重ね岩〈完結篇〉(下関市豊浦町宇賀) [県西部の山]
先日、「防長山野へのいざない」の著者である金光康資氏から、「重ね岩」のことが掲載された10年前の新聞記事をわざわざ届けていただいた。第4集発刊に向け精力的に歩いておられるご様子。刊行が待たれる。
いただいた記事を見ると重ね岩と祠の写真が載っている。どう見ても今までわたしが探索した岩とは違う。落胆を禁じえなかったが、記事にはさらに重ね岩の祭事を継承しておられるという地元の方、Yさんの名前があった。
これを有力な手がかりに、今度こそはと1年数ヶ月ぶりに大河内へ赴くことにした。
道路わきに車を置き、Yさんの家とおぼしきあたりまで行ってみると、畑仕事をしているおばあさんの姿が見えたので尋ねてみた。
ところがYさんは最近亡くなられ、今は息子さんの代にかわっているという。「 I 湯」をやっているので、そこへ行けばわかるだろうとのこと。
そこで営業中の「 I 湯」へ行ってみると、その息子さんがおられた。
お話を伺ったところ、今でも5月には重ね岩まで上がり祭事をつづけておられるという。ただ1年に1、2回しか上がらないので、参道はケモノ道程度とのこと。石の鳥居もあるらしい。店の入口には昨年撮影されたという「重ね岩」の写真が飾られていた。これで今回は間違いなく見つけられると意を強くした。
そもそも取り付きの谷が違っていた。これまでは交流センターの上の谷とばかり思っていたが、温泉のすぐ北側の谷から入るらしい。観光パンフレットには交流センターから鋭角に上がる道が描かれており、また前回入口まで案内していただいたH旅館のご主人もその道を上がられたというので、てっきりセンターからの道が取り付きと思ったのがそもそもの間違いだった。
ただ、「 I 湯」の若主人の話もいまひとつ分からない部分がある。重ね岩があるのは山頂ではないことは確かなようだが、「尾根上にあるのですか?」と聞くと、いまひとつ答えが煮え切らない。
いずれにせよ林道を終点まで行き、防獣ゲートを開けて、あとはケモノ道程度の道をたどって登るということは分かったので、これだけの情報があれば何とかなるだろうと高を括って、とにかく行ってみることにした。(2013.08.10)
重ね岩
(クリックで拡大)
少し遠くなるが、交流センター向かいの路側帯に車を置き、県道沿いに歩いて林道入口へ向かう。
道路わきの家の前で、先刻のおばあさんに出会う。もう一人おばさんがその場に居合わせた。それが偶然にも「 I 湯」の若主人のお母さんだった。Yさんの奥さんである。
改めてお礼を言うと、
「シカやイノシシがいるけど、じっとしていれば大丈夫。気をつけて行ってらっしゃい」と声をかけていただいた。
暑さでうだるようだったが、少し足取りが軽くなったような気がする。
鋭角に戻るように舗装林道を上がる。
舗装林道取り付き
まもなくKDDI大河内基地局の通信塔を左に過ごす。
KDDI大河内基地局
右に墓地を見て、さらにその先の寄せ墓を過ごすと、林道終点となる。
墓地
林道終点
右の斜面の踏み跡に取り付くと、すぐ防獣ゲートがある。これを丁寧に開閉して中に入ると明瞭な山道がある。
防獣ゲート
すぐに「NHKケーブル埋設」の標柱を見る。山道の下にケーブルが埋設してあるようだ。
ケーブル埋設標柱
すぐ左にイノシシワナが設置されている。
イノシシワナ
埋設道を兼ねた山道を進むと、やがて山道が分岐する。右上が本来の山道のようだが、倒竹等でやや荒れ気味なので、下側の明瞭な埋設道の方へ進む。
山道(埋設道)
本来の山道?
