遠見山・高遠山・餅搗(上関町長島) [県東部の山]
室津や平生側から長島方向を見ると、上盛山の北西方向に特徴的な二つのピークが望め、特に西端のピークは一角獣のように切り立っており、以前から気になっていたので歩くことにした。帰路、四等三角点「中浦」ピークにも立ち寄る。(2015.04.02)
道路公園から遠見山・高遠山
(1,2クリックで拡大)
中ノ浦海浜公園の駐車場に車を置く。対岸に室津半島が眺められ、小さな海水浴場だが雰囲気はよい。
中ノ浦海浜公園
大星山・鳩ヶ峰
皇座山
遠見山
海浜沿いに車道を北へ向かうと、左の支尾根の斜面に明瞭な道があり、これに取り付いてみる。
山道を登っていくとすぐに耕作地へ出る。耕作用の山道だった。
コン擁壁の取り付き
山道
耕作地
耕作地
耕作地の最上部から尾根へ取り付く。道も踏み跡もないが雑木疎林なのでヤブ漕ぎなしに歩ける。
雑木疎林尾根
雑木疎林尾根
平坦尾根
竹林
鞍部で左の谷から上がっている古道と出会う。すぐに古道は右の巻き道に変わるので、そのまま尾根を登る。
古道
疎林尾根
疎林斜面
左に小岩を過ごす
まもなくササが現れ始め、そのうちヤダケの密生ヤブとなる。
前方にササ
密生したヤダケ
ヤダケの間をくぐり抜けながら登っていくと、勾配が緩むあたりでヤダケから解放される。まもなくタケが現れるが長くはない。
途中右斜面へ逃げる
平坦雑木尾根
倒竹
右からの支尾根と合わさり左へ進むと、ヤブの中に三等三角点(点名:「平畑」)を見る。遠見山山頂である。
両側に小岩があるくらい、これと言った特徴的なものはない。樹木に遮られ展望も得られない。
遠見山山頂
三等三角点
山頂(西方向から)
次は高遠山をめざし尾根を北西方向へ向かう。平坦尾根を進むと竹林となるが濃くはない。
平坦尾根
平坦尾根
竹林
緩い尾根を登り返すと小岩のある標高140mの北西ピークへ着く。
樹間に祝島や牛島、前方に高遠山が望める。物見場所としてはこちらのピークの方が雰囲気がある。
140mピーク
同上(北西方向から)
牛島
祝島
高遠山
雑木尾根を下り鞍部で登り返す。ガレ石を踏みながら登り切ると標高130mの高遠山山頂へ着く。
雑木尾根
鞍部
ガレ石の尾根
ガレ石の尾根
高遠山山頂
山頂部(逆方向)
山頂は狭い平坦地となり、各方向へ場所を移動すると、樹間越しに四方が望める。遠見山の後方に上盛山がわずかにのぞき、東に白井田から四代の山々が連なる。さらにその右方向に祝島、牛島、佐合島、室津半島の山々が望める。
遠見山・上盛山
白井田の山並み
四代の山並み
祝島
牛島
佐合島
小山・大星山・鳩ヶ峰
皇座山
三角点ピークまで戻り、南方向の尾根へ下る。タケヤブとなった平坦尾根を抜け、支尾根分岐を南東方向へ下る。南西尾根方向へも歩けそうだ。
竹林ヤブ
支尾根分岐
歩きやすい雑木疎林尾根が続く。
雑木疎林尾根
雑木疎林尾根
鞍部で左下の谷に小溜池が望める。
平坦鞍部
左に小溜池
枯れたヤダケを踏みながら平坦尾根を進み、70m平坦ピークから南側の支尾根へ下る。
枯れたヤダケ
平坦ピーク
疎林尾根
左にヒノキ林が現れるので、ヒノキ境の尾根を下っていくと舗装林道の終点部へ出る。
左ヒノキ林
ヒノキ林境
舗装林道終点
下降地点(逆方向)
未舗装林道が先に延びる
舗装道を左へ下って海浜公園まで戻る。
舗装道を下る
四等三角点「中浦」ピークが近くにあるので、帰路立ち寄ってみた。
中ノ津の東南端、民家が切れるあたりの路傍へ駐車。
山側へ向かう舗装道へ入る。分岐を直進し、コンクリート舗装された坂道を登る。
山側へ向かう
分岐
前方の路上へヤダケが被さり荒れてくるあたりで、左の支尾根斜面に山道が上がっており、これに取り付く。
支尾根取り付き
明瞭な道をたどっていくと、右の巻き道となり、右下の谷に城壁のような石垣とコンクリート貯水槽のような施設を見る。
山道
巻き道
石垣
貯水槽?
