大遠〈平さんの棚田ルート〉(上関町祝島) [離島の山]
島最上段の農道から大遠の南側中腹を巻く、そま道程度の山道がある。この道を利用して平さんの棚田へ下る方法がないかと、このところの山行で2度試してみたが、ヤブや崖で立ち往生となり断念した。
そこで、今回は逆に棚田側から上方をめざすことにし、ついでに大遠まで直登してみた。(2015.03.08)
平さんの石積み棚田
(1,2クリックで拡大)
始発の船で午前6時半過ぎに祝島港へ着くと、今回は最下段の農道を歩き、直接棚田をめざす。
港沿いの道を歩いていると、朝日が雲間から差し始める。
定期船「いわい」
港沿いの道
港から眺める朝日
農道へ上がり、最初の農道分岐を直進する。分岐点の道標には「棚田まで3km」とある。
農道へ上がる農道へ上がる
牛島
天田島と朝日
農道分岐
道標
途中、路傍に「棚田まで2km」、「1km」と表示された小さな道標を確認しながら進む。
ビワ園沿いの農道
鼻繰島・平郡島・天田島・烏帽子鼻
棚田のビワ園
飛石
「たな田2km」表示
索道
大遠
ちくりん農園
棚田のミカン園
山道分岐
途中の耕作地上にこんなのがあった。「野のトイレ」の表示あり。
ブルーシートの簡易トイレ
最後のカーブを曲がると、城壁のような平さんの石積み棚田が眼前に現れる。その高さに圧倒され、感心していると、丁度棚田の主の平さんがトラクターでやって来られた。
平さんの石積み棚田
同上
立ち話のあと、作業小屋の中まで案内していただき、いろいろとお話をうかがうことができた。
棚田の上部は急峻な崖地状となっており、とても上がるのは無理だろうとのこと。そこで、前々回すぐ近くまで下った農道終点の谷から取り付くことにした。
平らさんの小屋
棚田(逆方向)
棚田のところから農道を先へ進むと、舗装が切れ未舗装道に変わる。草が茂り、踏み跡部分が山道のように続いている。
舗装農道
舗装切れ・ワナ
未舗装農道
草被りの農道
八島・宇和島
農道終点までたどると、すぐ下に山道が見えたので下ってみる。平さんから昔は耕作道がずっと先まで続いていたと伺ったが、その道と思われる。
期待しながらたどってみると、ビワ園で道が消失した。
農道終点
農道下の山道
農道終点まで戻り、当初予定どおり終点の谷から取り付くことにする。雑木にツルが絡まる段状のヤブ斜面を登る。踏み跡はない。
谷の上方へ向かう
段々畑跡の石垣の段をひとつひとつ登っていく。右方向を見るとツルが斜面を覆い尽くし、とても歩けそうにない。
ツルに覆われた右斜面
ヤブを分けながら、左方向へ巻き加減に上がっていくと、ビワ園に出会う。先にたどった果樹園の上方にあたるようだ。
ビワ園と出会う
ビワ園境をヤブを分けながら登っていくと、支尾根上へ出て少し歩きやすくなる。
イバラ等のヤブ
ヤブを抜ける
雑木尾根を登る
同上
平坦地の石積み
小集塊岩
緩い雑木尾根を登り切ると山道へ抜け出た。このところ何度か歩いた道だ。
緩い雑木尾根
山道へ出る(左方向)
山道(右方向)
山道を右に巻きながら登っていくと、大遠の南東尾根を巻くあたりで、左の尾根へ取り付く。
竹林沿い
雑木林沿い
南東尾根へ取り付く
アオキなど雑木ヤブの尾根を登ると、前々回(2月20日)に大遠に登った際に取り付いた岩のところへ出た。
アオキヤブ尾根を登る
石積み
雑木ヤブ
取り付きの岩
右の踏み跡
そのまま尾根を登っていくと、平坦尾根となり、前に確認した方形石積みの小穴と出会う。
雑木ヤブ
平坦尾根
石積みの小穴
少し進んだところに四等三角点「大遠」がある。探すのに案外手間取った。この前見ているのに、アオキが被さり、これといった目印もないので見付けにくい。
四等三角点「大遠」
三角点から東方向
三角点西側の石積み
大遠付近の石積み遺跡については、『山口考古第24号』(2004年7月)に松岡睦彦氏の論文「上関町祝島の磐座・積み石・線刻画について」が掲載されており、これを参考に周辺をもう一度歩いてみた。
線刻画のある石もあるようだが、じっくりと探さなかったせいか見付けられなかった。