埋設道
埋設道
段状の棚田跡を進むようになり、道が枝分かれし、埋設道の標柱も消えて不明瞭となる。
棚田跡
構わず左の支谷沿いに上方へ進むと、ヒノキ林が現われる。
ヒノキ林
ここで左の小尾根を左右へ巻くように道が分かれるが、歩きやすそうな右道を取り、左の斜面に付いた踏み跡をたどると、上方が開けテレビ共同アンテナと出会う。
左の小尾根
斜面の踏み跡
テレビ共同アンテナ
シダを少し分けて通信施設の上部に出てみた。後方に展望が少し開ける。
展望
右側ヒノキ林の尾根境に入り、急勾配を登り切ると標高290mの小ピークへ出る。期待した岩はここにはない。樹木に遮られ展望も得られない。
ヒノキ林境の尾根道
ヒノキ林境
290mピーク
残るは南側に分かれる二つの支尾根上のいずれかしかないと考え、踏み跡もあるので、とりあえず280mピークをめざし下ることにする。
ケモノ道と思しき踏み跡がいくつも枝分かれする雑木疎林の中を、尾根を外さないように下り、鞍部で登り返すと280mピークに着く。ここも岩らしきものは全くない。今回も駄目かと少し気落ちする。
南尾根方向の踏み跡
雑木尾根
280mピーク
ここで支尾根が左右に分かれるので、いずれを下るか思案したが、右の支尾根上に狭いが明瞭な切り開きがあったので、これを下ってみる。
南西尾根へのり開き
すぐに右側ヒノキ林境となり、さらに下ると、何やら白い祠らしきものが見え、その後方に岩らしきものがある。「重ね岩」だった。
ヒノキ植林境
重ね岩・祠
祠はコンクリート製で、周囲に祭事の名残りか杯などが散らばっている。
祠
重ね岩は、やや斜めに傾いた上の岩を立岩と小振りの岩が支えるといった形となっている。岩には朽ちかけた細縄がかけられている。
下方から
側方から
岩の下は小広い平坦部となり、岩のすぐ下と平坦部の下側に石垣が築かれている。若主人から聞いた話では、祭りの日にはここで相撲を取っていたそうだ。また、岩によじ登ると北九州の方まで眺められるとか。
平坦部
平坦部下の石垣
平坦部から左へ踏み跡程度の山道が続いていたので、これを下ってみた。
山道
まもなく石鳥居がある。額束には「重岩社」と刻んであるようだ。柱には明治十八年とある。
石鳥居(逆方向)
スギ林の谷に下り、少し荒れた踏み跡を下る。所々枝分かれしてどれが本道か分かりづらい。
少し荒れた谷間の踏み跡
踏み跡
棚田跡あたりに出ると、右へトラバース状の道となり、そのまま下っていくと通信施設への分岐付近へ合流した。逆に登る際には右に分かれる重ね岩へのトラバース道は踏み跡が薄いので、見落としやすいだろう。
巻き加減の踏み跡
通信施設への分岐と合わさる(逆方向)
ここから下方は上りの際に不明瞭だったあたりなので、記憶をたどりながら下っていくと、ケーブル埋設道に出て、そのまま林道終点へ降りた。
周辺で竹を割る音がし、「キャッキャッ」という鳥の鳴き声のようなのがあちこちで聞こえる。そのうち、ガサガサと音がし複数の黒いものが前方を走り去った。サルだ。こっちへ戻ってこないよう、杖で道路の舗装面を叩いて音を立てながら林道を下った。小さいが集団で囲まれると不気味だ。
帰路、お礼かたがた「 I 湯」に立ち寄り、汗を流した。10年前に建てられたようで真新しい。湯はツルツルして肌触りがよい。一つの湯船は源泉をそのまま入れてあり、ほどよい冷たさだ。「涼泉」といった感じでこの時期には気持ちよい。
なお、上りの際、今回は分岐で明瞭なケーブル埋設道の方を取ったが、荒れ加減の山道をそのまま登り、谷を詰めるルートもあると思われる。機会があれば確認してみたい。
大河内から重ね岩の尾根(右端)
◆余談
今回の重ね岩の探索を通じて、こうした地域の祭事が廃れ、次第に忘れ去られていることを痛感させられた。
