魚切山〈鍛冶屋床ルート〉・黒河内山〈糸根整理堤・谷ルート〉(山口市陶・鋳銭司) [県央部の山]
先日は黒河内山南尾根の新設コースを歩いたので、その後南麓の糸根側にある整理堤を起点に谷側から上がるルートをいくつか探索してみた。1月2日に歩いたルートをベースに、その他の枝ルートを合わせて編集したものを報告する。(2020.1.2および2019.12.15、12.20)
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★魚切山〈鍛冶屋床ルート〉
●駐車地~新堤~堰堤
立石交差点から市道に入り北上。新幹線のガードをくぐって200mほど行ったところの広いスペースに車を置く。
整理堤へ分岐する林道入口に「得銭平(とくせんびら) 鍛冶屋床(やじやばだこ)」の案内板がある。(18年前にすでにあった。鍛冶屋床はなぜか「ば」を入れて読む。図には「西峠」の記載もある)
駐車地・林道分岐①
案内板
三つ目の林道分岐で舗装が終わり左道を取る。クヌギ林沿いに進むと前方に魚切山から南尾根の山塊が見えてくる。
林道分岐②
林道分岐③
未舗装林道・前方に魚切山
まもなく水を湛えた新堤の広場に出る。新しい改修記念碑が建つ。広場の端から林道が続いているが、入口付近は灌木が生え始め歩きにくい。堤を過ぎると雑木林沿いとなる。
新堤・広場
改修記念碑
カヤが茂る林道
林道
右に保安林看板がある。看板の地図を見ると魚切山の山名はなく、南尾根に延びたピークに「ようきり山」と「大西山」の山名が記されている。18年前にも看板があり同様の表示があった。看板は新しそうなので付け替えられたのかもしれない。
保安林看板
看板(拡大)
林道終点にイノシシワナが設置され、前方に堰堤が見える。
暗渠部分
イノシシワナ・林道終点部
● ~谷分岐(鍛冶屋床)
堰堤の右端を回り込み、背後の涸れ沢へ降り立つ。沢が分岐するので右沢を取る。
堰堤
堰堤裏側・水涸れ
ガレ石の右沢へ入る
沢上はガレ石で歩きにくそうなので、沢沿いに右の雑木疎林を進む。
沢沿い
沢沿い
沢沿い
しばらく進むと小広い平坦地がある。炭焼きの人などが小屋がけした所かもしれない。古い牛乳瓶があった。
平坦地
古い牛乳瓶
すぐに大きく谷が分かれるところへ出る。このあたりが案内板にあった「鍛冶屋床」だろう。前回12月15日に歩いたときはここから右谷へ入って西ヶ垰へ上がったので、今回は左谷をめざすことにする。
広い谷(鍛冶屋床)
左谷へ進む
● ~得銭平
山道跡や溝跡のようなものを確認しながら谷の右側を進むと、知らぬうちに西へ向かう支谷と分かれ北西の支谷に入る。
古い山道?.
沢沿いの溝跡?
小沢沿いに谷を詰めていくとやや広い谷へ出る。麓の案内板の図から推測すると、このあたりから西ヶ垰へ向かう谷との平坦地が「得銭平」だろうか。
小沢沿い
小沢沿い
広い谷(得銭平?)
