長深山・深山(柳井市平郡) [離島の山]
14年ぶりの平郡島だ。前回も長深山から深山へ縦走した。渡船は1日2便しかなく、縦走するとどうしても島で1泊は必要となる。東浦の民宿に今回も厄介になった。
長深山は『周防100山百景』(中島篤巳著、平成4年発行)で紹介されているからか、ごく稀だが登頂する人があるようだ。前回同様、林道終点から破線道の尾根へ取り付き、反射板のところを通って登るつもりが、みかん畑の柵に阻まれ、やむなく手前の谷を詰めた。旧来ルートの尾根上でテープと出合い、山頂まで続く。
深山まで縦走する者はほとんどいないようで、途中に目印となるテープ類はまったくない。ときどき石積と出合いながら、ケモノ道しかないアオキが交じる雑木尾根をたどる。アオキのヤブを抜けると山頂部へ達する。
深山からの下りも同様な感じが続くが、いくつかの尾根分岐で迷い込みやすい。標高210mの峠鞍部で前回は南側の破線道をたどり市道へ出たが、今回は北方向の谷を下ってみたところ、半ばまで下ったあたりで、谷全体にはびこるカズラに阻まれ、ほうほうの体で脱出した。あとのまつりだが、そのまま破線どおり尾根をたどり、標高133mの峠鞍部へ抜けたほうがよかったと思われる。
なお、最近島内ではイノシシが急激に増えたらしく、至る所でその痕跡が見られた。(2014.10.25)
船上から長深山・深山
(1,2クリックで拡大)
◆平郡西港~長深山
西浦港午前9時30分着のフェーリ-「へぐり丸」を降りると、まずは重道八幡宮へ向かう。
へぐり丸
円寿寺
八幡宮入口のイブキの大木
重道八幡宮
境内右手の小道に入り、すぐ左にコンクリート水路沿いの道が延びているので、これをたどってみたが、まもなくヤブ気味になったので戻る。そのまま小道を民家沿いにたどっていくと、結局海側から上がってきた市道と合わさった。島の南側を経由し東浦へ抜ける道だが、途中が荒れて車は通り抜けできないようだ。
コンクリート水路沿いの山道
民家沿いの小道
市道出合い
道標
市道
沖合いに見える八島
イノシシワナ
800mほどたどったところの分岐で左の舗装林道へ入り、終点までたどるとトタン小屋がある。みかん畑の作業小屋のようだ。前回はここから左へ進み、破線道の尾根へ取り付いたが、みかん畑沿いにフェンスが設置されており、フェンス沿いに歩いてみたところヤブになったので諦めた。
林道(左)分岐
市道側の道標
舗装林道
棚田跡
林道終点・トタン小屋
林道終点から200mほど手前の谷まで戻り、この谷に取り付くことにする。ケモノ道程度の踏み跡が涸れ沢沿いに付いているところもあり、沢の左右や沢上の歩きやすいところをたどって谷を詰める。
谷取り付き
谷沿いの踏み跡
途中の谷分岐を左に取ると、やがて集塊岩と出会うあたりから左トラバース気味となり、踏み跡も不明瞭となる。
谷分岐(右方向)
谷分岐(直進方向)
谷を詰める
左巻き加減となる
集塊岩
やや荒れた巻き道
少し歩きやすくなると緩い尾根上でテープに出会う。以前たどったことのある反射板のある方向からテープは続いているようだ。
テープと出会う
下り方向のテープ
このあともテープは倒木をよけたり、段状の石積みを越えながら続くので、これをたどっていくと長深山山頂へ導かれる。
踏み跡・テープ
倒木をよけながら進む
山頂手前で右へトラバース気味
山頂は雑木で囲まれ展望は得られない。小さな空間に二等三角点(基準点名:平群嶋)がポツンとある。
長深山山頂
三角点
(以下は写真を中心に掲載する)
◆長深山~深山
長深山山頂からはテープや測量杭など目印となるものは一切ない。展望が開けるところもなく、アオキが交じる緩い雑木尾根を坦々とたどるだけだ。