重ね岩の祭事も昔は集落全体で祀られていたようだが、現在は地元三軒の関係者だけで細々と続けられている。それも代替わりが進んでいる。
数回の探索で何人かの地元のお年寄りにお尋ねしたが、「そんな岩、聞いたことない」、「昔行ったことはあるが、どの辺じゃったろうか?」という返事。豊浦町観光パンフレットにも記載されているのに、この状況である。
とにかく人が山へ入らなくなったのは確かだ。
いただいた記事を見ると重ね岩と祠の写真が載っている。どう見ても今までわたしが探索した岩とは違う。落胆を禁じえなかったが、記事にはさらに重ね岩の祭事を継承しておられるという地元の方、Yさんの名前があった。
これを有力な手がかりに、今度こそはと1年数ヶ月ぶりに大河内へ赴くことにした。
道路わきに車を置き、Yさんの家とおぼしきあたりまで行ってみると、畑仕事をしているおばあさんの姿が見えたので尋ねてみた。
ところがYさんは最近亡くなられ、今は息子さんの代にかわっているという。「 I 湯」をやっているので、そこへ行けばわかるだろうとのこと。
そこで営業中の「 I 湯」へ行ってみると、その息子さんがおられた。
お話を伺ったところ、今でも5月には重ね岩まで上がり祭事をつづけておられるという。ただ1年に1、2回しか上がらないので、参道はケモノ道程度とのこと。石の鳥居もあるらしい。店の入口には昨年撮影されたという「重ね岩」の写真が飾られていた。これで今回は間違いなく見つけられると意を強くした。
そもそも取り付きの谷が違っていた。これまでは交流センターの上の谷とばかり思っていたが、温泉のすぐ北側の谷から入るらしい。観光パンフレットには交流センターから鋭角に上がる道が描かれており、また前回入口まで案内していただいたH旅館のご主人もその道を上がられたというので、てっきりセンターからの道が取り付きと思ったのがそもそもの間違いだった。
ただ、「 I 湯」の若主人の話もいまひとつ分からない部分がある。重ね岩があるのは山頂ではないことは確かなようだが、「尾根上にあるのですか?」と聞くと、いまひとつ答えが煮え切らない。
いずれにせよ林道を終点まで行き、防獣ゲートを開けて、あとはケモノ道程度の道をたどって登るということは分かったので、これだけの情報があれば何とかなるだろうと高を括って、とにかく行ってみることにした。(2013.08.10)
重ね岩
(クリックで拡大)
少し遠くなるが、交流センター向かいの路側帯に車を置き、県道沿いに歩いて林道入口へ向かう。
道路わきの家の前で、先刻のおばあさんに出会う。もう一人おばさんがその場に居合わせた。それが偶然にも「 I 湯」の若主人のお母さんだった。Yさんの奥さんである。
改めてお礼を言うと、
「シカやイノシシがいるけど、じっとしていれば大丈夫。気をつけて行ってらっしゃい」と声をかけていただいた。
暑さでうだるようだったが、少し足取りが軽くなったような気がする。
鋭角に戻るように舗装林道を上がる。
舗装林道取り付き
まもなくKDDI大河内基地局の通信塔を左に過ごす。
KDDI大河内基地局
右に墓地を見て、さらにその先の寄せ墓を過ごすと、林道終点となる。
墓地
林道終点
右の斜面の踏み跡に取り付くと、すぐ防獣ゲートがある。これを丁寧に開閉して中に入ると明瞭な山道がある。
防獣ゲート
すぐに「NHKケーブル埋設」の標柱を見る。山道の下にケーブルが埋設してあるようだ。
ケーブル埋設標柱
すぐ左にイノシシワナが設置されている。
イノシシワナ
埋設道を兼ねた山道を進むと、やがて山道が分岐する。右上が本来の山道のようだが、倒竹等でやや荒れ気味なので、下側の明瞭な埋設道の方へ進む。
山道(埋設道)
本来の山道?