谷沿いに登っていき、谷と合わさるあたりで石垣と出会い、ここで道が消失する。
石垣上に黄色のペンキで塗られた鉄製の施設を見る。果樹園のころの名残りだろうか。
山道
鉄製施設
右の斜面をよじ登りシダ尾根上へ出ると、右からの古道と出会う。地形図上の破線道だろう。シダが被さり現在使われている様子はない。
疎林斜面を登る
シダ尾根と合流(下方向)
雑木尾根上に残る古道をたどると、まもなく古道は左の巻き道となるが、そのまま尾根上を直進する。
雑木尾根
巻き道が左に分かれる
尾根境にスギ並木が続き、小段状の尾根を登り切ると、右からの支尾根と合わさる。
境界スギ
疎林尾根
ツルヤブの左谷斜面
小段状の尾根
主尾根上へ出る
左折し雑木尾根を少し進むと、平坦ピーク上に四等三角点(点名:「中浦」)を見る。これといった特徴的なものはない山頂だ。
四等三角点
尾根を戻り、そのまま北方向へ雑木尾根を下る。古道の名残りが現われ、たどっていくと左の支尾根方向へ向かう。
破線道のある支尾根上へ出るが、期待した明確な道はない。
雑木疎林の平坦尾根
左の巻き道
シダ尾根
破線道とわかれ、古道をそのまま北方向へ下るとヒノキ林となる。シダがやや被る植林尾根を下っていくと標高60mあたりの鞍部で道が消失する。
右の支尾根へ下る
ヒノキ・シダ尾根
右の谷に小溜池
ヒノキ林の鞍部
仕方なくそのまま尾根を直進し、小ピークを左に巻いたあたりから雑木尾根に変わる。
左の巻き道
雑木疎林尾根
道はないが下草のない歩きやすい尾根を下っていくと下に舗装道が見えてくる。斜面を下り舗装林道へ出る。
雑木疎林尾根
下方に舗装道
林道下降地点(逆方向)
左折し舗装林道の終点を確認してみた。100mほど先で墓地があり終点となる。コンクリート小道をあがってみると、墓地上部で行き止まりとなった。破線道は廃道化したようだ。
舗装林道終点部・墓地
林道を引き返し、海岸沿いの道路へ出て駐車地まで戻る。
林道から遠見山
中ノ浦海浜公園方向
中ノ浦
三角点「餅搗」ピーク
遠見山
■山名考
◆遠見山・高遠山・鹿落
地下上申や風土注進案の記載だけでは山の特定が難しいと思えたので、文書館で絵図等を調べてみた。
『地下上申』戸津村境目書には高遠山が御立山として出てくるが、遠見山の記載はない。地下上申絵図を見ると、標高151.3mの三等三角点ピークとおぼしきところに「遠見」とあり、次の北西ピークの支尾根上に「鹿落」の記載がある。また遠見の北東方向の支尾根に「高○○○立山」とあり、これが高遠山であろうか。
毛利家文庫の「上ノ関宰判白井田・戸津両村論所大浦山絵図」や「上ノ関宰判大浦山・白井田・戸津論所絵図」を見ると、「遠見」が「魚見山」と記され、北西方向と思われる支尾根部分に「高遠山」、130mピークの絶壁部分に「鹿おとし」とある。前者の作成年代は宝暦9年(1759年)とあり、地下上申絵図作成とほぼ同じ頃だろう。
これらから遠見山(魚見山)については三等三角点ピークで間違いないと思われる。
一方高遠山については、もともと遠見山の御立山部分の呼称だったのではないかと推測される。毛利家文庫の絵図によれば、三角点ピークの遠見山から北西方向の支尾根上にある140m小ピークが高遠山とも考えられる。
しかし、風土注進案の山川形勢や山之事の項では、両山ともそれぞれ独立峰として記載されており、また山之事の両山の記載内容から判断し、130mピークを高遠山とし、鹿落しをその絶壁部分の呼称とした。
なお、『風土注進案』上ノ関之一の山之事の項から、遠見山と高遠山の部分を参考として以下に転記する。
「遠見山
高サ直立七拾貳間半、戸津之西北山端ニ近寄て有之、其西北ハ直ニ高遠山ニ隣し、東北ハ小浦 先船隠 前平畠之海邊ニ至、東南ハ山脊卑くして相続漸々戸津之後山ニ移、西南ハ谷を含て跡邊之海岸ニ至り山脈絶、故ニ周廻難相知候事」