途中ところどころ石塁や石垣状の石積みがある。前回の山行の際地元の方から聞いたところによると、昔は山頂付近まで放牧をしており、その名残りという。
最後はアオキヤブの斜面へ突っ込み、なんとか山頂尾根の一角へ抜ける。深山山頂は集塊岩の小岩が散在する平坦ピークで展望はまったくない。山名札や測量杭のたぐいもない。このあたりは以前と変わりがない。
ややトラバース気味に下る
集塊岩が散在
アオキが交じる平坦雑木尾根
400m平坦尾根付近
石積み(410m付近)
石積み
430m小ピーク付近
439mピーク
アオキ・雑木平坦尾根の下り
石塁(415m鞍部付近)
415m鞍部
イノシシが掘った穴
415m平坦ピーク
410m鞍部
緩い尾根の上り
アオキ疎林
アオキヤブ
倒木ヤブ
山頂尾根へ抜ける
深山山頂(逆方向)
◆深山~210m峠鞍部
深山からもそれまでの縦走路と同様アオキ交じりの雑木平坦尾根が続き、石積みも見られる。
278mピーク手前の鞍部付近には両側に石垣が組まれた細長い平坦部分がある。
標高305m、250mの支尾根分岐からの下りは迷いやすいので、しっかりした地図読みが求められる。
210m峠鞍部への下りは巻き過ぎてしまい修正して戻った。
アオキヤブの下り
石積み
石積み(420m付近)
アオキヤブ
石積み(390m鞍部)
イノシシが走り回った跡
400m平坦ピーク
イノシシの走り去った跡
石積み(330m付近)
石垣(320m付近)
巻き道
石積み(265m鞍部付近)
穴
溝
両側石垣の鞍部(右側)
両側石垣の鞍部(左側)
平坦巻き道
巻き道
巻き道
ヤブ気味の溝道(250m鞍部)
ヤブの巻き道
巻き道
竹林ヤブと出会う
210m鞍部へ出る
◆210m峠鞍部~県道出合い~平郡東
前回は峠から破線道を南へ下り市道へ出たのだが、急な上に一部ヤブがひどかった記憶があったので、そのまま尾根を進み133mの峠鞍部をめざす選択肢もあったが、反対方向の北側の谷へ下ることにした。
地形図上の破線道は消失しているようなので、そのまま棚田状の谷を下降する。こちらもアオキのヤブが続く。半ば下ったあたりで前方が開けたと思ったら、広い谷一面にカズラがはびこり、茫然となる。
下山道を探し何度か脱出を試みたが、ひどいヤブに行く手を阻まれ、これ以上の前進は無理と判断、夕暮れも迫ってきたことから仕方なく左方向の尾根をめざすことにする。道の法面らしきところの下へ出たので、イバラヤブをかき分けてよじ登ると、幸いにも地形図には記載がない舗装道のカーブ地点へ抜け出た。
上方に施設らしきものが見えたが確認のため登る気力もなく、そのまま舗装道を下り、浜へ出て本日の宿泊地へ向かった。
北側の谷
段状の谷
アオキのヤブ
石垣
谷一面のカズラの海
ふたたびカズラに阻まれる
石垣が組まれた水路
ヤブに覆われた旧山道
舗装道へ脱出
這い上がったヤブ斜面
舗装道よりカズラの谷
上方の施設
掛津島
イノシシが荒らした斜面
県道出合い(逆方向)
今崎
周防大島
盛り鼻
●山名考
深山の山名については、『防長風土注進案』平郡島の山川之形勢の項に「深山當嶋東西之央」を見ることができる。
長深山につては山名が見えないが、同項に「中央より西に連り候ヲ白ケ峯(シラガミネ)と申」とあり、これが旧名ではないかと思われる。また、同書の御立山の項には、「深山」のほか「長深立添山」が見えるが、同山を指すのかは不明である。
山の呼び名については、『山口県風土誌 巻第三十二』平郡村の字地・小字地の項に長深(み)山と振られ、『防長風土注進案』の山川之地勢の項でも別の山名だが嵯峨深(サガミ)山と振り仮名があることから、本来は「みやま」「ながみやま」と呼んだと思われる。
ただ、現在地元では「ふかやま」「ながふかやま」と呼ばれているようで、いつの頃からかこちらの呼び名が定着したとみられる。なお、『周防100山百景』でも「ながふかやま」が採用されている。