埋設道
埋設道
段状の棚田跡を進むようになり、道が枝分かれし、埋設道の標柱も消えて不明瞭となる。
棚田跡
構わず左の支谷沿いに上方へ進むと、ヒノキ林が現われる。
ヒノキ林
ここで左の小尾根を左右へ巻くように道が分かれるが、歩きやすそうな右道を取り、左の斜面に付いた踏み跡をたどると、上方が開けテレビ共同アンテナと出会う。
左の小尾根
斜面の踏み跡
テレビ共同アンテナ
シダを少し分けて通信施設の上部に出てみた。後方に展望が少し開ける。
展望
右側ヒノキ林の尾根境に入り、急勾配を登り切ると標高290mの小ピークへ出る。期待した岩はここにはない。樹木に遮られ展望も得られない。
ヒノキ林境の尾根道
ヒノキ林境
290mピーク
残るは南側に分かれる二つの支尾根上のいずれかしかないと考え、踏み跡もあるので、とりあえず280mピークをめざし下ることにする。
ケモノ道と思しき踏み跡がいくつも枝分かれする雑木疎林の中を、尾根を外さないように下り、鞍部で登り返すと280mピークに着く。ここも岩らしきものは全くない。今回も駄目かと少し気落ちする。
南尾根方向の踏み跡
雑木尾根
280mピーク
ここで支尾根が左右に分かれるので、いずれを下るか思案したが、右の支尾根上に狭いが明瞭な切り開きがあったので、これを下ってみる。
南西尾根へのり開き
すぐに右側ヒノキ林境となり、さらに下ると、何やら白い祠らしきものが見え、その後方に岩らしきものがある。「重ね岩」だった。
ヒノキ植林境
重ね岩・祠
祠はコンクリート製で、周囲に祭事の名残りか杯などが散らばっている。
祠
重ね岩は、やや斜めに傾いた上の岩を立岩と小振りの岩が支えるといった形となっている。岩には朽ちかけた細縄がかけられている。
下方から
側方から
岩の下は小広い平坦部となり、岩のすぐ下と平坦部の下側に石垣が築かれている。若主人から聞いた話では、祭りの日にはここで相撲を取っていたそうだ。また、岩によじ登ると北九州の方まで眺められるとか。
平坦部
平坦部下の石垣
平坦部から左へ踏み跡程度の山道が続いていたので、これを下ってみた。
山道
まもなく石鳥居がある。額束には「重岩社」と刻んであるようだ。柱には明治十八年とある。
石鳥居(逆方向)
スギ林の谷に下り、少し荒れた踏み跡を下る。所々枝分かれしてどれが本道か分かりづらい。
少し荒れた谷間の踏み跡
踏み跡
棚田跡あたりに出ると、右へトラバース状の道となり、そのまま下っていくと通信施設への分岐付近へ合流した。逆に登る際には右に分かれる重ね岩へのトラバース道は踏み跡が薄いので、見落としやすいだろう。
巻き加減の踏み跡
通信施設への分岐と合わさる(逆方向)
ここから下方は上りの際に不明瞭だったあたりなので、記憶をたどりながら下っていくと、ケーブル埋設道に出て、そのまま林道終点へ降りた。
周辺で竹を割る音がし、「キャッキャッ」という鳥の鳴き声のようなのがあちこちで聞こえる。そのうち、ガサガサと音がし複数の黒いものが前方を走り去った。サルだ。こっちへ戻ってこないよう、杖で道路の舗装面を叩いて音を立てながら林道を下った。小さいが集団で囲まれると不気味だ。
帰路、お礼かたがた「 I 湯」に立ち寄り、汗を流した。10年前に建てられたようで真新しい。湯はツルツルして肌触りがよい。一つの湯船は源泉をそのまま入れてあり、ほどよい冷たさだ。「涼泉」といった感じでこの時期には気持ちよい。
なお、上りの際、今回は分岐で明瞭なケーブル埋設道の方を取ったが、荒れ加減の山道をそのまま登り、谷を詰めるルートもあると思われる。機会があれば確認してみたい。
大河内から重ね岩の尾根(右端)
◆余談
今回の重ね岩の探索を通じて、こうした地域の祭事が廃れ、次第に忘れ去られていることを痛感させられた。
重ね岩の祭事も昔は集落全体で祀られていたようだが、現在は地元三軒の関係者だけで細々と続けられている。それも代替わりが進んでいる。
数回の探索で何人かの地元のお年寄りにお尋ねしたが、「そんな岩、聞いたことない」、「昔行ったことはあるが、どの辺じゃったろうか?」という返事。豊浦町観光パンフレットにも記載されているのに、この状況である。
とにかく人が山へ入らなくなったのは確かだ。
2013-08-12 21:28
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