三等三角点「吉光」がある。樹木に囲まれ展望はない。
植林鞍部
植林境・上り
三角点山頂
三等三角点「吉光」
●~足谷山~県道出合い
尾根を戻り植林境をたどっていくと平坦な190mピークに着く。
尾根・上り
植林境尾根・鞍部
190mピーク
植林境を東に下ると林道へ出た。
東尾根植林境・下り
林道出合い(逆方向)
林道(作業道大和2号)を南から西へ巻きながら下る
160m鞍部直下に通信塔が建っている。大字境にある西の150mピークが気になったので、ここから尾根に取り付こうと思ったが、倒竹がひどいので断念。
林道(作業道大和2号)
林道
160m鞍部
通信塔
舗装林道に変わった道をどんどん下り、標高100mあたりの谷から南方向の谷斜面に取り付く(電柱ノジリ15が目印)。
舗装林道・下り
竹林沿い
植林沿い
谷を横切る
斜面取り付き
取り付き・電柱
ケモノ道を参考に、急斜面を頑張ると尾根鞍部へ出る。
急斜面のケモノ道
植林境尾根出合い
歩きやすそうな植林境を西に登ると150mピーク(足谷山)に着く。鋲が打たれたコン杭があるが、ほかに特徴的なものは見当たらない。展望はない。
130m支尾根合流点
植林境・上り
150mピーク(足谷山)
コン杭
林道まで引き返し、谷沿いの舗装道を下っていくと県道159号(束荷一ノ瀬線)に出た。入口の掲示によると一般車両進入禁止となっている。
舗装林道・下り
県道出合い(逆方向)
山火事注意標柱と看板
●~雨桑観音堂登山口➁~駐車地
県道159号を西進し、県道23号(光上関線)を南下、井堀踏切のところで左折し里道に入る。
慶見から足谷山
森ヶ迫から呉麓山
明法寺山
八海山・鶴羽山
登山口➁付近から明法寺山(中央)・天神山(右)
山域の南麓を周回し、宮重溜池のそばの登山口(➁)からもう一度観音堂まで上がってみた。コン舗装の堀割道をあがり、分岐を左に取って進むと登山口①から上がってきた幅広道と出合う。
登山口➁
コン舗装参道
分岐
堀割状の参道
観音堂上り口・登山道②合流点
帰路は同じ道を戻り、三叉路のところで法面にコン階段があったので、上がってみると小さな丘の上の墓地に出た。北面に明法寺山や天神山の山並みが望める。
墓地への階段
展望墓地から明法寺山(左)・天神山(右)
■山名について
●天神山
朝日観音のある200m峰の山名について調べてみた。
『大和町史』の地質・地形の項に「天神山」のおおまかな場所と山名の記載があるが、場所の特定はできない。
『地下上申』によると、束荷村隣村境目書には岩田村境の山として「天神山」があり、絵図には「天神迫山」の名が見える。一方、岩田村隣村境目書には山名が見当たらないが、絵図では「大平山」が該当すると思われる。
200m峰と三角点「吉光」峰にはさまれた谷が「天神迫」と思われ、北麓には菅原神社があることから、これが天神迫山の由来だろう。また、『山口県地名明細書』にも束荷村の小字名として「天神迫」の名が記載されている。
この山域において、絵図には他の山名の表記もあるのに、境目書には天神山の山名しかないのは、この山域一帯を総称する山名として地元で扱われていたのではないかと推測される。大和町史では天神山の記載しかないことからもそのことがうかがえる。
なお松田さんの書では200m峰を天神山とし、三等三角点の標高201.6mを記載されているが、誤記載と思われる。
ついでに、三等三角点「吉光」峰の山名を調べてみると、絵図では少し下方の谷に「迫奥ノ山」の名が表記されており、『風土注進案』には御立山として「迫奥山」の名がある。
また、『防長山野へのいざない第4集』の「山口県の山標高ランキング」には「天神山(吉光山)202m」が掲載されている。三角点のある地番の字名が吉光であり(点の記)、東側の谷に付けられた作業道名が吉光線であることから、吉光山でもいいのかもしれない。
●明法寺山
『ふるさと散歩道大和町』には、明法寺山上に朝日観音があるという記述が見える。
しかし、地下上申絵図では200m峰(天神山)から南西約500mにある150mピークに明法寺山の記載があり、『山口県地名明細書』には岩田村の小字名として「明法寺」の名がある。
明法寺山は200m峰とは別の山塊であると考えるられる。
●足谷山
大字境の山だが『地下上申』には岩田・束荷の両村とも山名は見あたらない。絵図には束荷村に「足谷山」が見え、『風土注進案』にも御立山として山名の記載がある。地下上申作成以降に御立山(官有林)となったのかもしれない。
また、『山口県地名明細書』には束荷村の小字名として「足谷」がある。
2023-03-07 21:21
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