● ~320m支尾根合流点
さらに進むと谷が詰まってくるので、歩きやすそうな右の小谷へ入る。ガレ石の谷となり詰めていくと背丈状の深いシダが行く手をはばむ。
右の小谷へ入る
谷を詰める
シダが現われる
背丈状のシダ
縦走路のある主尾根まで標高差40~50mと踏んで、シダ尾根へ突入する。
右の支尾根へ向かってシダを分けていくとややシダの丈が低くなる。左に魚切山の山頂が少しのぞく。
支尾根上のシダ
上方が開ける
左に魚切山
尾根上を分けていくと320m支尾根合流点へ抜け出る。すぐ先に縦走路があった。
320m支尾根合流点
縦走路へ出る
● ~魚切山
縦走路の緩やかな山道を登ると魚切山山頂へ着く。ハイカーの姿はない。
縦走路
魚切山山頂(山口市街側)
山頂(火の山方向)
南北方向の展望を楽しんで黒河内山をめざす。
山口市街
385mピーク・天狗岩山
黒河内山方向
楞厳寺山・花ヶ岳
亀尾山・火の山連峰
☆(補足) 12月15日のルート ※地形図に緑色のトラックで表示
●谷分岐(鍛冶屋床)~西ヶ垰
鍛冶屋床までは同じだが、分岐を北東方向の谷へ入り、西ヶ垰へ上がった。
このルートは18年前に歩いているのだが、当時の山行記録を見てもほとんど記憶に残っていない。
鍛冶屋床から右谷へ入り、しばらくガレ石の沢を登る。
沢分岐・鍛冶屋床
涸れ沢
涸れ沢
右岸側(谷の左側)に上がると作業道跡らしきものが現われる。
右岸
作業道跡?
まもなく標高230mあたりで注意しながら谷分岐を左に取る。(ガレ沢をそのまま詰めると右谷へ入り込んでしまうので要注意)
ガレ石の右沢方向
谷分岐近くの小岩
左谷に入る
雑木谷を詰める
稜線が近づき小谷の分岐を右に取ると、280m鞍部の西ヶ垰に出て縦走路と合流する。
稜線が近づく
280m鞍部(西ヶ峠)
★魚切山~天狗岩山~黒河内山
縦走路は一般コースなので、写真のみ掲載する。
●魚切山~西ヶ垰
290m支尾根分岐点
ややシダ被りの山道
290m鞍部
西ヶ垰
● ~350m鞍部~天狗岩山
左谷へ下る
ヒノキ植林沿い
谷出合い
植林谷を進む
谷を詰める
350m鞍部・道標
雑木尾根
シダ尾根
390m支尾根合流点
雑木尾根
天狗岩山山頂
● ~黒河内山
平坦尾根
雑木尾根
雑木尾根
妙見社コース分岐・道標
黒河内山山頂
楞厳寺山
亀尾山
350mピーク(三越山)
火の山連峰
御伊勢山
★黒河内山〈糸根整理堤・谷ルート〉
●黒河内山~390m支尾根付近~340m谷分岐
帰路は縦走路を西へ戻り、400m支尾根分岐点を少し下った適当なところから、南東方向へ谷を下ってみた。
実は12月20日に逆方向から谷を詰め、最後はこの谷を這い上がるつもりだったのが、100mほど上部の400m小鞍部へ出てしまったので、分岐箇所を確かめるつもりもあってこのルートを下ることにした。下降地点は鞍部でもなく目印となるものはない。
390m下降地点
疎林の斜面を下ると平坦な谷へ出て歩きよくなる。
疎林斜面
疎林谷
疎林谷
問題の標高340mあたりの谷分岐点に出る。分岐谷を逆方向から見ると、前回たどった谷が直進方向で、地形図で推測するほど狭い谷ではない。またブルーテープが直進方向の谷に付いていた。
340m谷分岐(逆方向)
ブルーのテープ
● ~涸れ沢渡り
灌木がやや多くなり、ガレ石の沢を避けて、沢沿いに主として右岸側を下る。
涸れ沢沿い
涸れ沢沿い
涸れ沢沿い
標高210mあたりで敷石や石垣が残る涸れ沢を渡る。
涸れ沢を横切る・石積跡
● ~石橋跡
谷が広くなり林道跡らしきところを下っていくと、標高160mあたりで石橋跡と出合い、えぐれた沢を渡る。
林道跡
林道跡
石垣
石橋跡・沢渡り
● ~堰堤~駐車地
沢沿いに山道跡を進むと、まもなく前方に堰堤が見えはじめ、手前に林道開設記念碑を見る。「紀元二千六百年 皇恩無窮 旱害対策」といった字も刻まれている。昭和15年当時に開設されたのだろう。