石積み
石垣状に延びる石積み
石垣状の石積み
石積み
石垣状の石積み
石積み
西ピーク付近の石積み
石積み
西側ピークの石積みも確認したあと、北東方向へ延びる緩い尾根斜面を下る。ピンクのテープがあるが、すぐに見失う。
下りきった平坦部付近で左右方向へ石垣状に続く低い石積みと出会う。
緩い北東尾根・テープ
石垣状の石積み
石積みの西端部へ移動すると、テープとふたたび出会い、西ピークへ向けて切り開きが延びている。
この前春ノ木からトラバースしながら戻った時に出会った道のようだ。
テープに従い東方向へやや蛇行気味に道を進むと、山道へ出た。
西方へ延びる古道
古道を東へ進む
山道と出会う
今回は、午後の便の船に間に合うよう早めに切り上げ、帰路は最上段の農道途中から中段の農道へ出て戻ることにする。
山道
山道分岐(逆方向)
農道へ出る
農道
八島
鼻繰島・平郡島・天田島
岩
宇和島・ホウジロ島
農道
カタイ溜池手前の山道分岐から中段の農道へ下る途中のヤダケヤブを回避するため、下山道を外れ、そのまま尾根をたどって下ってみた。
この道を選んだもう一つの理由は、「祝島ホームページ」登載の古い観光案内図に、応仁年間(1400年半ば)に島を統治したという「石丸左馬頭」の墓(?)の位置がこの尾根上に記されており、何か墓跡らしきものはないかと期待したこともある。
山道分岐(右へ)
下山道カーブ地点から直進
雑木疎林斜面
踏み跡のないヤブ加減の尾根を下る。途中、標高240mの平坦小ピークを過ぎたあたりに岩が重なった雰囲気のある所があったが、他にこれといったものもなく、巻き道の山道へ降り立つ。左に木造小屋がある。
小ピーク
重ね岩(逆方向)
雑木尾根
右にスギ並木
右にビワ園跡
小屋跡
踏み跡が現われる
巻き道・小屋(逆方向)
左折し、草被りの道をたどると、山田農園の作業小屋が建つ分岐に出る。
荒れ加減の山道
山田農園の小屋・農道
そのまま直進し農道を下った。
大遠・岡ノ平
ビワ園沿いの農道
帰りの船内から祝島
そこで、今回は逆に棚田側から上方をめざすことにし、ついでに大遠まで直登してみた。(2015.03.08)
平さんの石積み棚田
(1,2クリックで拡大)
始発の船で午前6時半過ぎに祝島港へ着くと、今回は最下段の農道を歩き、直接棚田をめざす。
港沿いの道を歩いていると、朝日が雲間から差し始める。
定期船「いわい」
港沿いの道
港から眺める朝日
農道へ上がり、最初の農道分岐を直進する。分岐点の道標には「棚田まで3km」とある。
農道へ上がる農道へ上がる
牛島
天田島と朝日
農道分岐
道標
途中、路傍に「棚田まで2km」、「1km」と表示された小さな道標を確認しながら進む。
ビワ園沿いの農道
鼻繰島・平郡島・天田島・烏帽子鼻
棚田のビワ園
飛石
「たな田2km」表示
索道
大遠
ちくりん農園
棚田のミカン園
山道分岐
途中の耕作地上にこんなのがあった。「野のトイレ」の表示あり。
ブルーシートの簡易トイレ
最後のカーブを曲がると、城壁のような平さんの石積み棚田が眼前に現れる。その高さに圧倒され、感心していると、丁度棚田の主の平さんがトラクターでやって来られた。
平さんの石積み棚田
同上
立ち話のあと、作業小屋の中まで案内していただき、いろいろとお話をうかがうことができた。
棚田の上部は急峻な崖地状となっており、とても上がるのは無理だろうとのこと。そこで、前々回すぐ近くまで下った農道終点の谷から取り付くことにした。
平らさんの小屋
棚田(逆方向)
棚田のところから農道を先へ進むと、舗装が切れ未舗装道に変わる。草が茂り、踏み跡部分が山道のように続いている。
舗装農道
舗装切れ・ワナ
未舗装農道
草被りの農道
八島・宇和島
農道終点までたどると、すぐ下に山道が見えたので下ってみる。平さんから昔は耕作道がずっと先まで続いていたと伺ったが、その道と思われる。
期待しながらたどってみると、ビワ園で道が消失した。
農道終点
農道下の山道