「高遠山
高サ直立六拾五間半、戸津之西北一洲之山端ニ有之、西方絶壁にして山下ハ直ニ海、亦北ハ山腰相連て小山海岸ニ至、東ハ山田を擁き小浦海邊ニ至て山脈絶、當山之形勢概絶壁にして如孤山、雖然東南ハ遠見山に隣て相続、故ニ周廻難相知御座候事」
また、『上関町史』(昭和63年発行)の「民話と民謡」の項に、「鹿落」の記事が載っていたので、以下に転記する。
「鹿落
中之浦の西端、高塔山の南側のある窪(崖か?:gomen注記)の地名が現在も「鹿落」(きくどし)である。海岸から数十メートルの断崖となっている。
昔、この島に鹿が多くいたということで、人々は総出で山の中から鹿を狩り出して鹿落の上へ追い寄せ、崖から追い落として鹿を捕っていた。このことから、鹿落の地名ができたということである。」
なお、「きくどし」の由来は不明だが、論所絵図では「鹿おとし」とあり、もともとは「ししおとし」と呼んでいたのではないかと推測する。
白井田側から高遠山・遠見山
平生側から遠見山・高遠山
上盛山・遠見山・高遠山
◆四等三角点「中浦」
上盛山から北西へ流れる尾根上の小ピークであり、絵図では尾根上に「竹のとう」といった名も見えるが特定できないので、三角点の土地の字名「餅搗」を採用した
道路公園から遠見山・高遠山
(1,2クリックで拡大)
中ノ浦海浜公園の駐車場に車を置く。対岸に室津半島が眺められ、小さな海水浴場だが雰囲気はよい。
中ノ浦海浜公園
大星山・鳩ヶ峰
皇座山
遠見山
海浜沿いに車道を北へ向かうと、左の支尾根の斜面に明瞭な道があり、これに取り付いてみる。
山道を登っていくとすぐに耕作地へ出る。耕作用の山道だった。
コン擁壁の取り付き
山道
耕作地
耕作地
耕作地の最上部から尾根へ取り付く。道も踏み跡もないが雑木疎林なのでヤブ漕ぎなしに歩ける。
雑木疎林尾根
雑木疎林尾根
平坦尾根
竹林
鞍部で左の谷から上がっている古道と出会う。すぐに古道は右の巻き道に変わるので、そのまま尾根を登る。
古道
疎林尾根
疎林斜面
左に小岩を過ごす
まもなくササが現れ始め、そのうちヤダケの密生ヤブとなる。
前方にササ
密生したヤダケ
ヤダケの間をくぐり抜けながら登っていくと、勾配が緩むあたりでヤダケから解放される。まもなくタケが現れるが長くはない。
途中右斜面へ逃げる
平坦雑木尾根
倒竹
右からの支尾根と合わさり左へ進むと、ヤブの中に三等三角点(点名:「平畑」)を見る。遠見山山頂である。
両側に小岩があるくらい、これと言った特徴的なものはない。樹木に遮られ展望も得られない。
遠見山山頂
三等三角点
山頂(西方向から)
次は高遠山をめざし尾根を北西方向へ向かう。平坦尾根を進むと竹林となるが濃くはない。
平坦尾根
平坦尾根
竹林
緩い尾根を登り返すと小岩のある標高140mの北西ピークへ着く。
樹間に祝島や牛島、前方に高遠山が望める。物見場所としてはこちらのピークの方が雰囲気がある。
140mピーク
同上(北西方向から)
牛島
祝島
高遠山
雑木尾根を下り鞍部で登り返す。ガレ石を踏みながら登り切ると標高130mの高遠山山頂へ着く。
雑木尾根
鞍部
ガレ石の尾根
ガレ石の尾根
高遠山山頂
山頂部(逆方向)
山頂は狭い平坦地となり、各方向へ場所を移動すると、樹間越しに四方が望める。遠見山の後方に上盛山がわずかにのぞき、東に白井田から四代の山々が連なる。さらにその右方向に祝島、牛島、佐合島、室津半島の山々が望める。
遠見山・上盛山
白井田の山並み
四代の山並み
祝島
牛島
佐合島
小山・大星山・鳩ヶ峰
皇座山
三角点ピークまで戻り、南方向の尾根へ下る。タケヤブとなった平坦尾根を抜け、支尾根分岐を南東方向へ下る。南西尾根方向へも歩けそうだ。