古道
古道
堰堤
林道開設記念碑
堰堤右端の踏み跡をたどり、少しヤブを分けながら堰堤を越えると林道へ出る。
灌木沿いの踏み跡
堰堤
踏み跡・堰堤(逆方向)
未舗装林道
☆(補足)12月20日のルート ※地形図に青色のトラックで表示
●340m谷分岐~400m小鞍部
歩きやすい谷で最後は疎林谷を詰めると400m小鞍部へ出て、縦走路と合流する。
■山名等について
黒河内山の妙見社コースを整備された方と話をしたとき、「山名がわからないので自分たちで付けてみたが、名前がわかるといい」ということを言われたこともあり、いい機会なので自分なりに調べてみた。
●鋳銭司村と陶村の境について
両村の地下上申絵図(清図はなく下図しか残っていない)を見ると、一枚の絵図に描かれている。
鋳銭司と陶の現在の大字境は黒河内山の南尾根にあるが、絵図が作成された頃(江戸期の享保年代)の旧村境は魚切山の南尾根にあったと思われる。
絵図では、「友輪堤」(地下上申では「友林堤」、絵図上では「ゆうりん堤」)上を境界が通っていることや、春日社の西を流れる綾木川のさらに西側に境界があることなどから推測できる。
両村は同じ絵図上に描かれていることからもわかるように、古来離合を繰り返していたようで、いわば兄弟村のような関係にあったと思われる。したがって、その境も時代によって変動があるようだ。
そこで、地下上申と絵図を中心に、黒河内山、魚切山およびその周辺の山について、次図のとおり山名等の特定を試みた。
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●黒河内山
絵図によると「吉野村」(「平野村」の枝村)、「恒富村」、「鋳銭司村」の三村境に位置する山で、それぞれの地下上申境目書によると、平野村では「鳥場山」、恒富村では「百合野山」、鋳銭司村では「法師岩山」にあたると思われる。
「黒河内山」の名は地下上申鋳銭司村の山野の項に見える。また鋳銭司村絵図には「黒河内垰」が確認できる。恒富村絵図には「黒河内」の山名も見えるが、現在の「黒河内山」とは位置が違うようだ。これらは、古来このあたりの谷を黒河内と呼び、そこから派生した名と思われる。
なお、絵図上では南尾根上に「隠山」(かくれやま:『山口県地名明細書』による)があるとみられ、地下上申にも御立山の項目に山名が見える。南尾根上のどのピークにあたるかは不明だが、南尾根上にある広範囲の山域を指すのかもしれない。
●魚切山
『防長山野いざない』などで紹介され、ハイカーにも親しまれている山なので、山名も定着した感があるが、地下上申や絵図から判断すると、上に記したように旧陶村と鋳銭司村の境に位置する山は「天狗岩山」がこれにあたる。現在天狗岩山と山頂に札がある410mピークは「奥畑山」にあたると思われる。
また、地下上申や絵図では天狗岩山の西に「魚切」が記され、これは250m支尾根合流点にあたるのではないかと考える。
●ようきり山、大西山
いずれも糸根新堤から林道を少し北上したところにある保安林看板の地図に記された山名であり、絵図にも村境上に「魚切」、「大西山」の名が見える。
ようきり山については、魚の古称「いを」から「よう」と訛ったのではないかと思われ、これも「魚切山」と考えられる。このことから地下上申の境目書にしばしば見える「水尾切り」と同様、分水嶺の同義語として使われているのではなかろうか。
両山の位置については、絵図からの特定は難しいので、保安林看板に拠った。
なお、絵図を見ると、同じ尾根上に「鎌山」の名があり、地下上申にも新御立山の項にその名が見える。これはピークというよりこのあたりの山域を呼称する名と考える。
●糸根(祢)垰
地下上上申とその絵図から現在の陶ヶ峠と推定した。
●西ヶ垰
地下上申や絵図、糸根整理堤近くの「得銭平・鍛冶屋床」説明板の記載地図から推定した。