農道終点まで戻り、当初予定どおり終点の谷から取り付くことにする。雑木にツルが絡まる段状のヤブ斜面を登る。踏み跡はない。
谷の上方へ向かう
段々畑跡の石垣の段をひとつひとつ登っていく。右方向を見るとツルが斜面を覆い尽くし、とても歩けそうにない。
ツルに覆われた右斜面
ヤブを分けながら、左方向へ巻き加減に上がっていくと、ビワ園に出会う。先にたどった果樹園の上方にあたるようだ。
ビワ園と出会う
ビワ園境をヤブを分けながら登っていくと、支尾根上へ出て少し歩きやすくなる。
イバラ等のヤブ
ヤブを抜ける
雑木尾根を登る
同上
平坦地の石積み
小集塊岩
緩い雑木尾根を登り切ると山道へ抜け出た。このところ何度か歩いた道だ。
緩い雑木尾根
山道へ出る(左方向)
山道(右方向)
山道を右に巻きながら登っていくと、大遠の南東尾根を巻くあたりで、左の尾根へ取り付く。
竹林沿い
雑木林沿い
南東尾根へ取り付く
アオキなど雑木ヤブの尾根を登ると、前々回(2月20日)に大遠に登った際に取り付いた岩のところへ出た。
アオキヤブ尾根を登る
石積み
雑木ヤブ
取り付きの岩
右の踏み跡
そのまま尾根を登っていくと、平坦尾根となり、前に確認した方形石積みの小穴と出会う。
雑木ヤブ
平坦尾根
石積みの小穴
少し進んだところに四等三角点「大遠」がある。探すのに案外手間取った。この前見ているのに、アオキが被さり、これといった目印もないので見付けにくい。
四等三角点「大遠」
三角点から東方向
三角点西側の石積み
大遠付近の石積み遺跡については、『山口考古第24号』(2004年7月)に松岡睦彦氏の論文「上関町祝島の磐座・積み石・線刻画について」が掲載されており、これを参考に周辺をもう一度歩いてみた。
線刻画のある石もあるようだが、じっくりと探さなかったせいか見付けられなかった。
石積み
石垣状に延びる石積み
石垣状の石積み
石積み
石垣状の石積み
石積み
西ピーク付近の石積み
石積み
西側ピークの石積みも確認したあと、北東方向へ延びる緩い尾根斜面を下る。ピンクのテープがあるが、すぐに見失う。
下りきった平坦部付近で左右方向へ石垣状に続く低い石積みと出会う。
緩い北東尾根・テープ
石垣状の石積み
石積みの西端部へ移動すると、テープとふたたび出会い、西ピークへ向けて切り開きが延びている。
この前春ノ木からトラバースしながら戻った時に出会った道のようだ。
テープに従い東方向へやや蛇行気味に道を進むと、山道へ出た。
西方へ延びる古道
古道を東へ進む
山道と出会う
今回は、午後の便の船に間に合うよう早めに切り上げ、帰路は最上段の農道途中から中段の農道へ出て戻ることにする。
山道
山道分岐(逆方向)
農道へ出る
農道
八島
鼻繰島・平郡島・天田島
岩
宇和島・ホウジロ島
農道
カタイ溜池手前の山道分岐から中段の農道へ下る途中のヤダケヤブを回避するため、下山道を外れ、そのまま尾根をたどって下ってみた。
この道を選んだもう一つの理由は、「祝島ホームページ」登載の古い観光案内図に、応仁年間(1400年半ば)に島を統治したという「石丸左馬頭」の墓(?)の位置がこの尾根上に記されており、何か墓跡らしきものはないかと期待したこともある。
山道分岐(右へ)
下山道カーブ地点から直進
雑木疎林斜面
踏み跡のないヤブ加減の尾根を下る。途中、標高240mの平坦小ピークを過ぎたあたりに岩が重なった雰囲気のある所があったが、他にこれといったものもなく、巻き道の山道へ降り立つ。左に木造小屋がある。
小ピーク
重ね岩(逆方向)
雑木尾根
右にスギ並木
右にビワ園跡
小屋跡
踏み跡が現われる
巻き道・小屋(逆方向)
左折し、草被りの道をたどると、山田農園の作業小屋が建つ分岐に出る。
荒れ加減の山道
山田農園の小屋・農道
そのまま直進し農道を下った。
大遠・岡ノ平
ビワ園沿いの農道
帰りの船内から祝島
2015-03-12 01:38
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