長深山は『周防100山百景』(中島篤巳著、平成4年発行)で紹介されているからか、ごく稀だが登頂する人があるようだ。前回同様、林道終点から破線道の尾根へ取り付き、反射板のところを通って登るつもりが、みかん畑の柵に阻まれ、やむなく手前の谷を詰めた。旧来ルートの尾根上でテープと出合い、山頂まで続く。
深山まで縦走する者はほとんどいないようで、途中に目印となるテープ類はまったくない。ときどき石積と出合いながら、ケモノ道しかないアオキが交じる雑木尾根をたどる。アオキのヤブを抜けると山頂部へ達する。
深山からの下りも同様な感じが続くが、いくつかの尾根分岐で迷い込みやすい。標高210mの峠鞍部で前回は南側の破線道をたどり市道へ出たが、今回は北方向の谷を下ってみたところ、半ばまで下ったあたりで、谷全体にはびこるカズラに阻まれ、ほうほうの体で脱出した。あとのまつりだが、そのまま破線どおり尾根をたどり、標高133mの峠鞍部へ抜けたほうがよかったと思われる。
なお、最近島内ではイノシシが急激に増えたらしく、至る所でその痕跡が見られた。(2014.10.25)
船上から長深山・深山
(1,2クリックで拡大)
◆平郡西港~長深山
西浦港午前9時30分着のフェーリ-「へぐり丸」を降りると、まずは重道八幡宮へ向かう。
へぐり丸
円寿寺
八幡宮入口のイブキの大木
重道八幡宮
境内右手の小道に入り、すぐ左にコンクリート水路沿いの道が延びているので、これをたどってみたが、まもなくヤブ気味になったので戻る。そのまま小道を民家沿いにたどっていくと、結局海側から上がってきた市道と合わさった。島の南側を経由し東浦へ抜ける道だが、途中が荒れて車は通り抜けできないようだ。
コンクリート水路沿いの山道
民家沿いの小道
市道出合い
道標
市道
沖合いに見える八島
イノシシワナ
800mほどたどったところの分岐で左の舗装林道へ入り、終点までたどるとトタン小屋がある。みかん畑の作業小屋のようだ。前回はここから左へ進み、破線道の尾根へ取り付いたが、みかん畑沿いにフェンスが設置されており、フェンス沿いに歩いてみたところヤブになったので諦めた。
林道(左)分岐
市道側の道標
舗装林道
棚田跡
林道終点・トタン小屋
林道終点から200mほど手前の谷まで戻り、この谷に取り付くことにする。ケモノ道程度の踏み跡が涸れ沢沿いに付いているところもあり、沢の左右や沢上の歩きやすいところをたどって谷を詰める。
谷取り付き
谷沿いの踏み跡
途中の谷分岐を左に取ると、やがて集塊岩と出会うあたりから左トラバース気味となり、踏み跡も不明瞭となる。
谷分岐(右方向)
谷分岐(直進方向)
谷を詰める
左巻き加減となる
集塊岩
やや荒れた巻き道
少し歩きやすくなると緩い尾根上でテープに出会う。以前たどったことのある反射板のある方向からテープは続いているようだ。
テープと出会う
下り方向のテープ
このあともテープは倒木をよけたり、段状の石積みを越えながら続くので、これをたどっていくと長深山山頂へ導かれる。
踏み跡・テープ
倒木をよけながら進む
山頂手前で右へトラバース気味
山頂は雑木で囲まれ展望は得られない。小さな空間に二等三角点(基準点名:平群嶋)がポツンとある。
長深山山頂
三角点
(以下は写真を中心に掲載する)
◆長深山~深山
長深山山頂からはテープや測量杭など目印となるものは一切ない。展望が開けるところもなく、アオキが交じる緩い雑木尾根を坦々とたどるだけだ。
途中ところどころ石塁や石垣状の石積みがある。前回の山行の際地元の方から聞いたところによると、昔は山頂付近まで放牧をしており、その名残りという。