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★魚切山〈鍛冶屋床ルート〉
●駐車地~新堤~堰堤
立石交差点から市道に入り北上。新幹線のガードをくぐって200mほど行ったところの広いスペースに車を置く。
整理堤へ分岐する林道入口に「得銭平(とくせんびら) 鍛冶屋床(やじやばだこ)」の案内板がある。(18年前にすでにあった。鍛冶屋床はなぜか「ば」を入れて読む。図には「西峠」の記載もある)
駐車地・林道分岐①
案内板
三つ目の林道分岐で舗装が終わり左道を取る。クヌギ林沿いに進むと前方に魚切山から南尾根の山塊が見えてくる。
林道分岐②
林道分岐③
未舗装林道・前方に魚切山
まもなく水を湛えた新堤の広場に出る。新しい改修記念碑が建つ。広場の端から林道が続いているが、入口付近は灌木が生え始め歩きにくい。堤を過ぎると雑木林沿いとなる。
新堤・広場
改修記念碑
カヤが茂る林道
林道
右に保安林看板がある。看板の地図を見ると魚切山の山名はなく、南尾根に延びたピークに「ようきり山」と「大西山」の山名が記されている。18年前にも看板があり同様の表示があった。看板は新しそうなので付け替えられたのかもしれない。
保安林看板
看板(拡大)
林道終点にイノシシワナが設置され、前方に堰堤が見える。
暗渠部分
イノシシワナ・林道終点部
● ~谷分岐(鍛冶屋床)
堰堤の右端を回り込み、背後の涸れ沢へ降り立つ。沢が分岐するので右沢を取る。
堰堤
堰堤裏側・水涸れ
ガレ石の右沢へ入る
沢上はガレ石で歩きにくそうなので、沢沿いに右の雑木疎林を進む。
沢沿い
沢沿い
沢沿い
しばらく進むと小広い平坦地がある。炭焼きの人などが小屋がけした所かもしれない。古い牛乳瓶があった。
平坦地
古い牛乳瓶
すぐに大きく谷が分かれるところへ出る。このあたりが案内板にあった「鍛冶屋床」だろう。前回12月15日に歩いたときはここから右谷へ入って西ヶ垰へ上がったので、今回は左谷をめざすことにする。
広い谷(鍛冶屋床)
左谷へ進む
● ~得銭平
山道跡や溝跡のようなものを確認しながら谷の右側を進むと、知らぬうちに西へ向かう支谷と分かれ北西の支谷に入る。
古い山道?.
沢沿いの溝跡?
小沢沿いに谷を詰めていくとやや広い谷へ出る。麓の案内板の図から推測すると、このあたりから西ヶ垰へ向かう谷との平坦地が「得銭平」だろうか。
小沢沿い
小沢沿い
広い谷(得銭平?)
● ~320m支尾根合流点
さらに進むと谷が詰まってくるので、歩きやすそうな右の小谷へ入る。ガレ石の谷となり詰めていくと背丈状の深いシダが行く手をはばむ。
右の小谷へ入る
谷を詰める
シダが現われる
背丈状のシダ
縦走路のある主尾根まで標高差40~50mと踏んで、シダ尾根へ突入する。
右の支尾根へ向かってシダを分けていくとややシダの丈が低くなる。左に魚切山の山頂が少しのぞく。
支尾根上のシダ
上方が開ける
左に魚切山
尾根上を分けていくと320m支尾根合流点へ抜け出る。すぐ先に縦走路があった。
320m支尾根合流点
縦走路へ出る
● ~魚切山
縦走路の緩やかな山道を登ると魚切山山頂へ着く。ハイカーの姿はない。
縦走路
魚切山山頂(山口市街側)
山頂(火の山方向)
南北方向の展望を楽しんで黒河内山をめざす。
山口市街
385mピーク・天狗岩山
黒河内山方向
楞厳寺山・花ヶ岳
亀尾山・火の山連峰
☆(補足) 12月15日のルート ※地形図に緑色のトラックで表示
●谷分岐(鍛冶屋床)~西ヶ垰
鍛冶屋床までは同じだが、分岐を北東方向の谷へ入り、西ヶ垰へ上がった。
このルートは18年前に歩いているのだが、当時の山行記録を見てもほとんど記憶に残っていない。
鍛冶屋床から右谷へ入り、しばらくガレ石の沢を登る。
沢分岐・鍛冶屋床
涸れ沢
涸れ沢
右岸側(谷の左側)に上がると作業道跡らしきものが現われる。
右岸
作業道跡?