竹林ヤブ
支尾根分岐
歩きやすい雑木疎林尾根が続く。
雑木疎林尾根
雑木疎林尾根
鞍部で左下の谷に小溜池が望める。
平坦鞍部
左に小溜池
枯れたヤダケを踏みながら平坦尾根を進み、70m平坦ピークから南側の支尾根へ下る。
枯れたヤダケ
平坦ピーク
疎林尾根
左にヒノキ林が現れるので、ヒノキ境の尾根を下っていくと舗装林道の終点部へ出る。
左ヒノキ林
ヒノキ林境
舗装林道終点
下降地点(逆方向)
未舗装林道が先に延びる
舗装道を左へ下って海浜公園まで戻る。
舗装道を下る
四等三角点「中浦」ピークが近くにあるので、帰路立ち寄ってみた。
中ノ津の東南端、民家が切れるあたりの路傍へ駐車。
山側へ向かう舗装道へ入る。分岐を直進し、コンクリート舗装された坂道を登る。
山側へ向かう
分岐
前方の路上へヤダケが被さり荒れてくるあたりで、左の支尾根斜面に山道が上がっており、これに取り付く。
支尾根取り付き
明瞭な道をたどっていくと、右の巻き道となり、右下の谷に城壁のような石垣とコンクリート貯水槽のような施設を見る。
山道
巻き道
石垣
貯水槽?
谷沿いに登っていき、谷と合わさるあたりで石垣と出会い、ここで道が消失する。
石垣上に黄色のペンキで塗られた鉄製の施設を見る。果樹園のころの名残りだろうか。
山道
鉄製施設
右の斜面をよじ登りシダ尾根上へ出ると、右からの古道と出会う。地形図上の破線道だろう。シダが被さり現在使われている様子はない。
疎林斜面を登る
シダ尾根と合流(下方向)
雑木尾根上に残る古道をたどると、まもなく古道は左の巻き道となるが、そのまま尾根上を直進する。
雑木尾根
巻き道が左に分かれる
尾根境にスギ並木が続き、小段状の尾根を登り切ると、右からの支尾根と合わさる。
境界スギ
疎林尾根
ツルヤブの左谷斜面
小段状の尾根
主尾根上へ出る
左折し雑木尾根を少し進むと、平坦ピーク上に四等三角点(点名:「中浦」)を見る。これといった特徴的なものはない山頂だ。
四等三角点
尾根を戻り、そのまま北方向へ雑木尾根を下る。古道の名残りが現われ、たどっていくと左の支尾根方向へ向かう。
破線道のある支尾根上へ出るが、期待した明確な道はない。
雑木疎林の平坦尾根
左の巻き道
シダ尾根
破線道とわかれ、古道をそのまま北方向へ下るとヒノキ林となる。シダがやや被る植林尾根を下っていくと標高60mあたりの鞍部で道が消失する。
右の支尾根へ下る
ヒノキ・シダ尾根
右の谷に小溜池
ヒノキ林の鞍部
仕方なくそのまま尾根を直進し、小ピークを左に巻いたあたりから雑木尾根に変わる。
左の巻き道
雑木疎林尾根
道はないが下草のない歩きやすい尾根を下っていくと下に舗装道が見えてくる。斜面を下り舗装林道へ出る。
雑木疎林尾根
下方に舗装道
林道下降地点(逆方向)
左折し舗装林道の終点を確認してみた。100mほど先で墓地があり終点となる。コンクリート小道をあがってみると、墓地上部で行き止まりとなった。破線道は廃道化したようだ。
舗装林道終点部・墓地
林道を引き返し、海岸沿いの道路へ出て駐車地まで戻る。
林道から遠見山
中ノ浦海浜公園方向
中ノ浦
三角点「餅搗」ピーク
遠見山
■山名考
◆遠見山・高遠山・鹿落
地下上申や風土注進案の記載だけでは山の特定が難しいと思えたので、文書館で絵図等を調べてみた。
『地下上申』戸津村境目書には高遠山が御立山として出てくるが、遠見山の記載はない。地下上申絵図を見ると、標高151.3mの三等三角点ピークとおぼしきところに「遠見」とあり、次の北西ピークの支尾根上に「鹿落」の記載がある。また遠見の北東方向の支尾根に「高○○○立山」とあり、これが高遠山であろうか。