最後はアオキヤブの斜面へ突っ込み、なんとか山頂尾根の一角へ抜ける。深山山頂は集塊岩の小岩が散在する平坦ピークで展望はまったくない。山名札や測量杭のたぐいもない。このあたりは以前と変わりがない。
ややトラバース気味に下る
集塊岩が散在
アオキが交じる平坦雑木尾根
400m平坦尾根付近
石積み(410m付近)
石積み
430m小ピーク付近
439mピーク
アオキ・雑木平坦尾根の下り
石塁(415m鞍部付近)
415m鞍部
イノシシが掘った穴
415m平坦ピーク
410m鞍部
緩い尾根の上り
アオキ疎林
アオキヤブ
倒木ヤブ
山頂尾根へ抜ける
深山山頂(逆方向)
◆深山~210m峠鞍部
深山からもそれまでの縦走路と同様アオキ交じりの雑木平坦尾根が続き、石積みも見られる。
278mピーク手前の鞍部付近には両側に石垣が組まれた細長い平坦部分がある。
標高305m、250mの支尾根分岐からの下りは迷いやすいので、しっかりした地図読みが求められる。
210m峠鞍部への下りは巻き過ぎてしまい修正して戻った。
アオキヤブの下り
石積み
石積み(420m付近)
アオキヤブ
石積み(390m鞍部)
イノシシが走り回った跡
400m平坦ピーク
イノシシの走り去った跡
石積み(330m付近)
石垣(320m付近)
巻き道
石積み(265m鞍部付近)
穴
溝
両側石垣の鞍部(右側)
両側石垣の鞍部(左側)
平坦巻き道
巻き道
巻き道
ヤブ気味の溝道(250m鞍部)
ヤブの巻き道
巻き道
竹林ヤブと出会う
210m鞍部へ出る
◆210m峠鞍部~県道出合い~平郡東
前回は峠から破線道を南へ下り市道へ出たのだが、急な上に一部ヤブがひどかった記憶があったので、そのまま尾根を進み133mの峠鞍部をめざす選択肢もあったが、反対方向の北側の谷へ下ることにした。
地形図上の破線道は消失しているようなので、そのまま棚田状の谷を下降する。こちらもアオキのヤブが続く。半ば下ったあたりで前方が開けたと思ったら、広い谷一面にカズラがはびこり、茫然となる。
下山道を探し何度か脱出を試みたが、ひどいヤブに行く手を阻まれ、これ以上の前進は無理と判断、夕暮れも迫ってきたことから仕方なく左方向の尾根をめざすことにする。道の法面らしきところの下へ出たので、イバラヤブをかき分けてよじ登ると、幸いにも地形図には記載がない舗装道のカーブ地点へ抜け出た。
上方に施設らしきものが見えたが確認のため登る気力もなく、そのまま舗装道を下り、浜へ出て本日の宿泊地へ向かった。
北側の谷
段状の谷
アオキのヤブ
石垣
谷一面のカズラの海
ふたたびカズラに阻まれる
石垣が組まれた水路
ヤブに覆われた旧山道
舗装道へ脱出
這い上がったヤブ斜面
舗装道よりカズラの谷
上方の施設
掛津島
イノシシが荒らした斜面
県道出合い(逆方向)
今崎
周防大島
盛り鼻
●山名考
深山の山名については、『防長風土注進案』平郡島の山川之形勢の項に「深山當嶋東西之央」を見ることができる。
長深山につては山名が見えないが、同項に「中央より西に連り候ヲ白ケ峯(シラガミネ)と申」とあり、これが旧名ではないかと思われる。また、同書の御立山の項には、「深山」のほか「長深立添山」が見えるが、同山を指すのかは不明である。
山の呼び名については、『山口県風土誌 巻第三十二』平郡村の字地・小字地の項に長深(み)山と振られ、『防長風土注進案』の山川之地勢の項でも別の山名だが嵯峨深(サガミ)山と振り仮名があることから、本来は「みやま」「ながみやま」と呼んだと思われる。
ただ、現在地元では「ふかやま」「ながふかやま」と呼ばれているようで、いつの頃からかこちらの呼び名が定着したとみられる。なお、『周防100山百景』でも「ながふかやま」が採用されている。
2014-10-30 20:39
コメント(0)
コメント 0