まもなく標高230mあたりで注意しながら谷分岐を左に取る。(ガレ沢をそのまま詰めると右谷へ入り込んでしまうので要注意)
ガレ石の右沢方向
谷分岐近くの小岩
左谷に入る
雑木谷を詰める
稜線が近づき小谷の分岐を右に取ると、280m鞍部の西ヶ垰に出て縦走路と合流する。
稜線が近づく
280m鞍部(西ヶ峠)
★魚切山~天狗岩山~黒河内山
縦走路は一般コースなので、写真のみ掲載する。
●魚切山~西ヶ垰
290m支尾根分岐点
ややシダ被りの山道
290m鞍部
西ヶ垰
● ~350m鞍部~天狗岩山
左谷へ下る
ヒノキ植林沿い
谷出合い
植林谷を進む
谷を詰める
350m鞍部・道標
雑木尾根
シダ尾根
390m支尾根合流点
雑木尾根
天狗岩山山頂
● ~黒河内山
平坦尾根
雑木尾根
雑木尾根
妙見社コース分岐・道標
黒河内山山頂
楞厳寺山
亀尾山
350mピーク(三越山)
火の山連峰
御伊勢山
★黒河内山〈糸根整理堤・谷ルート〉
●黒河内山~390m支尾根付近~340m谷分岐
帰路は縦走路を西へ戻り、400m支尾根分岐点を少し下った適当なところから、南東方向へ谷を下ってみた。
実は12月20日に逆方向から谷を詰め、最後はこの谷を這い上がるつもりだったのが、100mほど上部の400m小鞍部へ出てしまったので、分岐箇所を確かめるつもりもあってこのルートを下ることにした。下降地点は鞍部でもなく目印となるものはない。
390m下降地点
疎林の斜面を下ると平坦な谷へ出て歩きよくなる。
疎林斜面
疎林谷
疎林谷
問題の標高340mあたりの谷分岐点に出る。分岐谷を逆方向から見ると、前回たどった谷が直進方向で、地形図で推測するほど狭い谷ではない。またブルーテープが直進方向の谷に付いていた。
340m谷分岐(逆方向)
ブルーのテープ
● ~涸れ沢渡り
灌木がやや多くなり、ガレ石の沢を避けて、沢沿いに主として右岸側を下る。
涸れ沢沿い
涸れ沢沿い
涸れ沢沿い
標高210mあたりで敷石や石垣が残る涸れ沢を渡る。
涸れ沢を横切る・石積跡
● ~石橋跡
谷が広くなり林道跡らしきところを下っていくと、標高160mあたりで石橋跡と出合い、えぐれた沢を渡る。
林道跡
林道跡
石垣
石橋跡・沢渡り
● ~堰堤~駐車地
沢沿いに山道跡を進むと、まもなく前方に堰堤が見えはじめ、手前に林道開設記念碑を見る。「紀元二千六百年 皇恩無窮 旱害対策」といった字も刻まれている。昭和15年当時に開設されたのだろう。
古道
古道
堰堤
林道開設記念碑
堰堤右端の踏み跡をたどり、少しヤブを分けながら堰堤を越えると林道へ出る。
灌木沿いの踏み跡
堰堤
踏み跡・堰堤(逆方向)
未舗装林道
☆(補足)12月20日のルート ※地形図に青色のトラックで表示
●340m谷分岐~400m小鞍部
歩きやすい谷で最後は疎林谷を詰めると400m小鞍部へ出て、縦走路と合流する。
■山名等について
黒河内山の妙見社コースを整備された方と話をしたとき、「山名がわからないので自分たちで付けてみたが、名前がわかるといい」ということを言われたこともあり、いい機会なので自分なりに調べてみた。
●鋳銭司村と陶村の境について
両村の地下上申絵図(清図はなく下図しか残っていない)を見ると、一枚の絵図に描かれている。