毛利家文庫の「上ノ関宰判白井田・戸津両村論所大浦山絵図」や「上ノ関宰判大浦山・白井田・戸津論所絵図」を見ると、「遠見」が「魚見山」と記され、北西方向と思われる支尾根部分に「高遠山」、130mピークの絶壁部分に「鹿おとし」とある。前者の作成年代は宝暦9年(1759年)とあり、地下上申絵図作成とほぼ同じ頃だろう。
これらから遠見山(魚見山)については三等三角点ピークで間違いないと思われる。
一方高遠山については、もともと遠見山の御立山部分の呼称だったのではないかと推測される。毛利家文庫の絵図によれば、三角点ピークの遠見山から北西方向の支尾根上にある140m小ピークが高遠山とも考えられる。
しかし、風土注進案の山川形勢や山之事の項では、両山ともそれぞれ独立峰として記載されており、また山之事の両山の記載内容から判断し、130mピークを高遠山とし、鹿落しをその絶壁部分の呼称とした。
なお、『風土注進案』上ノ関之一の山之事の項から、遠見山と高遠山の部分を参考として以下に転記する。
「遠見山
高サ直立七拾貳間半、戸津之西北山端ニ近寄て有之、其西北ハ直ニ高遠山ニ隣し、東北ハ小浦 先船隠 前平畠之海邊ニ至、東南ハ山脊卑くして相続漸々戸津之後山ニ移、西南ハ谷を含て跡邊之海岸ニ至り山脈絶、故ニ周廻難相知候事」
「高遠山
高サ直立六拾五間半、戸津之西北一洲之山端ニ有之、西方絶壁にして山下ハ直ニ海、亦北ハ山腰相連て小山海岸ニ至、東ハ山田を擁き小浦海邊ニ至て山脈絶、當山之形勢概絶壁にして如孤山、雖然東南ハ遠見山に隣て相続、故ニ周廻難相知御座候事」
また、『上関町史』(昭和63年発行)の「民話と民謡」の項に、「鹿落」の記事が載っていたので、以下に転記する。
「鹿落
中之浦の西端、高塔山の南側のある窪(崖か?:gomen注記)の地名が現在も「鹿落」(きくどし)である。海岸から数十メートルの断崖となっている。
昔、この島に鹿が多くいたということで、人々は総出で山の中から鹿を狩り出して鹿落の上へ追い寄せ、崖から追い落として鹿を捕っていた。このことから、鹿落の地名ができたということである。」
なお、「きくどし」の由来は不明だが、論所絵図では「鹿おとし」とあり、もともとは「ししおとし」と呼んでいたのではないかと推測する。
白井田側から高遠山・遠見山
平生側から遠見山・高遠山
上盛山・遠見山・高遠山
◆四等三角点「中浦」
上盛山から北西へ流れる尾根上の小ピークであり、絵図では尾根上に「竹のとう」といった名も見えるが特定できないので、三角点の土地の字名「餅搗」を採用した
2015-04-11 21:45
コメント(5)
四等三角点の点名「中浦」を、土地の字名である「餅搗」と記載していたので訂正しました。
by gomen (2015-04-12 09:17)
むむむ、58絵図まで調べるとは。。。。
そのうち、「○曜日の男」と呼ばれるようになります。
「高○○○立山」の最後の○は多分、「御」です。
たしか、御免山も御立山だったような気がします。
by yamakan (2015-04-12 18:32)
この前、日曜日に調べに行ったら、しばらく貸切状態でした。
「高○○○立山」は「高當於預立山」と読むのではと思いましたが、自信がありません。
by gomen (2015-04-12 19:28)
ふむふむそれでいいかも
もしくは「當於」を変体仮名で「たお」と読ますか。それだと「預」が浮くので、前の方がいいかも。預けたのかな。
職員に聞いたら親切にすぐ教えてくれます
by yamakan (2015-04-12 19:40)
『上関町史』(昭和63年発行)の「民話と民謡」の項に、「鹿落」の記事が載っていたので追記するとともに、「ししおとし」を「きくどし」と訂正しました。
by gomen (2015-04-19 08:08)