鋳銭司と陶の現在の大字境は黒河内山の南尾根にあるが、絵図が作成された頃(江戸期の享保年代)の旧村境は魚切山の南尾根にあったと思われる。
絵図では、「友輪堤」(地下上申では「友林堤」、絵図上では「ゆうりん堤」)上を境界が通っていることや、春日社の西を流れる綾木川のさらに西側に境界があることなどから推測できる。
両村は同じ絵図上に描かれていることからもわかるように、古来離合を繰り返していたようで、いわば兄弟村のような関係にあったと思われる。したがって、その境も時代によって変動があるようだ。
そこで、地下上申と絵図を中心に、黒河内山、魚切山およびその周辺の山について、次図のとおり山名等の特定を試みた。
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●黒河内山
絵図によると「吉野村」(「平野村」の枝村)、「恒富村」、「鋳銭司村」の三村境に位置する山で、それぞれの地下上申境目書によると、平野村では「鳥場山」、恒富村では「百合野山」、鋳銭司村では「法師岩山」にあたると思われる。
「黒河内山」の名は地下上申鋳銭司村の山野の項に見える。また鋳銭司村絵図には「黒河内垰」が確認できる。恒富村絵図には「黒河内」の山名も見えるが、現在の「黒河内山」とは位置が違うようだ。これらは、古来このあたりの谷を黒河内と呼び、そこから派生した名と思われる。
なお、絵図上では南尾根上に「隠山」(かくれやま:『山口県地名明細書』による)があるとみられ、地下上申にも御立山の項目に山名が見える。南尾根上のどのピークにあたるかは不明だが、南尾根上にある広範囲の山域を指すのかもしれない。
●魚切山
『防長山野いざない』などで紹介され、ハイカーにも親しまれている山なので、山名も定着した感があるが、地下上申や絵図から判断すると、上に記したように旧陶村と鋳銭司村の境に位置する山は「天狗岩山」がこれにあたる。現在天狗岩山と山頂に札がある410mピークは「奥畑山」にあたると思われる。
また、地下上申や絵図では天狗岩山の西に「魚切」が記され、これは250m支尾根合流点にあたるのではないかと考える。
●ようきり山、大西山
いずれも糸根新堤から林道を少し北上したところにある保安林看板の地図に記された山名であり、絵図にも村境上に「魚切」、「大西山」の名が見える。
ようきり山については、魚の古称「いを」から「よう」と訛ったのではないかと思われ、これも「魚切山」と考えられる。このことから地下上申の境目書にしばしば見える「水尾切り」と同様、分水嶺の同義語として使われているのではなかろうか。
両山の位置については、絵図からの特定は難しいので、保安林看板に拠った。
なお、絵図を見ると、同じ尾根上に「鎌山」の名があり、地下上申にも新御立山の項にその名が見える。これはピークというよりこのあたりの山域を呼称する名と考える。
●糸根(祢)垰
地下上上申とその絵図から現在の陶ヶ峠と推定した。
●西ヶ垰
地下上申や絵図、糸根整理堤近くの「得銭平・鍛冶屋床」説明板の記載地図から推定した。
2020-01-12 15:24
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